民衆は安倍改革に生存の危機を実感した!
参議院選挙総括
(その一)
国民の怒りは、安倍自民を敗北に追い込んだ
参議院選挙で惨敗した安部は、「日本経済の浮上と繁栄を生み出した改革を、やめろと言う民意ではない。国民の理解を得る努力が足りなかっただけだ。」と主張し、内閣改造という手段で、今後とも権力にしがみ付く決意を示した。
国家主義者と言うものは、国民を“理解”しようなどとは、つゆほども考えていない。ただ権力を通して国民を欺瞞し、国家へ取り込むことだけを狙っているだけなのだ。内閣改造記者会見での「国民の批判を真摯に受け止めたい」と言う一見殊勝な言葉は、権力の居座り強盗が、国民を、たぶらかす為に言わざるを得なかった台詞にすぎない。「民意は改革をやめろとは言っていない」と居直る人間が、どうして「批判を真摯に受け止めている」と言えるのだ。
それは、「その残酷さと規模において20世紀最大の人身売買」と指摘された日本軍従軍慰安婦問題に対し、「河野談話を継承する」と言いながら、「その強制性は無かった」と言い逃れ、米下院の公式謝罪要求決議に対し「我々の立場に理解を得る努力をしたい」と、今日に至るも無視し続ける安倍の、日本帝国主義戦争犯罪の、是認のせりふとそっくりだ。
安倍と自公の敗北は、国民の公的扶助を敵視して、医療費の国民負担を極限まで増やし、社会保障費を削りとり、07年を以って、国民のあらゆる恒久的減税を廃止して住民税を値上げし、自らのずさんな厚生行政を棚に挙げて、安部が「掛け金を、納めていないかも知れない国民に(年金)を支払ったらどうするんだ」と、国会中継のテレビの画面から国民に凄んでみせた結果だ。
日経連と資本家階級は、安倍と一緒に、「格差は社会の活力だ」と、労働人口に占める非正規雇用40パーセント台に近づきつつある現実を、新しい雇用制度であり企業の繁栄を支えていると平然と言い切った。この日本資本家階級のバーバーリズムを放置すれば、自分達の生きる権利を奪われ、生存を脅かしかねないと言う、民衆の怒りは爆発した。
それと共に、国民は、参議院選で「憲法改正と教育再生」を内容とする〈戦後レジュウムの解体〉と言う安倍のスローガンの中に、戦後、戦争による廃墟の上に築き上げてきた働く民衆の基本的人権と国民主権が、この右翼的国家主義者によって、解体されかねないとの予感を、うすうす感じたに違いない。
国民の怒りの一票は、とりあえず民主党の中になだれ込んだ。国民を犠牲にした「改革」の綻びと、露骨な国家主義を際立たせる安倍に対し、年金問題の国家による救済、国民を襲う格差と、地方の切捨てを糾弾し、増税を許さないと、地方の一人区の自民党を切り崩すために、山村にヘリコプターで遊説した小沢は、「国民の生活が第一を実現する」と言うスローガンで、国民の支持を取り込んだ。
それに対して、安倍の参院選ポスターに刷られた「成長の実感」と言うフレーズに、多くの国民は生活の現実を覆い隠す権力の欺瞞を見抜いた。安倍が街頭演説で、金切り声で絶叫する「戦後レジュームの解体」や「愛国心」を口に押し込まれても、命と生活は支えられないと実感したのだ。安倍自民の参議院選敗北の第一の原因は、この、国民の生活と生存を破壊するものへの、抗議と拒否の意思表示にあった。国民は、「成長を実感」するどころか、自分たちの生存の危機を実感したのだ。
二つの違った足を持つ、プチブル保守党
国民の目には、とりあえず民主党が、自分たちの代弁者になるであろうと、映ったのである。参院選敗北直後、10月で期限切れの「テロ特措法」を巡る参院での攻防をめぐって、中川前自民党幹事長から、「もともと、同じ地金(じがね)を持った党ですから・・」と揶揄された民主党は、たしかに、国民の期待や、参院選挙の公約やスローガンとは裏腹に、小泉と安倍に対し、構造改革と憲法改悪の道筋を競い合ってきた、資本家階級の補完政党である。
