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(韓国・<統一ニュースコム>  2012年1月3日付記事)
http://www.tongilnews.com/news/articleView.html?idxno=97170




小説と事実の境界で



<キム・ジョンイル国防委員長の死を巡った、南側言論に対する報道分析>



「○昨年キム・ジョンイル国防委員長死亡の便りを扱いながら、(韓国の)各種言論が見せた態度は、‘朝の食卓’を‘汚す’水準を越え、‘嘔吐’を誘発した事は自明だ。


○キム・ジョンイル国防委員長の死亡と、これを報道した我が国言論は、‘自分がすればロマンス、他人がすれば不倫’と言う利己的観点で北韓社会を見渡し、北韓報道を批判する態度が正しいのか、今こそ真摯に苦悶しなければならない。」(本文より)




チョ・ジョンフン記者


○“朝の食卓を汚さない”(報道する言論人の品位と使命)



<ニューヨークタイムス>の発行人であるアドルフ・オクスが言った言葉だ。これは、‘印刷する事に適合したニュース’だけを提供すると言う意味で、新聞の品位を強調する。そして、言論人の使命として位置付けて来た。それだから、今日の<ニューヨークタイムス>は、黄色言論(訳注-センセーショナル見出しと歪曲記事に頼るイエロージャーナリズム)の競争の中で、独歩的存在として今まで認められている。


この言葉は、北韓を素材とした我が言論に、必要な言葉として聞こえる。特に、昨年キム・ジョンイル国防委員長死亡の便りを扱いながら、各種言論が見せた態度は、‘朝の食卓’を‘汚す’水準を越え、‘嘔吐’を誘発した事は自明だ。


故キム・ジョンイル国防委員長の死亡記事を扱いながら、記者達は、うぶな推測とルーマー(訳注―デマ,捏造)を、事実の様に記事として書き出そうとした。“北韓関連の内容は、小説を書く事なのか、事実を持って覗き見る事なのか、どんな事か判らない”と言った、統一部の出入り記者の言葉の様に、事実、北韓を扱う記事は、事実に対する接近が容易くなく、小説書きの誘惑を受ける事となる。


しかし、誘惑にも耐えねばならないのが言論人の使命であれば、故キム・ジョンイル国防委員長の死亡を巡る我が言論の記事は、小説の極致を見せてくれた。


ここには、キム・ジョンイル国防委員長の死亡に対する言論達の、主要な小説式の記事を分析する。




○“汽車は動かなかった。死ぬ時に水をくれと言った”



19日、キム・ジョンイル国防委員長の死亡の便りが、北韓<朝鮮中央放送>を通して全世界に知られた。<朝鮮中央放送>はキム・ジョンイル国防委員長が“主体100年12月17日8時30分に、現地指導の旅程で、急変によって逝去された。”と明らかにした。


そして、後に続けて、‘キム・ジョンイル将軍の疾病と、逝去原因に対する医学的結論書’を通して“強盛国家建設の為の激しい強行軍の日々に積み重ねられた精神・肉体的過労によって、主体100年12月17日、駆ける野戦列車の中で重症急性心筋梗塞が発生し、激しい心臓性ショックが合併された”とし、死亡原因を公開した。


北韓に対する疑心の視線を一旦引っ込めてでも、特に北韓当局の立場をそのまま伝える北韓媒体の特性上、この報道は事実だと言う認識で出発しなければならない。

無論、記者の習性が、一旦‘事実’を疑って見ようと言うものだとしても、(南側媒体によっては)直接事実確認が不可能な、北韓当局が明らかにした内容と報道は‘事実’として認定しなければならない。


しかし、我が(南側)言論媒体は、政府情報機関も正しく確認出来ず、世界でも、ろくに把握出来なかったキム・ジョンイル国防委員長の急逝に、あらゆるルーマー(デマ、捏造)を注ぎ込み、疑心を量産した。

