朝鮮半島の平和の第一歩は、米帝国主義の核基地である韓国と日本の非核化である
朝鮮半島の「核危機」とは、アメリカ帝国主義が引き起こしたものだ
(テロ支援国指定解除を前にして、六者協議の歴史を振りかえる)
○ 六者協議の合意は、北の義務だけを言っているのではない
6月27日、北韓の非核化の意思を示したヨンピョンの核施設の一つ、冷却塔の爆破と前後して、米国大統領ブッシュは、45日を経過して8月11日に発効する「北朝鮮テロ支援国家指定解除」を議会に通告した。米国議会に於いて、それに反対する一部ネオコン議員らによる対抗手段としての立法措置も不発に終わり、北の「核計画の申告書」内容の検証に向けた作業が、11日の期限に向けて紆余曲折をたどりながらも、急ピッチですすんでいる。
国務長官ライスは、7月25日「核申告の正確性と完全性がない場合、指定解除の延期もある」(ヨンハップ通信)と述べ、8月4日には、ワイルダー国家安全保障会議アジア上級部長が、「核申告の厳格な検証手順に関して合意できなければ状況に変化はない」(時事通信)と発言。さらに8月6日,韓国を訪問したブッシュも、(テロ支援国家指定解除は)「自動的に解除される事はない。徹底した検証体制の樹立が必要だ。」(8月6日・毎日夕刊)と述べたが、それが「指定解除」をめぐる国内向けのポーズなのか、北韓に対する牽制なのか、或いはその両方なのかは明確でない。
我々は、2007年10月3日にまとまった六者会談合意文書が、2005年の「9・19共同声明」と2007年「2・13合意」に基いて、非核化に向けての第二段階である「核施設の無能力化」と言う北の「義務」だけでなく、米国の「敵対国家の指定解除」と、北に対する軽水炉原子力発電建設不履行の代償としての米国をはじめとする参加各国の重油の供給と言う、一方の「義務」を同時に明記している事を忘れてはならない。
2007年の年内期限の「無能力化」は、各国が合意した「行動対行動の原則」に対する米国(敵対国家指定解除への作業の遅れ)と日本(“拉致問題”を持ち出して、重油供給をいまだ一度も行ってないのは日本だけである。)の不履行によって、今年、2008年6月の六カ国協議まで持ち越されることとなったのだ。
さらに、米国の言う(北に対する)「厳格な核の申告と検証体制」について言うならば、2005年六者会談による「9・19共同声明」は、「六者会談の目標は、平和的な方法による、朝鮮半島の検証可能な非核化」であるとして次のように述べている。
○ 「核の申告」は、北だけの義務ではない
「朝鮮民主主義人民共和国は、全ての核兵器及び既存の核計画を放棄すること,ならびに、核兵器不拡散条約及びIAEA保障措置に早期に復帰することを約束した。」一方、米国の約束と義務も同時に明記した。「アメリカ合衆国は、朝鮮半島に於いて核兵器を有しないこと、及び、朝鮮民主主義人民共和国に対して核兵器または通常兵器による攻撃又は侵略を行う意図を有しないことを確認した。」また(大韓民国も)「その領域内において核兵器が存在しないことを確認すると共に、(朝、韓による)1992年の朝鮮半島の非核化に関する共同宣言に従って核兵器を受領せず、かつ、配備しないとの約束を再確認した。」つまり、北の非核化を要求する韓国と米国は、朝鮮半島の南の領土内に核を配備することも持ち込むこともしないと再度(2003年8月第一回六者会談以来)約束したのである。
この事は、「核検証」は“朝鮮半島の北半分にのみ行われるものではない”と言うことを、米国も合意したと言うことのはずだ。
ソウル6月17日発<ヨンハップ通信>は、「北朝鮮は、10日に北京で開かれた六カ国協議で、北朝鮮の核に対してだけでなく在韓米軍の核有無についても検証するよう要求し、これが認められない検証システムに対しては同意を拒否した。」と伝え、7月24日発<ヨンハップ通信>でも、米国の自由アジア放送(RFA)の伝える所として、「北朝鮮が、核開発計画申告書に対する検証過程で在韓米軍施設だけでなく韓国軍施設の査察を行うことを要求している。先ごろ北京で行われた6カ国協議首席代表会合も含め、これまで会議が行われる度にこうした要求を提起してきた。」と報道している。
