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安倍首相のNHK報道番組への政治介入と放送命令は、民衆の権利と言論の自由の制約によって軍事国家化に沿った、抑圧体制を作ることだ。



慰安婦を扱ったNHKドキュメンタリー「ETV2001 〜 戦時暴力」への政治介入。NHK国際放送の「命令放送」を悪用した拉致問題の政治的プロパガンダは、国家権力によるフアシズム的言論統制である。
2007
213日 東京高等裁判所で、安倍に関係する一つの判決が下された。判決文にはその名が記載されなかったこともあって、商業紙でも「安倍」の名は出ていないが、この裁判過程で彼が主役であったことを、あきらかにした。
2001年130日、NHKが放送した、日本軍慰安婦を扱ったドキュメンタリー番組「ETV2001〜問われる戦時暴力」が当時の小泉執権政府の高官による政治介入により、番組内容がゆがめられたと、市民団体と、その制作に関わった「戦争と女性への暴力」ネットワークの訴えに、NHKに対し200万円の損害賠償を命じた。 判決は、政治家による編集内容への介入を指摘した。裁判過程で、その政治家とは当時の官房副長官・安倍晋二と中川昭一であった。
彼らによる製作過程への介入で放送当日に「日本兵と元慰安婦の証言」など多くの部分で当初の製作意図が、右翼の脅しと一体になった安倍の圧力で改変された。 判決は言う「NHK総局長、松尾、総合企画室担当野島が、説明のために国会議員等との接触を図り、その時相手方から番組作りは公正中立である様にとの発言がなされたと言うものであり、この時期や発言の内容に照らすと、松尾と野島が相手方の発言を必要以上に重く受け止め、その意図を、忖度(そんたく)して、出来るだけ当たり障りのないような番組にすることを考えて試写に臨み、その結果直接指示修正を繰り返して改編が行われた。」(東京高裁判決原文) 
また、「番組制作担当者の制作方針を離れてまで、国会議員らの意図を忖度して当たり障りのない様に、番組を改編したのであるから、その責任は重大であることは明らかである。」(同上)   この判決は、NHKの番組制作で製作者の意図を排除して改編した事に対する不法行為責任と、その説明義務を怠ったことに対する不法行為責任に対し、原告へ賠償を命じたものであるが、同時に、その「改編」の過程で国家権力の要人、安倍晋二が政治介入を行った事実を明らかにした。  
2004年第一審地裁判決は、NHKの請求を棄却したが、控訴審において、NHK長井暁デスクが涙を流しながらの内部告発を行った事によって、安倍の介入が白日の下に晒された。NHK幹部も安倍も当初はシラを切っていたが、判決を受けて介入行為自体は認めながら、安倍は「我々の行為を違法とは認定していない。」と、言いつくろった。 
この裁判の目的自体が番組改編に対する賠償請求裁判であるとは言え、その問われている責任行為が如何なる過程で生まれたかを明らかにしたのである。判決で言う「政治家、国会議員等」と言うのが安倍(当時、官房副長官)や中川(現、政調会長)である事、彼らがNHKに対する国家の予算執行権等を背景に不当な政治介入を行った事実を断罪しているにもかかわらず、安倍の、この様な、民衆を小ばかにしたような言い逃れは、先日のアメリカ下院小委員会に於ける、日本軍慰安婦問題非難決議への対応同様、「手のひらで天を隠す」(韓国・ハンギョレ紙)と、朝鮮人民が軽蔑して呼んでいる行為と同じである。
「日本放送法」は、第一章総則第一条に於いて、「放送の不偏不党、真実及び自立を保障する事によって、放送による表現の自由を確保する。」と規定している。更に第一章の二の「放送番組の編集の自由」の第三条は、「放送番組は法律に定める権限に場合でなければ何人からも、干渉され規律されない。」同三條の二「政治的公平、報道は事実を曲げないこと、意見対立している問題では出来るだけ多くの角度から論点を明らかにすること」を規定している。  安倍にとって「真実と事実」とは何であるか、権力の意に沿わないものは真実ではないのであり、権力への批判は偏向報道なのである。
安倍は、・裁判で明らかになった自らの不法行為を省みることはない。この不法行為をのさばらせることは、この根っからの国家主義者を正真正銘のフアシストに駆け上らせる事を手助けすることになるであろう。 NHK経営陣は、は、この、東京高裁の二審判決に対して直ちに控訴した。自らの言論報道機関に対する言論統制を受入れるに等しいこの行為は、その、「国策報道機関」へと堕落腐朽化する道筋だ。 
図に乗った安倍は、1024日、今度は「放送法第33条」の規定を捻じ曲げ、拉致家族の主張を伝える短波放送「しおかぜ」を、そのままNHK国際放送で扱うよう「命令」をだした。 本来「放送命令」とは、災害等全ての国民に関わる緊急性のある事柄に限定したものである。
しかし今回の命令は、この規定とは無縁である。安倍自民の、北の脅威をあおりたて日本の軍事プレゼンスの強化と改憲を進める上で、拉致問題を利用すると言う政治的目的の為に,国際放送を支配しようとしたのである。拉致家族への人間的思いやりからではもちろんない。安倍の民衆抑圧体制の為の不純な動機から言論機関を支配しようとしているのである。それはまた、安倍と自民執権政府が、六カ国協議213共同声明にもとずく東北アジアの平和構築と言う全アジアの民衆の利害を、「拉致」の政治的利用の犠牲にしようとしている、日朝作業部会での日本の態度につながってくる。   
安倍に、少しでも人間性があれば、拉致だけを主張するのではなく、数十万の日本軍慰安婦に対する国家としての謝罪と賠償、百数十万の朝鮮民衆の強制連行とその名簿の公表、及び遺骨の収集について真摯な話し合いを北朝鮮と行うべきである。それらは、日本政府による、時効のない国家犯罪である。 拉致家族もまた、安倍と一体となって、北への「圧力と制裁」を叫ぶが、自国政府によるこの歴史犯罪について、一言も触れた事はない。
自国政府の責任に触れず、2.3声明と東北アジア平和構築に無関心な彼らに、同情するアジアの民衆が、殆どいない理由はここにある。 まして、安倍執権政府による拉致報道の国際放送への命令が、国家権力による国民の諸権利への抑圧、言論機関への国家による支配に他ならないとすれば、拉致家族会はその立場を、国民の前に明らかにすべきである。その説明責任を無視することは、権力の言論の自由の侵害に加担することである。高裁二審判決を不服として控訴したNHKは、権力との癒着を断ち切り、言論の自由を守る決意があるのか?