(最新の世界情勢を分析する 2010年12月31日 柴野貞夫時事問題研究会)
朝鮮半島の戦争危機を煽る張本人は誰か? [シリーズ・その@]
柴野貞夫時事問題研究会(2010・12・31)
●あらゆる国際合意を破り、北韓に責任転嫁してきた米帝国主義と追従者達を糾弾する!
●アジアの労働者・民衆は、北韓の、「朝鮮半島の平和」のための戦いを支持し、米・日・韓の北侵戦争挑発から北韓を擁護し、朝鮮半島全域の資本主義的統一を阻止しなければならない!」
@ 北崩壊論の妄想で、朝鮮半島の危機を煽るイ・ミョンパク政権と米国
12月20日、イ・ミョンパク政権による西海上での、再度の執拗な北侵軍事予行演習に対し、中国とロシアは強力な非難を浴びせた。
イ・ミョンパク、ハンナラ(軍政)与党の「北韓崩壊論」に基づく、体制圧力政策に固執した軍事的威嚇政策に反対する、韓国民衆の側からの反戦抗議運動も高まり、この北韓への挑発行為は、1時間余りで収束せざるを得なかった。
中国とロシアは、「ヨンピョン事件」が、韓国が敢えて紛争地域で、北に対する砲撃を繰りかえしたことがその発端であり、再度この地域での北に対する砲撃は許されないと、対話のテーブルを拒否する韓国と米国に警告し、国連安保理に問題を提起した。
北韓は、挑発には更なる反撃で臨むとしたが、中・露の警告の正当性の前で動揺したイ・ミョンパクとオバマに依る、20日の再度の北侵策動演習に対し、21日、北<ウリミンジョクキリ(我が民族同胞)>は、「気象条件を理由に射撃日や時間を変更し・・・射撃水域と着弾点まで変えた彼らの火遊びに、いちいち対応する一顧の価値も無い。」と切り捨て、韓米の北侵演習に反撃しなかったのは、北韓の外交的政治的勝利と言うべきであろう。
いま、韓国右翼言論さえ、北韓への「急変自態に期待し、北圧迫政策に固執し軍事的緊張関係を生み出す政府の方針が、韓国に対する投資を回避させ企業の危機に結びつく経済的リスクを生む危険」などと言い出す有様だ。韓国の最大の貿易相手国は中国である事を、イ・ミョンパクとハンナラ軍政与党は、しばし舞い上がって忘れていたのかも知れない。
ウィキリークスが、在韓アメリカ大使館の記録として、米国東アジア太平洋担当次官補カットキャンベルが会った韓国の北専門家のひとり、現・青瓦台外交安保首席、チャン・ヤングとのやり取りを暴露している。(<ハンギョレ21>2010/12・10/839号http://h21.hani.co.kr/arti/cover/cover_general/28631.html)
「○金正日が死んだら北政権の崩壊を拒む事が出来ない。その2〜3年の内に、政治的に崩壊する。○中国は、北に経済的梃子を使う意思はない。○北への食糧援助は、あっても小さな規模でやるつもりだ。」などと、主として彼らの午餐の席で、米国側に語る韓国与党派の専門家らの、根拠の無い情勢分析が記録されている。北への挑発を、今や米国による自国への牽制と見る中国が北韓の後ろ盾となっている状況を、彼等は理解していないのが伺える。
また同じ記録で、ヒョン・インテク統一省長官は、去年7月、カットキャンベルに「金正日は、2015以後まで生きることは出来ない。北が急に崩壊する場合、韓国と米国政府は、韓半島統一のため、速やかに動かなければならないと強調した。」と暴露している。
これらの事実は、イ・ミョンパクが米国とともに、金正日の死を主観的希望として、それによる「北の急変事態」なるものに期待し、北韓の政権崩壊を待機し、促進するための軍事的威嚇と経済的締め付けを、あらゆる対北政策の基本としてきた事が伺われる。「人道的食料援助」も、イ・ミョンパクの「非人道的な政治的小道具」として利用されている事も明らかだ。
このヒョン・インテク「統一省長官」なる男は、不当な歴史の狭間で南北に引き裂かれた同族同士が、相互の尊厳に基づく統一を目指すのでなく、朝鮮民族を抑圧し400万の朝鮮人を虐殺に追い込んだ、朝鮮戦争の下手人である米帝国主義の傘の下で、核の威嚇を利用して軍事的暴力による北侵統一を狙っているのである。北韓の資本主義化と朝鮮半島全域への韓国資本主義市場の拡大による、更なる南北の朝鮮労働者階級への資本主義的搾取体制の確立を狙っているのだ。
