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キム・ヨンボム著「日本主義者の夢」プルンヨクサ社出版、日本語訳連載⑳)



―朝鮮人による司馬遼太郎の歴史観批判―





[第3部]


藤岡グループを支援する勢力達

 

 

(原書170p~177p)

 

 

 

この原稿を書いている間、日本政府閣僚の妄言として慰安婦問題がまた再び浮き彫りにされた。1998年7月末、中川昭一農水産相の妄言がそれだ。瞬間的なハプニングで、しばらく突出したあと、痕跡を隠してしまった妄言の波動であったが、これは、慰安婦問題がいつでも再び噴出する未解決の争点である事を如実に見せてくれた。加えてこの妄言の波動は、今まで妄言の主人公が、主として戦前世代の人物だったのに反し、1998年7月末出帆したばかりの、小渕恵三総理内閣に入閣した若い閣僚の発言であると言う点で変わった(特色のある)意味を持つ。

 

中川長官は、就任後初の記者会見で、“慰安婦強制連行に対しては、専門家の中で論争となっているが、そうであっても、慰安婦を歴史的事実として教科書に記述している点には疑問を感じる。”と語った。即ち、強制性に疑問が残るため、教科書に載せるのはだめだと言うのだ。

 

慰安婦問題は、さる1996年と1997年、藤岡グループとその支援勢力達が蜂の群れの様に生まれて強力に反対したが、文部省の検定を経た後、既に一段落した争点だった。しかし、中川長官の様な日本主義者達には、それは一段落した問題ではなく、受け入れることが出来ない‘既定事実’であり、再び世論化し、争点として暴き出さなければならない懸案問題であるのだ。中川長官は、そのように考えている日本人の見解を代弁しただけだ。

 

しかし、当時この問題は、妄言の公表者である中川長官が発言を取り消し、小渕総理がこれを受け入れる線でいち早く事態を収拾する事として、波紋が国内政治的や、韓・日間の外交問題として、更にこれ以上拡大されることはなかった。しかし、そうであるとしても、慰安婦問題の潜在的噴出性が除去された事は断じてない。

 

 

 

中川は若い議員たちの代弁者

 

45歳の中川長官は、1970年代末、自民党のニューリーダーの中の一人として脚光を受けた保守政治家である故中川一郎の息子だ。父親の北海道選挙区を譲り受けた彼は、自民党の少壮派議員百余名が参加している‘日本の前途と歴史教育を考える若い議員達の会’の代表を受け持っているが、この会の目的は、中学校教科書から慰安婦と南京大虐殺などに対する記述を取り除こうとするところにある。従って、中川長官の妄言は慰安婦記述に対する個人的な意思表示と言うよりは、‘若い議員達の会’の意思を代表したものだと言うことが出来る。この様に見る時、中川の妄言は、取り消したと言っても決して一段落される問題ではなく、時が来れば、政治家たちの中で、何時でも再噴出することが出来る旧火山であるのだ。

 

 

 

‘明るい日本の議員連盟’

 

この様な、父親と同じ保守路線を歩んでいる中川長官が、党内の若い保守派を糾合し教科書書き直し運動を主導しているとすれば、戦前世代に昔の内務省出身の、徹底した植民地統治美化論者である奥野誠亮前法務相(85歳)は、自民党内の保守右派人脈を動員し、教科書改革のための‘戦争’の先鋒にある。奥野議員が引連れている団体は、‘明るい日本の国会議員連盟’だ。1996年6月、教科書改革運動が高潮に達した時、その波に乗って発足したこの‘議員連盟’の母体は、1993年8月に作られた党内の‘歴史検討委員会’にさかのぼる。発足当時‘議員連盟’会員は、閣僚2名を含む衆・参議員116名で、当時330余名だった自民党衆・参議員の三分の一を抱えていた。

 

母体である‘歴史検討委員会’も、衆・参議員105名で構成された大きい組織だった。橋本前総理も顧問として参加していたこの委員会は、当時細川護煕総理の‘太平洋戦争=侵略戦争’発言に危機感を感じた自民党の保守右派議員達が結成した組織だった。彼らは敗戦50周年を迎える1995年まで、‘大東亜戦争肯定論’‘南京大虐殺幻想論’‘従軍慰安婦虚偽論’を主張する学者達から講演を受け、理論武装をしたのであり、その後20回にもなる‘学習会’の講演と、質疑応答を整理し、1995年8月15日、≪大東亜戦争の総括≫と言う440頁からなる冊子を発刊し、気勢を上げる事もした。

