(韓国ネットニュース・PRESSIAN-世界ニュース 2012年3月2日付 )
http://www.pressian.com/article/article.asp?article_num=40120302113256&Section=05
キム・ジョンウンの、最初の対米外交が示すもの
‘議題集中’が引き立つ、北―米合意
[チャン・ソンミン 世界と東北アジア平和ホーラム代表]
キム・ジョンイル国防委員長が死亡してから二か月ぶりに、体制安定化の試練に直面したキム・ジョンウン外交の対象国は、やはり中国ではなく米国だった。
北韓は29日夜、朝鮮中央通信を通して、3次北・米対話(23~24日中国―北京)の結果に基づいた北―米合意内容を、北韓外務省代弁人(スポークスマン)声明を引用し次の様に発表した。
“我々は米国の要請に従い、朝
米高位級会談に肯定的な雰囲気を維持する為、結実(実り)ある会談が進められる期間、核実験と長距離ミサイル発射、ヨンピョン・ウラニューム濃縮活動を臨時(一時)停止し、濃縮活動の臨時(一時)中止に対する国際原子力機構の監視を許容する事とした。” 米国は“北韓に24万トンの栄養食品提供し、追加的な食料支援を実現する為努力する事にしたし、この為の行政実務的措置などを即時取る事とした。”
北韓はまた、“米国は、朝鮮をこれ以上敵対視せずに、自主権尊重と平等精神で双務(二国)関係を改善する準備がされていると再確認された。”と明らかにした。米国務部は“栄養食品24万トン支援、栄養食品伝達(提供)過程で監視活動の強化、追加支援論議、文化
教育 体育など、人的交流拡大措置の意思表明、2005年9月の共同声明(訳注―第4回6カ国協議での‘9.19共同声明’を言う)履行再確認、1953年休戦協定を韓半島の平和と安全の礎石として認定 ”したと発表した。
しかし、北―米両国が同時発表した合意内容に、北側と米国は、それぞれ自国の外交的実利と協議(交渉)の主導権を取る内容は強調したが、自国に不利な外交的問題(論点)に対しては、互いに言及を見逃し(避け)たり、抑制(自制)した。この点に関連して、北韓は“六者会談が再開されれば、我々に対する制裁解除と軽水炉提供問題を優先的に論議する事となるだろう”と明らかにしたが、米国務部(省)はこれを言及しなかった。
一方、米国務部(省)は、ヨンピョンの5MW原子炉と関連施設の不能化も、合意内容として言及したと強調したのであり、栄養食品の提供と関連しては、“強化された分配モニターをする事にした”と明らかにした。
以上の北―米合意内容を見ると、一番目に、今後のキム・ジョンウン体制の北―米関係が何処へ行くのか、二番目に、オバマ行政府の対北政策の風向きはどの様に吹くのか、三番目に、凍てつくような南北関係の水面下でも、北米関係はどれほど緻密な対話を持続して来たのかを知る様になる。
まず、大きな枠組みで見ようとすれば、今回の北―米合意が成し遂げた電撃的な背景には、北―米相互間の切迫した必要性に対する、緊急措置性が引き立つ。議題(案件)集中に対する、戦略的選択の産物と言う側面が強く見えると言う事だ。10万名を越える脱北者を続出させたキム・ジョンウン体制としては、内部体制安定化が急務だったし、二期大統領当選を目標としたオバマ行政府には、北韓核問題解決が急務だった。キム・ジョンウン体制安定化のためには食料が必要であったし、オバマ大統領の再選の為には、北核状況の悪化を防ぐ事が優先だったのであり、その核心は即ちウラニューム濃縮プログラムの中断だった。
しかし、北―米両国の合意内容中、北側が発表した内容文の行間を詳しく調べて見ると、今回の北―米両国合意文がどれほど暫定的な合意であるかを容易く知る事が出来る。北側は今回の会談が自分たちの要請でしたものでなく、何処までも米国の要請によって行った会談と言う点を公開した。この部分は今後、キム・ジョンウン体制の対米外交路線と立場が、相変わらず主体哲学の大原則を離脱していない点を強調している点で、キム・ジョンウン主体外交の象徴性を表わしているものとして分析される。そして北―米会談の必要性に対しても、北韓よりは米国が、もっと切実に近づいて来たと言う点を公表したもので、これは今後、北―米会談の進行を観察し、分析するのに重要な参考となり得るものと分析される。