この3年間のイ・ミョンパク、ハンナラ軍政与党の対北政策と、ブッシュの敵対政策を継承し「第3のブッシュ」と呼ばれるオバマ政権による北韓への軍事的圧力と挑発政策は、このウイキリークスが暴露した在韓米大使館の記録と符合している。東北アジアの軍事的緊張を絶えず意図的に作り出し、米国の核攻撃威嚇と経済的締め付けで、体制崩壊を狙う韓米の政策が、こんな妄想を根拠としているのだ。
A アジアの帝国主義的利権を、軍事的牽制で追求する米―日・帝国主義
今、世界経済の中で、かってその比重を1945年代に40lを占めていた米国は、1970年初頭のブレトンウッズ体制の崩壊を経て、1980年代には20lに凋落し、今日、中国・インドを軸に世界経済の中心となりつつある巨大なアジア経済の利権から、遅れを取りつつある米帝国主義の危機は極めて深刻である。
この危機を抱かえた米国は、「朝鮮半島危機」を意図的に醸成し、それを、アジアへの経済的政治的介入の梃子として利用する一方、その米国の軍事力を利用して覇権競争を乗り切ろうとする韓・日両資本家政府との間に、3国の共通利害を見出し、米・韓・日―3国軍事同盟への動きが垣間見えるのが、今日の東北アジアの情勢である。
今や中国経済に依存しなければその命脈を維持できないはずの日本資本主義国家は、浅はかにも尖閣諸島の大陸棚資源の独り占めと、中国に展開する日本企業2万社の利権保護や拡大を目的として、また一方韓国の資本家政権は、北韓の政権崩壊を対北敵対政策として露骨的に追求し、その資本主義的統一を妄想している。そのためにそれぞれ両国は、北韓と中国に対して、米国の核武力に依る軍事的威嚇を利用する事を、当面最良の手段と考えているのである。また米国は、経済的発展の著しいアジアの諸国家の軸である中国に対する軍事的牽制が、自らの政治的威信につながると、妄想しているのである。
破産国家アメリカの最大の債権国家は、他でもなく中国である。侵略と戦争を生業(なりわい)とする米国は、実は中国によって辛うじて支えられていると言うのは、資本主義世界の死の苦悶を象徴して余りあるパラドックスである。資本主義国家としての米・韓・日の軍事同盟への動きは、自らの首を絞め、彼等の死期を早めるだけであろう。
しかし、人類の歴史は、彼等の最後の息を止める世界の労働者階級の戦いが不十分なために、資本主義世界と帝国主義者どもの醜い姿と死に体がまだ暴れている事を許してしまっているのである。
軍事的プレゼンスの強化を通しての、帝国主義的利権の追求と言う、抜きがたい資本主義国家の本質が露呈し始めている。ここに、この12月を通じて、西海(黄海)、東海(日本海)で展開されてきた、北韓への侵略的威嚇としての米・韓・日の合同軍事演習の目的がある。
B 朝鮮戦争の停戦協定を破って核兵器を持ち込み、朝鮮半島の核化を図った当事者は、他でもなく米国である。
北韓に対する、アメリカ帝国主義と韓国の抑圧と挑発政策の歴史的経緯と背景は、(キム・デジュン、ノ・ムヒョン政権の一時期も、基本的には踏襲されて来た)1953年の朝鮮戦争停戦協定に溯らなければならない。
朝鮮戦争の停戦から、今日のヨンピョン事態に至る朝鮮半島の歴史は、平和と安定だけを必要とする北韓に対し、米国とその同盟者が、すべての国際的合意と取り決めを蹂躙し、半島の政治的軍事的緊張を醸成し、その責任をすべて北韓に押し付けてきた歴史である。
1953年7月27日締結された停戦協定において、最も注目されたのはその第60項である。そこに「朝鮮問題の平和的解決を保障するため、双方の軍事司令官は双方の関係各国政府に停戦協定が調印され発効したあとの3ヶ月以内に、双方のレベルのより高い政治会議を招集し、朝鮮からすべての外国軍隊の撤退、および朝鮮問題の平和的解決等の問題を協議する事をここに建議する。」と規定されている。