ヨンハップ通信が伝える、この間の六カ国協議と、「核の申告」をめぐる米朝協議で、北韓が朝鮮半島南部の在韓米軍とその施設の検証を要求する根拠は、六カ国協議の合意事項によって裏付けられているのである。日本の言論機関は、殆んどこのことに触れていない。
○ 「朝米基本合意」を紙切れにしたブッシュ政権
今日の「北の核問題」こそ、1994年8月の北韓とクリントン政権と言う、国家間で確約された「朝米基本合意」を一方的に破棄し、北を「悪の枢軸」と名指し、核先制攻撃を公言して北を恫喝し、朝鮮半島を核戦争の地獄とすることを厭わない、ブッシュ政権と米帝国主義の侵略的反人道的核恫喝政策から生まれたものである。
2001年9・11事件を最大限に利用しながら、「大量破壊兵器の製造」をでっち上げイラク全土とその民衆を血の海に沈めてきた米国が、1994年8月朝米合意のみならず、2003年8月第一回六カ国協議、2005年9・19共同声明に、口では応じながら、全期間を通しその節目ごとに、北韓の「テロ国家の証拠」なる数々のでっち上げを捏造してきたことが今明らかになりつつある。
2002年10月、北を訪問したケリー大統領特使は、「北は、ウラン濃縮による秘密核計画を推進、核計画を認めた。」と喧伝し、2003年1月17日のKEDOを通じた「軽水炉提供の中止」から2003年11月の「完全中止」に追い込み、北とクリントン政権との協定を破壊した。9・19共同声明直後の「偽ドル」事件、2006年3月の北貿易船ポンス号の麻薬密売疑惑、2007年六者会談中の「シリヤとの秘密核協定」など、すでに今では、米国自身や、各国のジャーナリズムがその根拠を否定している「疑惑」を流し、北朝鮮籍の公海上での不法臨検や、北と取引のある船舶の米国入港阻止,保険の適用禁止や、バンコデルタアジア口座の凍結など、それらを「制裁」と称して、対北敵対政策につぎつぎに結びつけ上に、常に、北とその民衆に、イラク侵略に見せた暴力と不法を朝鮮半島でもやるのだと、戦術的小型核兵器攻撃の使用もありうることをちらつかせながら威嚇してきた。日本政府も、またそれに全面的に追従してきた。北船舶の入港禁止や、総連関係機関への不当捜査、外交機関としての税制優遇措置の取り上げ、万景号で運ばれた風邪薬を麻薬とでっち上げた事件等も未だ耳新しい。
朝鮮労働党機関紙、労働新聞は、米国のこれら行動を非難し、「“対話”はゼスチャーであり、米国の行動意思は“力”である事が米強硬保守の論理であり六者会談に臨む姿勢である。」(2006年3月13日付)と、米ブッシュ政権への抜きがたい不信を明らかにしている。米帝国主義者の、明らかなイラクへの不法な武力侵略行為を、各国政府も国連も、世界の民衆の戦いも、阻止できなかった事実を考えれば、北韓が、2006年10月、米国の侵略からの防衛手段として核実験を行い核保有国となったことを、われわれが一方的に批判することは、残念ながら心苦しい。まして、朝鮮半島の核危機を生み出してきた張本人である米国や日本の帝国主義者どもが、それを批判する資格などあるはずがない。少なくとも日米帝国主義者どもの侵略的「核抑止論」を、北韓の防衛的「核抑止」と同一視することは出来ない。
○ 六者協議の裏で、先制攻撃の準備してきた米国
中央日報のチェ・ウォンギ記者は、(中央日報)2005年5月16日付記事で、ワシントンポスト紙が15日付報道で、「米国務省は、昨年6月、北朝鮮とイランを狙って、<臨時全世界攻撃命令(Interim Global Strike Alert Order )>と言う極秘先制攻撃計画を承認した」と報じた。「この計画は、いかなる場合であれ米大統領がイランと北朝鮮に対する核攻撃を命令することは想像できないと,総体的に評価した」と言うが、2005年5月と言えば、同じ年9月には六者会談が開かれ9・19共同声明が出された年である。また同報道で、2003年11月にも「米ネブラスカ州オマハの戦略司令部は、北朝鮮とイランの脅威に対応した<コンプラン(CONPLAN)8022-02>非常作戦計画を打ち立てた。この計画は防衛計画でなく即刻対応が可能な攻撃計画であり、敵の攻撃が差し迫ったと言う“認識”だけで大統領が命令を下せる」と言うのだ。
