関東大震災における、朝鮮人大虐殺85周年を迎えて
−「関東大震災」時、朝鮮人大虐殺の歴史に於ける国家の責任と国家の下手人となった民衆行動の、総括をうやむやにしてはならない− (2008年9月1日)
柴野貞夫時事問題研究会
〇国家イデオロギーによって支配され、体制に組み込まれた国民自身が、逆にこの権力を支える力となる醜悪な姿こそ、関東大震災時の「自警団」による朝鮮人大虐殺だ。
〇資本家階級は常に民衆を、苛斂誅求な国家の支配下でも、貧しくとも耐えて良いと思わせるイデオロギーによって、取り込もうとしてきた。
〇民衆は、この資本家階級と、その国家によるイデオロギーとの戦いに、二度と敗北してはならない。敗北は、彼等の協力者になると言うことだ。
2008年9月1日は、1923年(大正12年)9月1日の関東大震災時に於ける、朝鮮人(中国人含む)6400余名の大虐殺事件から85周年にあたる日である。
その日、相模湾を震源地とするマグネチュード7・9の巨大地震は、首都東京、横浜を中心とする関東一帯で、死者・行方不明10万5,000人、全半壊家屋25万戸、焼失家屋44万戸と言う、未曾有の都市災害を生み出した。
政府は、翌日(9月2日)には戒厳令を布告、適用地域を東京府から神奈川、千葉、埼玉と関東全域に拡大し、全国から完全武装した師団単位による治安出動部隊の動員を行った。関東全域は軍の支配下に置かれた。3日、内務省警保局は、海軍送信所から全国の道府県に、首都における「朝鮮人の暴動」を打電し警戒を煽った。
国家はこの時期、中国満州と朝鮮半島の植民地経営を維持強化し、第一次世界戦争後の、新たなアジアの帝国主義的権益争奪のための侵略戦争(中日戦争)に、国内の民衆を動員する必要に迫られていた。同時に、日本帝国主義を支える収奪植民地としての朝鮮全土で、1919年3月から始まった日帝植民地支配に対する三・一独立運動を始めとする朝鮮人民の戦いの継続は、日本の資本家階級とその天皇制執権政府の目論見に対する憎悪すべき障害物であった。
日本国家は、この震災を逆に利用し、治安出動を通して一気に、国民を戦争に動員するために、国粋主義と民族排外主義、国家主義に抵抗する民衆と組織を、右翼国家主義者による私的制裁や、軍と警察による拘引・拷問・殺人と言った、なりふり構わぬ暴力的手段に突き進んだ(亀戸事件、大杉栄・伊藤野枝虐殺、など)。ここに「大正デモクラシー」と言うイチジクの葉は、あっけなく剥ぎ取られた。
国家は、災害下の民衆の救済を各道府県に通蝶するよりも、「震災に乗じた不逞朝鮮人と、これに和した過激思想の輩」の取り締まりをまず第一に要請し、国家の手先となったあらゆる新聞が、〈不逞朝鮮人による、火付け、強姦、暴動、井戸への毒投入〉等の、あらゆる流言飛語を垂れ流した。
天皇の軍隊と警察が主導した民衆の恐怖の醸成のなかで、「朝鮮独立を叫ぶ不逞朝鮮人」に対して、民族浄化と国粋主義に取り込まれた日本の民衆の国家権力への自主的協力組織である「自警団」が9月1日から組織され、関東一円で瞬く間に3238組織ができあがった。彼等の目的は被災者の救済ではなく、おぞましい手当りしだいの「朝鮮人狩り」であった。
かれらは、軍、警察の黙認下、ノコギリ、竹やり,とび口、棍棒、鎌,日本刀、銃で武装し、東京、神奈川を中心に、千葉、栃木、埼玉、群馬で、6400余名の朝鮮人(中国人は、300〜600人と推定されている)の老若男女をリンチの上殺害した。その中には股を裂かれた妊婦までいたと、歴史は記録している。
日本政府は、1920年(大正9年)朝鮮産米増殖計画を、日本の民間会社主導で進め、結果として、土地の収奪と借金の累積による朝鮮農民の没落,遊民化を生み、意に沿わず日本の地を踏む人々が増加した。1909年(“日韓併合”の前年)には790人に過ぎなかったのが、1923年には80415名にのぼり、関東周辺には15000名と推定され、自警団と軍によって殺された6400余名の朝鮮人は、実にその23パ―セント強にのぼるのだ。(日本資本家階級は、彼等在日朝鮮人の労働者を、低賃金の日本人労働者の、更に3〜4割下回る差別賃金で搾取することで差別意識を煽り、日,鮮両労働者を支配したのだ。)
この人間性の、底知れない頽廃と腐敗にまみれた日本の民衆の妄動は、アジアの諸民族に対する日本帝国主議の強盗的収奪を合理化する国家主義イデオロギーに組み込まれた彼等が、今度は「その自発的意思」によって、そのイデオロギーを実行に移したに過ぎない事を示している。
その事によって、多数の日本民衆が(一部の反体制的殉教者を除いて)、1929年に小林多喜二が発表した小説、「蟹工船」に見る日本支配階級の当時の民衆に対する悲惨な搾取にもかかわらず、帝国主義的天皇制国家を支える役割を担った事実を徹底的に総括しなければならない。