それを、半月にも立たない内に破り捨てたのは米国である。8月8日には南朝鮮と「相互防衛条約」を結び停戦協定を破り米軍の駐留を固定化、「より高い政治会議」も、国連を操り一方的な板門店での「予備会談」に矮小化し、その後、協定で規定された政治会議の招集を拒否した。
さらに、朝鮮での戦争の再発を防止するための武力増強を禁止した協定第13項d目は、「朝鮮の境外から増援する作戦飛行機、装甲車両、兵器弾薬の搬入を禁止する。」と規定し、そのための中立国に依る監視委員会を組織した。しかし米国は、イ・スンマン(李承晩)と結託し5港に配置した監視委員会を暴力的に排除、ついに1957年6月21日米国は、この項目の一方的破棄を宣言し、同日、米国務省は「新型兵器の搬入」を公言し、南朝鮮は米国の核兵器庫となったのである。
停戦協定を紙くずのごとく破り捨て、朝鮮半島に核武器を持ち込んだ張本人こそ米国だった。
加えて、もちろん半島から目と鼻の先の日本もまた、米国帝国主義軍隊の核武器兵站基地として北を威嚇してきたのだ。
C 南北対話の進展と、「朝米合意」
ジョージ・W・ブッシュの父親、ジョージ・H・W・ブッシュの時期、1991年の湾岸戦争終結直後、米帝国主義は次の戦争の目標を朝鮮半島においた。
戦後一貫してその同盟国への政治的・軍事的・経済的覇権を、絶えることなき戦争の仕掛けこそがその梃子であると考えてきた米国は、自らが朝鮮戦争停戦協定を破り、韓半島に核兵器を持ち込んだ張本人である事を棚に上げ、次の脅威は、核武装を準備する北韓だと主張しはじめた。「朝鮮半島危機」を自らが自由に操作すると言うわけである。
米帝国主義とその執権政府の常套手段はいつも、サダムフセインのイラクにしろ、ミロシェビッチのセルビアにしろ、彼らが恰も、ヒトラーにも劣らぬ反人類的脅威かのごとく、荒唐無稽なデマと中傷で誇張し、資本主義社会に寄生して生きている言論機関を総動員して、自己の帝国主義的戦争準備を正当化してきた事を忘れては成らない。北韓に対する米国の偏執的攻撃も、まったく同じ理由からだ。
しかし、ジョージ・H・W・ブッシュの退場のあと登場したクリントン政権は、朝鮮半島の政治状況の変化に対応し、その帝国主義的利害の追求において、ブッシュの路線を修正する方向に舵を切る事となる。
1993年6月11日、ニューヨークにおいて、クリントン政権との政府間協議に基づく、朝米「核問題に関する共同声明」が発表され、それに沿って、ジュネーブで1994年10月21日、「朝米基本合意文」が合意に達した。
ここで朝米両国は、「朝鮮半島の非核化、平和と安全を実現するために」次のような「行動措置」を取り決めた。
「
@ 双方は、朝鮮民主主義人民共和国の黒鉛減速炉と諸関連施設を、軽水炉発電所に交替するために協力する。(代用エネルギーは、熱および電気生産用重油で提供する。)
A 軽水炉対象が完全に実現された時、朝鮮民主主義人民共和国の黒鉛減速炉と諸関連施設は完全に解体される。
B 双方は、政治および経済関係を完全に正常化するために努力する
(3ヶ月以内に通信サービスと金融決済に対する制限措置などの解消を含む貿易と投資の障壁の緩和。相互の首都に連絡事務所を開設。その進展と共に関係を大使級に格上げする。)
Cアメリカ合衆国は、核兵器を使用せず核兵器で威嚇もしないと言う公式保証を、朝鮮民主主義人民共和国に与える。共和国もまた終始一貫、朝鮮半島の非核化に関する南北共同宣言の履行の為の諸措置をすすめる」と。
D「朝米基本合意文」を具体化した、「朝米共同コミュニケ」の締結。
さらに、それまでの韓国における軍事独裁政権にけりを付ける事となった、南韓の金大中と、北韓の金正日委員長との南北首脳会談〔2000年6月〕と言う劇的な南北関係の変化を背景に、2000年10月12日、金正日国防委員長の特使である国防委員会第1副委員長趙明禄特使が、直接クリントンにその意思を伝え、「朝米共同コミュニケ」が発表された。
