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キム・ヨンボム著「日本主義者の夢」プルンヨクサ社出版、日本語訳連載 28)



―朝鮮人による司馬遼太郎の歴史観批判―






神田で散策―独島の領有権問題
(原書―227p~233p)




1997年1月、古書店が立ち並んだ東京の神田に行った筆者は、ここで珍しい本一冊を発見し、日本の金1万3千円、わが国の金で9万ウオンを越える金を渡し、購入した。300頁にならない専門研究書の価格が相当高いと言う気がして、書店の職員にどうしてこんなに高いのかと聞いてみたら、復刻印刷して再発刊した出版社が、定価を18、540円に付けておいたので、むしろ割引価で差し上げるものだと答えた。

書籍の題目は、≪竹島の歴史地理学的研究≫。著者は川上健三。

以前から私は、川上のその書物を是非買いたかった。日本側が独島領有権を持ち出す時毎に、一体どんな根拠で独島を自分達の領土だと言い張るのか、知りたかった為だ。

その書籍を買う前の年である、1996年2月わが政府は、独島に船舶接岸施設を建設し始めた。そうするや、日本側外務省から、それに難癖をつけ公式抗議も提起したし、国会議員達は総理に、どうして政府が黙っているのかと問いただす事もした。丁度その年の10月実施された衆議院総選挙で、執権自民党は、韓国側の独島領有権問題を選挙公約と政策指針として押し立て、得票戦略に利用した。これによって暫くのあいだ静かだった独島問題が、水面上に領土紛争として浮上した。そんな状況で川上の書籍を買ったので、その喜びは不思議なものだった。


川上の履歴



31年前に、発刊されたその書籍の内容に対しては、すでに韓・日両国の学者達が条目別に論駁を加え、川上の証拠を余地なく粉砕した事がある。その中の一人、堀 和生教授は1989年≪朝鮮史研究論文集≫第24号に、≪1905年日本の竹島領土編入>と言う反駁論文を発表し、‘竹島’が間違いなく韓国領土である事を立証した。堀教授の論駁を読んだ私は、川上の主張がどんなものなのか大体は知っていたが、しかし川上の主張を直接知りたい好奇心を振り落としてしまう事が出来なかった。

川上は、戦前には、旧日本軍参謀本部と大東亜省で勤務したし、戦後には外務省に席を移し、条約局の参事官、駐ソ連公使まで歴任した官辺学者(政府の主張を代弁する学者)であると同時に、条約問題の権威者だ。

そんな彼は、≪竹島の歴史地理学的研究≫を執筆する当時、外務省に在職中だった。即ち、川上は現職外務省高位官吏の身分で、独島が日本領土だと主張する書を書いたのだ。

川上は、1995年8月に死亡した。その頃、彼の書は既に絶版され、神田の古書店でも稀貴本(まれで貴重な本)となっていた。

しかし、その本は稀貴本ではあるが復刻版として再発刊されるぐらい大衆的人気があると言う事ではなかった。そうであればどうして、どんな縁由で再発刊されたのかが気懸りだった。

出版社である古今書院に電話を掛けて調べた。関田と言う職員の答えはこうだった。

“昨年(1996年)春に、竹島紛争がまた起こるや、韓国大使館といろんな韓国人から本の問い合わせが這入って来た。神田の古書店でもその本を求める事が出来ないと言う話なので、外務省と再出版問題を相談すると、外務省側も復刻印刷に賛成すると言った。”

また、再発刊部数は4百~5百部程度であるが、まだ、みんな売れる事はなかったと言った。本を買って行った人達は、主にどんな人達であるかと言う質問には、韓国大使館側と韓国人、そして独島が日本名で所属されている島根県と、現外務省でも数冊かを、買って行ったと言った。

聞いてみれば、結局川上の本は、韓国側の注文(?)によって再発刊された計算だ。それが悪い事ではない。必要であれば相手方の主張を知るためにその側の証拠と資料を確保しなければならない。それは勧めるに値することだ。

問題は、韓・日間に独島領有権紛争が再発し出すや、34年前に発刊されたその本を、あたふたと日本で捜そうと、大騒ぎを起こしたと言う事実にある。


独島領有権問題は、1996年に初めて発生したものではない。それ以前にも、既にいろんな言い争いがあった。そうであれば、昔に発刊された川上の本数冊ぐらい、わが政府が確保して置かなければならなかったのは当たり前だ。私はわが政府が、その本をすでに確保しているものと信じたい。その様に信じれば、駐日韓国大使館側が出版社に本を注文した事態は、政府官吏達のあいだに政策資料の統一的な整理・利用が実現されていないと見る他はない。


独島問題は、1998年9月に妥結された韓・日漁業協定でも‘熱いじゃがいも’として浮上した。協定自体を3年もずるずると引きずったと言う事実がその事を物語る。二つの国の代表たちは、独島を含んだ水域を‘中間水域’(韓国側の表現)、或いは‘暫定水域’(日本側の表現)と設定することで、領有権問題で協定が邪魔されてしまうのを、巧妙に避けた。