ここには、ウォン・セフン国情院(国家情報院)長の確認されない発言があった。


ウォン・セフン国情院長は、先月20日、国会情報委員会で“キム・ジョンイル国防委員長の特別列車が、16、17日の二日間、動かなかった”と発言した。


列車で死亡したと言う北韓発表に、疑惑を提供したのだ。


ここに、問題が始まった。言論媒体は一斉に、北韓の発表の事実を黙殺し、(キム・ジョンイル国防委員長の)死自体も分らなかった、北アナウンサーの喪服を身につけた姿から初めて認知した情報機関が‘列車は動かなかった’と言う発言を‘事実’として報道し始めた。


<朝鮮日報>(訳注-韓国四大新聞の一つ)は、先月21日付で、‘夜行性の心臓疾患のキム・ジョンイル、零下12度の朝に列車に乗った?’と言う題目で、‘キム・ジョンイル死亡のミステリー’を提起した。


(朝鮮日報>は、“キム・ジョンイルは、主として夜に活動し、昼12時頃に起きる‘夜行性’で有名だ。そんな彼が、零下12度の朝に列車に乗り、移動中だったと言う北韓の発表は、何か釈然としないと言う観測が出る”とし、推測性の報道をした。


その上、“北韓媒体が報道したキム・ジョンイルの最後の動線は、さる15日、ピョンヤン大型マーケットだった。以後列車に乗りピョンヤンを出なかったら、キム・ジョンイルはピョンヤンの官邸か、執務室などで休息したものと見える。キム・ジョンイルは、この月だけで、公開活動を9回もした為に疲労が重なったもの”とし、野戦列車ではなく自宅死亡説を流布した。


この様に、“北韓はどうして?”と、キム・ジョンイル国防委員長の死に疑惑を提起し、北韓の発表を否認した。


死んだと言うイエスが、三日ぶりに復活した事を信じる事が出来なかったトマスに、イエスが直接現れ、手のひらと脇腹に手を入れて見なさいと言う。そうしてはじめて、トマスはイエスの復活を信じたと言う聖書の内容が浮かぶ場面だ。


パク・チョンヒ(朴正熙)前大統領の死亡について、米国背後説が流れる時‘韓米同盟の離間’だと興奮した言論の姿と、直接見る事が出来なかったキム・ジョンイル委員長の死亡当時に疑惑を提起する姿が、オーバーラップされる。


去る21日、<SBS>は、‘北韓学博士’のタイトルを押し立て専門家である事を自慢した内の、某記者の口を通して、“我が情報当局が把握したところでは、キム委員長が死亡した当日、キム委員長の列車は動かなかったものと把握されたと言う。”とし、“北韓発表とは、少し違うくだり”だとし、疑問を提起した。


彼は、“キム委員長が人民達の為に、この寒い天気の中、昼夜を分かたず仕事をする途中で死んだと言うイメージを強調したかった様だ”とする推理小説を書いたのだ。


ところで、某記者は末尾に、“キム委員長の特別列車と似た格好の列車が幾つかあったと言う。キム委員長が動く時も同じように動く場合が多いと言います。”と語ってしまった。


これは、キム委員長が死を迎えた列車が、どれなのか知ることが出来ないし、他の列車は動かなかったかも知れないと言う、又他の推測をする事になった。即ち、数々の台(列車)の内、一台は動いたし、残りは動かない、結局、動いた列車の中で死亡したと言う結論になるのだ。


(この)キム委員長の死亡小説は、日本の言論に書き留められながらクライマックスに達した。


22日、日本の<TV朝日>は“キム・ジョンイル国防委員長が、列車でなくピョンヤン郊外の別荘で息を引き取った。”と報道した。キム委員長が17日明け方、一時頃、ピョンヤンから40㌔メーター離れた別荘の執務室で意識不明の状態で発見され、死ぬ直前、警護員に‘水をください’と言う最後の言葉を残したと言うのだ。



列車の動きはおろか、キム・ジョンイル委員長の死さえ把握出来なかった情報当局も知る事が出来ない内容を、日本言論は‘北、中国に明るい消息通’を引用し、事実かの様に報道した。


‘消息通’と言う言葉で分かる様に、これは不正確な内容である可能性が高い。これは、‘諜報’を‘情報’として認定する低い水準の言論態度(姿勢)を示すものだ。


‘情報’は、数多い ‘諜報’を収集し、共通関数が形成されることで、これを‘事実’と認定することが出来る。しかし、‘消息通’が語った内容がただ一つの‘諜報’である場合には、採択する事は出来ない。

