(民衆闘争報道 さよなら原発 3.9関西行動 での小出裕章氏の講演記録)
さよなら原発 3.9関西行動(報告・講演と示威行動 )於大阪
A 講演―小出裕章(京都大学原子炉実験所助教)
「子供達を放射能から守る為に何をなすべきか」
● 安倍と自民党は、福島惨事を無かった事にしようと企んでいる
● 死の灰で汚染された福島・東北を中心に国民・子供達が被曝に晒されている
● 福島原発は、広島型原爆14000発相当の死の灰の危険が潜む進行中の惨事だ
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福島原発の敷地は、400t/日の汚染水を発生させ、汚染の沼地と化している
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放射能被曝に関する法を破り、国民を危険に晒す安倍は、最大の犯罪者として刑務所に収監 すべきである。
△写真 京都大学・原子力実験所 小出裕章氏 〔出処 柴野貞夫時事研〕
●福島惨事は終ったとする、安倍政権の企みを許さない放射能被曝に関する法を破り、国民を危険に晒す安倍は、最大の犯罪者として刑務所に収監すべきである。
福島原発事故から既に3年の時間が経ってしまいました。政権に返り咲いた自民党は、今まで止まっていた原発も再稼動すると主張しています。また、新たに原発を増設するだけでなく、海外にも輸出すると言い出しています。その為に、彼らは福島の惨事が、無かった事にしようと、忘れ去ってしまおうと言う作戦に出ています。日本の言論媒体、マスコミでも、それに呼応するかのように、報道が少なくなっています。
一方、既に大量に放出されてしまった放射能で、住民達は、根こそぎに生活を破壊され、流民化させられています。そんな住民の被曝は、現在も続いているのです。これから何十年も、或いは何百年も続く事になるでしょう。
国家と電力業界によって、苦難のどん底に突き落とされた福島の人々は、互いに分断され、あの人は逃げた、あの人は未だ残っていると、互いに深い心の傷を受けています。
彼らが、福島の惨事を無かったものにし、忘れさせようとしているのであれば、私達に出来る事は決して福島を忘れない事です。今日この会場に、これだけの沢山の方々が集まって下さっているのは、福島を決して忘れないと言う思いを力に変えるものであり、大変ありがたい事だとおもいます。(大きな拍手)
今、汚染は容赦なく福島・東北を中心に降り注いでいます。子供達は被曝され続けています。何としても、子供達を被曝から守りたいと考えています。今日のテーマは、この話を聞いていただく事にあります。
●今も<死の灰>を撒き散らす」1〜3号機、原爆14000発相当の死の灰が潜む4号機―福島原発の危機は進行中だ
△写真 福島第1原子力発電所@号機〜C号機(D、E号機は、上に隠れている)―写真出処 柴野貞夫時事研―
これはご承知の様に、事故が起きた時の福島第1原子力発電所の写真です。真ん中を、上から下へ真っ直ぐ縦断する長い建物がタービン建屋です。この中に、タービンと発電機が収められていました。左に並んでいる青い建物が原子力建屋です。一番上が@号機、最上階が吹き飛んで骨組みだけになっています。
その手前がA号機です。このA号機は一見健全な様に見えますが、このA号機こそがその内部で最大の破壊を受け、最大の放射能を撒き散らしている主犯人だと、国と東電は言っています。
この一つ手前がB号機です。これもやはり、最上階が吹き飛んで骨組みだけになり、この骨組みが又落ちて、地上に落下すると言う、それ程の猛烈な爆発で破壊されました。 @号機、A号機、B号機は、2011年3月11日に運転中でした。この三つの原発は、同時に炉心溶融(メルトダウン)を起こし、猛烈な爆発によって破壊されました。
一番手前のC号機だけは、当日運転していませんでした。定期検査に入っていて、原子炉の中にあった核燃料棒全てが、原子炉から取り出され<使用済み核燃料プール>に移されていました。C号機はこの状態で事故になったのです。何故かこの状態でも、C号機は最上階が吹き飛び、<使用済み核燃料プール>が剥き出しになり骨組みだけになってしまいました。
