社会主義革命の展望シリーズ第3段
(韓国社会主義労働者連合ホームペイジ・争点討論 08年10月2日)
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“どうして社会主義なのか?” その2(前週より続く)
〇社会主義労働者党
社会主義労働者連合は、社会主義労働者党建設を指向する。我々が追求する政党は、労働者国家に組織された労働者階級と革命的大衆に及ぶ政治的影響力を通して、そしてこの国家に参加する党員達の献身性と指導力を通して、労働者階級の自発的支持と同意を引き出す方式だけで、この国家を支持して導く。
社会主義労働者党は、官僚的であることや機械的である指導を追及する政党ではない。党が権威を強要する事で労働者階級を指導することが出来ると言う考えは、創党以前でも以後でも、労働者階級の権力掌握以前でも以後でも、決して正しくないとわれわれは確信する。労働者階級を導く能力は、社会主義者の組織が、自身を労働者階級の指導的機関だと宣布する事で生まれ出るものでは断じてない。
その能力は、まず、労働者階級のあらゆる運動と闘争に緊密に結合し、資本家たちに立ち向かう労働者闘争を効果的に組織し、導く事ができる事としてのみ獲得され、証明される事ができる。
つぎには、その能力は、労働者運動を労働者が解放される社会の実現に向かって、一貫的に推し進める事ができるのかにかかっている。ひたすら、いろんな条件が充足された時だけ、社会主義労働者連合は労働者階級の先進的部分の支持を導き出しながら、労働者階級政党の建設を現実化させる、意味ある勢力となることが出来ると確信する。
G 労働組合だけでは不足するのだが?
労働者に、労働組合は賃金カット反対、また賃金引上げ、労働条件の向上、ひいては、少しとは言え,更に人間臭い人生にすすむ為に絶対必要な組織だ。全世界の労働者階級は、労働者として最小限の権利を争取する為に、労働組合を階級的に発展させようと努力して来た。
反対に資本家階級は、労働組合を破壊したり、資本の下手人として手なずける為に、ありったけの力を使って来た。
労働組合をパートナーとして感じる資本家達でさえ、労働組合の闘争が利潤を深刻に侵害しようとする時は、間違いなく、労組破壊工作に向かう。従って、労使同等を叫ぶ労働組合は、資本の利潤を大きく侵害しない時でも可能だ。これについて資本家の言論らは、労使の終わり無きゲームと呼んだりする。
これは、労働組合が、資本家たちの利潤論理を侵害する全面的な闘争に向かうことだけが、労働者の生存権を守ることが出来ることを見せてくれる。もしも、こんな全面的な闘争なき‘適切な賃金引上げ’、‘適切な労働条件改善’にだけ、とどまったら、何時も資本の利潤保障と言う決定的バリケードの前で立ち止まる様になるだろう。
このため、社会主義者たちは、労働組合が賃金と労働条件などの‘結果’に対する闘争にだけ止まらず、搾取の原因に対する闘争、即ち資本主義に立ち向かう闘争に進まなければならない必要性を積極提議して来た。無論社会主義者達の主張は、労働組合が役に立たない物だと簡単に罵倒するものではない。労働者の団結の最初の拠点であると共に、闘争の経験を開始する出発点として労働組合は極めて有用だ。しかし、日常的な労働者の団結と闘争が根本的な問題解決に向かう為には、必ず資本主義を乗り越える展望と労働組合の闘争が結合しなければならない。
〇歴史的経験で学ぶ
87年労働者大闘争以後、韓国の労働者達は労働組合だけではなく、労働者の政治勢力化が必要である事を経験で学ぶことができた。単位作業場の闘争に対してさえ、政権は暴力鎮圧に出たし、ストライキの作業場をぶち壊すために、資本家階級は総団結で立ち向かった。これによって労働者等は、やはりひとつの階級として、総団結の闘争に立たなければならなかった。労働悪法を量産する立法部、日常的にストライキを暴力鎮圧する行政府、資本家には綿の棍棒、労働者には鉄槌を下す司法部に立ち向かう事ができる労働者の政治勢力化は、必ず必要なことだった。
まず、労働者の政治勢力化は、大衆組織の強化に基礎しなければならなかった。資本の無慈悲な弾圧と政権の暴力鎮圧に立ち向かう労働組合を死守、強化しようと地労協で出発し‘平等社会を繰り上げる全労協’を建設した。以後全労協は、民主労総として量的成長を成し遂げたが、質的成長は停滞された。
質的成長の停滞は、労働者の政治勢力化を改良主義に引導した勢力らによって、更に深刻となった。以後、民主労働党、進歩新党等として現れた改良主義者達は、政治勢力化を議会主義(議員団の活動と選挙キャンペインに局限された政治)に歪曲、伝達され、資本との闘争より、現場の外で社会改良を追及する事に代替した。
資本に立ち向かう現場闘争、現場に基礎を置いた政治闘争より、労働市場の領域の外で社会改良を追及する傾向は、自然に改良主義政党の必要性を強化した。そして同時に、労働組合等の限界をより一層強化させる結果を招来した。労働組合らは少しずつ更に無気力になって行った。こんな歴史的経験はわれわれに、どうして社会主義政党が必ず必要なのか、そして労働組合闘争が、どうして社会主義の展望と結合しなければならないか、を知らしめる重要な事例だ。
H 他にも、異なる労働者党が必要か?
