韓国社会主義組織 タハムケ機関紙 「レフト21」 2011年3月26日付)
http://www.left21.com/article/9466
「核」を「原子力」と呼ぶのは、間違いだ
[討論会] 核なき世の中は、可能か−マルクス主義的分析と代案(25日(金)午後7時30分 ミョンドン(明洞)の、ヒャンリン(香隣)教会本堂での講演)
―チェ・ムヨン教授(ソウル大物理学科)特別寄稿−
核とは、核エネルギーを省略したもので、言葉通り「核に根源を持つエネルギー」を指す。ところで、この様な「核エネルギー」を、我が社会で、新聞を始めとした媒体では、よく「原子力」と表記している。
「原子力」と言う字自体は、原子の力、即ち、原子と原子の間に作用する力を意味する。、従って、核エネルギーを原子力だと指称することは、間違った用例だ。その理由を正確に理解する為に、関連する物理学の内容を今少し見てみよう。
力とエネルギー
何よりも、力(force)とエネルギー(energy)は関連しなくはないが、本質的に異なる概念だ。厳密な定義を使用する物理学では、エネルギーは大きさだけを持っているが、力は大きさと共に作用する方向も持っている。一般的に物体が力を受けて動けば、そのエネルギーが変わる。しかし、力を受けても動かなかったり、また同様に力の方向に垂直に動けばエネルギーは変化しない。逆に、力を受けて動かなくても、エネルギーは変化する。
我々が使用料を払って使っている電気や石油はもちろんのこと、生きていくための食物も、力でなくエネルギーを貰う為のものだ。
事実、エネルギーは使かっても消える事はなく、その形態が変わるだけだ。、エネルギー問題と言う全体量の問題でなく、その形態、即ち優劣(の順序)の問題であり,これは所謂エントロピーに関する熱力学の第2法則と密接に関連されている。いずれにせよ、エネルギーを力と指称する事は誤謬だ。
次に、原子と(原子)核について、考えて見よう。現代物理学の理論体系では、すべての物質は原子(atom)からできている。自然に存在する原子は、最も軽い水素から、最も重いウラニウムまで、すべてで92種類だ。いくつかの原子が集まって分子にもなる。物質はこの原子や分子で構成されている。
例えば、鉄は鉄の原子が集まって成り立ち、酸素は二つの酸素原子が結合した酸素分子で構成されている。また、水素原子2個と酸素原子1個が結合すれば水分子となる。こんな水分子が10の22乗(1千億が1千億個集まったもの)個が集まれば、水0.3グラム位になるのだ。
一方、すべての原子は、中心に原子核(nucleus)があって、その周に一つ以上の電子を持つ。原子核は、陽子と中性子などで成り立っている。(通常の原子は)プラス電気を帯びた陽子の個数とマイナス電気を帯びた電子の個数は同じで、電気的に中性になっている。陽子の個数(原子番号と呼ぶ)によって、原子の種類がきまる。例を上げれば、水素の原子核は一つの陽子で出来ており、原子番号は1である。酸素は8、最も重いウラニウムは92だ。
原子と原子の間には、電子を媒介として電気的な力が作用し、この力によって原子が結合して分子になり、物質を作り上げる事となる。また中性の原子の間でも、プラス電気とマイナス電気の中心が分かれる分極現象によって、非常に弱い力がはたらく。一般的に、これを「原子力」(atomic force)と呼ぶのだ。この力を利用して、原子レベルの大きさを見ることが出来る様にした装置が、原子力顕微鏡(atomic force microscope)だ。
普通、原子は変化しないため、物質の固有な性質は維持される。その理由は、原子を決定する核が非常に安定な為である。これは、核を構成する陽子と中性子が、核力(nuclear force)と呼ばれる極めて強い力で束縛されている為だ。
