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(韓国 統一ニュースコム 2012年2月22日)

http://www.tongilnews.com/news/articleView.html?idxno=97664



パク・チョンヒ(朴正煕)記念館は、犯罪の再構成の現場だ



「この独裁者の娘パク・クンヘ(朴槿恵)は、執権与党の最高実力者であり、大統領候補として取り上げられる公認の身分であるのに、父親の親日と独裁の所業を贖罪する代わりに、その業績を褒めたたえる事に、先頭に立つ事に対し、憂慮と憤怒を禁じ得ない。」(本文より)




パク・ハンヨン(民族問題研究所 研究室長)




遂に、21世紀の歴史への反逆が始まった。それも、1972年の恐怖の維新独裁が、40年ぶりにパク・チョンヒと言う親日独裁の亡霊となって墓から復活している。パク・チョンヒ(朴正煕)記念図書館が、即ちそれだ。

断言するが、世の中がひっくり返り、天が二つになってしまっても、決して、パク・チョンヒ(朴正煕)は記念する対象ではない。


   

▲“パク・チョンヒ(朴正煕)君が、血書で志願した”と言う「満州新聞」1939年3月31日付報道 [資料写真―民族問題研究所]


パク・チョンヒが誰なのか。彼は‘天皇’の為に、“命を投げ打って天皇に奉じ、忠誠する”と言う血書を書き、教師職も投げ出し、自ら進んで満州軍官学校に入学し、日本の陸士(士官学校)を経て、抗日武装勢力を弾圧する為に先頭に立った、「高木正雄」、‘最後の日本帝国軍人’だった。あらゆる朝鮮人達が解放を迎えたが、彼だけは<敗戦>を迎えたのだ。日帝が敗亡する事で、彼は全てのものを失ってしまった。


それだけが、日帝植民地時期のパク・チョンヒ(朴正煕)の人生の実態だった。

天皇の為に、命まで捧げると言った彼が、日本が敗亡してから自決をしていない事が、むしろ驚くばかりである。

パク・チョンヒ(朴正煕)は、天皇制ファシズムの頂点にいた日王昭和(昭和天皇)の息子だ。

彼が宣布した<10月維新>さえ、日本の明治維新の近代化モデルと、1930年代、日本軍国主義が掲げた軍国主義の理念である<昭和維新>の片割れ型バージョンに過ぎない。


パク・チョンヒ(朴正煕)は、民族反逆者であるだけではなく、民主主義の敵だ。

4.1民衆革命の花を軍靴で踏みにじり、この地に18年、軍部独裁の水を汲む張本人だ。甚だしくは、南北統一を準備すると言う名目で維新体制を宣布し、終身独裁を夢見た。個人の出世の為なら祖国と民族、そして思想と良心さえ投げ出し変身を繰り返した者が、即ちパク・チョンヒだった。そのため、大韓民国の国民であれば、誰もが大統領になる事が出来るが、パク・チョンヒ(朴正煕)だけは、断じて大統領になるのは駄目だと、或る独立運動家は絶叫した。


パク・チョンヒ(朴正煕)が歩んで来た人生が、この様に明らかに否定的である為に、彼の追従者さえ、パク・チョンヒ(朴正煕)の功労として挙げるのはもっぱら一つ、経済成長だった。


しかし、パク・チョンヒ(朴正煕)式経済成長の元手(資金)として打ち出す対日請求権資金は、日本帝国主義が、我が民族に対する勝手気ままな数多い犯罪の事実を、僅か数文の金を貰う代価に、目をつぶってしまったものに他ならない。その上、韓日協定の前後、不法な黒い金の闇取引が出来上がったと言う米中央情報部の衝撃的な報告書も公開された。

日帝の植民地から解放され、独立国家として新たに条約を結びながら、この何たる出まかせな話であるか!この米情報部報告書の真実も、明らかにしなければならないだろう。


   

▲ソウル、マポク(麻浦区)サンアムドン(上岩洞)山26番地に構えた‘パク・チョンヒ(朴正煕)記念図書館’[資料写真―トギルニュース]



見てくれの良い‘高度成長の金字塔’の下には、‘ベトナム戦争’で無意味に死んで行ったり、今も枯葉剤の後遺症に苦しめられる数万名のベトナム参戦軍人の悲劇と、ベトナム民衆の恨みが浸みこんでいる。


パク・チョンヒ(朴正煕)が翻した、祖国近代化の荒唐無稽な旗印は、低賃金と長時間重労働に抗議するも、無残に踏みにじられた労働者達の血によって染められている。セマウル運動の歌が高く響き亘るなかで、莫大な借金に抑圧された農民達は、愛する故郷を後にしなければならなかったし、派手な都市の日陰で、数百万都市貧民の慟哭が溢れ流れたのが、パク・チョンヒ(朴正煕)時代だった。


祖国近代化のために長期執権が不可避だったと? 妄言も、ちょっとやそっとではない。多くの独裁者達が長期執権の為に押し立てる常套語が、即ち“国家と民族の為に”、“祖国の近代化の為に”ではなかったか?そうしては、好き放題に憲法を改め、軍隊と警察、そして情報組織を通じて、血ぬられた長期政権を企んだ。そして例外なく、国民に追い出されたり、殺された事実を想起せよ。パク・チョンヒもまた、ここから逃れられない。パク・チョンヒの所謂(いわゆる)近代化は、‘血の近代化’だった。今後も先進化をすると言えば、長期執権を容認することが出来ると言う話なのか?