今は、ずいぶん多くの労働者達が、民主労働党や進歩新党があると言う事実をよく知っている。そしてこの政党らが、ハンナラ党などの右翼政党とは違って、進歩的性向を持っていると感じる。おまけに、次第に強化されている右翼の攻勢に立ち向かう為には、民主労働党などに力を借りなければ為らないと思う事もある。そうだから、我々は他の異なった労働者党、即ち社会主義労働者党を作らなければ為らないと主張する。これは、不必要な試み、或いは時期尚早ではないか?そして、我々の運動を分裂させるものではないか?それぞれの問いに答えてみよう。
第一に、社会主義労働者党の建設が、不必要な試み、また時期尚早ではない理由は簡単だ。今、社会主義の指向を全面に押し立てる政治活動が、不必要だとか時期尚早でない、ことと全く同じだ。民主労働党や進歩新党がこんな役割をすれば良い事だ。しかし民主労働党は、社会主義を全面に掲げる政治活動よりは、法改善などの国会活動が中心だ。進歩新党は、社会主義を拒否する声が党内部から出る実情だ。
民主労働党や進歩新党が、ハンナラ党とは比較する事が出来ない程度に進歩的なことはその通りだ、しかし、社会主義の展望を明らかにして提議しない以上、現在、韓国社会を覆っている経済破綻と政治的腐敗に立ち向かう根本的代案に、(かれらが)導く事は出来ない。
二つ目に、我々が分裂ではなく団結を追及しなければならないと言う点は、言及する必要さえ無い真実だ。しかし、労働者の政治的団結は、既存の民主労総の‘民主労働党の排他的支持方針’のように、労働者内で労働者政党/政治組織に対する支持を自由に選択する権限を否定して、上から一方的に決めてしまう事で成就する事はできない。
労働者達の間でも、状況判断と意見、指向の差異がある。こんな差異を隠すのではなく、むしろ積極的に曝け出し、自由な討論と実践的検証を経由して、闘争する労働者達の合意を導き出す過程が重要だ。そうしてこそ、形式的な偽の団結でなく、心からの団結を成し遂げることができるためだ。
我々が、別途の社会主義労働者党を作らなければならない最も大きい理由は、労働者達の現場・作業場を土台として行動を組織する事ができる戦う政党だけが、労働者階級の巨大な潜在力を正しく解放させる事ができるためだ。進歩的国会議員に、問題解決を頼む事ではなく、労働者達が直接、自己の要求を持って社会主義に向かう闘争に進み出てこそ、問題解決が可能だと我々は主張する。社会主義労働者党は、即ちこんな闘争のための必須の道具だ。
〇改良主義政党を越えて
民主労働党、進歩政党は、労働運動の改良化の産物だ。87年以後(6月民衆抗争の年―訳注)戦闘的労働組合など(或いは先進労働者など)が、追求した‘労働解放’、‘平等社会建設’の内容は、ぐっと劣っている。大衆に蔓延していた、反共イデオロギー、稀代の悪法である国家保安法を回避する為に使用した‘労働解放’‘平等社会建設’は、社会主義の他の名前(別名)だった。血の色褪せた‘労働解放’さえ、今は少数だけが叫ぶスローガンになったが、今まさに元来の正確な名前に帰って行かねば為らない時だ。
改良主義政党の核心は、労働組合と全く同じように、資本の適正な利潤保障を社会の基礎と見なすと言うものだ。最近英国労働党が赤裸々に見せてくれる様に、資本家たちの適正な利潤保障のためには、改良主義政党の土台である労働者階級の要求も黙殺し、さらに進んで、労働者の生存権も攻撃する。これが、過ぐる100年間、全世界の社会民主主義政党達がして来た役割だ。
この社会が、資本家達の金儲けを土台とするのではなく、労働者・民衆の自由な共同体的人生(生命)を基礎としなければ為らないとすれば、資本主義を廃止するのが当たり前だ。社会主義政党は、‘健康な資本主義’或いは‘人間の顔をした資本主義’を建設しようとするのではなく、資本主義を廃止しようとする。その点で、労働組合、また労働組合が作った改良主義政党と合わさる事が出来ない差異点を持つ。
資本主義の限界(範囲)を抜け出さないまま、労働者の、もうちょっとましな人生を追求するのをやめる労働組合と改良主義政党が持つ政治的組織的限界のため、社会主義を追求する先進労働者達は、労働組合と改良主義政党に閉じ込まれないで、独立的な社会主義政党を建設しなければならない。韓国でこれ以上、社会主義政党建設を遅らせることは、労働者階級に取り返すことが出来ない罪を犯すことだ。今からでも、社会主義労働者党の建設に前進しよう。
I 政府の社会主義者の弾圧は何を示しているか?