それは、「核問題に関する共同声明」と、「朝米基本合意文」にそって、今後両国の正常な外交関係を(朝鮮戦争停戦後初めて、)開く道筋を具体的に取り決めたものであった。
「朝鮮民主主義人民共和国と米合衆国は、歴史的な南北首脳の出会いによって、朝鮮半島を取り巻く環境が変化した事について認めながら、アジア太平洋地域の平和と安全を強化するために利益になるよう、両国関係を根本的に改善する措置をとる事をきめた。
これと関連して双方は、朝鮮半島で緊張状態を緩和し、1953年の停戦協定を強固な平和保障システムに転換して朝鮮戦争を公式に終息させるために、4者会談などの様々な方途があると言う事で見解をともにした。
朝鮮民主主義人民共和国側と、米合衆国側は、関係を改善する事が国家間の関係で自然な目標となり、関係改善が21世紀の両国人民にとって共に利益になると同時に、朝鮮半島とアジア太平洋の平和と安全も保障する事になると認め、双務関係で新たな方向を取る用意があると宣言した。最初の重大措置として、双方は、両政府とも他方に対し、敵対的意志を持たないと宣言し、今後、過去の敵対感から脱した新たな関係を樹立するために、あらゆる努力を傾けると言
う公約を確言した。」と。
金正日委員長の特使である国防委員会第1副委員長の趙明禄特使が、2000年10月9日から12日にわたって米国を訪問し、この共同コミュニケを取りまとめる過程での、米国側と特使とのやり取りと雰囲気が、この共同コミュニケの中で生き生きと述べられている。
「趙明禄特使は、歴史的な南北首脳の出会いの結果を始め、最近の数ヶ月の間の南北対話状況について米国側に通報した。米国側は、現行の南北対話の継続的な前進と成果、また安保の対話の強化を含めた南北間の和解と協力を強化する為の諸提案の実現の為、あらゆる適切な方法で協力するとの確固とした公約を表明した。
趙明禄特使は、クリントン大統領と米国人民が、訪問期間、暖かく歓待してくれた事に謝意を表した。
朝鮮国防委員会の金正日委員長に、クリントン大統領の意志を直接伝え、大統領の(朝鮮への)訪問を準備する為に、オルブライト国務長官が近いうちに朝鮮を訪問する事で合意した。」
米国のクリントン政権は、1997年の韓国大統領選挙で、ハンナラ軍政与党候補イ・フェチャンが敗北し、キム・デジュンが勝利したと言う半島情勢の大きな変化が、北に対するこれまでの米政権の対北敵対政策の舵を、本気で大きく切らざるを得なかったことは、少なくともこの「朝米共同コミュニケ」から伺う事ができる。
E ○「朝米基本合意文」と「朝米共同コミュニケ」で合意された、すべての条項を履行せず、《非公開了解録第4項》を無視して不履行の責任を北韓に転嫁、国際世論を欺いてきた米国。
しかし、2001年米国大統領選挙で勝利したブッシュ共和党政権は、全世界に対し「対テロ戦争」を大義名分とした軍事的・政治的覇権を通して、帝国主義的復活を図った戦争国家として登場する。ブッシュがまず手をつけたのが、9・11事件を最大限利用し、アフガニスタンに対する侵略戦争でタリバン政権を崩壊させる事だった。これに味をしめ、更に次の侵略戦争の矛先を、イラン、イラク、北朝鮮に定めた。ブッシュは2002年1月29日の一般年頭教書で、この3カ国を名指しして、「悪の枢軸」と主張したのである。
米国が、イラクに対する大量破壊兵器の存在をでっち上げ、国際原子力機関(IAEA)もまた、米の意に沿って「イラクの申告書に矛盾がある」と根拠の無い情報を世界に流布し、国連を巻き込んで、主権国家に対する侵略戦争を開始したのは2003年3月である。米帝国主義は、2001年以降、侵略戦争の狙いを北朝鮮を含む3カ国に絞り、国際「世論」を誘導するためのデマと捏造の数々を積み上げながら、侵略戦争の手順を計算していたのである。
こんな状況の中で、2002年10月3日〜5日、米国のケリー大統領特使の訪問を北韓は受け入れた。アメリカ帝国主義者の代弁人ブッシュがこの訪問にかけた狙いは明らかであった。