C号機の場合は、少し特殊な壊れ方をしていて、最上階だけでなくその下の階の壁にも、穴が開いてしまいました。<使用済み核燃料プール>は、穴の開いた壁の直ぐ隣にあります。吹き飛んでしまった最上階のところから、もう剥き出しで、プールが見える状態です。
この写真が撮られてから、既に三年が経ちました。事故は全く終息しないまま危機的状況が継続しています。
今最も危機的状況にあるのはC号機です。半分壊れてしまったプールの、隣の壁さえ抜けてしまったプールは、宙ずり状態です。このプールの底には、広島型原発に換算すると、14000発分相当の「死の灰」―セシウム137と言う放射性生成物を尺度として―が潜んでいます。
東電は、使用済み燃料棒の取り出しは、11月20日から作業を始めましたが、その作業が何年続くか分かりません。それを終えても@号機、A号機、B号機の燃料棒の取り出しが残っています。一体これから、どれだけの作業が必要か、又どれだけの労働者が被曝にさらされるのか、考えると本当に気の遠くなる様な事実が進行しています。
●絶対に壊れないと、国家と御用学者が主張した@〜B号機の<炉心(核分裂によって死の灰を溜めている)>は溶け落ち、今も何処に在るのかさえ分からない
△写真 原子炉建屋断面図 (写真出処 柴野貞夫時事研)
この写真が、原子建屋の断面図です。真ん中に、細長い薬のカプセルの様なものがあります。これが、私達が「原子炉圧力容器」と呼んでいる鋼鉄製の圧力容器です。福島の場合、この厚さが16cmもあります。その中心部に炉心と言うものがあります。
ここに、ウランが詰められています。ここでウランが核分裂反応を起こし、熱を発生し、圧力釜の水が沸騰してタービンに蒸気が送られ、発電すると言う仕組みとなっています。しかし、ここでウランが核分裂を起こすと言う事は、つまりこの中に、核分裂によって核分裂生成物としての死の灰が、ここに、どんどん溜まっていくと言う事を意味します。
2011年3月11日、地震と津波によって、東電は、ウランの核分裂反応自身は直ぐに止めたと言うことです。私も多分止めたと思います。しかし既に、この炉心には大量の核分裂生成物(放射性物質)が溜まってしまっていました。
放射性物質と言うのは、「放射性物質を放出する能力を持った物質」と言う意味です。放射性物質はエネルギーのかたまりです。放射線が出てくると言う事は、ここで猛烈な発熱が続いてしまうと言う事を意味します。その為、この炉心と言う部分は、何時如何なる時でも冷して置かなければなりません。それが出来なければ、壊れてしまうと言う宿命を持っています。
しかし当日、地震と津波に襲われ、福島第1発電所は全所停電―全ての電気が使えない状態になってしまいました。全ての電気が使えない状態になってしまいました。炉心を冷す為には、水が必要です。水を入れる為にはポンプが必要でありポンプを動かす為には電気が必要です。
しかし、その電気が一切無く、この炉心が溶け落ちてしまった。この炉心は瀬戸物で焼き固めたもので出来上がっています。皆さんの家庭で使われている瀬戸物に熱を加えて溶かす事が出来るでしょうか?瀬戸物をガスこん炉の上に置いても溶けません。焚き火の中に投げ入れても溶けません。しかし、原子炉の炉心は解けてしまったのです。
ウランを焼き固めた瀬戸物は、2800度を越えないと溶けません。そしてこの部分には約100tのウランを焼き固めた瀬戸物がありました。それがみんな溶けてしまいました。溶けて下に落ちた炉心は、原子炉圧力容器と言う鋼鉄製の容器の中に落ちたわけです。溶けて下に落ちたわけですが、鋼鉄はと言うと、1200〜1400度で溶けます。当然圧力釜の底が抜けて更に下に落ちる事になったのです。
