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(韓国民衆言論 チャムセサン 20111018日付)

http://www.newscham.net/news/view.php?board=news&nid=63583



           1%に立ち向かう99%の闘争は何処へいく


                                         キム・セギュン(ソウル大教授 政治学)


スペインのテント示威などに影響を受け、先月から米国ニューヨーク、リバティープラザ公園(チュコティ公園)で始められた‘1%に立ち向かう99%の闘争、占拠せよ運動が始められてから1か月目を迎えた1015日、世界80カ国の900余の都市で、この運動が同時多発的に繰り広げられた。この日、ソウルでもいろんな場所で集会と示威があった。この様に、この運動がひと月してから地球的連帯闘争に発展する事となった理由、この運動の意義は何処にあるのか。この運動は今後どの様に展開されるのだろうか。

●未曾有の、資本の過剰蓄積危機、そして大恐慌と戦争

今日、世界資本主義体制は、その前途を知るすべも無き、構造的大危機の泥沼の中に深々とはまり込んでいる。この危機は恐らく、米国のヘゲモニーの下で組織された、戦後世界資本主義体制の最終的危機として規定し得る。
2008年のリーマンブラザースの破産が触発させた世界金融危機が、この最終的危機の第1局面だとすれば、この金融危機を解決する為の国家介入が、米国とヨーロッパなどの地で、国家財政危機と言う新しい危機を呼び起こしている昨今の状況は、この危機の第2局面を表示する。国家財政危機は、国家介入によって一時的に鎮静された金融危機を、再度呼び起こさせているし、これは、再び世界経済を一層さらに、極端な危機状況へ追い立てている。
しかし、市場も国家も、失敗者として烙印を押したこの危機のどん底には、資本の途方もない過剰蓄積と言う、成立された特定形態の資本主義体制の死活に関わる問題が横たわっている。
過剰蓄積と言うのは、資本がもはやこれ以上、適合した投資場所を探すのが難しい程度に、産業の全部門に既に極めて多く過剰投資されており、またこの事態が低い利潤率によって、どれだけ売っても適合した利潤を生み出し難い状態に置かれている事を指し示す。
1980年代に入って、世界資本主義の運動を主導する、超国家的巨大資本の主たる資本蓄積方式が、産業的蓄積から金融的蓄積へ変化し、さらにこれを通して、世界資本主義体制が新自由主義的金融資本支配体制へ変貌したと言う事実は、産業部分のこんな過剰蓄積の危機から始まったのだ。金融的蓄積への依存は、しかし産業資本の過剰蓄積危機をもっと悪化させた。今日の状況は、その間の国家介入で甦った金融的蓄積が再び破綻に直面しているが、資本蓄積方式を、金融的蓄積から再び産業的蓄積に戻す能力を、世界資本主義運動を主導する米国の資本主義がこれ以上持つことが出来ない事によって特徴付けられる。この点で、この危機の資本主義的解決策は、大恐慌の勃発と大規模の戦争遂行以外にはない様だ。
しかし、大恐慌の勃発は資本自体も、大々的な廃棄と大規模な平価切り下げの被害を負わなければならない。全世界人民を、急速に資本主義打倒に追い立てる可能性を高める、資本にとっても、避ける事ができれば避けたい最悪のシナリオだ。しかし、市場も国家も失敗した状況で、遅くても早くても、大恐慌の勃発は不可避の様だ。実際に、我々は今日、世界資本主義が大恐慌の泥沼の中に、知らぬ間にはまり込んでいる姿を目撃している。
一方、いろんな国々が核武器を保有している為に、戦争の遂行は、戦争を勃発させた国自体も一瞬の間に灰の山にしてしまうかも知れない賭博だ。人類は今日、米国が、自国が置かれた資本の過剰蓄積危機の解消に寄与し得る、中国の様な大国を対象とする核戦争を引き起こすとしても、攻撃を受けた国が米国に報復を加える能力を持っている状態を、むしろ祝福しなければならない時代に生きていると考える。