米国のクリントン前政権との間で、「朝米共同声明」(1993年6月11日)と「朝米基本合意文」(1994年10月21日)を取り交わし、2000年10月12日の段階で、クリントン大統領の北韓訪問を準備するためのオルブライト国務長官の来訪まで実現した北韓としては、国家間の協定が取り交わされてから1年も経たないのに、2002年1月の、ブッシュに依る北韓に対する「悪の枢軸」発言は信じられなかったであろう。しかし、北韓は、ブッシュの特使・ケリーの來訪要請を一縷の期待を持って受け入れた。
しかしそれは、ブッシュの「悪の枢軸」発言に沿った一方的な敵対的通告の場となった。前政権との外交的取り決めの文脈と約束事項を歪曲・否定して、「北はウラン濃縮に依る秘密核計画を推進し核計画を認めた。」と、全世界の言論に虚偽の情報を流布した。
その後の、「イラクは大量破壊兵器を隠し、国連の査察を妨害した」とするブッシュのでっち上げによる国際世論を平然と欺く手法が、「北韓核問題」でも実行されたのである。それは、米帝国主義者によるイラク侵略戦争の火蓋が切られる、ほんの5ヶ月前のことである。ケリーの北韓訪問の前後の時期、米国はイラクが、1991年湾岸戦争停戦決議に違反しているとする嫌疑を国連と世界世論に流布、執拗な査察要求を行い、しかも査察要員にCIAメンバーを使い、イラクの軍事施設を丸裸にする調査まで行っていた。
[「核問題」と関連した朝鮮外務省代弁人談話(2002年10月25日)](http://www.kcna.co.jp/index-k.htmの????(公式文件)→??(朝米)をクリック)は、次の様に記述している。
「敵対的関係を根源的に解消し、平等な立場から懸案問題を解決できるであろうとの期待を抱き、先日米国大統領の特使を受け入れた。しかし、遺憾な事に我々は、特使の訪問を通じ、我々を力で圧殺し朝鮮半島と東北アジア地域での肯定的な情勢発展を逆転させようとのブッシュ行政府の敵対的企図が、絶頂に達している事を確認することになった。」
ブッシュの特使、ジェームス・ケリー次官補(アジア太平洋問題担当)以下8名の随員は、前政権の、未だ何一つとして解決されていない懸案事項の具体化の為に、北韓を訪問したのではなかった。最初から、「韓米基本合意文」を一方的に紙くずのように破棄するため、その合意文での、朝米取り決め事項を踏みにじる要求を突きつけてきた。
すなわち、ケリー特使は、北韓に対し、直ちに無条件に、核査察を受けなければならないと主張したのである。
合意文1条では、米国は、2003年までに合わせて200万kWの発電能力の軽水炉発電所を北韓に提供する事に責任を持ち、一方北韓は、黒鉛減速炉とその関連施設を凍結する事となっていた。しかし、北韓が各施設を凍結してから8年が経過したケリー訪問時においても、軽水炉はその基礎工事を終えたにすぎなかった。合意文では、「軽水炉提供と代用エネルギー保障に対する米国の諸保障を得たうえで、朝鮮民主主義人民共和国は黒鉛減速炉と諸関連施設を凍結し、究極的に解体する。〜凍結期間に、(共和国は)国際原子力機関(IAEA)が凍結状態を監視するように許容し、機関にこれに関する協力を十分に提供する。」となっている。
しかし、この合意文には、本来公開されない付帯合意事項を(米国のこの時点での核査察要求を前にして)「始めて公開しなければならなかった」と言う、「非公開了解録」が、米国との間で取り交わされている事を朝鮮外務省代弁人談話(2002年10月25日)は、暴露している。
「基本合意文第4条と、合意文に付属する《非公開了解録第7項》に沿って、我々は、《軽水炉のタービンと発電機を含む非核部分の納入が実現した後に》核査察を受ける事になっていたが、米国は当初から核査察を受けなければならないと言う一方的な論理を持ち出し、恰も我々が合意文を違反しているかの様に国際世論を誘導した。」と指摘している。