溶けて行く過程で、炉心の中に燃料棒と言う魔法の棒があります。それはジルコニウムと言う金属で出来ているのですが、この金属は、温度が上がると周りの水と反応して、水素を発生させる化学的・ケミカルな性質を持っています。そこで大量の水素が、この位置で発生しまして、穴の開いた圧力容器から飛び出して来たのです。その外側には、放射能を閉じ込める最後の防壁となるはずの原子力格納容器―理科の実験で使うフラスコのような形をしたもので、本当は、空気も水も漏らさないと言う口上があったはずなのですが、これも、もうボロボロに壊れて、ここで出てきた水素が噴出し原子力建屋の最上階に溜まり爆発を起こしたのです。溶けて床に落ちた炉心が、現在どこに在るのかさえ、分かりません。
事故を起こした発電所が、火力発電所であれば簡単です。何処がどんな風に壊れたとか、調べれば直ぐ済むのです。それを直して運転再開する事だって出来るのです。こと原子力発電所は、相手が放射能です。近付く事すら出来ません。もちろん格納容器に入る事も出来ないし原子炉建屋の中だって入る事は出来ないのです。―この状態で、既に3年も経過しているのです。
先ほど、原子力格納容器は、放射能を閉じ込める最後の防壁だとお話しましたが、C号機の場合は、放射能の塊である燃料棒は、使用済み核燃料棒プールに移されています。このプールは、放射能を閉じ込める防護壁の、さらに外側にあります。つまり、何等の防護手段のないところにプールがある。もしこのプールに沈めた燃料棒が、溶け落ちて仕舞う様な事になれば、一切の防護壁もないまま、外に放射能が出て来てしまうのです。その為、このプールも必ず冷却しなければならないと言う宿命です。当日は、全所停電、ポンプも何も動かない状態。これを何とか溶かさない様にしなければ、東京すら壊滅すると言う事を原子力関係者は皆気がついたのは当然です。
皆さんご記憶だと思いますが、自衛隊のヘリが高い上空から水を落としたが、霧状に拡散して効果がなく、東京消防庁のポンプ車も効果なく、建築用生コン用キリンポンプで、ようやく注入が可能となりC号機のプールが干し上がる事を辛うじて防いできました。
しかし、危機は未だに解決していません。当日運転中だった@号機からB号機全て、溶けてしまった炉心が、未だに何処に在るのか分からないのです。敷地と、あらゆる建屋に散在するセシウムなど放射性物質が、今日も外に向かって放出を続けています。
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原子炉建屋から出る400tと、原子炉建屋の中に大量に流れ込んでいる400tの地下水を合わせ、毎日合計800tの汚染水が敷地に滞留し汚染沼となっている何の手立てがないまま、汚染水は海へ垂れ流されている
福島第1原子力発電所敷地内で、ますます深刻な状況となっている、汚染水問題を少し説明します。
△写真 福島第1原発―敷地の汚染水の流れ (写真出処 柴野貞夫時事研)
事故が起きて2年半経って、初めて汚染水の問題が大きく取り上げられる様になりました。どんな事になっているのか?
先ほどお話しました様に、“炉心が何処かに落ちてしまっている”状態です。それを冷さなければならないと言う事で、毎日400tもの水を原子炉に向かって“とにかく入れる”と言う作業をしています。しかも一方で、地下水が原子炉の建屋にどんどん流れこんでいます。それがタービン建屋に向かって流れ込みます。
原子炉建屋と外部とは、遮るものがないくらい壊れているのですから当然の事です。原子炉建屋から溢れた汚染水は、タービン建屋に向かって流れ、原子炉建屋から出る400tと、原子炉建屋の中に大量に流れ込んでいる400tの地下水を合わせ、毎日合計800tの汚染水が敷地に滞留する計算です
その内、400tだけを、また原子炉の中に戻しています。残った400tはタンクに貯めると言う、こんな作業を、今この瞬間もやっているわけです。しかしそうなれば、タンクの汚染水はドンドン増え、既に40万tを越える量が敷地の中に溢れているのです。
そして問題は、もう一つあります。汚染水は、建屋の中に流入して来るだけでなく、建屋の下を通って500t〜600tの汚染水がそのまま海へ流れています。原子炉建屋・タービン建屋はほぼ壊滅、中から外へ、外から中へながれています。
