キム・ヨンボム著「日本主義者の夢」プルンヨクサ社出版、日本語訳(31)
―朝鮮人による司馬遼太郎の歴史観批判―
‘日本純血主義’と‘一つの日本’
(原文−248頁〜254頁)
「・・・‘一つの日本人’と言う民族意識は、国民国家を立てた明冶の支配層が、国民の国家意識を鼓吹する為に、皇国史観を押したて‘国史教育’を強化しながら育成された幻想的自己認識だ。・・・‘一つの日本’が作り出された歴史の虚像が、現代日本人の思考地平を孤立した島国の枠内に閉じ込めて置き、日本列島を中心として外の世界、即ち東アジアを眺める事にした理由を理解する事が出来る。」(本文より)
‘日本純血主義’と言う言葉がある。外国企業で日本企業を買い入れるや、それに驚いた日本の言論が使った言葉だ。この言葉には、血が純粋だと言う意味が込められ、日本民族が単一の血統である事を誇示する表現としても使われるが、その時は、外国企業の日本企業浸透を許容しない、はっきりした日本人の企業文化観を指し示す言葉として使われた。
‘経済的排外主義’と言えば、理解し易いかも知れない。その言葉には、日本企業には日本人だけ参加しなければ、外国人が加わっては混乱すると言う意味が含まれている。開放化、国際化、地球化時代のパラダイムとして見れば、許容することが出来ない、唾棄しなければならないこんな思考方式が堂々と日本の企業界、特にマスメヂア系統と銀行・証券・保険などの金融業で通用されたのだ。 1998年4月1日、金融ビッグバン措置で 金融業で対外開放が実現される前までは、この‘日本純血主義’が日本人の頭を支配していた。
1996年6月、豪州の世界的な多国籍新聞王ルポート・マードックが、在日韓国人ソン・ジョンイ(孫正義)氏と手を取り、民営放送であるTV朝日の株式を買い入れた。そうすると、日本言論は文字通り驚愕を表わした。まるで、日本の大衆媒体が、外国資本の文化侵略を受け、すぐ大きな騒動でも出た様に、騒々しかった。下記は、1980年代の話であるが、ソニーが米国ハリウッドのコロンビア映画社を買い入れたとき、米国言論もそうだった。米国の精神が‘日本のサムライ’に売られていったと言う遣り方だった。易地思之(相手の立場に立って考える)をすれば50歩100歩だ。日本会社の米国企業買い入れは、当然であり、豪州の新聞王が日本TV放送社を買い取ると言う事は、駄目だと言う論理は成立することは出来ない。
崩壊する純血論
しかし‘日本純血主義’は、結局マードックのTV放送社の所有を許容しなかった。9ヵ月後同じ系列の<朝日新聞>が、モードックが買い取ったTV朝日の株
1式をそっくりそのまま、もう一度買い取ったのだ。これで、開放化・地球化の激しい波の中でも、日本言論の純血主義はそのまま保護された訳だ。
わが国なら、どんな反応が出てくるのか。恐らく日本と同じだろう。力が強い外国資本が上陸する事を、直接的な利害当事者である他の新聞・放送社らがそのまま置いておく筈が無い。
とにかく、その‘日本純血主義’は、放送では一旦保護されても、他の分野では既に崩壊し始めた。その中でも、日本人が最も大きい衝撃を受けたのは、難攻不落の金融業界が米国資本の‘侵入’を受けていると言う事実だった。100年の伝統を自慢した日本の4大証券社中の一つである<山一證券社>が、とんでもなく崩れたその場所に、1998年米国の巨大証券社であるメルリンチが入って来て事業を始めた。それだけではなく、日本債権信用銀行は、1997年に既に米国のペンコス・トラストと事業提携をした。特殊銀行である日本債権信用銀行の様なノンバンク(銀行でない信用金融会社)3社が不渡りを出すや、海外支店・事務所を閉鎖するなど画期的な経営再建自己救済策を考え巡らせた中で、米国第7位の持ち株会社であるペンコス・トラストに巡り合った様だ。