パク・チョンヒ時代には、五賊[訳注―1905年ウルサ(乙巳)条約で、日帝に協力した박제순(朴齊純), 이지용(李址鎔), 이근택(李根澤), 이완용(李完用), 권중현(權重顯) を指す]と、トッゴムル(おこぼれ)で表現される不正・腐敗が、より巨大な規模として我が社会に構造的に席を占めた。


固執的な政・経癒着、属閥経営、貧しい者は益々貧しく、富める者は益々富む慢性的な外債経済は、パク・チョンヒが主調した歪曲された経済構造の核心であり、今日、我々が経験している経済危機の真の原因だ。その上、パク・チョンヒと彼の追従者達は、安保と経済成長の為には、人間のあらゆる価値が留保される事が出来ると主張し、人間をもっぱらパンだけで生きる動物的存在と看做してしまった。


パク・チョンヒが、民主化を毀損させたが経済成長の功労は認めなければならないと言う主張は、経済成長の為には人間のあらゆる価値を犠牲にしても良いと言う転倒された価値観に相違ない。

こんな反人間主義の理念を、21世紀の韓国社会の価値観として継承、普及するというのは、気がふれないではどうして可能なのか!


   



▲パク・チョンヒ記念図書館が開館した21日、歴史正義実践連帯が主催した‘パク・チョンヒ記念図書館開館、即時中断記者会見’が、パク・チョンヒ記念図書館前で開かれた[資料写真―トギルニュース]



パク・チョンヒが執権した時代は、民族と反民族、民主化と独裁、そして統一と反統一と言う、決して和解出来ない二つの価値観が闘争した時代だった。この光と影の闘争で、パク・チョンヒは、いつも反民族に、独裁に、そして反統一の化神として君臨した。そして、この暗黒の支配の下、数多い親日の残滓とファッショ勢力が欺瞞的な‘祖国近代化の旗手’に、時には‘パク・チョンヒ信徒’として自負しながら、蝙蝠の命を維持することが出来た。


糺して見れば、‘パク・チョンヒ記念事業’は、パク・チョンヒの時期、彼の‘共犯’達とパク・チョンヒが残しておいた、政府当局のシステムに癒着した勢力、そして支持基盤を広げようとする現執権層の権力欲、そして‘骨の髄まで親日と、親米に染み込んだ’イ・ミョンパク大統領の恣意的(勝手気まま)な歴史の解釈が凝固し、進行される醜悪な権力遊びに過ぎない。


パク・チョンヒ執権期、構築された権力集団が、自身の既得権を21世紀まで延長し正当化しようと、国民を相手に勝手気ままにする巨大な犯罪の再構成の現場が即ち‘パク・チョンヒ記念図書館’だ。


その上、この記念館が作られれば、記念館側は教育の現場として活用すると言う。我々の子女達が見ても、親日と独裁を堂々と記念するこの時代の歴史犯罪に対し何と思うのか、とても顔を向けられない。                                                                                          


パク・チョンヒ記念図書館を許す事は、我々が、未来世代に対する予備犯罪さえ幇助することになるに相違ない。


さらに、この独裁者の娘が[訳注・かっての軍政与党の流れを引く‘ハンナラ党’を改め、‘セヌリ党’と改称した現政権与党の、次期大統領候補・パク・クンヘ(朴槿恵)を指す]執権与党の最高実力者であり、大統領候補として取り上げられる公認の身分であるのに、父親の親日と独裁の所業を贖罪する代わりに、その業績を褒めたたえる事に、先頭に立つ事に対し、憂慮と憤怒を禁じ得ない。


セヌリ(訳注・新しい世の中-の意)党と言う党名が、ホンヌリ党(訳注・古い世の中-の意)に行く、この歴史の反動を傍観することは出来ない。


真実が沈黙する時、偽りが長靴を履いてやって来た村を歩き回ったと言った。


今、偽りの歴史を根絶やしし、真実と正義の歴史を掲げる事に立たなければならない。


そうだ、今はパク・チョンヒ記念事業でなく、パク・チョンヒ清算事業が始められる時だ。




(訳 柴野貞夫 2,012年2月25日)



参考サイト


☆ 77 イ・スンマン(李承晩)大統領の銅像建立の主張は、国民と歴史に対する冒涜行為である ( 韓国・チャムセサン 2008年3月19日付け 


☆ 23 1987年6月抗争の理想は実現されたか?(韓国・ハンギョレ21 2007.6.8)


②  全斗換(第五共和制)から、87年6月民主化抗争まで

①  戦後、韓国の政治史(李承晩から朴正煕暗殺まで 1945~1979)