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 韓国ネットニュースPRESSIAN 国際ニュース2011519)
http://www.pressian.com/article/article.asp?article_num=70110517233004&Section=05



               ‘民族学校の受難史、3.11大地震その後
            地震被害を受けた仙台東北初中級学校



                                                     キム・ジヨン(写真家)


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11日、大地震がおそった日、仙台東北初中級学校も事態は深刻だった。地面が、前へ横へゆり動く3分間の揺れは、30分いや3時間以上になる様だった。教師達の机の前に壁が崩れ覆いかぶさり、学校のガラス窓は容赦なく壊れた。もともと古い建物なので被害は更に深刻だった。
学生は運動場に退避して、初等2,3年生達は1年生達をギュっと抱きかかえ恐怖に耐えた。学校の運動場もひどく亀裂が生まれ、二か月が一気に過ぎたがその亀裂は今も進行中だ。

地震で、建物のいたる所がひび割れている。亀裂が進行しており、建物は使用することが出来ない。(写真―キム・ジヨン)


今も復旧出来ない学校内部の姿。写真左の壁が職員室の方に崩れて倒れている。
(写真キム・ジヨン)

 
それでも、東北学校の事情は、まだましな方だ。宮城県民族学校は建物がひどく毀損し、全校生を他の学校へ送らなければならなかった。地震があった後、1カ月ぶりに授業が再開されながら、東北学校教師達は寄宿舎として使った建物を借り、学生達が授業を受けることが出来るように教室をつくった。
511日に開かれた東北初中級学校地震被害対策委員会は、今の学校敷地に再び学校を建てることを決定した。建物は大変古く、被害がひどかった。「この学校敷地に、以前の規模でなくとも、せめて子ども達が十分に活動できる建物をつくろう」というのが、父兄と民族学校を後援している人々の共通した意見だった。いつまでも、臨時教室で授業をする事も出来ない事情だった。
しかし、資金が問題だ。十匙一飯で集まる同胞の支援金はあるが、法外に不足する。しかし、どこか支援金を期待する状況でもない、欧州系や米国系の外国学校は日本の「学校教育法第1条」に準ずる待遇を受けているにもかかわらず、(朝鮮)民族学校は受けられない。そのうえ、民族学校に対する日本内部の雰囲気も友好的とは言い難い。父母たちも、入学させた当初の思いとは違ってきて、高学年になる頃から日本の学校に転学させる。日本の学校にはいれば、就職条件が良いという理由からだ。韓国でも、総連系民族教育を実施する学校として認識しており、かなり排他的だったのは事実だ。



古い学校建物。新しい建物を建てる事としたが、資金を準備するのに難しい状況だ。
 (写真キム・ジヨン)


寄宿舎を臨時に使っている教室は、まだら模様の絵が描かれていた。精神的衝撃から早く抜け出す事を願う、教師達の配慮だった。仙台東北初中級学校には、学生が26名、教師が12名いる。この学校の教師は、学生一人一人を自分の兄弟の様に、子供の様に面倒を見ていた。教師は、先祖のように植民地国家の国民として差別されない事を願い、自分達が経験した精神的植民状態で暮らさない事を願っていた。こんな願いと熱情が、今の民族学校を支えている源泉であるようだった。
地震被害を探ろうと思い、故国を忘れず遠い土地で過ごす一韓国人が、この民族学校を訪ねた。しかし、事情は目に見えるものがすべてではなかった。
我々の記憶から遠くなった、日本の民族学校をもう一度考えてみる時ではないか。今回の試練を契機として、我々の関心と思いやりが適うことを期待して、仙台民族学校で会った人と風景を写真に記録した。
△今△今日もひとり授業を聞く中3キム・リョンファは、南韓と北韓が二つに別れているのが、心が痛い。どこが、より良くて、悪いと言う考えはない。みんな同胞だと考える」と語った。
(写真キム・ジヨン)


昔は、学生数が800名を越える事もあった。しかし、次第に学生が減っていき、高学年になるほど日本の学校に転学する学生たちが多くなる。転学の理由は日本の学校を出ると、就職がよいことの為だ。東北学校でも、2009年から高等学校が廃校になり、茨城県にある民族高等学校に卒業生を送っている。
(写真キム・ジヨン)