しかしこの党の片足は、670万労働者を組織する〈連合〉と旧社会党・民社党議員集団におき、もう一方の足を、自由党、新生党、新進党、さきがけなどの保守連合に置いた、政治的には中間的野合政党であり、階級的には資本家階級の補完政党である。毎日新聞7月14日付、アンケートでは、民主参院選候補者の35パーセントが改憲派である事を表明している。日経連の主体をなす大企業からの評価は、あまり高くは無く、彼らからの政治資金は自民党の後塵を拝している。「プチブルジョア的保守政党」と規定するのが正しいであろう。
党首小沢は、かって、自民党の重鎮として保守各派の政界再編を取り仕切り、保守派を支えた党派人である。現在も相変わらず、民主党を中心に政界再編を通した権力奪取の機会を覗う手法に代わりが無いが、今回の圧倒的な勝利は、その手法に別の意味を付け加えている。
今回の参院選で、国民の、国家への抗議の意思の受け皿となって、大きく躍進した民主党は、逆にそのことが、従来の党の「地金」を、出しにくくし、国民の意思に、ある程度縛られざるを得なくなると予測されるのだ。
特に民主党の多数派である右派改憲派の一部は、自民党の凋落を目の前にして、小泉改革を野党の立場から支え、安倍とともに改憲論議を進めてきた自分たちの行く末に、危機感を募らせたに違いない。参議院選挙で自民党を大敗させた国民は、国家権力の片肺を占拠し、安部政権の息に、止めを刺さなければ、自分たちの息の根が止められるかも知れ無いと考えたのであって、民主党が、この国民の負託に共産党、社民党とともに応えられなければ、この党への国民の熱気は一気に霧散する可能性をはらんでいるといえる。
「国民への利益還元」と言う幻想で、労働運動の解体に手を貸した「連合」
かって、社会党を支え、「資本」と対峙して、良くも悪くも、日本の労働者階級の権利擁護の戦いの中心であった最大の労働組合組織、「総評」は、1989年解散、新産別、中立労連と共に合同し「連合」(日本労働組合総連合)に再編された。
この80年代は、日本資本主義の高度成長が、日米貿易摩擦を爆発させ、農業、金融、サービス等の対日市場開放要求と、対日輸入規制を一段と強化させ、世界市場に於ける帝国主義的対立が、対欧州も含め先鋭化した時代であった。東南アジア市場から欧・米資本主義の伝統的市場であった中南米・中東・アフリカに至るまで、ODAをばら撒きながら殴りこみを掛け、市場の再分割を通してしか、日本資本主義は、生き残れなかったのである。競争力強化のための技術開発費、海外援助、米国の武器購入要求、軍事プレゼンスと国内の軍事産業の為の軍事費等、市場競争のための「コストの増大」を、労働者階級と国民に対する更なる負担、収奪によって、担保することが必要であった。
1982年の臨調(臨時行政調査会)基本答申は、建前としての国家の役割さえも放棄し「教育、社会保障の分野に於ける個人の自助努力」「民間の活力」という、剥き出しの競争原理を露骨に主張した。資本家階級と政府は、学者、知識人、マスコミ、労働界を動員し、臨調に基づく改革こそが、日本経済の持続的発展を保障し、国民に利益を還元すると宣伝し、民衆にその幻想の受容を迫ったのである。国鉄の分割民営化を中心に、公共部門や医療からの国家の召還を進め、国家は国民に対する生存義務よりも、資本の最大限利潤獲得の道具となる方向を明らかにした。
1989年、総評が解体し「連合」が登場した背景には、この体制の攻撃を受け入れ、国民と労働者階級を「改革」に動員した、労働運動指導部の存在がある。連合指導部は、小泉自公政権に至るまで一貫して、民衆の生存と人権破壊の「改革」を支えてきたが、今やそれによって、自らの生命の社会的再生産すら維持できないと認識した、670万の連合労働者の憤激の前で、大きく転換を迫られている。