日本の銀行・証券・保険会社らは、火の様な好況を謳歌した1980年代末、バブル経済時代に手に入れて置いた不動産債権担保物が、不良化される事によって、今深刻な経営難に喘いでいる。バブルが消えうせて、始まった8年間の長期不況で、不動産価格が同調して暴落する勢いに、巨額の不動産債権が不良化されたのだ。その不良債権額は、算定基準によって40兆円になるとも、50兆円になるとも言う。経営難に耐えられない一部銀行は、既に倒産したし、残りの金融機関も、更生の為の自己救済策の講究に余念がない。この様に、揺れ動く日本金融界の不安状態に付け込んで、分け入り、入って来た、外国の金融資本が、今将に‘日本純血主義’を取り壊しているのだ。
そこに1998年4月1日から実施された、外国為替取引の自由化措置以後、銀座の飲食店、新宿のカメラ店でも、米国のドルで飲食と品物を買う事が出来る事となった。それ以前には、円貨の’純血主義’が一般商店でのドル使用、言い換えれば、ドルとの‘混血’を排斥した。見かけでは、世界各国の多様な民族文化が混在している首都東京の華麗な街、フランス・イタリアレストランは言うまでも無く、ベトナム・インドネシアレストランと、それら特有の音楽が響き渡るその東京の街の裏庭へ入って見ると、そこにも間違いなく、‘日本純血主義’が揺ぎ無いものとして席を取っていたのだ。それがまさに、日本であり、日本人だ。日本人の頭と胸の中深く仕舞われているその‘純血主義’が、開放化・地球化の波濤に押され、どれだけ洗い流されて希釈されるのか、これが今後の関心事だ。
‘一つの日本’論
‘日本純血主義‘は、歴史的に形成された‘一つの日本’‘一つの日本人’と言う間違った自己認識の中で培養されたのだ。‘一つの日本人’と言う民族意識は、国民国家を立てた明冶の支配層が、国民の国家意識を鼓吹する為に、皇国史観を押したて‘国史教育’を強化しながら育成された幻想的自己認識だ。遥か昔から、天皇家は‘万世一系’とした血筋であって、その天皇を頂点に生きて来た日本人も‘一つ’と言う自己認識、‘日の本’即ち‘日昇るところ’で、遠い昔から生きて来た日本人は、その昔にも‘日本’で生き、今も‘日本’で生きていると言うその認識が、即ち‘一つの日本’‘一つの日本人’だ。それが即ち‘日本純血主義’を生んだ母胎だ。
遥かに遠い昔から、‘一つの日本’だったと言うこの自己認識は、歴史教育が創造した虚像の上で形成されたのだ。たとえ、言葉は一つに統一されているが、その‘日の丸’に生きて来た人々は決して一つの系統ではない。
江上波夫の騎馬民族説(この主張に反論を広げる学者もいる)を受け入れるとしても、日本人は‘一つ’ではあり得ない。
7世紀の古代日本の国家支配者達が‘えみし(蝦夷)’或いは‘えびす(夷)’と呼び蔑視した北方地域の原住民と、北海道のアイヌ族、沖縄原住民などの南方系の人々、そして韓半島から渡って来た‘渡来人’(日本の史家達が命名したこの言葉の中には、<元来の日本人>がいたと言う意味が含まれている)達が、日本人を構成していると言うのが今日の常識だ。そうであるが、日本の知識人の中には、ややもすると、遥か昔の日本人を隠し、‘原日本人’と言う言葉を好んで書く人がいる。
こんな状況で、明冶が作り出した日本の歴史の虚像を、容赦なく粉砕した歴史学者・網野善彦の≪日本社会の歴史≫は、新鮮な衝撃を投じてくれた。日本と日本人を見るその学者的眼識が、従来の日本の史家達とは全く異なる為だ。
日本の歴史の真実を掘り下げる彼のその手は、一言で、‘一つの日本’が作った歴史の虚像に対する容赦なき解体作業であった。網野は、1997年にベストセラーになったその本の巻頭で、以下の様に語った。
