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キム・ヨンボム著「日本主義者の夢」プルンヨクサ社出版、日本語訳連載 26)



―朝鮮人による司馬遼太郎の歴史観批判―





[第5部] 明治が作った虚像、昭和が残した遺産

 

 

明治が作った歴史の虚像

 

(213p~218p)



 

21世紀を3年に控えた1998年、明治讃嘆が真っ盛りだった日本では、明治時期の20世紀大予言が、退屈しないように話題に上がったりした。100年を見通したこの大予言は、新世紀が始まる1901年1月2~3日の二日間にかけて、<報知新聞>に掲載されたものだが、的中率が相当高いとして話題のタネに登場したものだ。そのうえ、月刊≪This is よみうり≫で1998年新年号に、その記事の複写版を附録として載せ、特集記事を仕立てながら、‘大予言’は、そうでなくとも日本人のアイデンティティーを探そうとする新保守主義者達が、明治称賛に熱を上げている状況に再発見され、驚異的な好材料を提供した計算(わけ)だ。

 

‘明治の大予言’は、科学者と未来学者達の間で、既にずいぶん前に知られた内容だ。複雑系研究にしがみ付いてきた有名な物理学者、米澤冨美子は1995年に執筆した≪複雑さを科学する≫で、問題の‘大予言’に対し言及した。米澤は、的中率が70~80%に至るその予言を紹介し、100年前の先人達の卓越した先見の明に感嘆した。

 

 

 

○明治の大予言

 

 

その大予言の内容は、大略こんなものだ。

 

鉄道(新幹線)の速度は時速240km以上になり、東京―神戸を2時間半で連絡する。19世紀に既に始められた‘形而下での蒸気力時代・電力時代’と‘形而上での人道時代・女性時代’が、20世紀にはもっと進歩するだろう。19世紀末に80日懸った世界1周が、20世紀末には7日なら十分だ。

 

その他にも、遠距離天然色写真電送、‘空中軍艦’と‘空中砲台’(ロケットとミサイルを想起すれば良さそうだ。)に関する、予言があるかと思えば、電気を使用し植物を育てるとか、アフリカのライオン・ワニなど野生動物を、大都市の博物館ででも、かろうじて見物出来るぐらいに、環境破壊・自然破壊が深刻となると言う予言もあり、今考えても驚かざるを得ない。

 

新幹線は、今240kmでなく300kmで快調に駆けているし、無公害の新鮮な野菜も工場で大量に水耕栽培されている。80日間の世界一周を一週間で成し遂げたのは外れた予言だと言うよりは、現代科学技術の発展速度を間違って推し量ったに過ぎず、誤った予言と見るのは難しいだろう。近頃旅客機で地球を一回りまわるのに懸かる時間は、20余時間ぐらいになろうか。現代語に書き写したその予言記事を注意深く読んで見れば、明治の人々の慧眼が、実に素晴しいと言う事を認めざるを得ない。20世紀末の、揺れ動く日本と日本人達には、明治のそんな慧眼はどれほど誇らしいか。

 

第三の開国を騒がしく叫び立てている今日の日本人に、明治は、長い歴史の時間の上に置かれている一時代ではなく、ひときわ高く聳え立つ‘偉大な国家’として認識されている。

 

即ち、明治は、今日の日本をつくった近代的土台であるとともに、未来の座標を設定するのに、必ず必要な原点として存在しているのだ。この様に、明治を日本の歴史の一時代ではなく一‘国家’として強いて呼んだ人は、今も人気を享有している小説家・故司馬遼太郎だった。

 

日本を中国文明の‘周辺’で、近代文明の‘中心’に跳躍させた明治時代を、司馬は日本人の‘偉大な国民国家’として認識したかった為に、‘明治と言う国家’として位置付けたのだ。

 

司馬のそんな見解を受け入れて、橋本竜太郎前総理の政権は、命運を懸けた行政計画の理念として、司馬の明治称揚を引用した。国民が国家と一体感を成し遂げ、個人の‘私(わたくし)’より、国民としての‘公(おおやけ)’優先した明治国家の人間像を、今日を生きる日本人の鑑(かがみ)としなければならないと言う意味からだ。

