キム・ヨンボム著「日本主義者の夢」プルンヨクサ社出版、日本語訳連載⑲)
―朝鮮人による司馬遼太郎の歴史観批判―
[第3部]
‘従軍慰安婦’記述削除運動
(原書161p~169p)
藤岡の自由主義史観研究会が、‘従軍慰安婦’に対する教科書記述削除運動を本格的に広げ始めたのは、1996年6月、文部省が次の年の4月から中学校社会科教科書で使用される新しい教科書の検定内容を予め公表した頃からだった。藤岡グループが削除を要求した事項は、慰安婦問題だけではなく、‘南京大虐殺’と‘盧溝橋’事件も含まれている。盧溝橋事件は、1937年中日戦争の直接的な導火線になった事件であり、南京大虐殺は、中日戦争時南京を占領した日本軍が鎮圧過程で‘20万名’もしくは、‘30万名’の中国人を無慈悲に大量殺害した事件を言う。
教科書に、恥ずべき過去史の痕跡を残したくない藤岡と同じ日本主義者達は、盧溝橋事件の日本原因説と南京鎮圧での大量虐殺を否認し、或いは、証拠が明白でないと言う理由で、幼い(未熟な)中学生達が習う歴史教科書で、日本を中日戦争の侵略的挑発者として烙印を押す盧溝橋事件と、日本人の非人道性を暴露する南京大虐殺に関する記述を削除しなければならないと、執拗に主張している。
日本の中高等学校教科書検定は、文部省の諮問機関である教科書審議会の意見を文部省が受け入れる形式で成り立つ。しかし実際の検定内容では、文部省の見解が殆んどそのまま反映されるのが通説として知られている。1996年6月に公表された社会科教科書の検定内容は、審議会の意見を聞いて予め完了されたものを前にして文部省が一般国民に知らせ自由主義史観研究会をはじめとする歴史修正主義者達はこんな順序を知っていた為に、次の年である1997年4月の教科書の実際使用を前にして、文部省が職権を行使して‘従軍慰安婦’‘南京大虐殺’‘盧溝橋事件’などを教科書から削除せよと要求したのだ。
1996年夏から次の年3月末まで、日本全域で、執拗にして組織的に展開された教科書記述削除運動は、文部省が当初の検定内容を変えることが出来ないと言う立場を固守する事で、所期の成果を上げることは出来なかった。しかし教科書改革派達は、保守的な新聞・雑誌と、組織的に動員された右翼の街頭宣伝車両などを通して、猛烈な反対運動を広げる事で、日本主義勢力を結集させるのに相当部分成功したと見る事が出来る。
初めて登場した、慰安婦記述内容
この文章では、教科書書き換え運動の中でも、最優先の攻撃標的として指適された ‘従軍慰安婦’問題に局限し紹介しようと思う。
事実‘従軍慰安婦’と言う表現は、わが国では受け入れられない用語だ。‘従軍’と言えば‘従軍記者’‘従軍看護員’の様に、軍隊組織の一員として、それとも、戦争に付随した別途の目的を遂行する為に軍隊につき従う人を意味する。日本軍の‘性的奴隷’だった‘慰安婦’はこれと異なり、国家の強制性による制度であった為に、我が国の言論では‘軍隊慰安婦’と呼ぶ。無論日本の言論らは‘従軍慰安婦’と呼んでいるが
、藤岡グループは、この‘従軍’と言う官式語さえ嫌う。慰安婦の‘従軍’と言うものは、もともと無かったと言うのが彼らの主張である為だ。
そうであれば、中学校歴史教科書で初めて登場した‘従軍慰安婦’の一節(一段落)が、一体全体どんなに記述されている為に、藤岡グループとその同盟勢力がそのように声を高めているのか、一度探って見る事としよう。
“女性を慰安婦として従軍させ、酷い取り扱いをした。”-日本書籍刊
“従軍慰安婦として、強制的に戦場へ送り出された若い女性達も多かった。”-東京書籍刊
“多くの朝鮮人女性なども、従軍慰安婦として戦場に送り出された。”-大阪書籍刊
“朝鮮・台湾などの女性の中には、戦場の慰安施設で働く事となった者もいた。”-清水書院刊
歴史教科書を出版する7つの出版社中、それでも表現が強いと感じられる(上記の)4つの社の慰安婦関連記述が、こんな程度だ。慰安婦が強制で引っ張られて行ったと表現した教科書は一つ以外になく、それも、強制で引っ張って行った主体が誰なのかは不明瞭だ。社会科担当先生達が、慰安婦問題に関してどれだけ詳細に説明してやるかは分らないが、教科書での表現通りなら、慰安婦の存在自体は明白になったとしても、植民地朝鮮の多くの若い女性たちが、どんな強制的手続きに依って日本の戦場に連行され、どんなに酷い苦難を経験したのかは全く言及されていない。
主体が不明瞭な強制連行