“今までの‘日本史’は、日本列島で生活して来た人類を、最初から日本人の先祖と把握して、どんな場合にも‘原日本人’と表現したこともあって、そこに‘日本’の歴史を説明するのが普通だった。言わば、‘(天地創造の)太初に日本人がいた’とまで言う思考方式が、我々現代日本人の歴史像を、大変曖昧模糊に作り上げ、我々自身の自己認識を極めて不鮮明にしたと考える”
歴史的事実に照らして見れば、国号を‘日本’に定めた時は7世紀末以後だ。網野は、その時から初めて、日本が歴史的実在として現れ、それ以前には‘日本’も‘日本人’も存在しなかったと主張した。それ以前には、ただ単に‘倭’と‘倭人’として存在したと言うのだ。
彼によれば、‘天皇’と言う言葉も、それ以前には無かったし、大王と呼称したと言う。日本列島の西部地域である今の近畿地方(大阪・京都の二つの府と、その周辺の五つの県を言う)から、北九州に達する地域を基盤として本格的な国家、即ち律令国家が誕生して、初めて(ようやく)‘日本’も、‘天皇’も生まれでたと言う事が網野の持論だ。
網野の見解を更に聞いて見れば、‘日本’は、部族の名前でも土地の名前でもなく、‘日いず(出)るところ’即ち、東の方向を意味するもので、当時支配者が太陽神崇拝を背景に‘日沈むところ’即ち中国大陸を強く意識し、之を国号に定めたと言う。この外に‘天皇’と言う呼称が、中国の君主の呼称である‘天王’或いは‘天子(皇帝)’と、結び付けさせたものだと言う見解もある。
とにかく、‘天皇’は大陸の大帝国、唐国を強く意識し、自ら‘小帝国’‘小中華’の道を歩もうとした、当時の支配者の立場を端的に表わしたものだと言う事が網野の結論だ。
この様な‘日本’と‘日本人’の誕生の背景を知れば、‘一つの日本’が作り出された歴史の虚像が、現代日本人の思考地平を孤立した島国の枠内に閉じ込めて置き、日本列島を中心として外の世界、即ち東アジアを眺める事にした理由を理解する事が出来る。
そんな歴史の虚像が作った現代日本人の自己認識は、開かれた思考のパラダイムでなく、閉じられたパラダイムだ。
いま日本人達は、‘日本純血主義’‘一つの日本’と言う間違った自己認識を壊す為に、教育改革を急いでいる。(訳注―著者がこの書を著したのは、1999年である。現時点で日本の‘教育改革’は、安倍政権によって、更なる「歴史の虚像」の深化と「歴史の歪曲」に向かって逆行して行っている)
正された教育の充実化によってだけ、その虚像を粉砕する事が出来る為だ。しかし、‘集団よりは、個体を重視する教育’と言う、スローガンとして提示されている日本教育改革の成果がいつごろ現れ、至極自己中心的な‘一つの日本’と言う虚像を果たして壊す事が出来るのか、現在では、知る事は出来ない。
(続く)次回→「八甲田山のイメージ・兵法経営論の危険性」
(訳 柴野貞夫 2014年2月8日)
前回の訳文(30)に添付した「訳者解説」
「日本主義者の夢」連続翻訳を再開するにあたって
この著は、「戦争が出来る国作り」をめざす、第2次安倍政権が、日本が引き起こしたアジア諸民族に対する侵略戦争を、 "日本の自存自衛(日本が存在して行く為の自衛)と、アジアの平和の為のものだった“と主張して正当化する、日本国粋主義思想の歴史的背景の核心をえぐりだしている。それは同時に、われわれに、<在特>、<維新の会>など、日本の新たな装いを持った‘日本的ファシズム’の歴史的遺伝子を解明するヒントを与えてくれる。
この著を通して“誇るべき日本人として正体性(アイデンテイテイ)と矜持心(自慢)を呼び覚まそう”と、国民に呼びかける安倍の言葉の出所は、殆どすべて、日露戦争を「祖国防衛戦争」と評価し、アジア諸民族への侵略行為を正当化し、‘明治の栄光’を称賛した司馬遼太郎の著作にある事もあきらかになるであろう。