現在、東電原発の敷地は、放射性汚染水で沼の様になっています。何の手立てがないまま、汚染水は海へ垂れ流されています。
安倍は、アンダーコントロールと言って来たが、これは大嘘です。全くコントロールが出来ないまま、ドンドン海への流出は止まっていません。
この敷地に汚染水を貯めるタンクを増設していますが、敷地には限りがあります。東電は80万tまで(現在40万t)何とかなると言っているが、それ以上どうにもならないのだから破綻は明らかです。東電は、近い内に汚染水を、海へ意図的に流すに違いありません。
私は、C号機の燃料棒が溶解する事は願いません。また汚染水の海への流出を願いません。この願いが叶うかどうかは分かりません。
● 汚染対策に働く,下請け・非正規労働者は、100ミリシーベルトと言う緊急時被曝の上限値で働かされている
これ以上溶かす事は出来ないと言う事で、3年以上に渡ってひたすら水を注入して来ました。しかし、水を注げば注ぐほど、汚染水となって溢れてくる事は避けられず、東電・福島第1発電所の敷地は、放射能汚染水の<泥沼>となっているのです。あふれ出る汚染水は、海への流出とともに、その汚染水対策を担う為に、東電の正規職員の代わりに、多重下請け構造で働かされている作業員・労働者の被曝と過酷な労働実態を浮き彫りにしています。東電社員の代わりに汚染対策に働く労働者は、100ミリシーベルトと言う緊急時被曝の上限値で働かされています。
●一体、福島事故によって、放射性物質はどの程度放出されたのか、人間にとって一番危険と考えられる<セシウム137>の放出量
IAEA(国際原子力機構)は、福島からの報告でも指摘された様に、原発を推進する為の国際的組織です。この組織に対し、日本政府は報告書を提出しました。福島事故で、大気中にどれだけの放射性物質を放出したのか―と言うデータです。
その中で<セシウム137>は、ウランが核分裂して出来る凡そ200種類の中で、人間にとって一番危険と考えるものです。
△写真 IAEAに対し、日本政府が提出した<セシウム137>放出量の報告に基づく(写真出処 柴野貞夫時事研)
上図の左下、黄色の箱印を見てください。 これは広島の原爆が炸裂した時に、キノコ雲によって大気中に放出された<セシウム137>の量です。数字にぴんと来ないと思いますので、赤い箱印と比較していただきたい。
この図は、福島事故では、@号機から広島原発の6発〜7発分の<セシウム137>が放出れた。そして、なんと言っても悪いのはA号機ですが、B号機も撒き散らしています。@号機からB号機を合わせ、広島原発が撒き散らした放射性物質の168分を撒き散らしたと言っているのです。
しかし日本政府(自民党→民主党→自民党)と言うのは、今まで一貫して「安全だ。安全性を確認している」とお墨付きを与えて来た張本人です。猛烈な責任があるのだし、責任と言う言葉では甘すぎます。犯罪行為そのものである。
犯罪者が自分の罪を正しく申告する道理はありません。出来る限り寡少に評価した値だと思います.恐らくこれより2倍〜3倍が大気中に撒きちらされたはずです。また恐らく、これと変わらない量が、海に向かって流れているでしょう。沼の様になった敷地から流れ出ています。
日本で、地球上で北半球温暖帯と言う地域に入ります。ここでは上空に強烈な偏西風が吹いています。福島の放射性物質は、偏西風に乗って東北はもちろん、米国の西海岸をむしろ汚染したと考えられます。北海道や九州よりも全地球的汚染です。これが原発事故なのです。とは言え、何時も西風が吹くわけではありません。ですから、日本の国土もこの様に汚れています。地上では、東の日、西の日もあります。
これは(下図)、日本政府が発表した地図です。
△写真 日本政府が発表した汚染分布図 (写真出処 柴野貞夫時事研)
赤、黄、緑、この部分が猛烈に汚染された地域です。60万ベクレル/1平方kmを越えて、セシウムが降り積もったのが、この赤、黄、緑、の地域です。
