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(韓国民衆言論誌 ハンギョレ21 200589日 第571号)http://h21.hani.co.kr/arti/special/special_general/14516.html


                日本共産党の朝鮮人を記憶せよ


朝鮮半島に向う軍需輸送列車を阻止しようとした、在日朝鮮人達の偉大な反戦闘争の歴史 1952 6月、同胞を殺す殺人武器製造を拒否した吹田駅騒擾事件の、日本の知識人社会に新たに注目を受けた彼等の、忘れられた歴史を探し出す。


                                     東京・大阪 ナム・ジョンヨン記者



最近日本社会は、日本共産党だけではなく、北韓も南韓も捨てた1952年の在日朝鮮人たちの、偉大な闘争に関心を傾けている。この中で吹田事件は、日本の反戦闘争の巨大な山だ。日本共産党が指導した吹田事件は、大阪府吹田市・吹田駅操車場にあった軍需列車を攻撃しようとしたが、警察の発砲で強制鎮圧された闘争として、昨年6月<大阪での反戦闘争>(「大阪で戦った朝鮮戦争」西村秀樹著、岩波書店刊のことか?訳注)書籍が出て、学界から再び注目された。
1945年敗亡した日本は、1950年〜1953年の韓国戦争を契機に、新しい高度成長の踏み台を準備する。敗亡以後、止めた軍事工場で、再び機会が戻ったし、景気も生きかえり始めた。

強制徴用者達の新たな悲劇

しかし、在日朝鮮人達の悲劇は再び始められた。日帝時代強制徴用で引っ張って来られ、軍需工場で労役に苦しめられた朝鮮人たちは、今度は韓国戦争(朝鮮戦争訳注)に使われる各種武器を作らなければならなかった。朝鮮人共産主義者達は、我々の手で、同胞を殺害する武器を作ってはいけない。とし、ストライキを扇動した。そして共産党の指導の下、集まった示威隊は反戦集会を終えて、軍儒工場爆破・軍需列車停止など、各種暴力闘争を繰り広げた。その一つが即ち吹田事件だ。
初夏の熱気が湧き上がる大阪最大の韓人村・鶴橋、韓国戦争に積まれる各種武器の原資材が生産されたここで、在日同胞の詩人キム・シジョン(金時鐘・74)氏に会った。日本共産党民族対策部傘下、祖国防衛委機関紙<マルセダ>の記者として吹田事件を見守った彼は、いまだに、日本の警察が繰り広げた醜悪な弾圧を忘れていなかった。
チェジュ(済州)島で43抗争を経験し、韓国に渡って来た後1950年共産党に入党して、米軍によって閉鎖された中西民族学校を再び開く任務を担当した。党内隅々を渡り学生達を募集したが、苦労の末19525月に中西学校の門を開けて朝鮮語を教えた。やっと安定したと思ったが吹田事件が起こって、その年624日だったか。
韓国戦争勃発2周年の前夜だった1952624日、米軍は大阪府伊丹基地(現伊丹空港訳注)から、連日韓半島に向けて爆撃機を飛ばした。吹田駅の操車場では戦争武器と軍需品を載せた列車が走った。これ等の物資は神戸港から韓半島に送られた。
この日夕方、大阪大学で朝鮮人と日本人4千余名は、伊丹基地粉砕、反戦独立の夜集会を執り行った。集会を終えた後、示威隊列はふた筋に別れ行進した。目標地点は吹田駅操車場。示威隊はここで軍需列車を壊す挙にもでた。
日本人大部分は、一次集会を終って会場を去って、朝鮮人達が多く残った。一旦、吹田駅の線路と列車に火をつけ、それでも駄目なら鉄鎖を縛り示威隊が線路に寝転ぶ事とし、軍の輸送列車を1時間遅延させれば、朝鮮人同胞1千名を生かす事が出来るのだ。

意気高い示威隊列大阪駅へ行こう

示威隊は火炎瓶を投げながら警察との対置と突破を繰り返したあとに、25日明け方には吹田駅操車場に到着する事が出来た。しかしひんやりとした鉄路の上には、明け方の霧が立ち込めるだけだった。軍需列車は見えなかった。大阪駅へ行こう!

興奮した示威隊列は、人が多く集まる市内に行く事とした。しかし、電車に乗るために示威隊が吹田駅舎に踏み込んだ瞬間、待っていた日本警察は銃を撃ち始めた。吹田駅は瞬間阿修羅場となった。示威隊はばらばらに散らばった。11名が重軽傷を受け250名が逮捕された。
キム氏は、自身が切り開いた中西民族学校の同志たちが、多くの犠牲を払ったことに対し、心が痛んだ。普通、列車停止闘争で、後尾隊列は先頭隊列よりはるかに危険だった。後尾隊列は十中八九警察に逮捕された。共産党上部で後尾部隊を誰にするか悩んだが、中西の人達が選ばれたのだ。中西は当時大阪一帯で最も良く組織されたところだった。止めさせたいが、私がどんなにする事も出来ない・・・。
キム氏と親しかった中西民族学校の校長であるチャン・ハクス氏と学生と教師、学父兄などが、この日、日本警察に連行された。この日逮捕された示威隊250余名の中で、111名が騒擾罪と公務妨害罪で日本検察に起訴された。この中で、40%が朝鮮人だった。裁判は19年掛かった。この渦中に1953年、裁判廷に立った被告達が、(朝鮮)戦争で死んだ人々のために黙祷をした吹田黙祷事件(箱記事参)が起こるなど、いろんな論難のあと、結局は全員無罪判決を受けた。
キム・シジョン氏は、韓国飲食店が立ち並んだ鶴橋一帯を指差し、ここで韓国戦争時、使われる軍需物資をほとんど調達した。と、ほろ苦く語った。貧しかった朝鮮人たちは、くず鉄を拾い零細鉄工所に手渡し、生計を立てて行った。鉄工所は、これを適当に加工し大規模軍需工場に売った。軍需工場の下請け業者だった訳だ。一度爆発すれば四方200mに破片が飛ぶオアク爆弾も、ナパーム爆弾も、ここ朝鮮人労働者達の手を経由した。手榴弾の安全ピンを直接作る工場もあった。