北側の立場から見れば、今回の北―米会談は、米国がもっと積極的だったと言うものだ。これは言い換えれば、北側の発表文に載っている様に、“実りある会談が進行される期間”、或いは“濃縮活動を一時中止し”、“追加的な食料支援を実現”、“行政実務的措置などを即時とる事に”、“米国は朝鮮をこれ以上、敵対視せず”、“自主権尊重と平等精神で双務関係を改善”の様な諸事項を、米国が充足させない場合には何時でも、今回の合意内容が壊れる事があることを,示唆したと言う点で注目される。
しかし、キム・ジョンウン体制の立場でも、強盛大国進入元年と宣言した4.15太陽節(キム・イルソン主席100周年誕生日)を控えて、自らの統治力強化の為の大規模の食料が必要だったし、国際外交舞台の進出の為には北-米関係の正常化努力が必要であったのであり、周辺情勢の安定を要求している対中外交の安定化が同時に必要だった。しかし今回、北―米合意が、一時性と、米国の対北食料支援の手続きと履行様式によっては、幾らでも、霧散される可能性が高いにも拘わらず、今回の合意事項が北-米全てに、外交的勝利をもたらしたWIN-WINゲームだったと言う点は否認するのは難しい。
その理由は、一つ目に、合意文の内容の発表にあって、北―米が同時的に、タイムを通して行ったと言う点は、外交的儀式から国家対国家の相互性を互いに尊重し、理解するのに、北―米両国が合意したと言う点を意味する。二つ目に、北―米両国間に合意の到達が難しい異見部分では、互いの立場を減らし、容易く合意することが出来る共同の部分に対しては、両国の立場を増やし、所謂、異中求同の対話外交が本格化されたと言う点だ。
三つ目に、米国の強圧外交と北韓の先軍外交的対決のマインドが各段に緩和された反面、互いの必要を充足する為には譲歩を通じた対話-妥協―合意と言う、見るに稀な好循環的外交カードが作動したと言う点だ。
これはキム・ジヨンウン体制の、対米外交の最初の接近方式自体が、北―米直接チャンネルを通した対話指向的であって、実用的であり、米国の態度と努力の程度によっては幾らでも、北韓の大量殺傷武器までも、話し合いを通して解決される事が出来る問題だと言う外交的人参を、米国側に披露したと言う点で、極めて深い意味があるものと分析される。
最後に、北韓は2005年9月、共同声明履行を再確認し、1953年の休戦協定を、韓半島の平和と安全の礎石として認定すると明らかにする事で、韓国政府の対北政策によっては、南北対話を通した新しい平和協議を始める事が出来ると言う点も、暗示して見せている。北韓のキム・ジョンウンは、今回の三次北―米会談の合意を通して、最初に、強盛大国の大門を開く為の内部体制安定化を図り、二番目に、今回の会談を踏み石として、米国の対北敵対政策を放棄させて、対北制裁を解除させ、三番目に民需用核エネルギーの利用権を確保して進むと言う長期的布石まで、おいているものと見える。
しかし、この様な北韓の構想が韓半島の非核化水準として展開されるのかの当否は、未だ即断する事は早い。それは全的に、現イ・ミョンパク政府の対北政策の変更の可能性と六者会談の再開の当否、そして米国の対北軽水炉提供問題と対北制裁解除問題に対する米国の政策態度がどの様に展開されるのかを、少しもっと見守った後に判断することが出来る問題である為だ。
今回の 第三次北―米会談を通して探って見たキム・ジョンウン外交の特徴は、ひとまず、対米対話外交に焦点が合わせられたと言う点だ。
我が(イ・ミョンパク)政府は、今回の第三次北―米会談の結果を見ながら、キム・ジョンウン副委員長が核問題解決の為の北―米対話意思のメッセイジを、何故、六者会談の主催国であると同時に、<脣亡歯寒>の国交関係を結んでいる中国側を通して米国に間接伝達せず、より直線コースである北―米直接対話の場を通し、談判したのかと言う点を、よくよく考えなければならない。だから、キム・ジョンウン体制外交の意中を正確に見抜いて、キム・ジョンウン体制の対話外交を積極活用し、韓半島非核化を通した、韓半島の平和と安全のための新しいロードマップを作っていく事を、強力に勧めたい。
(訳 柴野貞夫 2012年3月9日)
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