●この時代は、大衆反乱/大衆革命の時代だ

新自由主義的、金融資本支配体制の樹立は、創出された富を未曾有の水準で、金融資本と大企業、また少数の不労所得層に集中させ、非正規職と失業層の急増、所得両極化と貧困の世界化などを持ち込んだ。
そして今日、金融危機と、これを引き継ぐ国家財政の危機に対する対応過程で、危機負担が更に大規模的に大衆に転嫁されている。‘2080の社会が、1対99の社会へ変わったと言う指摘は、こんな事態の進展を指し示す。これを背景として、大衆反乱/大衆革命の波が地球を襲い始めた。この時代は、資本の過剰蓄積の危機がその最終的爆発に向かっている時代であると同時に、大衆反乱/大衆革命の時代でもある。
昨年12月、或る若い露天商が焼身自殺した事が契機となったチュニジアのジャスミン革命が、大衆反乱/大衆革命の時代の門をこじ開けた。この革命が呼び起した中東・アフリカ革命は、今年2月のエジプト革命で、その暫定的頂点に到達した。
続いて大衆反乱の波はイスラエル、そして(中国と北韓に拡散される事を願った保守支配層の期待に逆らいながら)国家財政危機にはまり込んで行き始めたギリシャ、スペイン、英国など欧州諸国家と、チリ、カナダなどアメリカ大陸へ押し寄せ始めた。最終的に世界金融資本主義の心臓、ニューヨークのウォール街を襲った。ウォール街を占拠せよの示威は、大衆反乱/大衆革命が、第二の局面にさしかかった事を告げる。
第一局面が、世界資本主義の辺境から始まった反乱/革命が、中心部へ拡散されて行った事に依って特徴づけられれば、現在我々の目前に広がっている第二局面は、米国で始められた運動が欧州大陸と世界全域に拡散されている事によって特徴づけられる。
この運動は、新自由主義金融資本支配体制が、地球的水準で大衆に苦痛を加重させている状況の中で生まれた、ジャスミン革命の延長線上に成し遂げられている運動だ。
或る人々は、この時代の反乱/革命が、68革命(訳者注―1968年フランス。パリナンテール大の学生たちの反資本主義「322日運動」は、全世界の若者に広がった。)の延長線上にあると主張する。こんな見解は、若者層が運動を主導しており、自発的な大衆闘争が主軸を成すと言う点で、道理がない見解ではない。
しかし、68革命は、戦後世界資本主義の上昇期に生まれた革命であり、先進諸国に限定された反権威主義と言う性格を基本的に備えた。これとは異なり、この時代の反乱/革命は、資本主義の危機が、最終的破綻を眼前にしている時期に生まれており、世界資本主義の周辺部から発源した運動が中心部に向かい、中心部の運動が再び周辺部の反乱/革命を引き起こしている。さらに進んで(ひいては)、この時代の反乱/革命は、周辺部の反民主的政治体制下では、政治的民主主義の為の運動と重なっているが、何処でも、新自由主義反対と言う、社会経済的民主主義と実質的民主主義の争取のための反乱/革命と言う、共通点を持っている。

●占拠運動の特徴は

大衆反乱/大衆革命の第二局面を作り出している%に立ち向かう99%の闘争、占拠せよ運動は、どんな特徴を秘めているのか。
この運動の第一の特徴は、今日の世界人口の圧倒的多数を占めている、21世紀の新しいプロレタリア層と言うプレカリアート(precariat訳注、「不安定な」を意味する「プレカリオ」と「労働者階級」を意味する「プロレタリアート」との造語。非正規労働者の急増をはじめとする不安定な世界の労働者の無権利状態を示す言葉だ。),特にプレカリアートに属した若者層が運動を主導しており、新自由主義支配体制の被害を負っている社会各界各層のワーキングプアー達が、この運動に大挙合流していると言う点だ。プレカリアートとワーキングプアー達は、労働柔軟化と社会両極化を強制する、新自由主義的資本蓄積過程自体の直接的な産物だ。
二つ目に、プレカリアートが主軸を成し、ワーキングプアー達が合流しているこの占拠運動は、この間、自身が置かれた構造的圧迫を、個人の力ではもうこれ以上、打開して行く事が出来ない事を認知し始めた人々が開始した運動であり、広場での出会いと討論を通して、参加している人々全てが、互いに教え、互いに学びながら、全てが社会的に同じ運命に置かれている存在である事を、確認していく過程であると同時に、またこれに基盤を置き、社会的存在としての自分達が共感する闘争の課題を一緒に探し、一緒に闘争を組織する新しい形態の運動だ。
従って、この運動では、示威自体より、示威に先立って行われる広場での出会いと、参加者達の直接民主主義的討論が、一次的な重要性を持つ。この運動は、原子的個人達を社会的個人に、受動的存在を能動的存在に、絶望の沼にはまった弱い存在を、構造的な悪に対抗する数多いガイ・フォーカス(Guy Fawkes−訳注、16世紀スコットランドの反逆者)達に転換させる運動であり、共感を作り出す共同の力で構造的力に対抗する運動だ。プレカリアートとワーキングプアー達の自己主体化過程が、この運動の真情な核心だ。
三つ目に、今日、制度政党達は大部分何処ででも、下からの大衆の要求を受容することに、多くは限界を見せているし、社会党が執権しているギリシャの事例が典型的に見せてくれるように、左派政党さえ大部分、危機負担を大衆に転嫁させる資本の反動的試みの共謀者に転落している。