ブッシュ政権は、米国政府と北韓が外交文書として取り交わした国家間の約束を踏みにじり、それを履行する意思がないことを公然と主張したばかりではない。米朝合意に沿った米国の義務の履行を放棄して置いて、逆に北韓が「米朝合意」を履行していないかのように装ったのだ。もちろん北韓との付属議定書とも言うべき「非公開了解録」の存在などまったく触れなかった。
クリントン政権の下で取り交わされた合意文が示す、「政治および経済関係を完全に正常化する」点に関しても、クリントンからブッシュに至る8年間、何一つ履行されないばかりか、米国の対北敵視と経済制裁は継続のままであり、それどころか、ブッシュ政権は、イラク・イランと共に北韓を、「悪の枢軸」と規定し、北侵略戦争の画策をおこなっていた。
更に重大な米国の合意蹂躙を、朝鮮外務省代弁人談話は指摘する。「基本合意文第3条に沿って、米国は核兵器を使用せず、核兵器に依る威嚇もしないと言う公式的保障を我々に提供することになっていたが、米国はそうした保障提供の変わりに、我々を核先制攻撃対象に含めた。」と。
米国が基本合意文で義務付けられた4つの項目、即ち、○2003年までに軽水炉発電所を提供する。○政治・経済における正常化、敵対政策と経済制裁の破棄。○核兵器に依る威嚇をしないと言う公式的保障。○非公開了解録で規定された、核査察を受け入れる前に、軽水炉の「タービンと発電機を含む非核部分の納入の完全な実現」←これらすべてを、米国政府は遵守しなかった。
しかし、ブッシュのケリー特使は、(北韓が)「核兵器製造を目的に濃縮ウラニウム計画を推進し、朝米基本合意文に違反していると攻撃し、それを中止しない限り、朝米対話も無ければ、とりわけ朝・日関係や北・南関係も破局する」(代弁人談話)と恫喝したのである。
ブッシュの特使の恫喝に対して、北韓政府は、代弁人談話で次の様に指摘している。
「○ブッシュ政府は、我々に対する核先制攻撃を政策化することで、核拡散防止条約(NPT)の基本精神を踏みにじり、北南非核化共同宣言を白紙化した。
○ ブッシュ政府の無謀な政治、経済、軍事的策動により、我々の生存権は史上最悪の脅威を受けており、朝鮮半島には深刻な事態が到来する事となった。
○ こうした状況で、我々座視する事はない。我々は、米大統領特使に、増大する米国の核圧殺脅威に対処し、自主権と生存権を守るため、核兵器はもちろんそれ以上のものも持つ事に成るであろう事を明白に述べた。」
ブッシュの特使の、主権国家に対する不遜にして傲慢な主張に対し、この北韓の反論は、極めて正当である。米国が朝米基本合意の自らの不履行を逆手にとって、北に「査察の受け入れ」を主張するのは、北を米帝国主義者の前に丸裸にし、武装解除する事と変わらない。
先の朝鮮外務省代弁人談話は、一方で次の様に米国に指摘した。
「○しかし、我々は最大の雅量を持って、米国が第一に我々の自主権を認め、第2に不可侵を確約し、第3に我々の経済発展に障害をもたらさないと言う条件で、この問題を協商(話し合い)を通じて解決する用意がある。
○朝鮮半島に醸成された深刻な事態を打開するために、朝米韓で不可侵条約を締結する事が、核問題解決の合理的かつ現実的な方途となる。
○ 我々に対する核不使用を含む、不可侵を法的に確約するのであれば、我々も米国の安保上の憂慮を解消する用意がある、
○ 小国である我が国にとって、すべての問題解決の方式の基準は、自主権と生存権に対する脅威の除去である。」
北韓は、既に8年前に米国と一度は合意した事柄を、それを簡単に踏みにじって北韓を追い込み、逆に、北韓侵略の捏造材料探しに狂奔するブッシュ政権に対し、その不条理な行動にもかかわらず、辛抱強く、話し合いでの解決を訴えている。
しかし、ブッシュ政府は、ケリーの訪北の後、「北が核武装を目的に濃縮ウラニュームを製造し、朝米合意を踏みにじった」と全世界に喧伝し、北侵略準備を合理化し、一貫して協商による問題解決を訴え続ける北韓を挑発し続けた。
F 一体誰が、核戦争の脅威を振りまき、一体誰が、朝鮮半島の平和な生活を願っているのか?
