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(キム・ヨンボム著、「日本主義者の夢」プルンヨクサ社出版、
日本語訳連載@)

 

<その1>

 

 

日本の国粋主義者・司馬遼太郎の間違った歴史観を糾す。

 

 

 

 

序言

 

 

日本主義が、ずっと勢いをふるえば・・・

 

 

 

二回目の東京駐在特派員勤務を出来なかったら、恐らくこの本は、世の光を見ることが出来なかったかも知れない。50代中盤の歳に、取材の一線から既に退いた私が、現地経験の貴重な機会を貰ったと言うことは、どう考えても大きな幸運と言う他はない。おかげで、日本のあれこれの姿に目を注ぎ、観察して、多くの人々の話を聞きながら、20年前の日本と今日の日本を比較することが出来た。

1996年6月、初夏の蒸し暑さが町をむんむんと覆っている頃、東京に到着した私は、表面上では赤の他人のように見えながらも、実質的には互いに血脈で結ばれている二つの日本人の顔を見た。ひとつは、夢を失くしてしまった日本人の顔だった。メインストリートを歩く若い彼らの表情には活気が消えたし、地下鉄に座っている日本人たちの中に居眠りする人が多かった。

 

もうひとつの顔は、その年の2月に死亡した有名な人気作家、司馬遼太郎の思想と精神を復活させ、失ってしまった夢を蘇らせ様とする姿だった。

夢の喪失が、バブル経済の分解・長期不況と一緒に訪れた日本人の挫折であれば、司馬復活運動は、司馬史観の指標である‘偉大な明治の自慢と栄光’を今日に蘇らせ、日本人の夢と自衿心を取り戻そうと言う新しい日本主義の動きだ。

 

揺れ動く経済大国の意気消沈した主人たちに、今一度、夢と自信感を吹き込んでやる日本主義が、社会全般で加速化される‘総保守化’を背景に、特に若者たちの間で推進力を得ている光景を見て、私は、日本が極めて危険な転換期に立っていると言う思いをした。

 

明冶と昭和の時代を貫通して、根気強く生命力を維持してきた日本中心主義・日本優越主義(日本主義)がずっと勢いをふるえば、一体全体、日本と言う国はどんな性格の強大国に変貌するのか。日本主義と言う機関車のエンジンに、ずっと燃料を供給する者達は果たして誰であって、彼らが夢見る日本の夢は何なのか。この本は、即ちこんな問いに答える為に書かれた。

 

司馬史観と言う話の糸口は、日本主義であるだけに、重い主題に違いない。しかしそれは、決して放棄してはいけない話の糸口だ。何故なら、司馬史観の正体を明らかにすることは、たちまち日本主義の正体を暴き出す作業と直接繋がる為だ。従ってわが国にも多くいる司馬フアンらに、今まで隠されて来た、司馬の韓国観に対する批判を含んだ司馬史観の解剖は、この本で、相当に大きい比重を占める事となった。

この本を書く前、私は若干の言論界の後輩達から、“軽く読まれる、日本の見聞録のような日本の話であれば、始めは書く考えをしないで。”と言う忠告を受けた。こんな本は、すでに十分出ているので、今は、日本をありのまま掘り下げて読むぐらいの、価値がある日本論を書いてくれと言うのが彼らの頼みごとだった。さらに、日本大衆文化の開放を控えて、日本社会の底辺に流れている根強い国粋主義的風潮を、具体的に解剖し韓国人に知らしてくれと言う強力な要求もあった。 初稿を読んで見た出版者側も、司馬史観と日本主義に深い関心を表わしながら、けれども、その様に重い主題を、分かり易く書いてくれと言う注文をつけた。それで、後輩たちの忠告も受け入れながら、容易く読める重いテーマの日本論を書こうと改稿を重ね、この本を誕生させる事となった。

不十分な所が多いだろうと思うが、それは,読者の皆さんが批判してくれる役割だと思う。

難しい事情にも、快く本の刊行を引き受けてくれた‘プルンヨクサ(生き生きとした歴史?―訳注)’社と、何時もそばで、私の精神的緩みを叱咤し脱稿を助けてくれた妻に、真心を込めて感謝を表わしたい。

 

1999年1月

 

イルサン 寓居 著者

 

(訳 柴野貞夫 2010・1・23)



 

 

著者 キム・ヨンボム氏 略暦 

 

1942年    チェジュ(済州)出生

ソウル大・社会学科を卒業し、米国コロンビア大・新聞大学院を卒業した。

ヨンハップ(連合)通信、編集部局長・国際局長、東北アジア情報文化センター常任理事、また文化日報、旧東洋通信駐日特派員、

国際言論人協会・韓国委員会事務局長を歴任して、KBS第一ラジオの<ラジオ24時>を進行したことがある。

現在、国民大学国際地域学部で日本論の講義を担当し、MBS視聴者委員会委員として活動している。(本書よりー訳者)

(訳 柴野貞夫 2010・1・23)

 

 

<次に続く>