噴出した放射性物質が南東の風に乗って、北西に流れた時に、この地域で雨と雪が降りました。空気中の放射能が雨と雪で地面に降り積もったからです。
面積で言いますと、約1000平方km、琵琶湖が1・.5個入ってしまう位の広大な地域が汚染され、10万人を越える人々が生活の場を奪われ、追い出され、流民化させられています。その周辺も猛烈に汚染されている所は沢山あります。
例えば、福島県の中心部に、立てに青い所、ここは福島県の<中通り>と私達が呼んで来た所です。東側に阿武隈山地、西側に奥羽山脈があって、両側を山で挟まれた平坦な土地です。とても住み易い所で、北から伊達市、福島市、二本松市、郡山市、須賀川市、白川市と言う様に、福島県の人口密集地帯がずらりと並んでいます。ここに汚染が広がって行ったのです。
この汚染は、栃木県の北半分、群馬県の北半分にも連なっています。また、風の向きによって、茨城県、千葉県の北部、東京都の下町なども汚染をうけています。この青い帯の所は6万ベクレル/1平方kmを越えて、セシウムが降り注いだと日本政府が言っているところです。
その他に、くすんだ青色の所があります。群馬の西部、岩手の北部・南部にもあります。千葉、茨城にも、ここは3万〜6万ベクレル/1平方kmのセシウムが降ったと日本政府が言っているところです。
●これらの数字は、どんな意味を持つのか?福島・東北地方に広がった「放射線管理区域」
私が勤める京大原子力実験所は、福島第1原子力発電所から比べれば、おもちゃの様に小さなものですが、それでも、人が住む所には建ててはいけないのです。さんざん用地を探した挙句、大阪府泉南市熊取町に建てる事が出来ました。敷地面積は10万坪あります。即ち放射線を扱うと言うのは、何処でも出来る訳ではありません。極く限られた場所でしか扱うことが出来ないのです。一般の方々も見学に来る事は出来ますが、放射線を扱う場所には、特別の許可が無ければ入れません。そこは「放射線管理区域」と私達は呼んでいます。
私はそこに働いている職員ですから、そこへ入る事が出来ます。仕事を終えてそこから出る時、必ずドアは閉まっています。このドアを開ける為には一つの手続きをしなければなりません。
私は「放射線管理区域」で働いた訳ですから、私の衣服が放射線で汚れているかも知れないからです。衣服や手足が汚れたままの外へ出ますと、区域外の人々に汚染を広げる事になり、皆さんを被曝させることになるからです。出口から外へ出る前に、汚染されているかどうかを確認しなければドアは開きません。
では、何処までの汚染ならドアは開いてくれるのでしょうか?1平方m当たり4万ベクレル、つまり1平方m当たり4万ベクレルを越えて汚染している場合、どんなものでも「放射線管理区域」外に持ち出してはいけない―これは、今までの法律だったのです。私が持って入った実験道具・衣服がどんな高価なものでも、管理区域の中で捨てるしかないのです。
地図を示して)この、くすんだ緑の所でさえ、既に1平方m当たり、3万ベクレ〜6万ベクレルに汚れています。青い所は6万ベクレルを越えています。
福島県の東半分を中心として、東北地方と関東地方の広大な場所を、「放射線管理区域」しなければなりません。
先ほどお話した様に、「放射線管理区域」には、皆さんは入れないのです。人は住んではいけないのです。
一体、どれ程の広さのところが汚れているのかを見て頂きたい。金沢星稜女子短大の澤田伸浩さんが、日本政府の報告に基づき、セシウムの放出量を丹念に調べ、計算して頂いたのが、この数字です。(下表)
△写真 セシウム(Cs−137)の各府県別降下・沈着量 (写真出処 柴野貞夫時事研)
日本政府が、IAEAに対し、最終的に放出された放射能として報告したのは、15000テラベクレルです。上記表は、それが日本の各府県別にどれだけ放出されたかを、分析したものです。
テラとは、兆と言う意味です。15000テラベクレルとは、兆の15000倍と言う意味です。創造も出来ない数字です。放出放射能の内、日本の国土に落ちたのは―福島県にまず大量に落ち、栃木、群馬、茨城、宮城、岩手、千葉と汚染は広がり、合計したら2351テラベクレルです。