しかし、キム委員長の死亡と関連、言論は唯一つの‘諜報’を、‘情報’として既定事実化した。


‘説’を‘事実’にしたのだ。


そこに<SBS>は、ただ一つ、このままに報道した。一旦疑って見ようと言う記者の目は、キム・ジョンイル委員長の死にのみ当てはまるだけで、日本の言論の内容を事実の様に報道、混乱を加重させた。


朝の食卓に、‘キム・ジョンイル委員長死亡’の記事は、品位ある事実として上がって来るのでなく、‘推測’と‘ルーマー(デマ、捏造)’として使い尽くされた‘疑わしい(臭い)’報道だけが席を占めた訳だ。




○“若い女性は、キム・ジョンウン夫人なのか、キム・ヨジョンなのか”



キム・ジョンイル委員長の死に対する報道が、興味を失っているのか、今は、北韓TVに映った一人の女性にあらゆる言論が集中した。


<朝鮮中央TV>が公開した弔問映像で、キム・ジョンウン中央軍委副委員長の後ろに立っていた女性について、言論はキム・ジョンウンの夫人だとし、一斉に推測性の報道をした。


先月22日、<SBS>は“一人の若い女性が、参拝隊列の中央に立った。この女性は参拝を終わった後、キム・ジョンウンの直ぐ後で、弔問客を迎えます。”とし、“この程度の位置に立つ女性であれば、キム・ジョンウンの夫人である可能性が高いのです。”と報道した。


そうしながら、専門家の言葉を借り、“キム・ジョンウンの妹、キム・ヨジョンと言う観測もあるが、キム・ジョンウンの兄妹達が一人も見えない点を勘案すれば、可能性は高くないと見えます”とし、若い女性をキム・ジョンウン副委員長の夫人と目星をつけた。


しかし、この様な推測は、一日もせず、キム・副委員長の妹であるキム・ヨジョンと 明らかになった。

それも、日本の料理人と魔術師によって。そして1994年キム・イルソン主席死亡当時、キム・ジョンイル委員長の妹であるキム・ギョンヒ党軽工業部長が、横にいた事例と同じだとし、しっぽを降ろした。


我が国言論の長い慣行、‘するしかない’式報道の、極致を見せてくれたのだ。


しかし、北の媒体に映った若い女性の正体を明らかにする事は、絶える事がない。


29日付<ヨンハップ(連合)ニュース>は、キム・ジョンイル国防委員長の告別式の場面に言及、“或る若い女性の姿が目につく。キム・ジョンウンの叔母であるキム・ギョンヒ労働党部長やキム・ジョンウンの妹のキム・ヨジョンではない。映像に、ちらちらと現れたこの女性は、チャン・ソンテク労働党行政部長とキム・ヨジョンの前を、何の躊躇いもなく過ぎて行きます”と報道した。


このとき、北韓専門家達を引用し“この女性が、キム副委員長の夫人である可能性が高いと分析しました。チャン・ソンテクと最高指導者の妹を、気兼ねせずに、その前を自然に通り過ぎたと言う点の為”だと理由を挙げた。


そして、夫人でなければ、キム委員長と二番目の夫人であるキム・ヨンスクの間で生まれたキム・ソルソンや、キム・チュンソン、キム・副委員長の技術書記である可能性があると言及した。


‘20代に見えるこの女性は、すらりとした背丈に、洗練されたヘアースタイルをしており、キム・ギョンヒ、キム・ヨジョンと同じように黒い喪服を着ている’と言う表現で、妙齢の女性に対する好奇心を濾過なく報道した。該当人物に対する正確な内容は判明しなかったが、この同じ様な<やるしかない>式となる後続の報道が嘆かわしい。




○“あの様に、人民が泣くのは動員されたもの”(なのか?)



