(韓国インターネット民衆言論 オーマイニュース2009・8・22付)
http://www.ohmynews.com/NWS_Web/view/at_pg.aspx?CNTN_CD=A0001201672&PAGE_CD=16
[主張] 果敢な北は何時でも対話しようとするが、もったいぶる南
△22日午前、ソウル・ソデムン(西大門)区、グランドヒルトンホテルで、ヒョン・インテク統一部長官(右側)と故キム・デジュン前大統領‘特使弔意訪問団’としてソウルを訪問したキム・ヤンゴン統一戦線部長が面談を前に握手を交わしている。(写真提供・統一部)
○キム・デジュン(金大中)前大統領の逝去に対し、他の国家よりもいち早く哀悼の意思を表す為訪韓した、高位級国家代表で構成された北韓弔問団は、対話を提議し南北対話を主導している。
○しかし、李政権は日程が合わないと、弔問団との面談を拒否した。(8月22日現在)「何時でも何処でも北側との対話の意思がある」と言って来た李明博は、口先だけだった。
今日(8月22日)、イ・ミョンパク(李明博)政府出帆以来初めて南北間の高位級面談が成し遂げられた。しかし、期待を集めた北側弔問団とイ・ミョンパク大統領との面談は不発にされた。
午前にあったヒョン・インテク長官とキム・ヤンゴン北韓統一戦線部長との会合で、どんな内容が行き来したかは確認されないで居る。統一部は“現在では、別途に発表したり、お知らせする事項はない。”とだけ、言っている。一部知られた内容は、1時間20余分強の出会いで、北側がキム・ジョンイル委員長のメッセイジを持ってきたので、青瓦台を礼訪したいと言う意向を伝えたと言うものだ。これに対する青瓦台の論議の結果、面談が難しいと言う事が確認されたのは、弔問団一行の予定された帰還時間であった午後2時を越えた以後だった。
明らかな事は、南北当局間には、今の閉塞局面を転換する事が出来る重大な論議が行き来するように見える。しかし短いが、息苦しかったこの時間の間、はっきりと現れたことは、北側の積極的な歩みに照らして、(李)政府の対応は、やむを得ず押されるように、消極的に出て行く姿だ。
イ・ミョンパク政府出帆以来、ただ一度も、南北間高位級会談が開かれなかったことに対して、‘政府はいつでも対話に出る準備が出来ている’とし、北側が対話に応ずることを‘要求してきた。’ほんの先週だと言うのに、イ・ミョンパク大統領は、8・15光復節記念辞で“いつでも、どんな水準でも、南北間のあらゆる問題に対する対話と協議”をする意思があると、明らかにしなかったか?本当に、政府が北側と対話する意思があれば、どんな形態の契機でも、機会としなければならない。しかし、北側のキム・デジュン(金大中)前大統領弔問団との接触をめぐって、北の提案が予めあればこそ、会うことが出来る式の政府の態度を見れば、やはり、政府が北側と虚心坦懐に対話を交わそうとする意思があるのか疑問が出るのに十分だ。
既に、北側は全面的で積極的な、宥和措置に出ている。ユ・ソンジン氏を釈放するのに引き続いて、ヒョン・ジョンウン、ヒョンデ(現代)グループ会長と、離散家族対面とクムガンサン(金剛山)観光再開、そしてケソン(開城)工業団地活性化など5項目に合意した北側は、北韓地域の陸路通行に関する制限措置も解除した。そしてキム・デジュン前大統領の逝去に対し、他の国家等よりも、いち早く哀悼の意思を表すために弔問団を派遣し、高位級国家代表で構成された弔問団は、南側政府に予め対話を提議するなど、南北対話再開の雰囲気を主導している。
キム・ヤンゴン北韓労働党統一戦線部長は、南北間の直接交易をすれば相互利益となり、当局対話もし、経済、社会、文化交流もして、議員交流もしようと言う意思を明らかにしている。
南北間の関係対応で、断絶危機まで登り詰めた南北関係だ。今この局面を転換すると言う北側の一連の処置は、明らかに歓迎に値することだ。南北間に雪解けの機運が感知されている。そんなことに、イ・ミョンパク政府の主導的で早急な対応が更に望まれる。
キム・デジュン前大統領が逝去する同時に作ってくれたこの機会を失えば、南北間係の回復は更に難しくなる他は無い。キム・デジュン前大統領の告別式が開かれる日が、南北間にも新しい風が吹いて来る日となることを期待してみる。
(訳 柴野貞夫 2009年8月23日)
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