この様に、強制連行の事実は言うまでもなく、朝鮮の若い女性たちを引っ張って行った主体さえ、はぐらかしたのを見ると、教科書の歴史記述内容を徹底して点検し使用の可否を承認する文部省の保守的態度を確然と知る事が出来る。その点は、1997年6月公開された高等学校1年用社会科教科書の検定結果でも克明に表れた。
文部省に、検定申請用として提出された或る出版社の教科書には、このように記述されていた。
“戦時中、旧日本軍は中国・朝鮮など日本が侵略した地域で、多数の女性を強制的に連行して、日本軍将校・兵士達は彼女たちを凌辱し、耐え難い苦痛を与え多くの死亡者も出た。”
しかしこの内容は、文部省の検定を経た後、この様に変えられてしまった。
“戦時中、中国・朝鮮・東南アジアなど日本が侵略した地域で、多数の女性が強制的に連行された。日本軍の将校・兵士たちは、彼女らをはずかしめ耐えがたい苦痛を与えた。”
検定の結果、‘強制連行’と言う表現は残ったが、強制連行をした‘日本軍’と言う主体が、こっそりと抜け落ちてしまったのだ。ふるまいの結果があれば、その振る舞いの主体がはっきりと明らかにされなければならないのが、教科書記述の当然の原則だ。そうであっても、文荒れた部省の教科書検定過程で、強制連行の主体がむしろ曖昧模糊としてしまって、藤岡グループと右翼保守派達は、それさえも駄目だとし、慰安婦記述の削除を要求しているのだ。
その上、文部省は慰安婦に関する1993年8月の政府調査発表(官房長官談話)をもとに教科書を審議したと明らかにしたが、そうだとすれば、日本軍が慰安婦の募集・移送・管理など全体の過程で直・間接的に関与し、そこに‘強制性’があったと言う事は、当然にも教科書に記述されなければならなかった。当時の日本政府スポークスマン・河野洋平官房長官は、談話で‘強制連行’部分に関し、次のように明らかにした。
“慰安婦募集には、軍の要請を受けた業者が主に関与したのであり、その場合も甘言と強圧によるなど、そもそも本人たちの意思に反して募集された事例が多かった。その上、官憲などが直接加担したことも有った事が明らかになった。”
のみならず、河野前長官は去る1997年3月31日付<朝日新聞>とのインタビューで強制連行問題に関し敷衍説明をしたが、これは慰安婦連行の‘強制性’を認定した極めて重要な証言だ。
“‘政府が法律的な手続きを踏み、暴力的に女性を引っ張り出した’と記録された文書はなかった。しかし、本人の意思に反し募集された事を、強制性だと定義すれば強制性の事例が多いのは明らかだ。”
要するに、河野の敷衍説明は狭義の強制連行を示してくれる政府文書は発見することは出来なかったが、‘甘言と強圧’など、‘本人の意思に反して行われた自由侵害’を広義の強制性として見れば、十分に強制性が認定されると言う意味だ。このインタビューは、長期間粘り強く続けられた慰安婦問題の教科書記述削除運動を公然と支持してきた<サンケイ新聞>が、<朝日新聞>を慰安婦記述に対する擁護者として狙い定め、社説などを通して標的攻撃を加えたことに対する反撃として出たものだ。新聞紙面の二面を割愛し社説まで動員した<朝日新聞>の大反撃は、中学校社会科教科書の公式使用(4月1日)の1日をまえにして開始された緻密な企画の成果だった。
その時まで、慰安婦記述削除派は‘国家機関による強制連行の文書証拠がない’と言う点を前面に立てて、歴史記憶の抹殺の為の教科書戦争を繰り広げたのであり、この戦争には、自民党と当時第一野党である新進党を含んだ保守右派政治勢力と各種右翼団体ら、日刊≪サンケイ新聞≫と月刊≪正論:[産経新聞社]の姉妹誌≫、月刊≪諸君:[文芸春秋]の姉妹誌≫そして、保守的な評論家・ジャーナリストなどが一種の連合戦線を形成し、藤岡グループを全面支援していた。
キム・ヨンサム前大統領と橋本竜太郎前日本総理の、1997年1月大分県別府会談を1日前にして、当時日本政府代弁人の梶山静六官房長官が、‘従軍慰安婦=公娼’の暴言(妄言)をしたのも、こんな背景を考慮して読まなければならない。そんな背景を念頭に置けば、梶山の妄言は偶発的なものではなく、意図的なものであることを知る事が出来る。
文部省も、事実は削除派の友軍
事実上文部省は、従軍慰安婦と言う性的奴隷制度に対する日本の国家責任を徹底して否定する中で、慰安婦関連部分を審議してきた。それは、先に指摘した検定内容からもよく表れている。従って、文部省は広い意味で慰安婦記述削除派の友軍だとしても違いないと言う事が出来る。
ただ、文部省が削除派と異なる点は、韓国・中国・など東アジア諸国との友好関係維持のため、外交的配慮をしなければならないと言う、‘学校教育用図書検定基準’の中に入っている所謂‘近隣諸国条項’(1982年宮沢喜一、当時官房長官が談話形式で発表した、韓国・中国など隣国の批判を十分に傾聴すると言う内容)の制約を受けていると言う点だけだ。