 

‘明るい日本の国会議員連盟’の母体である‘歴史検討委員会’が、どんな性格を秘めていたのかを理解すれば、‘議員連盟’が唱える目的も知る事が出来るのだ。彼らは、“(日本を)侵略国家として罪悪視する自虐的な歴史認識と卑屈な謝罪外交には、同調することは出来ない。”と言う立場で、“戦争後、失ってしまった重要なことを取り戻し、健全な日本人を育成する。”と言う目的を掲げている。このように明白な目的を掲げた‘議員連盟’の会長に就任した奥野衆議院議員は、1988年に戦争美化発言をしたあと政治的物議を引き起こし、国土開発庁長官職を辞任したことがある人物であり、その上、‘議員連盟’の事務局長を担当している板垣正参議員は、A級戦犯として処刑された板垣征四郎陸軍大将の息子として、日本遺族会の事務局長を歴任した人物だ。

 

“ついに、日本人の立場から考える学者が現れた。”

“藤岡氏は、我々が今まで言って来たことを語っている。心情は一つだと考える。”

 

奥野会長のこんな発言は、藤岡グループの誕生を諸手を挙げて歓迎するだけでなく、彼らの教科書書き直し運動を、一種の同盟軍として支援している事を露骨に現わした表現だと言う事が出来る。

 

 

 

‘日本を守る国民会議’

 

藤岡グループを支援する団体としては、この他にも‘新しい歴史教科書を作る会(1996年12月発足。藤岡が西尾幹二教授などと一緒に作った。)’とか、‘日本を守る国民会議’など各種右翼団体などが立ち並ぶ。この中の‘新しい歴史教科書を作る会’は、自由主義史観研究会の外郭組織的性格を持っているが、‘日本を守る国民会議’は、全く別個の右翼団体だ。改憲推進の為ずいぶん前に結成された‘国民会議’は、復古的な内容を盛った≪最新日本史≫を企画・編集・普及しただけではなく、1996年9月には、慰安婦記述が入っている教科書を発刊した会社に抗議する意味で、ひと月の間、北海道から鹿児島まで全国縦断行進を展開する事もした。その点でこの団体は、藤岡グループを側面支援する組織だと言うよりは、自ら前面に出て、教科書の新たな書き換え運動を展開する組織だと見ても良いだろう。

これらの組織のほかにも、日本全国のPTA幹部達で組織された‘全国教育者協議会’と ‘日本教師会’も、慰安婦などの教科書記述だとか、‘侵略’と言う用語の削除を要求しながら、攻撃を強化している。

 

 

 

 

注目しなければならない<読売新聞>の姿勢転換

 

藤岡グループを支援する言論媒体では、先に何度も言及したことがある<サンケイ新聞>をはじめとして、月刊誌≪正論≫、≪諸君≫、≪VOICE≫(PHP研究所刊行)などを挙げることが出来る。

ところで、言論媒体の中で特に注目に値する動きを見せたのは<読売新聞>だ。1千万部を越える日本最大の発行部数を誇るこの日刊紙は、その間、憲法草案まで作り公開的に提示するなど、現行平和憲法の改憲に先頭に立って来たりしたが、慰安婦問題に関しては口をつぐんできた。しかし、そんな<読売新聞>が慰安婦記述に関する中川農水産相の発言を擁護し、中川長官の発言を批判した<朝日新聞>を逆攻撃して出た。

<朝日新聞>は、中川の妄言が出た次の日である1998年8月1日、“これでも、‘外交の小渕’なのか?”と言う題目の社説で、攻撃の砲門を開いた。この社説では中川長官が自民党内‘日本の前途と歴史教育を考える若い議員たちの会’の代表であることを挙げ、彼の発言は慰安婦と南京大虐殺関連記述を削除しようとする‘若い議員たちの会’の真意を表現したものだと指摘した。その後で、“中川長官が問題の発言を撤回したと言うが、こんな認識を持った中川は、閣僚としての適格性が欠けたと言うほかに語る言葉がない。”とし、彼の辞退を促した。<朝日新聞>は、その理由として江沢民・中国国家主席の1998年9月の訪日(その訪日日程は、揚子江流域の洪水による中国側の事情の為、延期された。)