我々は、読者諸氏に改めて、この著の既訳文を読まれん事を願うものである。
●日本帝国主義のアジア侵略を、徹頭徹尾正当化した司馬史観
この著作の翻訳開始に当たって、当時(2010年1月)、我々時事研究会は、以下の様に指摘した。(この指摘は、安倍右翼政権の登場によって、益々今日のすがたを予見する事驚くばかりである。)
[江華島事件」から始まる、明治日本の朝鮮侵略の歴史への美化や忘却が、日本民衆の中に国家主義の復活と増幅を加速させている危険、その中で、「明治と言う時代」と、その「英雄達」をたたえる「国民作家」・司馬遼太郎の責任は重い。
1910年の、「朝鮮併合」と称する日本国家による朝鮮民族への暴力支配から、100年が経過した今もなお、日本帝国主義が朝鮮民族にもたらした災禍への精算は、(日本国家としての)歴史的罪科への謝罪も賠償責任の履行に於いても、放置されたままだ。
それどころか今、朝鮮・中国諸民族の犠牲の上に展開された、帝国主義列強の国家(資本家の)利益をめぐる暴力衝突としての日清・日露戦争を、司馬遼太郎の歴史小説の歴史観に沿って、日本の近代化へ貢献した祖国防衛戦争であると「評価」し「正当化」する試みが、大衆的プロパガンダとして展開されていることを、座視するわけにはいかない。
日本放送協会(NHK)による、3年にまたがる‘スペッシャルドラマ‘「坂の上の雲」は、司馬遼太郎の原作に沿って、彼の国粋主義的歴史観、彼の朝鮮の歴史に対する無知、彼の歴史の偽造の濫造の数々を、忠実に再現しようとしている。これは、販売実績1800万部を持つと言う「国民作家・司馬遼太郎」の、歴史的事実と思わせる「歴史文学」と、その根底にある、日本帝国主義創世期(明治)を正当化する歴史観を利用して映像化し、国民の国家主義的国粋的統合に収斂しようとする、今日の支配勢力の動きに他ならない。
●日本的ファシズム(安倍自民、維新、在特)は、「アジア侵略の正当化とアジア蔑視の歴史」を「母」として生まれてきた。
この映像と、それに触発された司馬文学の読書を通して、歴史的事実をろくに研究することもなく、司馬の歴史文学が「歴史」だと勘違いする無数の司馬愛読者たちや国家主義者たちは、日本の歴史の罪を合理化し、日本民族の「優越性」と「自立できない朝鮮」と言う朝鮮民族に対する蔑視に満足感をおぼえているのである。当の司馬もまた、自分の「歴史小説」を、ある講演会で「フィクションではない。すべて事実を描いている。」と主張したのであるから、司馬が選択した「歴史的事実」しか知らない読者は、それが「事実のすべて」と理解すると言う訳だ。
今再び「映像」を契機に脚光を浴びた司馬の「歴史文学」は、その根底にある国家主義思想や、一国と世界にかかわる生産関係の中に、民族と人間の歴史発展の過程を捉えることが出来ず、歴史学で、もはや破綻している国家主義者の侵略正当化論でもある「アジア停滞論」「朝鮮停滞論」に固執した歴史観で支配されている。特に、朝鮮については、彼の紀行文や対談集、歴史小説での記述で、朝鮮を「自立できない国。自立しても生きることの出来ない国」と罵倒する。
その「停滞した社会」を「近代化に成功した日本」によって改革すると言う植民地合理化論、この福沢諭吉や伊藤博文とともに共有する司馬遼太郎の思想は、多くの日本の札付きの極右学者と国粋主義者を勇気付け、鼓舞している。
「在特会」や「救う会」等の極右団体による朝鮮人蔑視の思想や、在日朝鮮人襲撃、(朝鮮)共和国を狙う核武装論を公然と主張させる土壌を準備させている。
●「司馬の著作」と「司馬史観」を、「国粋主義・排外主義教育の歴史教科書」とした、藤岡一派と安倍政権