事実文部省は、1982年の教科書波動(ショック)で‘近隣諸国条項’が作られる前までは、東アジアに対する‘侵略’を‘進出’と糊塗しながら、過去史を美化する事に汲汲とした。これを勘案すれば、強制連行の主体を曖昧模糊に残しておくことで、慰安婦問題の核心を巧妙に抜け出た文部省の立場と態度は、一つも変わった事がないことを知る事が出来る。そうであれば、この様に、文部省の検定内容が国家利益を十分に考慮したものであるのにも拘わらず、藤岡グループがこれを頑強に反対するわけは、何であるか。
それに対し藤岡は、“そんな教科書を子供たちに提供すれば、挙句の果てに腐食し挫折して、終(つい)には溶解され解体されるだろうから”だと言った。ほかの言葉で表現すれば、“日本国家の精神的解体の危機”が差し迫るだろうと言う不安感だ。
こんな藤岡の論理は、政治的策動家達がよく利用する二分法的思考方式、即ち架空の<現実>を二分化し、そこに一つを選べと言う、実に出鱈目極まる論理に過ぎない。
慰安婦の記述を許容すれば、“日本国家の精神的解体”が招来され、削除すれば、精神的にしっかりした‘明るい日本’がやって来ると言う藤岡の発想法から、我々は彼の政治的意図を読む事が出来る。
藤岡の言葉をそのまま借りれば、自由主義史観は‘健康なナショナリズム’を追求するものだ。しかし、それは実際には‘健康なナショナリズム’ではなく、自己中心的で偏狭なナショナリズムでしかない。
こんな彼の自由主義史観は、日本主義のイデオロギーに呪縛されたまま、むしろ他の面で“日本国家の精神的解体”を催促し、健康でない日本の姿を助長しているだけだ。即ち藤岡史観は、イデオロギーの呪縛から抜け出て自由な立場で日本国家の未来を考える史観ではなく、日本の国旗である‘日の丸’と、日本の精神である‘大和魂’を思考の中心に置き、日本の未来を考える国粋主義史観に他ならない。
一方、藤岡は歴史的真実に対し、国家機関の公式文書で明らかにされなければ信じない、実に奇妙な習慣を身につけている。公文書だけを尊重する教育学者と言うわけだ。慰安婦問題に関しても、彼はそんな立場を徹底して堅持している。日本国家が韓国の慰安婦を強制連行した証拠として、国家機関の文書だけを認めようとするこの奇妙な日本主義者は、非人道的な‘性的奴隷制度’の被害者である韓国のハルモニ(おばあさん)達が、日本政府の調査官に明らかにした、生々しい証言内容に対しては、故意的におろそかに扱ってしまう。
無論、未だに慰安婦の強制連行に国家機関が介入したと言う文書証拠が発見されていない。しかし、先に明らかにした様に、慰安婦募集の強制性は、1993年の政府代弁人(官房長官)談話、1997年当時代弁人(官房長官)だった河野の<朝日新聞>会見で公開的に認定された。そうであっても、文書が発見されなかったと言う理由一つだけで、日本が犯した犯罪を徹底して否定しようとする日本主義者・藤岡とその追従者達に、果たして‘明るい日本’の未来を期待出来るのか?
過去史の中で、醜悪で恥さらしな記憶を根こそぎ消してしまおうと言う彼らの意図は、成功するのが難しいだろう。そうであっても、彼らが繰り広げる‘記憶との戦争’に呼応する日本人達が、今も多いと言う事実を断じて無視するのは駄目だ。
(訳 柴野貞夫 2010・10・7)
○次回予告
「藤岡グループを、支援する勢力たち」
○参考サイト
☆ 179 日本、‘新しい歴史教科書を作る会’の歪曲教科書採択拡散 (韓国・ハンギョレ紙 2009年8月4日付け)
☆ 159 日本の右翼教科書(検定)を出したところは、‘品の無い’二つの出版社 (韓国・ネット新聞オーマイニュース 2009年4月10日付け)
☆ 116 日本は何処に行っているのか? ―田母神《論文》批判 (朝鮮民主主義人民共和国・労働新聞 2008年11月18日付け6面記事)
☆ 68 告発状《世界最大の拉致国、日本の<慰安婦>犯罪を断罪する!》 (朝鮮民主主義人民共和国・労働新聞 2008年2月1日付け)
☆ 20 歴史歪曲の先頭に立つ日本の“新しい歴史を作る会” 藤岡副会長インタビュー!!(韓国・ハンギョレ紙 2007.5.29)
参 考 サ イ ト
日 本 を 見 る - 最 新 の 時 事 特 集 「日本主義者の夢」 キム・ヨンボル著 翻訳特集
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