11月9日市販された自叙伝でブッシュは、ケリーを北韓に派遣した数ヶ月後
北韓に対する侵略戦争を準備していた事を、臆面も無く語っている。「2003年2月、中国主席江沢民に対し、私は、一段階更に進み、北核問題を外交的に解決できない場合、北韓に対する軍事的攻撃を検討する以外に無いと伝えた」と。こう語ったのは、イラク侵略の直前であった。
米国は2003年1月には、「北の秘密核兵器計画」を理由に、「朝米合意」の一方的な全面的破棄へと進み、17日のKEDOを通じた「軽水炉提供の中止」へ、更に2003年11月の「完全中止」へと向かい、北韓に対する敵対的路線を先鋭化して行った。
今、1953年朝鮮戦争停戦から、6者会談の挫折を通して西海事態に至る、極東アジアの緊張の増大と政治的不安定の主たる根源は、朝鮮半島での南北関係を政治的に利用し、帝国主義的覇権を競う米国と日本の両帝国主義と、その下で北部朝鮮の資本主義市場化を狙う、韓国資本主義政府とその軍事独裁政権時代の色を残す軍部勢力に依る、北韓に対する軍事的挑発と北侵野望にある。
2005年の6者会談での「9・19合意」に期待をかけた或る韓国の学者は、合意文自体の内容を認めながらも、「米国は、国際的条約も合意も守った事例はまったく無い。」と指摘した事がある。朝鮮休戦協定を破り続けたのは米国である。核兵器の持込はその際たるものだ。
朝鮮半島に関するものだけでも、1993年核問題に関する共同声明、1994年朝米合意、2005年9・19合意、2007年の2・13合意、すべて、米国は破り続けてきた。
朝鮮半島における北韓の苦悩は、米国がこの国際的取り決めを守ってこなかった所に或る。
先の、ブッシュの特使ケリーの訪北の折の、北への脅迫と合意破りに対し、同上朝鮮外務省代弁人談話は次の様に指摘する
「朝米合意文の4条項のうち米国が(これまで)遵守したものは一つもない。米国が合意文を採択する時に履行の意思を持っていたのか、或いは我々がそのうちに崩壊すると踏んで嘘のサインをしたのか、米国だけが知っていることだ。」と言わなければ成らない始末だ。
小国である北韓にとって、問題解決の方法は、北韓を、帝国主義者達の政治的カードとして利用し、核の脅しで翻弄する米国の政策の理不尽をやめさせることにある。今日の世界で、一体誰が軍事的脅威を振りまき、核戦争の危険を生み出しているのか、一体誰が、侵略と政治的経済制裁の圧力の前で、自国民の生活と自国経済の前進を願って世界に訴えているのか、一目瞭然である。
帝国主義諸大国の侵略の脅威と戦い、自国民の生存を守ろうとする北韓労働者国家の、世界に対する腹からの叫びが聞こえて来る。
今日米国のオバマが、「第3のブッシュ」と呼ばれる理由は、北に核の脅しをしながら北の一方的武装解除を要求し、応ずるまで「戦略的忍耐」で待つと言う北崩壊待機論とその連続線上の北侵論である。彼らが朝鮮半島で繰り返してきた合意破りは、これを根拠としているのだ。
これは、先にも述べたが、韓国・イミョンパクの対北敵対政策と全く共通するものである。これこそ、ならず者の論理である。
中国政府は、南韓の北韓に対するこの間の執拗な軍事的挑発と、それと関連した、米・日・韓の合同軍事演習を、中国労働者国家に対する政治的・軍事的牽制でもあると認識している。ヨンピョン事態にたいする韓国の対応を、明確に挑発行為と非難し、話し合いのテーブルに就かない韓国と米国に抗議した。中国共産党が、朝鮮戦争と中国革命における北韓との歴史的血盟関係を無視すれば、中国国家のアイデンティティーは大きく毀損されるであろう。朝鮮戦争に派遣された中国義勇軍の多くは、東北部(中国朝鮮族自治区)で中国共産党の解放軍として中国革命で戦った現役の朝鮮族である。また、鉱物資源の豊かな北韓に入り込んだ中国資本と国有企業の利権の擁護は、今日一層の中朝連携を深めている。韓国のイ・ミョンパクの「北崩壊論」には、何の根拠もない事を知るべきであろう。(続く)
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