(韓国言論媒体の)キム・ジョンイル国防委員長の死亡を扱った記事は、1994年キム・イルソン主席の死亡当時のものと、内容はほぼ同じだ。特に、北韓の哀悼の人波を扱った記事がそうだ。


我が言論らは、‘動員’‘洗脳’と言う用語を、はばかる事無く使い、心から溢れ出たものではない<泣き>であり、<嗚咽>だと表現した。



23日付<ムナイルボ(文化日報)>の時論には、“キム・ジョンイルの急死の事実が、二日たった後の去る19日発表されるや、ピョンヤン住民の相当数、甚だしくは初等・中学生と見られる子供たちまで、寒さの中、街に群れとなって繰り出し、地面に伏せて慟哭する現象も洗脳が原因だ。キム・ジョンイルの偶像化に洗脳されなかったら、住民達は生活の極端な疲弊を招来して、数百万名を飢え死にさせた張本人の死亡に歓呼しただろう”とし、‘惻隠の情’を見せた。


同じ日、<ヨンハップニュース(連合通信)>も、<朝鮮中央TV>の幼稚園生の涙を見せて、“北韓が過去にもキム・イルソンとキム・ジョンイルの偶像化作業に、幼稚園生と老人達を動員して来た点を推し量る時、今回にも相当数子供が追慕行事に動員された事と見える。”と書いた。



しかし、パク・チョンヒ(朴正熙)前大統領、ユク・ヨンス(陸英修)女史の葬禮の雰囲気を書いた内容を、すぐ立ち返って見れば、北韓の報道も我々の報道も、さして(別段)差がない事を発見することが出来る。



“端麗な故人の気品の様に、空は塵一つなく晴れて、高く青かった。青瓦台の前庭で、白木蓮の葉っぱが風にゆらゆら動く朝、大統領の令夫人、ユク・ヨンス(陸英修)女史は、平素あんなに楽しんだ菊の花にうずもれて、十年余親しくしたプッカンサン(北漢山)の麓を無言で去った。故人が最後に、幽宅(墓)に向かい、遠路に旅立つソウルの街角また街角。(涙に)濡れた目に、菊の花の柩を見守るその多くの人々の悲しみの顔々。中央庁の前庭で、セジョンロ(世宗路)の交差点で、ナムデムン(南大門)の曲がり角で、そして故人が永遠に埋められる国立墓地の周囲に、白い衣服と黒い喪章の身なりの一百万を遙かに越える市民達が、眼がしらを濡らしていた。”<東亜日報、1974年8月19日付>



“不屈の民族指導者が無言で逝かれる日。天空もご存じか、この日の悲しみを。三千七百万のこの国の民族が、永眠した羊飼いを永遠の国に送る日の悲しみを。太陽さえ雲に隠れ、光を失うのか、灰色の光で空は重く沈んだ。(中略)。幼い孫娘。孫と朝早く出た70を越えるお爺さん、お婆さん達は、‘私の様な年寄りが、先に逝かなければならないのに、どうして先に逝かれたのですか?’と言いながら地面を叩き慟哭した”<毎日経済、1979年11月3日付>



“悲しみに沈んでいる人民軍軍人達、将軍の愛の中で、幸福を受けた人生を享受してきた忘れる事が出来ない日々を顧みる老博士達、涙が出ている青少年学生達(中略)霊柩車の行列が沿道に入ってくるや、悲痛な哭声が天地を震撼した。ポトン江百貨店の労働者、チョ・ソルギョン氏は‘また一人の偉大な親を亡くして見ると、我々がどれ程偉大な首領を大事にし、生きて来たかを痛感する。’”<朝鮮中央通信、2011年12月28日付>



北韓の報道に(対し)、美しくない視線を持っての‘洗脳’、‘動員’と言う推測は、三つの記事を比較すれば<有口無言>(弁解の余地がない程、根拠がない)だ。

表現の深さが違うだけで、我々の記事も、数多い美辞麗句を使って指導者の死を哀悼した。そして北韓も、自分たちの指導者を失った悲しみを全く同じ方法で哀悼した。


この様な報道について、‘洗脳’,‘動員’だと言う事が出来るのか?


キム・ジョンイル国防委員長の死亡と、これを報道した我が国言論は、‘自分がすればロマンス、他人がすれば不倫’と言う利己的観点で北韓社会を見渡し、北韓報道を批判する態度が正しいのか、今こそ真摯に苦悶しなければならない。




(訳 柴野貞夫 2012年1月14日)