わが言葉(母国語)を教えている民族学校教師(写真キム・ジヨン)



この学校の教師達は、学生一人一人を兄弟の様に、自分の子供の様に、面倒を見ていた。教師達は、この子供達が先祖の様に、植民地国家の国民として差別を受けないように願い、自分達が経験した精神的植民状態で暮らさない事を願っている。
(写真キム・ジヨン)

 

 民族学校は、母国語勉強教室として解放前にできている。日本の差別に対し闘うために、同胞達が民族性を教え、学ぶことが出来る教育を願ってつくった。現在の民族学校は、1956年から北韓が送ってきている教育支援金で建てられた。その為に、一般的には総連系民族教育を実施する学校として認識されている。南韓でも民族学校に対して、かなり排他的だった事は事実だ。しかし、3回の教育改革を経て、現在では同胞達が日本社会に適応するのに手助けとなる事が出来るように、教育方針を転換した。民族性、科学性、現実性を盛ったカリキュラムで、日本の学校の教育水準に比べ遜色がないように日本語と外国語の授業を強化し、実用性に重点を置いている。
                                            (
訳 柴野貞夫 2011528日)

 

<訳者解題>

以下は、311東北大震災で、日本人とともに甚大な被害を受けた、東北朝鮮初中級学校(仙台市太白区)を訪れた韓国人カメラマンの寄稿である。
建物全体が崩壊の危機にあり、1カ月ぶりに再開した授業は、寄宿舎の間借りだった。過酷な条件の中で授業を再開した東北朝鮮初中級学校にとって、それと同じくらい深刻な問題は、日本人と同様の被害を受けた在日朝鮮人子弟に対する宮城県の仕打ちだった。

宮城県は、331日、まだ震災被害を受けたばかりの朝鮮学校に対し、それまで継続してきた補助金(就学支援金)を、その被害復旧のために増額を配慮するどころか、「H23年度は交付せず」と通知してきたのだ。
理由は、東北朝鮮初中級学校は「文部科学省の認定基準に合致しない」と言うものであった。村井知事の今回の決定は、昨年11月5日の(ヨンピョン島事態を理由とする)菅首相の無償化手続きの政治的中断の手法を踏襲するものだ。これは日本人と同じ震災被害を受け、精神的苦痛を受けている在日朝鮮人子弟に対する、非人道的且つ過酷極まりない人種差別を助長する非人倫的行為と言わなければならない。村井が、「22年度分は人道的見地から交付した」と言うならば、23年度以降について、交付停止を主張するどんな理由があると言うのか。
すべての子供が持つ学習権を、外交的・政治的見解の相違から、在日朝鮮人子弟に限ってのみ蹂躙することは、人種的差別を助長する行為以外の何物でもない。朝鮮学校で自国の言葉を学習する権利を否定することは、日本帝国主義の植民地支配下での「朝鮮同化政策」(1939年の朝鮮語教育の禁止)とまったく変わらず、他民族侵略思想そのものではないのか。
特に今回の宮城県村井知事の行為には、関東大震災時の朝鮮人大虐殺が、日本人の社会的危機意識を国粋的民族主義による一体感で切り抜けようとする、国家と右翼的勢力の扇動によって生み出されたことを想起する脈絡が感じられる。
つまり、村井の行為は、日本人の一部に存在する「国難において、朝鮮人の学校に金を回す必要はない」とする国粋的排外意識を助長する役割を遂行しているのだ。今、彼等は大震災という「国難」に乗っかり、帝国主義日本の再編成の先兵になろうと「日本は一つ」と叫んでいる事を忘れてはならない。」

<参考サイト>

☆‘チョウセンジン’には、教育費の支援が勿体ないのか(韓国・ハンギョレ 2010年3月12日付)

 
☆排外主義を許さない5・30関西集会に1200名結集した


3・28 朝鮮学校への攻撃を許さない 円山集会」( 2010年3月29日)

3月5日、「高校教育無償化からの、朝鮮学校外しを許さない、京都同胞緊急集会」が開かれた


人種排外主義的暴力集団 「在特会」(在日外国人の特権を許さない会)による、12・4京都朝鮮第一初級学校への白昼テロルを糾弾する(2009年12月26日)