民主党が、鳩山・菅と言った保守プチブルや前原誠司を筆頭とする松下政経塾出の極右体制派、米紙ワシントンポストに掲載された「従軍慰安婦強制性否定」の意見広告に名を連ねた13人の議員を抱かえ、改憲派が多数を占める体制補完政党であることは明白だ。しかし同時に、支持母体とする「連合」には、組合指導部の意のままには決してならない、670万の日教組、自治労、自動車、電機等の労働者がいる。民主党執行部は、彼らの圧力を無視することが出来ないのも事実だ。
資本主義の利益は、国民に還元されると言う幻想の破綻
参議院選挙の自公の大敗は、80年代、臨調行革路線こそが、資本主義の利益を国民に還元すると言う期待によって、民衆を統合し支配する仕組みの実態を、民衆が身を持って認識した結果であった。それが幻想に過ぎなかったことを、民衆が自覚したと言うことだ。臨調路線の小泉改革がほころびを表わし始めたとき、それを引き継いだ安倍は、民衆支配の仕組みに、自己の国家主義者としての狂信的な理念を付け加え、自存自衛の大東亜戦争の肯定の思想が、資本の過酷な収奪を受容させ、耐えさせる国民を生み出せると考えたのである。医療・社会保障システムの解体と国民増税の一方で、憲法改悪・教育基本法等、軍事力の威嚇と国家統制の制度的強化がそれを示している。
安倍は選挙で、国民を国家と資本に従属させるこの仕組みを、「戦後レジュームの解体」と表現したが、1789年フランスの、革命的ブルジョアジーが掲げた「アンシアンレジューム打倒」を気取ったのだろうが、選挙ポスターに刷られた、この男の顔は、大物に見せる為に斜め下から俯瞰して撮られたアドルフ・ヒトラーの肖像写真と瓜二つだった。ナチスは、国家社会主義と、反ユダヤ主義による〈人種的優越〉によって、ドイツの下層・中産階級の誇りを持ち上げ、生活の苦しさや不幸から、空想的に逃避をする手段を与え、こんな民衆によってファシズムは支えられたといえるが、何もこれは、1930年代のヨーロッパドイツだけの話ではない。生活の苦しさを、日本資本主義国家との戦いに向かうのではなく、アジアの諸民族に対する“民族的誇り”によって耐えさせられ、天皇制ファシズム国家に取り込まれ、アジア侵略の手足と化した日本の知識人や民衆、我々の父や祖父達もまた、同じ道を歩いたのだ。いつ我々の時代と世代が、民族的誇りをくすぐられて、自らを苦しめている国内の真の敵を見失い、彼らに取り込まれるとも限らないのだ。
07年、1月現在、実に1726万の働く民衆が非正規雇用のなかで生存を脅かされ、実質・潜在失業者は、400万〜500万とも推計される。労働者は、戦後最高の繁栄に沸く景気回復と資本家どもの儲けとは裏腹に、実質賃金は目減りし、労働時間の延長と成果主義によって身も心も疲弊させられ、公的扶助や医療の削減と増税によって、国家の二重搾取で追い討ちをかけられている。国家は、年金と医療保険の掛け金を払えない国民にたいしては、強制的徴税を執行しようとしている。今や国家と資本家階級に対して怒りを爆発させようとする民衆の力を、抑圧し分散させる手段と体制を構築することこそ、国家主義者安倍が、日本の資本家階級(日経連)から課せられてきた役割だった。
労働者階級の敵は、自身の国の中にいる資本家階級だ
日本の資本家階級からこの任務を付託された安倍は、またそれを、自己の国家主義者としての野心に結びつけ、大東亜戦争(極東アジアと東南アジアに対する日本帝国主義の侵略戦争)の正当化のための歴史教育と、教育基本法・教育三法改悪による国家統制、憲法九条改悪によって、名実共に日本軍隊の海外への軍事的プレゼンスをしめすこと。これら課題を「戦後レジュームの解体」と「教育再生」と言うスローガンに要約してきたのである。一言でいえば、「愛国心と民族の誇りを取り戻し民族の正しい歴史を自虐するな」と言う民衆教育を通して、国家への恭順、資本家階級による過酷な搾取に、民族の誇りと愛国心で耐えさせる民衆を生み出そうとしているのだ。