放射能は、臭いも無ければ色もない。私はこの事故が起きてから,色が付いてさえいてくれれば、少しは避けることも出来るのにと思ったものです。
福島事故が放出したセシウムの量を重さに換算したら、4・7kgです。陸地に降ったセシウムは、740gです。
たったそれだけのセシウムが、東電福島第1原発から噴出し、広大な地域を汚染したのです。見ることも、感じることも出来ない放射能とは、この様なものです。
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こんな惨事を引き起こして、日本政府は何をしてきたのか。日本が法冶国家であれば、安倍は、命に関る法を破る張本人として刑務所に収監すべきだ
△写真 “放射能被曝に関する法律を蹂躙してきた国家と安倍政権は、重大な犯罪者だ” (写真出処 柴野貞夫時事研)
これまで日本は、法冶国家と言われて来ました。法律を破った者は、国家が処罰する事になっています。犯罪を犯したものは刑務所に収監される。法律を作ったものが、法律を遵守するのは最低の義務です。「被曝」に関する法律はたくさんあります。例えば「1年間に1ミリシーベルト以上の被曝はしてはならない」「放射線管理区域から物を持ち出す場合、1平方m当たり4万ベクレルを越えて汚染するものは、どんなものでも持ち出してはいけない。」と言う法律があります。
しかし、日本政府が作った汚染地図を見て頂いた様に、日本の汚染状況がどうしようもないほど深刻となった状況で、日本政府が汚染と被曝の事実を過小評価し、隠蔽しようとして、被曝を規制する法律を、次から次へと踏みにじり、反故にしています。そのことによって、日本の東北を中心とする汚染地域に、人々を放置し、被曝させています。「被曝」は、無条件に危険です。
日本国家・政府、電力会社、一部の学者達は、“被曝が少なければたいした事はない。安全だ”と、一貫して説明して来ました。しかしそうではありません。原発推進のもう一つの国際組織であるICRP(国際放射線防護委員会)さへ、2007年の勧告で、日本国家・政府、電力会社、一部の学者達が、“被曝が少なければたいした事はない。安全だ”と言う主張を否定して次の様に言っています。
「約100ミリシーベル以下の線量においては、不確実性が伴うものの、癌の場合、疫学研究および実験的研究が放射線リスクの証拠を提供している。
約100ミリシーベルを下回る低線量域での癌または遺伝的影響の発生率は、関係する臓器および組織の被曝量に比例して増加すると仮定するのが科学的に妥当である。」(ICRP−国際放射線防護委員会の勧告)
この勧告でも明らかな様に、たとえ100ミリシーベルを下回っても、<被曝量>に比例して危険であると指摘しているのです。50ミリだって、10ミリだって、それなりの危険があると言う事なのです。それが科学的考え方だと言っている。
日本では、あたかも100ミリシーベルト以下なら、安全化の様に主張する学者も多い。私は、<放射線管理区域>に劣らない汚染地域に、人々を放置して来た日本政府と共に、この様な学者達も、犯罪者として刑務所に収監すべきであると考えます(大きな拍手)
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被曝から、最も敏感な子供達を守らなければならない汚染地帯から子供を避難させること、子供には、汚染の一番少ないものを食べさせること
子供は、原発に関して責任はありません。原発を何らかの形で選択して来たのは大人です。大人は、なにがしかの責任があります。しかし、それ以上に問題なのは、子供と言うのは<被曝>に対して大変敏感だと言う問題です。
細胞分裂を繰り返して成長して行く子供達は、遺伝情報をどんどん複製して行くからです。この時、遺伝情報が<被曝>で傷を受け、そのまま複製されて行きます。子供達はどれくらい<被曝>に敏感なのでしょうか?