イ・ミョンパク政府は、社会主義者達を弾圧する為に懸命に刃物を研いでいる。執権半年ぶりに公安政局の組成に没頭している。社会主義労働者連合を含んで、社会主義者達を弾圧する最も大きい理由は、イ・ミョンパク政府が、激烈な暴力に依存してでも、労働者・民衆を犠牲にして資本家を助ける(生かせる)政策を押し付けねばならない立場に追われるからだ。世界資本主義が置かれた危機は、他のあらゆる国でと同じく、韓国でも政府が行くほど労働者・民衆に対して露骨的に攻撃する他は無いほど追い立てている。
世界経済の中心軸である米国経済が激しく揺れて、資本の投機化がどの時より深刻な状況だ。だから、韓国の資本家たちは、労働者達に少しの譲歩も許容しない様にする。無限大の搾取強化に立ち向かって労働者・民衆が抵抗しようとすれば、更に暴力的に抑圧しようとする。
〇袋小路に走っていく、李明博ブルドーザー
今年の蝋燭デモで現れた姿が、即ちそれだ。蝋燭デモを通して、政府がひたすら資本家達だけの為の政府だと言う点が明白に暴露されながら、反イ・ミョンパク感情が拡大された。これ以上政府は、詐欺を巡らす事だけでは労働者・民衆を統制することが出来ない状況に至った。露骨な暴力が必要だった。政府の暴力は、白骨団(韓国で、デモに紛れ込んで民衆を鎮圧する私服警察をさす俗称―訳者注)の復活、軍靴の足(軍隊)の暴行、蝋燭集会参加者達を狙った大大的な追跡と検挙、蝋燭集会に主導的に結合したもろとも(全て)、参与連帯、進歩連帯に対する押収捜索、国家保安法の拡大適用の動き、等として現れている。
社会主義者らに対する弾圧は、労働者達の抵抗が、資本主義体制を問題と見なす事で前進するのを食い止める為のものだ。蝋燭示威の活力は、当時の狂牛病問題の為ではなく、底辺に散らばって広がる大衆的憤怒から噴出されたものだ。その憤怒の基礎には、非正規職の拡大、物価暴騰と同じより、一層根本的な問題が敷かれている。狂牛病問題で触発された社会的議題は、これと同じより、根本的問題を拡大し始めた。
それはまた、資本主義を根本的に問題と見なすことで、前進する他はない。イ・ミョンパク政府は、非正規職の蝋燭の明かり、労働者の生存権破綻に対する責務を問う蝋燭の明かりは、狂牛病の蝋燭の明かりに比べることが出来ない巨大な力で資本家の世の中を揺り動かして、政府を倒すと言う点を感じているのだ。我々は、狂牛病の蝋燭の明かりを非正規職の蝋燭、労働者の生きる事の蝋燭で拡大発展させる為に、
奮闘した。資本家の世の中を引っくり返し、労働解放の世上を作る為の戦いが必要である事を提議した。
我々がしようとした事は、労働大衆の運動に人為的な目標を言い張って入れる事ではない。労働大衆が自ら表現し始めた根本的な変化に対する熱望を、積極的に代弁して明確に提議しようとしただけだ。資本家政府は、社会主義者達の代案が労働者の中で共感を導き出し、労働者達の闘争目標となり、資本家らの搾取王国を揺り動かす事となることを恐れる。彼等が恐れるもののなかに、我々の希望がある。
J 社会主義者達と共に闘争しよう
我々が、非正規職撤廃、物価暴騰解決、無償教育 無償医療、労働時間短縮へ職場の拡大、経済破綻を解決する為の基幹産業の国有化と労働者管理など、この社会の圧倒的多数の労働大衆に有利な措置を提案する事さえ‘利敵行為’であると共に‘国家変乱’を扇動するものであり、イ・ミョンパク政府はぶるぶる震えた。
結局政府は、自身が労働者と民衆を‘敵’として見なしている事を、そして今の国家がもっぱら、資本家の資本家による国家である事を自ら吐露した計算だ。彼等は、社会主義組織を弾圧する事で、労働者・民衆の生存の熱望と根本の変化に向かう熱望を踏みにじろうと言う意図を剥き出した。卑劣で勝手気ままな、社会主義者の弾圧をほったらかしたら、彼等は、一層更に凶暴に、あらゆる労働者・民衆の運動を弾圧する為に飛び掛るはずだ。
政府自ら労働者・民衆を敵として規定した以上、‘どちら側に立つのか’と言う質問を誰も避けることは出来ない。社会主義労働者連合は労働者・民衆の側だ。“世上がぱっとひっくり返ったら良い!”と叫ぶ労働者達と共にする為に、弾圧にも拘らず我々の主張を曲げないであろう。
そして、我々は皆さんに提案する。“社会主義は労働者の世の中だ。労働者階級の解放に前進する事ができる唯一の道だ。資本主義が強要する残酷な日々にけりをつけよう!社会主義者達と共に戦おう!”
2008年9月25日 社会主義労働者連合
(訳 柴野貞夫 2008年10月31日)
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