しかし、ウラニウムの様な重い原子(核)は、適当な条件のもとで原子核が分裂し、他の原子(核)に変わる事が出来る。これを核分裂と言う。この過程で莫大なエネルギーが放出されるので、核エネルギー(nuclear energy)と呼んでいる。これは非常に強い核力に起因すると言うことが出来る。
一旦、一つの原子核の核分裂が始まれば、他の原子核の核分裂を導く(連鎖反応)が起こり、原子の核分裂は急速に進行する。これにより、おびただしい量の核エネルギーが急激に放出されるので、恐るべき破壊能力を持つ事となる。即ち、核爆弾などの核兵器だ。
黒鉛や水などを使って、適切な方法で連鎖反応を遅らせてやれば、核分裂の進行をある程度調節する事ができる。これにより、核エネルギーをゆっくりと放出できるようにし、発電機を回し、電気エネルギーを得る施設が核発電所(nuclear power plant)なのだ。
誤謬の根源
「原子力発電」は、「原子力」(atomic force)を利用して発電をすると言う意味になるが、これはあり得ない。コリ、ウオルソン、ウルジン、ヨングアンなどにある施設は、もちろん核発電所だ。この様な誤謬の根源は、正確には分らないが、恐らく歴史的に核と原子を明らかに区分しなかった為と推測する。原子と核の構造が良くわからない状況で、エネルギーが大雑把に原子から出ると考え、「原子力エネルギー」 と言う用語を使用してきたのだろう。現在では査察で有名になった「国際原子力エネルギー機関」(IAEA)など、名前にすでに盛られている。しかし、これは無論間違った慣習によるものであり、「原子力」と言う用語は、さらに間違っている。
しかし、最近では、核と原子力と言う用語の使用は単純な混同でなく、何か一貫性があるらしいと言う感じがしてきて、さらに頭をひねるようになった。原子力発電、原子力の平和的利用、原子力病院、原子力文化などに見るように、「原子力」と言う用語は、概して、肯定的な意味を植えつけようとするのに使われる傾向があるようだ。(中略ー訳者)
(訳 柴野貞夫 2011年3月27日)
<参考>
関連資料(京大原子炉研究所の小出裕章さんの文を引用させてもらいます)
< 朝鮮をめぐる情報の不均衡>
小出裕章(京都大学原子炉実験所)
核開発と原子力開発
「Nuclear Weapon」は日本語では「核兵器」である。ところが、「Nuclear Power Plant」は日本語では「原子力発電所」となる。英語には「Nuclear」という単語しかないが、日本では「核」と訳す場合と、「原子力」と訳す場合の2つが使い分けられてきた。今、朝鮮が「核開発」をしていると報道されているが、英語で書くと「Nuclear Development」。米国と日本は朝鮮が「ウランを濃縮しようとしている、再処理をしてプルトニウムを取り出そうとしている、怪しからん国なので、経済制裁する」と言う。
ならば問う。日本には原子炉はないのか? ウラン濃縮はしていないのか? 再処理をしていないのか?
日本には現在52 基の原子力発電所が稼動中であるし、研究炉だって大小あわせて10 基を超える。その上、巨大な濃縮工場があるし、再処理工場も東海村で動いている。さらに今また青森県六ケ所村で巨大な再処理工場を作ろうとしている。
ところが、それらすべては「核開発」ではなく「原子力開発」なのだという。そして、「原子力開発は文明国にとって大変大切なものであって積極的に推進する。ウランは濃縮して原子力発電に使うし、再処理してプルトニウムを取り出し、原子力の燃料として利用する」と言い続けてきた。
では、なぜ、朝鮮は文明国になるために必要な「原子力開発=Nucleardevelopment」をしてはならないのか?