どこでどう間違ったか、一時は日本共産党に籍があったと自称する、現「新しい歴史教科書を作る会」会長・藤岡信勝(拓殖大学教授)は、「南京虐殺も、日本軍の従軍慰安婦も存在しなかった。」「大東亜戦争は自存自衛の正しい戦争であった。」と主張する歴史の捏造者であるが、「‘坂の上の雲’の時代と歴史の教訓」と題する文で、「近代日本が近隣のアジア諸国に対する凶暴な侵略者であったかのような、歪んだ歴史教育を学校で刷り込まれた世代にとって、初めて自国のまともな自画像を手にすることが出来た。『坂の上の雲』を読んで、初めてリアルなイメージをともなった歴史の全体像を描くことが出来るようになった。」と、司馬に感謝し、それを賞賛するのである。
藤岡は、司馬の歴史小説から、「日本の本当の歴史を知った。歴史の全体像を描けた。」と言うのだ。
かれは、司馬の歴史観からヒントをもらい、「自由主義史観」なるもので、国家主義的史観による歴史の偽造と歪曲に精を出している。
拓殖大学長の渡辺利夫は、「新脱亜論」(文春新書)で、「日本の歴史を知ったのは、司馬遼太郎の‘坂の上の雲’からだ。・・国力と軍事力において圧倒的に劣勢であった日清・日露戦役の日本が、勝利したのは何故か、指導者の徹底的に怜悧な状況認識と果敢な戦略にあったと見て間違いない。日本は、日英同盟や日米同盟、つまり英・米のアングロサクソンの海洋覇権国家と結んでいた時代に孝福を手にし、中国ロシアと言った大陸国家への関与を深めたときが不幸な時代であった。今こそ、睦宗光よ出でよ。」と叫び、日本は直ちに集団的自衛権を持つべしと、中国と朝鮮に対する軍事的威嚇の必要性を主張している。
アジアの諸民族に塗炭の災禍をもたらした時代の始まりを「幸せな時代」という渡辺の主張は、司馬の歴史観の行き着く先を示している。司馬が「栄光の明治の英雄」と描き、渡辺がそれを鵜呑みにする睦宗光とは、日清戦争後も“日本が朝鮮に残ってほしい”と言う“要請文”の原案を、朝鮮政府が要請しているかのように偽作した、姦計と偽計を企んだ張本人である。司馬は、その歴史小説で、この事実に目もくれない。事実に当たらずに記述し、或いは事実を都合よく選別し、歴史的事実と思わせる記述をして、歴史の偽造を至る所でおこなっている。
NHKは、『坂の上の雲』の視聴者むけ宣伝文句で、司馬歴史小説の役割を次の様に位置付ける。
「『坂の上の雲』は、国民一人ひとりが少年のような希望を持って、国の近代化に取り組み、そして存亡をかけて、日露戦争を戦った「少年の国・明冶」の物語です。・・・この作品にこめられたメッセージは、日本がこれから向かうべき道を考える上で大きなヒントを与えてくれるに違いない。」と。
●日本の朝鮮支配を、“朝鮮民族が近代化を行う能力が欠除していたから”と正当化。べトナムが大国の支配をゆるしたのは、“ベトナム人自身の責任”と帝国主義を擁護する司馬遼太郎は、日本的ファシズムの理論的支えとなっている。
司馬の歴史観に沿って、明冶天皇制政府による、遅れてやってきた日本帝国主義の侵略的膨張主義に基づく「日露戦争」を、「国家の近代化と存亡をかけた(正義の)戦争と,何はばかることなく賞賛し、東北アジアと朝鮮の植民地支配を正当化し、それを現実世界に生かせと、民衆を扇動する日本放送協会は、司馬を国民作家と仰ぐ日本の民衆の脳髄に靖国/遊就館の展示説明にも負けない、歴史の歪曲を植えつけようと企んでいるのだ。いや、それと同じくらい、司馬の歴史小説を当たり前のように受け入れてきた日本の民衆の国家主義的土壌に対してこそ、まず、警告しなければならないのだ。
司馬遼太郎の、根底的歴史観、民衆の戦いに対するぞっとするほどの否定的思想を示す例として、次の文章を抜粋する。
「大国は確かによくない。しかし、それ以上によくないのは、こういう環境に自分を追い込んでしまったベトナム人自身であるということを世界中の人類が、人類の名において彼らに鞭を打たねばならない。」(司馬遼太郎 「人間の集団について−ベトナムから考える」−中公文庫)