こんな情勢の中で、現時期の占拠運動は、政党や労組によって上から動員された大衆ではなく、そんな(資本の)狙いに憤怒し自発的に参加する大衆が主軸を成す運動として展開されている。
この運動では、大衆の自発的な、直接民主主義的な、非制度的実践が主たる動力を提供してやっているし、制度圏の政党や労組の様な既存の組織では組織しにくい大衆の参加が主軸を成しているのだ.だからこの運動は、代議制民主主義と制度政治の限界を乗り越える。
この運動は制度政治に影響を及ぼす中で、後で自身も定められた範囲で、制度的運動に転化させて行くが、主としては、制度化の容器に盛るにはその容器があまりに小さい大衆の切実な念願を、実現する為の非制度的闘争へ発展するほかはない。
従ってこの運動は、基本的に、広場民主主義、占拠民主主義を実現させる大衆自身の直接的な自己政治組織と言う事が出来る地域総会と地域評議会の建設の様な、自己組織化の道に進みながら、制度政治に圧迫を加える運動に発展して行く様に見える。
四つ目に、この様に占拠運動は、政治から疎外された大衆自身が、政治の主体に乗り出す、大衆の直接民主主義的な政治的実践だ。
しかし、こんな政治的実践の真の力は、それが平和的運動なのか?そうではないのか、合法的運動なのか?そうではないのかに有るのではなく、最大限平和的運動として展開するのだが、暴力に断固として立ち向かい、概して合法運動に始っても、必要ならいつでも法を越えて行く、威力的な誠実な(真実の)大衆政治運動へ発展することが出来るのかの、可否に懸っている。
運動が進められる過程で、この運動を合法運動の枠内に閉じ込めようとする試み等が生まれて、逆に、今年英国ロンドンの貧民街で起こった様な大衆暴動が、占拠運動を置き換える事態が生まれるかもしれない。
しかし合法運動のトリックに引っ掛かった運動は、体制に打撃を与えるには随分馴致された運動であり、暴動は絶望を希望に置き換えると言うよりは、絶望のあがきそのものだけだこれとは異なり、大衆の水平的出会いと直接民主主義的な討論を通して、大衆の感性的共感と集団的知恵が相乗作用するこの占拠運動の主たる運動形態は、法を越えていく平和的大衆運動に他ならない。支配層が、こんな運動を暴力的に弾圧すれば、これは大衆の憤怒を更に爆発させ、支配層が自身の支配を自ら縮めさせる結果となる事に寄与する事となるだろう。