朝鮮人社長達は、ストライキを具合が悪いとした

だから朝鮮人党員たちは、鉄工所労働者らに同胞を殺すことに加わるなとストライキを扇動したし、一旦作られた戦争の武器が祖国に行く事が出来なくするためには、軍需列車を停止させなければならなかった。石を投げ信号灯を壊したし線路の枕木を切った。火炎瓶を投げ輸送列車の一便だけ停めさせても、復旧するのに時間がかかるので、それだけ時間を稼ぐ事が出来た。切迫した。殺人武器が朝鮮半島に渡って行くまで、置いておいては駄目だ。
興味があるのは、鶴橋にある零細鉄工所の社長の相当数が、自分の力で一家を起こした朝鮮人だったと言う点だ。朝鮮人社長としては同族の争いの武器でも、売ると疑問が残った。だからキム氏は、“1950年代反戦闘争は、在日朝鮮人が階級的に分離される契機であり、反戦闘争は階級闘争でもあった。と批評した。鉄工所社長たちは、共産主義者達が機械を止めろと言うストライキの扇動に、不便を感じたし、一部は民団が送った学徒義勇軍に献金を送ったとも言った。

日本共産党主要年表

19227月、日本共産党創党。片山潜、堺利彦、徳田球一などが中心人物
192324年、主要幹部が逮捕され非合法的な闘争を展開。
193110月、一国一党原則によって、朝鮮労働党の日本総局が吸収されながら朝鮮人達が活動し始める。
194510月、主要幹部出獄、合法的政党として再建。中央委員に在日朝鮮人キム・チョンヘ含む。

  19491月、総選挙で35
  9月、占領軍(米軍)・日本の左翼弾圧政策(団体等規制令)により在日朝鮮人連盟(朝連)解体。
  19501月、コミンフォルムの日本共産党批判。平和革命論と占領軍=解放軍論を、帝国主義を賛  美する理論だと言う内容。これを消極的に受け入れた<所感派>と、全面的受容を主張した<国際派>  に分裂。
  5月、民族対策部の中心、非合法的組織・祖国防衛委結成
  6月、占領軍、共産党中央委員追放令発表。機関紙<赤旗>発行禁止。徳田球一、中国亡命
  195110月、‘51年テーゼ発表。<武器製造法教科書>配布するなど、軍事路線に旋回。
  19525月、朝鮮戦争反対闘争。東京血のメーデー事件。吹田事件。
  7月、名古屋 大須事件
  19548月、北韓・ナム・イル(南日)外相、声明―“在日朝鮮人は、共和国の海外公民
  1955年初め、朝鮮人党員、集団脱党。
  5月、在日本朝鮮人総連合(総連)結成
  7月、第6回全国協議会(六全協)で、極左冒険主義批判、平和革命路線に再転換、民族対策部解体。
  2005年現在、衆議院9(480)、参議院9(242)

  黙祷が投げた波紋、吹田事件被告人たちの裁判廷の突発行動が、日本司法部の独立性を覚ます。

吹田事件の被告人111名は、騒擾罪と公務執行妨害罪で検察に起訴され、裁判を受けた。大概が在日朝鮮人だった。弁護人団は憲法擁護のために行進した示威隊を、警察が不当に襲撃した事件だと反駁した。
1953729日、第29次公判、朝鮮人被告人カン・スンオクは、裁判廷で“727日合意された(朝鮮戦争)休戦を祝賀し、戦争時亡くなった犠牲者達のために黙祷しようと提案した。この言葉が下るやいなや、被告人たちは一斉に黙祷をした。検事は制止を要請したが裁判を進行した佐々木徹三判事は、黙祷を中止させなかった。
この事件は、日本法曹界に波紋を投げた。裁判廷での単純な黙祷事件は、司法部の独立性に対する論争に拡がった。大阪検察は、裁判部が中立を守らなかったと即刻抗議した。衆議院法務委員会まで適切な処置を要求した。裁判官弾劾訴追委員会は、811日大阪高等法院(高裁)に対する調査に取り掛かった。
しかし、佐々木判事は裁判の独立性を傷つける行為と、調査を拒否した。大阪地方法院(地方裁判所訳注)の判事達も、資料提出を拒否した為に、調査はそのまま続けられず、被告人全員が無罪判決を受ける事により、事件は一段落した。

                                              (訳 柴野貞夫 200971日)

参考記事

☆ 89 労働新聞《計画的に推進された米帝の朝鮮戦争準備策動》 (朝鮮民主主義人民共和国・労働新聞 2008年6月24日付)

☆ 91 韓国戦争(朝鮮戦争ー訳注)は、‘自主権確保と韓半島平和、統一実現’の課題を悟らせる。 (韓国・働く人々の希望 民主労働党ネット機関紙)

☆ 50 (韓国)軍、1950年無実の済州島民218名“集団銃殺” (韓国・チャムセサン 11月20日付)

☆ 39 チェジュ(済州)島4.3(事件)。米軍政と韓国軍警による、最大の虐殺場所“チェジュ(済州)国際空港”で、遺骸発見 (韓国・チャムセサン 民衆言論 10月13日付)