1940年の日本帝国主義軍隊よる仏領インドシナの占領が、日本天皇制国家による「大東亜共栄圏」を建前とした侵略行為であったことは明白な歴史的事実である。司馬の文章には、この事への、一つの言及もない。日本占領軍によるその後のインドシナ独立運動への弾圧、日本占領下のベトナム民衆200万の餓死者に対する戦争責任への、司馬の自国国家批判も無い。そして、日本軍敗走後のフランス帝国主義支配からの独立闘争をへて、なおアメリカ帝国主義の介入に対し戦い続ける帝国主義被抑圧民族への、如何なる歴史的言及も無い。日本と欧米帝国主義国家と戦ったベトナム民衆にたいする許しがたい冒涜の文章と言うべきであろう。悪いのは植民地支配した列強ではなく、それを受け入れた、後れたアジアの民衆の側だーと言うわけだ。
ベトナム民族にたいしても、日本よる「朝鮮の併合」が、「朝鮮半島と言う地勢的条件と近代化を行う能力の無い朝鮮民族」の側にあるとの自説を、至るところで披瀝する司馬の思想が貫かれている。
これを、アジア蔑視、自国民族優越主義(人種主義)―国家主義といわなくて何と言うのであろう。司馬の歴史観と思想が、日本の国粋主義者の拠り所となっていることは明らかである。]
以下は、「日本主義者の夢」原著(朝鮮語)・卷頭の<著書の紹介>文である。
プルンヨクサ(出版社)による <著書の紹介>
この、1999年に刊行されたキム・ヨンボムの「日本主義の夢」は、21世紀を目前にした転換期の四つ角で、政治・軍事の大国化を追求する日本国粋主義者たちの正体と、彼らの主張する、日本アジア主義の危険性を深層的に解剖した本だ。
帝国主義・明治―昭和時代の、大陸侵略思想の歴史的軌跡を概観し、この「現代版復活の動き」に、思想的栄養分を提供した国粋主義的な人気作家・司馬遼太郎の歴史観・文明観を集中的に暴き出した。
‘明治の栄光’を叫ぶ日本国粋主義者達の全体に光を当てた本だ。
日本の最高の人気作家・司馬遼太郎から、挺身隊の記録削除を主張した(新しい歴史教科書を作る会の)藤岡信勝まで、日本列島の地層に敷き詰められている認識の根を探し出す。
日本の国民作家と呼ばれた司馬遼太郎は、歴史小説を通して日本人の‘自負心’を目覚めさせてやっただけではなく、日本の優越主義を絶やすことなく注入した。
著者(キム・ヨンボム)は、彼(司馬遼太郎)が、近代化に成功した日本と、停滞した韓国の植民地化を対比させながら、どのように韓国を貶(おとし)めたのかを見せてくれる。
著者は、妄言の解読法と独島領有権問題、平和憲法の改憲の動き等に対する対応方案を模索しながら、‘彼らの狭量な民族主義的試みが、むしろ孤立を自ら招くもの’と、警告する。
日本社会の保守化を背景として、復活している日本帝国主義の性格を指し示した本だ。国粋主義者たちの正体と彼らの主張する日本アジア主義の危険性を解剖するのに多くの紙面を割愛した。
ここで、日本主義と言うのは、1980〜90年代、顕著に海外侵略と膨張主義を指向し、‘明治の自慢’と‘明治の栄光’だけを指標としようとする人々を言う。
代表的な国粋主義者は、人気作家・司馬遼太郎である。明治の合理主義精神とリアリズムを讃揚する彼の史観は、日本政府の公式文書にまで引用される位、莫大な影響力を及ぼしている。
朝鮮は、朱子学を土台とする停滞した国だったと言うのが司馬の史観だ。著者は、国粋主義者達の間違った史観を、条目ごとに批判する。
今までの全訳文は、下記でご覧になれます。
「日本主義者の夢」 キム・ヨンボム著 翻訳特集
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