しかし、独島周辺水域に対する双方の呼称と、それに対する意味解釈が各自異なる事を見れば、日本政府が、韓国側が実効支配している独島に対する領有権の主張を、決して放棄しなかったことを知ることが出来る。歴史的に、そして国際法的に、独島が明らかに韓国領土であることを堅く信じている我々としては、一体全体、日本がどんな根拠から無人の岩島を自分達の領土として編入させたのか、せめて常識として知っておく必要があった。




独島、領土編入の虚構



韓半島の確保と支配を、対外政策の最優先目標とした明治政府は、1905年1月28日、独島を自分達の領土に編入させた。そしてそれから4週後の2月22日、東海に連なる島根県は、県告示40号で独島を‘竹島’と命名、隠岐島司の所管に置いた。


日本側が主張する独島領土編入の根拠は、二つの線で要約出来る。一つ目は、近世初期以来、歴史的に独島は日本領土であり領土編入直前まで長い間、日本が‘実効的経営’をしたと言うのだ。二つ目は、領土編入当時、独島は持ち主無き石の島だったため、日本が先に自分のもの(無主物先占)にしたと言うのだ。

このうち、日本で多数派を成している‘固有領土=実効的経営’論の核心人物が官辺学者(政府の代弁学者)川上だ。彼は朝鮮朝のウルルン(鬱陵)島に対する‘空島政策’で、ウルルン島が長い間、無人化している間、島根県の人たちがその島を〝発見〟、そこで伐木に従事しながら行き来する航路で、独島沿海で漁労活動をしたと主張した。それによれば、17世紀には無論のこと、明治時代に入っても隠岐島漁民達が鬱陵島に行き来する航路で、独島からアワビなどの海産物を採取したと言う。そうした中で1904年9月、独島近海でアシカ(オットセイに似た海の動物)捕りを独占しようとする中井と言う水産業者が、政府に独島の領土編入、賃貸を請願するや、独島を日本領土にしたと言うのが川上の主張だ。


隠岐島の漁民達が、独島沿海で漁労活動に従事したのは事実の様だ。そうだとして、朝鮮朝廷が鬱陵島と独島を放棄した事は決してなく、日本人の漁労のために両国の間では、時たまトラブルが起きる事もあった。独島が朝鮮領土と言う点は、江戸幕府時代にも日本側が認定したし、明治政府の最高官庁である太政官も、1877年に公式的に認定した事がある。これに対しては、韓・日両国の多くの史料が立証している。それゆえ、独島の‘日本固有の領土=実効的経営’と言う川上の主張は、間違った根拠の上で成立されたものだ。その上、現地の事情を良く知る水産業者中井も、もともと、独島が韓国領土である事を認知し漁業権独占を狙った独島‘賃貸’を要請したので、あとで当時の外務省政務局長・農産部省水産局長の様な、対外膨張主義者達の策謀によって、独島の‘領土編入’まで請援する事となったものと明らかになっている。


無主物先占論も、1877年既に明治政府が、独島は韓国領土だと認定した以上、その根拠がない。無主物先占論と言う国際法理論は、帝国主義列強の無秩序な海外領土争奪戦を整理する為に考案し遂げたもので、最初から強大国の利益に奉仕する理論だった。従って、歴史的・地理的に明白な韓国領土である独島には、その理論が当初から適用される事が出来ないものを、明治政府が無理やり適用したのだ。


百歩譲歩して、1904年時点で独島が無主物だったと仮定しても、明治政府が‘この島の持ち主が全くない?’と公開的に問うて、持ち主がないことを確認する適当な措置を取ったと言う証拠は、今まで発見されない状態だ。これと違って明治政府は1876年小笠原島を領土編入させる時には、その島と関連がある英国・米国と何回も折衝し、諒解を得た後に、領土編入の決定をした。そして、欧米12カ国にその島の管轄統治を通告することまでした。然し独島編入時は大韓帝国政府に、問い合わせどころか、通告さえしなかった。領土編入当時、明治政府内には独島が韓国領と言う見解があった事にも、日本側は照会さえしないのだ。


日本の独島領土編入は、韓日議定書と第1次韓日協約(1904)が既に結ばれ、帝国主義日本の実質的な韓国支配が本格的に進行されていた時、成し遂げられた。その時期は、1904年2月に開始された露日戦争が高潮に達した時期でもある。当時、1905年5月、東海会戦を控えた日本は、独島の軍事的価値を評価し、その岩島に望楼と無線電信所を建設する計画を進めていた。そして日本の恣意的な領土編入措置が成し遂げられたその年の11月には、第2次韓日協約(ウルサ保護条約)

が強圧的に締結された。


こんな背景を考慮すれば、独島領土編入は、明治政府の最大外交目標中の一つである、韓半島植民地化の前段階の措置として、朝鮮の主権を完全に無視した不法的領土強奪行為だ。その強奪行為は独島の軍事的価値の為に‘実効的経営’‘無主物先占論’などの国際法理論で包装され,さらに迅速に促進されたものと判断される。(続)



(訳 柴野貞夫 2011・7・9)




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