 

日本の保守的で民族主義的な改革推進者達に、明治はすなわち、精神的・理念的出発点であると同時に、帰着点でもある。どんなに第三の開国だとして、改革の名前を取り変えても、その本質は明治時代の人間像を指向している。だから、明治称揚論は21世紀の到来を前にして日本で力を増しているのだ。

 

 

 

○明治国家の原罪

 

 

この様に、明治称揚論がいっぱいの日本の風土の中で、≪朝日新聞>は1998年の年頭版で、今まで間違って知られて来た日本の歴史の常識を覆す企画特集を載せた。‘明治国家の原罪’を果敢に暴き出す歴史学者と文化人類学者の対談を載せたのだ。応答者達は、明治国家の原罪として、近代国家への発展の土台を築いた江戸時代を不当に否定した点、国民国家の理念をつくるために、所謂‘日本人像’を捏造した点、‘大和民族(日本民族)’の優越性を意図的に鼓吹した点、韓国・中国侵略と連結した膨張主義的国民国家をつくる事と皇民化を基本とした植民地政策などを、指摘した。

<朝日新聞>のこの新年企画対談は、異質的な言説と批判を許容しないもったいぶった明治称揚の大合唱の中で聞こえる、所信ある明治断罪の力強いテノールの声のようだった。

 

対談者中の一人である網野善彦は、日本史学研究の流れでは、風変わりな歴史学者だ。彼は明治維新から、1889年の憲法制定に至る過程と、特にそれ以後の国家的な教育政策の中で、日本指導者達が至極偏向的で、誤謬で溢れた‘日本国’と‘日本人像’を日本人の意識の中に深く刻印させておいたと指摘した。

 

神が創造した国土に、神の子孫である天皇が天から降臨し、統治し始めたと言う‘日本国’、明治指導者達がねつ造したその日本国のイメージは、≪日本書記と同じ昔の勅撰歴史書の中の神話を、まるで事実であるかの様に、でっちあげた歴史の虚像だ。

 

また、血統上、誰も天皇と連結され、すべて同じに均一化されたと言う大和民族の優越性と言うのも、実は、明治指導者達が作り出した日本人の虚像だ。

 

その様にすれば、大和民族の優越性と言う立場から、アイヌと琉球人(沖縄原住民)の民族的個性を無視し、中国大陸と韓半島の人々を‘支那人’‘朝鮮人’式に呼び、異民族軽蔑意識を強化したのも、他でもなく明治の産物だ。

 

明治は、自民族の優越性、異民族蔑視思想を鼓吹させる中で、膨張主義的、富国強兵政策を通して領土拡張と植民地獲得に余念がなかったそんな国家だった。

 

そんな明治時代に対して、その間、民衆と庶民の生活、そして、彼等が人生を営んできた社会を中心として、日本歴史の展開過程を詳しく見た網野は、次の様な否定的評価を下している。

 

“明治以後の政府指導者達が、日本人達に神話を事実とする荒唐無稽な認識を植え付けて置いたら、また、日本領土とその社会に対し、大きく間違って理解した点があったら、明治政府が遂行した役割に対しては、今までよりも一層厳格なマイナス評価を下さなければならない。”

 

網野の明治批判は、彼が1997年に著述した岩波新書の3巻の歴史書≪日本社会の歴史≫にも入っている。この著作は出刊されるや、ベストセラーに上がった。

 

‘明治を手本としよう’と言う、高らかな讃歌のなかで、網野の明治批判がどの程度反響を引き起こすかは疑問だ。しかし、日本の中で明治の虚像を果敢に暴きだし、明治に対する否定的評価を下した事に、躊躇しない良識ある人々がいると言う事実として、注目しなければならないだろう。(続く)

 

 

(訳 柴野貞夫)

 


参 考 サ イ ト

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