2003年は、9月に第一回の六者協議が開催された年である。ここで、六者協議議長総括は、次のように文書化している。「北朝鮮は平和を希求し、あらゆる国との友好関係を望んだ。非核化が北朝鮮の目標であり核保有が目的ではない。米国が北朝鮮政策を転換し、北朝鮮に脅威を与えなければ、北朝鮮は核開発を放棄し、米国との平和共存も希望する。」と。“対話”を追及してきたのが誰であるかは明確である。対話のうしろで、先制攻撃の準備をする米国に、北韓が防衛的対応をせざるを得ない根拠がここにある。
○ 日米「朝鮮有事密約」は、日本を朝鮮侵略の前線基地としてきた。
名古屋大学大学院・春名幹男教授は、今年(2008年)2月、ミシガン大・フオード大統領図書館で「朝鮮有事」に関する日米密約文書を発見した。日米による侵略的戦争準備体制を支える秘密の取り決めである。これは、これまでの密約のように、米国の情報公開法によって明らかになった、「討論記録」ではなく、1960年6月23日にマッカーサー大使と藤山外務大臣が署名した秘密外交文書(覚書=ミニット)である。これは、日米安保条約が発効した1960年6月23日開かれた日米安保協議委員会(SSC)準備会合で署名された。ここで彼等は、現行安保の、在日米軍が出撃する際に、意に反して戦争に巻き込まれないように必要と取り決めたと言う、日米両国政府の事前協議を、国民に説明した数日後にいとも簡単に反古にしたのだ!!
覚書で日本政府は、朝鮮有事の際、在日米軍の朝鮮での戦闘作戦や日本の基地からの自由出撃のため、日本国内の施設区域を事前協議の必要もなく、無制限に使用することを確約したのだ。米国の核兵器搭載艦船の日本への寄港と、核兵器搭載機の日本国内への飛来に対する密約とともに、日本国憲法をいとも簡単に蹂躙してきた日本の国家権力の犯罪行為は、朝鮮半島での米帝国主義者の侵略的戦争準備の加担で済まされない共同正犯を約束したのである。この密約の中に、日本の執権階級が事あるごとに言う「国家主権」のかけらさえ、何処にあると言うのだ。アメリカ帝国主義者どもの朝鮮侵略基地に成り下がっている日本が、北のミサイルや防衛的核武装を批判する、如何なる正当な根拠があると言うのか?
六者会談で取り決められた朝鮮半島の非核化は、朝鮮半島に繋がる日本列島の非核化なくして成り立つものではない。朝鮮半島と東北アジアの核戦争の危機を取り除く道は、在日米軍基地と核搭載の艦船と航空機の寄港を認めず、日米軍事同盟の破棄と平和憲法の死守に向かう日本の民衆の戦いである。
○ 帝国主義が生み出した、究極の非人道的殺戮兵器こそ核爆弾である。
1945年、8月6日と9日に、日本の広島と長崎で、人類史上類を見ない人間に対する大量殺戮が米国によって行使された。落とされた二つの原子爆弾は、広島では「ウラニュウム型爆弾」によって、32万人の民間人と4万人の軍属が被害を受け、年末までに14万人が死亡した。(その中には1500名の朝鮮民族が含まれる)TNT火薬にして12±5キロトンの巨大火の玉は、強力な爆風と熱線によって人間を溶かし、市内の92lの建物を破壊した。
2日後、長崎では、「プルトニューム型爆弾」が投下された。米帝国主義者は、人間を標的に広島の2倍近い威力のある原爆を使用した。その威力はTNT火薬で22±2キロトンと推定されている。この原爆の爆風と熱線と放射能によって、27〜28万の人間が10秒間の太陽の熱に覆われた。7万人の人間がその年の内に殺された。
世界と日本の民衆にとって、戦争とは、「国家と国益」の名で隠された資本家階級の私的利益をめぐる暴力的衝突である。その結果として民衆の生命と人権が蹂躙されるのだ。資本主義国家とは、本質的に戦争国家である。軍事産業を含む世界市場は、不断に軍事的プレゼンスで、互いの暴力的解決に備えてきた。民衆をたぶらかして人間の生命と権利を、私的利益に過ぎない国家の国益の下に犠牲にする。そして、資本主義者の戦争行為の非人道性を、極限に象徴するのが核戦争である。
広島、長崎を、(朝鮮半島や世界で)平気で繰り返すことを厭わない米帝国主義と自国資本主義体制に対する戦いが、いたるところで準備されなければならない。
(2008年8月9日 文責 柴野貞夫)
http://korea-htr.com/chuo/japanese/siryou/02/1109tyoubei.htm
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