今から見てゆきましょう。<1万人・シーベルト>当たりのガン指数を見て行きます。ここに<1万人・シーベルト>当たりと言う、別の単位を設定しました。私が1ミリシーベルトの<被曝>をしたと想像してください。私の隣にもう一人、1シーベルトの<被曝>をした人が着ました。二人合わせれば2シーベルトの被曝量です。ここに、1シーベルの<被曝>をした人を10人連れてくれば、10人で合計10シーベルになります。もし、1シーベルを<被曝>した人間を1万人つれてくるとしますと、合計の被曝量は、1万シーベルトになります。人数と被曝量を合算して行って、その合計量を取り扱うのが<1万人・シーベルト>です。
先ほど聞いて頂いた様に、皆さんは1年間に1ミリシーベルトしか<被曝>してはいけないと法律で決められていました。残念ながら その基準はもう守れないほど汚染されてしまっています。でも仮に、1ミリシーベルトで済んだとしましょう。1ミリシーベルトは、1シーベルとの1000分の1、<1万人シ−ベルト>と言う合計量に達しようとすれば、逆に人数は1000倍になります。
つまり、1ミリシーベルトしか<被曝>しなかった人であれば、1000万人集めて来て初めて、<1万人・シーベルト>と言う額になります。その時に、どれだけの人が癌でしぬのか、と言う計算です。
3855人が、やがて癌で死ぬと言う位の危険度になります。そしてこの危険度は、全年齢を平均した時の危険度にほぼ等しい。
今日この会場に、30歳のおとしの人がいるとしますと、自分はごくごく平均的な放射線に対する感受性を持っていると考えればいいのです。
年をとって行くと、生命体としてはドンドン衰えて行きます。細胞分裂もしないし放射線に対しても鈍感になって行きます。(笑い)この様に〔下図〕50〜55歳にもなれば、殆ど放射線に対する感受性がなくなるのです。〔笑い〕
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写真 放射線癌死の、年齢依存性(1万人・シーベルト当たり)
私も含めて、この様な世代こそが原子力の暴走を許して来た張本人ではないでしょうか。そんな人間が責任を取らないまま、子供達の被曝を黙認してはならないのです。子供達は大変なのです。0歳の赤ん坊になれば、平均的な危険度(30歳)の4倍〜5倍も負わされます。危険を一身に負わされてしまいます。何としても彼等の<被曝>を減らす事が、私達大人の責任だと思います。
その為に出来る事、それは何でしょう。本当は避難です。放射能と戦っても勝てません。逃げるしかないのです。汚染地帯から逃げなければなりません。
福島の人達は何とか復興したいと言っています。その気持ちは痛切に分かりますが、本当は避難です。
しかし、この出鱈目な日本と言う国では、国家・政府は何もしていない。人々を汚染地域で被曝しろと、捨ててしまおうとしている。
“被曝は、たいした事はないから、留まれ、帰還しろ”と、あの事故はすべて終ったかのように取り繕い、アリバイ作りを行っている。これが安倍政権と国家に依る犯罪行為でなくて何であろう。
この様な安倍政権に依る犯罪行為から、ともかく子供達を守る事、これが私達大人の責任です。夏休みのひと月でも、春休みのひと月でも一週間でもいい、ともかく子供達を、<被爆地>から避難させ、ドロンコ遊びも良い、木に登っても良い、そんな生活をさせなければ子供が子供として育たない。サマーキャンプ、疎開、あらゆる自衛手段で、国家の犯罪行為に対抗し、子供を守らなければなりません。いま、多くの人々が、沢山の団体が、そういった活動に取り組まれています。あちこちで福島の子供達を受け入れようと言う運動がひろがっています。
日本政府は、除染をすれば綺麗になると言っていますが、そんな事はありません。今私達が汚染と呼んでいるものは、その正体は放射能です。放射能は人間が手を加えても、煮ても焼いても無くなりません。出来る事は、個々にあるものを隣に移す、それだけの事です。私はそれを移染と呼んでいます。子供が集中的に時を過ごす場所は、この移染を徹底的にやるべきと思います。
もうひとつは、学校給食の材料を厳選して子供を食物汚染から守らなければなりません。日本政府は、1kg当たり100ベクレルを超えなければ食べてもよいといっています。しかし、日本の食べ物は、事故前まで1kg当たり0.1ベクレルしか汚れていませんでした。1kg当たり100ベクレルと言う事は、1000倍の汚染を許すと言うことになります。そんな事は到底許せません。学校給食に関する限りは、きれいな食べ物をまわさなければなりません。
(文責 柴野貞夫)
<参考サイト>
☆ 民衆闘争報道/「第3回さよなら原発1000人集会」(10月6日伊丹市)での小出裕章(京都大学原子炉実験所・助教)の講演記録
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