金大中大統領の1998年10月訪日を前にして、韓国・中国など隣国との信頼関係が重要であり、加えて中川長官は即、韓・日漁業協議責任者であるため、尚更そうなのだと強調した。

 

この様な<朝日新聞>の攻撃に対する<読売新聞>の逆攻撃は、この社説が出てから4日後である8月4日に開始された。<読売新聞>は、“‘慰安婦’問題を、もてあそぶな”と言う題目の社説をのせたが、無論、<朝日新聞>だと指さして指摘しなかったが、文脈上、誰が読もうと<朝日新聞>を狙ったものである事は明らかだった。

 

<読売新聞>の攻撃の要旨は、つぎの通りだ。第一に、慰安婦問題に関する現行中学校教科書の記述内容に対しては、“いろいろな論議があるので、中川農水産相が独自的な見解を持つのは何ら異常ではない。”のであり、第二に、1993年の河野談話でも明らかなように、‘慰安婦’の強制連行を裏付ける文書の証拠がないのだから “強制連行があったのかどうか分らないと言った中川発言には、どんな問題もない。”と言うのだ。

要するに、‘外交’云々して“韓国の反発をそそのかす報道”をする新聞が間違いじゃないのか? 中川長官の発言にどんな間違いがあるのか?と言う語調だった。‘慰安婦’問題に関する論調がこの程度である以上、慰安婦問題に関する限り<読売新聞>も、藤岡グループの側に立っている事は疑うに及ばない。無論、<読売新聞>の社説は、藤岡グループの自由主義史観研究会の活動を全幅支持することはなくて、表面的には何処までも‘慰安婦’と言う特定事項に関する見解の表示であるだけだ。しかし、世論形成で<朝日新聞>と似たり寄ったりの影響力を行使し、発行部数面で<朝日新聞>を凌駕する<読売新聞>が、‘慰安婦’制度の強制性を認定し、過去史反省の立場をとる<朝日新聞>を正面攻撃したのは、今後の‘教科書戦争’に新しい波長を予告するものと見える。

 

 

 

‘総保守化’風潮の中の藤岡グループ

 

今まで藤岡グループを、かばって回る一味の団体と組織に関し、簡単に探って見た。日本国民の絶対多数が、これ等藤岡グループの支援勢力だと断言する事は難しい。実際、藤岡勢力に対し、自由主義史観の虚構性を真っ向から暴き攻撃する日本知識人集団の動きも、絶対に手強い。岩波書店が発行する月刊誌・≪世界≫とその論客たち、<朝日新聞>、‘教科書検定訴訟を支援する全国連絡会’と‘日本出版労働組合連合会’そして、社会科教育団体である‘歴史教育者協議会(歴教協)’などが、藤岡勢力に対し相当幅広い防御網を形成している。その中の‘歴教協’は、4千名ほどの会員を抱かえた大きな社会科教育の研究・実践団体として藤岡研究会の会員が5百名ばかりであるのと、極めてよい対象を成している。

 

しかし、藤岡グループとその支援勢力は、国際的に東西冷戦体制が分解され、国内政治的には社会党(現在の社民党)の没落に代表される、保守・革新2大構造の所謂‘55年体制’が崩れ日本の政治・社会が‘総保守化’する過程で、気勢を揚げていると言う点で注目しないとすれば駄目である。

これと関連して、日本人達の記憶から近現代史の暗い影を消してしまい、過去史の明るい面だけをインプットさせ様と言う歴史観の転換運動とそんな運動過程で現れた‘藤岡現象’は、やはり、間もなく消える運命の一過性の現象なのか? 藤岡グループ関する我々の考察は、この問いに答える番だ。

 

(訳 柴野貞夫 2010・10・23)

 


 

○「日本主義者の夢」訳文 次回予告

 

「藤岡現象は一過性なのか」

 

 




参 考 サ イ ト

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