勿論、米国には巨大な濃縮工場もあれば巨大な再処理工場もある。勿論プルトニウムもあれば、膨大な核兵器だってある。自分の気にくわない国がやる場合には「核開発」というレッテルを貼って大変悪い国だと宣伝し、自分や自分の仲間がやるならいいことだというのである。日本のマスコミもそうした主張を流すだけで、彼我の不均衡を問おうとしない。
ロケットとミサイル
朝鮮は1993 年5 月「ノドン」と呼ばれる射程1300km のロケットを発射した。その後、1998 年8月には「テポドン1 号=白頭山1
号」(射程1500km)を打ち上げ、日本海、日本列島を飛び越えて太平洋にまで飛んだ。
朝鮮自身は「白頭山」は運搬用ロケットで人工衛星「光明星1 号」を軌道に乗せたと発表した。もちろん純粋技術的に言えば、それは弾道ミサイルにもなりうる。
しかし、ロケットを使って人工衛星を打ち上げることが悪いことなのか? 日本はすでにH2 ロケットをはじめ多くのロケット開発をしてきたし、いくつもの人口衛星を打ち上げている。いうまでもなく米国は無数の軍事用人工衛星を打ち上げ、無数の大陸間弾道ミサイルも持っている。しかし、米国はほんのわずのロケットを打ち上げた朝鮮を「ならず者国家」と呼び、それを理由にさらなる軍拡を進める。そして、日本はその腰巾着となって、朝鮮の脅威をあおる。兵器で金儲けをしている国はどこか?
また、朝鮮がイエメンにミサイルを売ったら、公海上で他国の船を「臨検」し、けしからん国だと言う。
では、軍事産業で金儲けしているのはどこの国なのか?最高の売り上げを誇る米国企業の売上高は180 億ドル、2兆円を超える。一つの国家をも越えるような軍需企業があり、20 傑のうち11 までは米国である。圧倒的な軍需企業を抱え、軍事で金儲けをしている国、すなわち「悪の枢軸」とは米国そのものである。
朝鮮の歴史と日本の責任
日本のマスコミなどは、米国発表をそのまま流すだけであるが、そもそも朝鮮に関する歴史の流れを理解していない。朝鮮は1910 年の日韓併合以来、日本の植民地支配の犠牲となり、創氏改名、朝鮮語の禁止、天皇の崇拝などを強制された。1945 年の日本の敗戦は、多くの朝鮮人にとっては大日本帝国からの解放と受け止められた。しかし、日本と米国との戦争は、悪逆非道の日本と正義の米国との戦争であったわけでは決してない。それは世界の覇権を狙う両帝国同士の争であり、圧倒的な力の差の下に米国が日本を完膚なきまでに打ち破った戦争であった。
しかし、米国は当時の共産主義との確執を前に、日本や朝鮮を東洋における共産主義の防波堤にしようとした。そのため、日本では天皇はその戦争責任を問われないまま温存されたし、朝鮮でも日本統治下の役人がそのまま政権に居座ることが許された。
そのため、本来であれば日本の植民地から解放され、晴れて独立を果たすはずであった朝鮮は、血を血で洗う内戦へと導かれて、南北に分断されたのであった。1948 年に大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国が相次いで独立を宣言し、1950 年6 月にはついに朝鮮戦争に突入。38 度線で膠着した戦争は、1953 年に停戦協定に至った。その後、すでに半世紀の時間が流れたが、朝鮮と米国の間では依然として停戦協定があるだけで、戦争状態が続いているのである。
その一方の当事者である米国は核兵器、生物兵器、化学兵器、大陸間弾道ミサイル、中距離ミサイル、巡航ミサイル、ありとあらゆる兵器を保有し、自らの気に入らなければ、国連を無視してでも、他国の政権転覆に乗り出す国である。そうした国を相手に戦争状態にある国が朝鮮であり、武力を放棄できないことなど当然であるし、核を放棄するなどと表明できないことも当然である。
ちなみに、日本はベトナム特需とともに、朝鮮特需をもって、戦後の経済を立て直したのである。そして今なお、米国につくのが国益だと、戦争を放棄したはずの憲法も無視して、弱いものいじめに荷担する。
(一部省略しています―柴野貞夫)
○原子力安全問題ゼミ、全レジュメ集 http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/seminar/100/NSRG_ZEMI.htm#No1
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