日経連が、労働者階級に対する過酷な収奪を「国際競争のために耐えなければならない」と言うとき、それは、資本家の私的な搾取を、ありもしない民族の利益にかなうかのように装おうのは、労働者階級に対する抑圧と支配のデマゴギーである。(彼らは、それを“国益”と呼んでいる)世界の市場競争での生き残りを掛けた戦いに、自国に於ける労働者階級と民衆支配のシステムが、国家の施策において支えられる事が、何よりも必要だと要求しているのだ。
1919年1月、ドイツ革命の勝利を目前に、ローザ・ルクセンブルグと共にドイツ反動に暗殺されたカール・ループクネヒトは、「労働者階級の“主要な敵”は、彼ら自身の国にある」と指摘していた。社会排外主義・ドイツ民族主義は、労働者の組織と思想を自国資本家階級の前に、武装解除することに警告したのだ。我々は、民族主義が、資本家階級の延命を支えたばかりでなくそれを野蛮化した、ドイツファシズムを生み出した歴史の教訓に学ばなければならない。振り返って、安倍の「天皇への敬愛」・「愛国主義教育」・「大東亜戦争の正当化」や、安倍一次内閣時における問答無用の議会運営は、この男の国家主義者としての育ちのなかに、ファシズムの臭いを嗅ぐのである.
「希望の国、日本」と、「美しい国、日本」は、働く民衆抑圧の処方箋だ。
日経連が、07年元旦に発表した、別名“御手洗ビジョン”と言う、政策提言「希望の国、日本」は、安倍の「美しい国、日本」と、対(つい)を成すように、日本資本家階級が、この先10年の単位で、国家を如何に支配し、働く民衆を、如何に抑圧するかの処方箋である。
彼等は冒頭で、「税や社会保障を通した、所得再分配の拡充を言う弊害重視派に対し(われわれ)成長重視派は、改革を徹底して成長の果実を持って弊害を克服する。」のが基本視点だと、露骨な資本の独裁支配を宣言する。
では彼ら資本家階級の言う改革とは何か。具体的項目を書き出し説明している。即ち・政府の役割を再定義する、・労働市場の開放、・教育再生、・憲法改正、等のなかで、「(弊害重視派)は、所得格差や社会的不平等、地方と都市の格差を指摘するが、それは、改革から来る弊害ではなく改革が不十分だからだ」と主張し、「政府の役割の再定義」で“政府部”(国家を私物化したこの表現は何だ!)による弱者切捨てを迫りながら、「国家財政の赤字の中心を成して来たのが、国家予算に大きく占める社会保障費である。社会保障制度を初めとする歳出面の徹底的な改革が必要だ。」と、年金、医療、老年者医療、生活保護制度、あらゆる公的扶助等の全面的見直しを政府の任務と主張している。
事実、「希望の国、日本」発表の直後の2月、「成長力底上げ戦略チーム」(塩崎官房長官・主査)は、“公的扶助の受給が経済的自立を妨げている。結果平等を目指す格差是正は取らない。011年までの5年間に社会保障関係費の伸びを年2200億ずつ抑え、国家分だけでも一兆一千億円削減する”と主張した。 4月、御手洗・日経連会長は、自らも民間委員を務める、「経済財政諮問委員会」(安倍座長)で、(政府は)それを確実に実行せよと迫った。一方で、直3年、5兆円と言う大企業の減税はそのままに、国民の恒久的減税(定率減税)を奪い取りながら、更なる企業減税と、労働市場の開放・改革を要求したのだ。
安倍内閣の延命は、民衆を日本の「ガス室」へ送り込む
