民衆闘争報道 「 6・17大飯原発再稼働に抗議する県民大会 」 (2012年6月17日)
○全国から、野田内閣の大飯原発再稼働に抗議する2500人余が結集
○大飯原発3,4号基の再稼働を、福井県民は認めていない!!
○“西川一誠知事は、関電と結託し、県民の意向を聞く一切の手続きも拒否した”と県民は抗議した
△写真 6月17日 福井市中央公園に全国から2500名が抗議の声を上げた
(出処―以下すべての写真、柴野貞夫時事問題研究会)
全国から2500名が結集
6月17日,福井市中央公園で、「いのちが大事!今なぜ再稼働?福井でつながろう」集会が開かれた。野田政府の大飯原発再稼働に抗議する緊急の呼びかけにも拘らず、県内外から2500余名が、大飯原発再稼働の政府決定に怒りを持って結集した。
大会は、「原発問題住民運動福井県連絡会」等、多くの市民団体を中心に、社民、共産党などでつくる実行委員会が、緊急によびかけてものである。
参加者は、地元福井のみならず、バス六台で300名が駆け付けた東京を始め、九州、四国、滋賀、京都などから、バスや鉄道で集まった。大会は、他の集会の様に、限られた代表者の挨拶でなく、原発被害に苦しむ福島からやってきた家族など、多くの個人の訴えを聞く為に、80名以上の発言者に2時間近い時間を確保した。
西川知事は、再稼働に対する住民説明や、意見公聴を一切拒否した
実行委員会代表の石地優さんは、「福井県民は、知事の再稼働同意が、県民の総意かの様に伝えられるのは悔しい限り、知事の同意は県民の同意ではない。再稼働に対する県民の意見を聞く機会を持てと、再三要求したが、一切拒否した」と明らかにした。
「さようなら原発1000万人アクション」呼びかけ人の鎌田慧さんは、「原発事故が起これば責任をとるなどと、出来もしない責任を取るかのように言うことは、国民を愚弄するもの。また国民を犠牲にした再稼働の決定をさせた経団連米倉会長と関電を糾弾。子供たちが元気に走り回れる社会にするのが我々の義務」と主張した。
△「核武装につながる原発はいらない。辺野古の海に基地はいらない」と主張する≪沖縄の高江・辺野古につながる奈良の会≫横断幕
「大飯原発は、福島原発より、更に危険な原発」と京大小林圭二氏が指摘
元京都大学原子炉実験所講師の小林圭二さんは、大飯原発3,4号基の危険性について特に訴えたいと、次の様に説明した。
「大飯原発は、沸騰水型軽水炉の福島原発と異なり、加圧水型軽水炉と呼ぶタイプだ。沸騰水型は格納容器内に窒素を封入して水素爆発を抑えているが(それでも水素爆発は避けきれなかった)、'加圧水型は格納容器が大きく、爆発の危険が少ない'として、窒素が封入されていない。もし冷却機能が失われて水素が発生すれば、その破壊力はすさまじい。しかもベントもない。」と指摘し、「しかも地質学者の活断層の危険性の指摘を無視するなど持っての他」と痛烈に批判した。
発言者は次々に、2012年2月13日に関電が提出した「ストレステスト」は、原発メーカーが自分で作った原発を自分で審査する「自作自演」のセレモニーである。三菱重工がつくった大飯原発を三菱重工が審査するなど、"泥棒に警察の役割をさせて良いのか!"と指摘した。
大会は、6.17この日が、日本全国の50余の原発再起動の、なし崩し的流れを作らせない、継続的で巨大な反原発の出発点としなければならないと確認した。
また、7月16日の「さよなら原発10万人集会」(東京・代々木公園)、同29日の「国会大包囲行動」への参加を全国に呼びかけ、示威行進に移った。
△県庁前は、多くの警察官で固められ、デモ対に対し敵対的であった。
△昭和23年6月28日、福井大地震を記録する震災碑が、「再稼働抗議会場」の中央公園の中にたっている。死者3278名、負傷者21750と言う大被害をもたらした。大飯原発、敦賀原発、美浜原発直下には、無数の活断層が走っている。
報道速報 [写真及び文 柴野貞夫]
[附録]
小林圭二氏(元京都大学原子炉実験所講師)の講演「底知れぬ泥沼にはまりこむ原子力政策」の講演記録(2006年4月15日におこなわれた、講演会+ディスカッションから)
<原発は、技術的には平和利用と軍事利用との間では一切区別がない>
「一方、世界的な動きを見ますと、一口に言いましてこのところ核拡散、核兵器の開発、それから核兵器競争、それへの新たな動きの時代がはじまろうとしているとつくづく感じます。ご存じのようにいまは核拡散問題で世界が揺れています。原子力というものを平和利用と軍事利用にわけるという基本的な考え方が世界にはあったわけです。
ただよく考えますと、プルトニウムを作ろうという発想になった原点はなにかというと、まさに長崎型の原爆なわけです。この長崎型の原爆をつくるがために、原子炉というものと再処理工場というこの2つのセットが開発されました。ですから今、平和利用だと称されている再処理工場、あるいは原発の原子炉、これはとりもなおさず軍事技術であるわけです。軍事技術の横流しのようなものです。当初アメリカは濃縮ウランの原爆を、つまり広島型の原爆を最初につくりたかったわけですが、やってみると途中で濃縮が大変だということがわかって、それで途中から同時にプルトニウム爆弾もつくりたいということになりました。そこで開発してきた技術がそっくりそのまま技術として受け継がれているのが、今の原発とプルトニウム利用の世界なわけです。
ですからもともと技術の問題として軍事利用と、いわゆる平和利用との問では一切区別がない。ただ概念的に区別しているだけですが1974年にインドがアメリカとカナダから平和利用でもってして導入した技術と物資をもって核兵器をつくった、核爆発をやったということから、その欺瞞が世界的に暴露されました。
現在はそれがどうなっているかというと、その後インド、パキスタンが、あるいはイスラエルが、そういう平和利用の流れのなかで核兵器の技術を手に入れることになり、そのなかのひとつのパキスタンで核兵器開発の中心になっていたカーン博士の核の闇市場というのが具体的に、特に途上国に核拡散の役割を果たしてきました。
核拡散の問題点というのは国際政治上、非常に厳しい問題でありまして、ブッシュ大統領は恐らく石油が欲しいためでしょうが、ありもしない偽情報でイラクの核疑惑をでっち上げ、結局イラクを占領してしまいました。
北朝鮮とイランの両国は米国にならず者国家と名指しされ、これは危ない、大変だというので、急いで核兵器を開発しようという動きに走り始めるという状況にあると思います」(以下略)
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