●占拠運動は、どこえ

‘1%に立ち向かう99%の闘争,占拠せよ運動、この運動は基本的に資本の過剰蓄積危機の資本主義的打開策として成立されたが、今、その寿命を尽きつつある新自由主義的金融資本主義体制に対する大衆の反乱の性格を秘めている。
この運動は、上げ潮が押し寄せて引いたり、また押し寄せてくる方式で押し寄せる様に一時的に静かになる事もあるが、長期的に見れば、地域的にさらに拡散され周辺と外縁を持続的に広げていく運動として展開される外はない。言いかえれば、ウオール街占拠運動は終わっても、占拠運動自体は地球的に拡散されるだろうし、ある場所が終われば他の場所で受け継ぎ、受け継ぐ場所の運動が、また停止された所の運動を再活性化させる方向に展開するが、また同時多発的に一つの運動として結合する運動に展開されるに違いない。
人類の圧倒的多数が置かれた今日の現実が、この運動を一時的な運動として終わる事を認めず、占拠運動自体がこの現実に対する大衆の自己覚醒過程を大規模的に進捗させている為だ。
この運動に参加した大衆達が提出する諸要求は、各者各様だ。しかし、その要求に盛られた基本的な念願は(資本主義克服の要求に転化する潜在力を秘めた)新自由主義的金融資本支配体制からの解放だ。無論この運動が、指導者なき大衆の直接民主主義的運動であるから、現実変革的な適合したスローガンの下で、一糸乱れず展開する事は不可能だ。然しそんな形態の運動は、望ましいものではない。大衆は自ら、運動過程から自身の要求を、より普遍的諸要求にして行き、こんな普遍的諸要求を実現させる新しい政治的形態を、絶えることなく創出して行くだろう。
しかし、この運動が展開されている構造的脈略と、運動の主体の側面と関連させて見れば、大衆の諸要求は大きく見れば資本主義克服の指向性が盛られた新自由主義反対で収斂され、政治的には大衆に依る政治の直接的専有と直接民主主義を確定させる運動として発展していくものと予想される。左派政党の役割は、何よりもこの過程を積極的に支え促進させる事とならなければならない。
無論この運動が拡散されることによって、支配層がこの運動を眠らせる為に、譲歩策を講ずる可能性は無きにしも非ず、資本主義の危機を助けようとする諸勢力が、運動の急進化を防ぐ為の各種改革プログラムを積極提出することもあるだろう。
しかし、資本の過剰蓄積危機が作り出す大衆の命の危機が、深くなるまま深くなる状況の中で、より急進的な変革の為の飛び石となる事が出来る改革策ではなく、離反する大衆達を、体制に再統合する為に提示されるあらゆる諸改革は、び縫策の限界から抜け出る事は出来ない。おまけに支配層の主たる対応方式は、やはり譲歩策よりは反動的排除策を講ずる事とならざるを得ないし、これはまた、占拠運動の急進化を一層また急き立てる結果を持ってくるだろう。
現在の占拠運動は、広場占拠運動から更に進んで、工場占拠運動、職場占拠運動、最終的には権力占拠運動などへも、無限に発展して行く潜在力を秘めている。

●結論−天は自ら助ける者を助ける

我々が住む時代は、大衆が資本の攻勢に受動的に押し込まれるだけの状態にけりをつけ、資本運動が作り出す労働の危機を、占拠運動と言う新しい運動形態で突破し始めた時代だ。大衆の直接的な政治的進出が眩く成し遂げられる時代が開幕しているのだ。
大衆の直接的な政治的進出、これは大衆の受動化に基づいている代議政治と制度政治が、資本運動が大衆の命の危機を作り出している事態を防ぐことが出来ない事に対する大衆自身の峻厳な審判だ。また占拠運動は、我々に歴史を正しく発展させる事が出来る力は、究極的に大衆自身にある事を指し示す。
占拠運動は、我々に叫ぶ。広場に集まり共に討論し、共に闘いに立て!
韓国の労働者民衆は、すでに?燭示威と希望のバス運動などを通して、占拠運動を先駆的に実践して来たのではないか
選挙政治などに度を越して埋没されるな!
大衆政治を選挙政治に取り換え用とせずに、逆に選挙政治を大衆政治をもっと拡散させる契機にせよ。
占拠運動への参加は、我々が我々自身の運命の開拓者となる事を宣言する事だ。
天は、自ら助ける者を助ける。占拠せよ!99%が互いに会う為に、共感が作り出した連帯闘争を組織する為、構造的諸悪と戦う為に、権力関係を変化させる為に!
                                    (訳 柴野貞夫 20111022)


参考サイト>
☆ 122 市民団体ら“ギリシャ‘18日蜂起’に対する支持と連帯を(韓国・京郷新聞 2008年12月18日付)


☆ 121 ギリシャ‘700ユーロ時代’の挫折 (韓国・ハンギョレ21 2008年12月19日付 740号)


☆ 306 ギリシャに、更に強力な緊縮を要求する銀行 (英国・「ソーシャリストワーカー」掲載文−韓国・「タハムケ・レフト21」より転訳