日本帝国主義の朝鮮侵略を、「李封建王朝打倒を通して朝鮮の近代化を図る日本の責任」と合理化した、福沢諭吉から始まる日本の国家主義イデオロギーは、関東大震災を境に、多くの国家主義思想団体を誕生させた。
官・財・学会・軍人を広く網羅した平沼騏一郎の「国本会」を始め、「思想善導会」、「恢弘会」など今日の右翼の流れを形成した。
資本家の階級支配のイデオロギーの目的こそ、民衆に、自らの自発的意志として国家と同一化を図ることが出来る意識を持たせることにある。これによって、日本帝国主義は、その後の中国大陸の侵略に突入することが出来たのである。
関東大震災を通して実行された、軍警察と日本民衆による朝鮮民族を中心とするアジアの民衆に対する大量虐殺と言う妄動は、帝国主義段階での資本主義体制とその国家権力に必然的に内在する暴力性そのものに突き動かされたものだ。
資本主義国家とは、暴力と戦争の国家であり、制度なのだ。その後の日本帝国主義は、米欧帝国主義勢力と、1930年より中国大陸と東南アジアで、15年間に亘って、帝国主義的利権の暴力的解決に向かってアジアの民衆を地獄に突き落とした。しかしそれも、国家に統合された民衆によって支えられ、実行されたのだと言うことを、日本の民衆自身が痛切に反省しなければ、同じ事が二度三度起こらないとは言えないのだ。
アメリカ帝国主義による、日本主要都市にたいする無差別爆撃と、広島・長崎への二度の原爆投下と言う、人間性の一片のかけらもない行為は、今日も多数のアメリカ市民によって正当化されている。アメリカ帝国主義国家に統合された市民の意識は、63年たった今も、自分達を支配するものへの戦いに向かうのではなく、自国の支配階級を支え続ける国家意識に埋没し、その中に自己を同一化してきた。その国家に組み込まれた米国民の意識が、ブッシュのイラク侵略戦争を、当初90パーセントの支持率で支えたのである。
関東大震災の虐殺から85年たった今、同じことが形を変えて、繰り返えそうとされている。
北朝鮮の「拉致問題」を通して、日本国家は、拉致家族会を牛耳る右翼集団と歩調を合わせ、日帝植民地支配の歴史と国家の教育に依って、日本人に根深く植えつけられた朝鮮民族に対する差別的排外主義的意識を利用しながら、北朝鮮に対する自己の国家的償いを回避し、人道的義務さえ放棄している。北朝鮮に対するあらゆる人道的支援を阻止すると息巻く「家族会」の行為と、85年前の「自警団」の蛮行の間に、質的な違いが何処にあると言うのか?!
都民の前で、日本帝国主義による植民地支配下の国民と民族を対等な人間でないとした、主として朝鮮人に対する蔑称である「第三国人」と言う言葉を使い「それから、日本人を守ったのが自警団」と妄言し、「創氏改名は、朝鮮人自らの願い」と主張して憚らない石原都知事の言動は、一右翼ファシストの妄動だと、済ます訳には行かない。彼を二度に亘って知事に就かせたのは、他ならぬ一千万都民なのだ。
関東大震災時の朝鮮人大虐殺の歴史は、未だ正確な虐殺者数さえ明らかでない。国家によって主動され、民衆の加担によって実行された蛮行に対する、日本国家による責任を明らかにし、徹底した調査と、謝罪を、被害者に対し行うべきである。
<参考図書>
〇 関東大震災時の朝鮮人虐殺ーその国家責任と民衆責任 山田昭次 (創史社)
〇関東大震災と朝鮮人虐殺―80年後の徹底検証 山岸秀 (早稲田出版)
<参考サイト>
〇日弁連 関東大震災人権救済申立事件調査報告書
http://www.azusawa.jp/shiryou/kantou-200309.html
〇朝鮮新報 「関東大震災下の朝鮮人虐殺問題1」 恐るべき国家犯罪
http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2008/01/0801j0402-00001.htm
〇朝鮮新報 「関東大震災下の朝鮮人虐殺問題6」 戒厳司令部が作成した「虐殺記録」
http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2008/01/0801j0801-00001.htm
〇朝鮮新報 「関東大震災下の朝鮮人虐殺問題5」 内務省の組織的伝播で自警団発生
http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2008/01/0801j0702-00002.htm
〇壺井繁治と関東大震災 代わりに詠んだ「十五円五十銭」
http://www1.korea-np.co.jp/sinboj//j-2003/j06/0306j0917-00001.htm
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