すでに日経連の「政府部」は、生活保護基準の見直しと窓口排除、生活保護受給者に対する「リバーズモゲージ制度」により、国家が貧困家庭から、すべての、なけなしの財産を収奪する事を決めている。 生活保護家庭母子加算の廃止(一般母子加算は、すでに廃止)、健康保険の負担増はもちろんのこと、08年4月から、75歳以上で、扶養家族として保険金負担を免除されて来た老齢者を、全て自己負担させる「後期高齢者医療制度」で、保険金を払えぬ年寄りの保険証を取り上げ、多くの老齢者を、ガス室に送ることなく、容易に殺す制度を実行に移すつもりだ。何故なら、従前75歳以上の国民は、保険金の未納があっても、保険証の取り上げまでは無かったのだから。また、値上げされた介護・医療費、住民税を負担し、減税優遇を取り上げられた国民の、なけなしの年金から、保険料を天引きし「支払いもするが、徴収も確実にするシステムを作れ」(「希望の国、日本」)と言う、資本家階級執行部(日経連)の要求を容赦なく実行しているのだ。
今後も、安倍改造内閣が延命するということは、これら資本家階級と国家主義者どもが推し進める人間破壊の腐敗政治を、継続させると言うことだ。耐え難いことである。この参院選挙において、国民の圧倒的多数が民主党に期待したものは、この、資本家階級と安倍人間破壊内閣の、国民支配の政治を一刻も早くやめさせる事の筈である。
北九州市小倉北区で男性が餓死した事件について、8月24日、弁護士・市民が小倉北福祉事務所を、公務員職権乱用罪、保護責任者遺棄致死罪で告発した。行政は、国家の生活保護申請の窓口規制に沿って、医師の診断書まで改竄し、受給資格のある男性を追い返し餓死に至らしめたのである。この告発は、菊本誓所長という、一公務員の犯罪行為だけを告発しているのではない。北九州市を窓口規制のモデル行政として指定してきた、国家と安倍自公政権、更には「希望の国、日本」で、国家に、社会保障切捨てを要求してきた日経連・資本家階級に対する告発である。厚生省自らの調査(人口動態調査)でさえ1992年から05年の11年で、867人の餓死を確認している。これは氷山の一角にすぎないといわれている。餓死と共に、長時間労働と成果主義が労働者の過労死と自殺を増やしている。残業に法の上限規制の無い日本は、長時間労働を野放しにしてきたのだ。
民主党、国民の負託と「裏切り」の力学
民主党は、過去に裁量労働制、裁量労働制の要件緩和、に賛成してきた。さらに憲法改悪を前提とした「憲法調査会」の設置に積極的に関与してきた。今回の執行部人事で、前原誠司前代表の執行部入りを決定している。「日米同盟をアジア太平洋地域の要」と主張し、海外での武力行使のための集団的自衛権を憲法改正によって認めるべきとの立場を公言する人間だ。05年2月には、ワシントンの米戦略国際問題研究所の講演で、「現行日米安保条約が、極東の範囲の解釈で齟齬を生んでいること」の整合性を暗に要求した。また、日本の資本家階級に成り代わり、中東からの原油輸送ルート防衛のシーレーンをアメリカに頼らず自らすべき(1000海里以遠)と主張し自公政権以上のタカ派を誇示している。
このような民主党が、国民の負託を実行に移すかどうかは、民衆の継続的な戦いの行方にかかっている。まず9月臨時国会で、テロ特措法継続を拒否し、参議院で自公の息の根を止める物情騒然たる状況が、国会の内外で生み出されねばならない。民主党が右へと傾斜していくことは当然あり得るであろう。それは、「裏切り」ではなく、社会運動の力学にすぎない。そのときは、民衆の目が、この政党の階級的性格を、はっきりと捉えるときだ。
次回予告 ・ 「テロ特措法と民主党」
・ 「07年労働経済白書と経済財政白書にみる資本と労働」
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