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 <論考> 「日米防衛協力指針の改定は、日・米両帝国主義の、アジアと世界に対する新たな戦争準備である(その2)」(2015年5月17日)


[論考] 日米防衛協力指針の改定と、11件の戦争法規は、日・米両帝国主義の、アジアと世界に対する新たな戦争準備である

<連載項目>
@ 安倍訪米の目的とオバマの狙い(前回)
A 集団的自衛権と新日米防衛協力指針(今回)
B 11件の戦争立法(一つの新法と10件の改正法)(次回)

        

柴野貞夫時事問題研究会


A 集団的自衛権と日米新(再改定)ガイドライン


● 戦争国家を企む犯罪集団、安倍自公政権


514日、憲法を蹂躙する犯罪者集団―安倍政権は、日本国憲法第91項、2項を公然と踏みにじって、米国が今後世界で引き起こすであろう、あらゆる侵略戦争に加担する事を約束する、<日米新ガイドライン>を実効化する為の関連国内諸法―‘戦争法’を閣議決定した。それは、新法1件と、改定関連法規10件を一括法としたものであり、その全てに於いて、<集団的自衛権の行使>を盛り込んだ違憲立法である。
安倍自公政権は、戦争と武力の行使を禁じる日本国憲法が支配する日本と言う国の外側に、自分達だけの恣意的法律を作り、一つの二重国家を作ろうと企んでいるのである。日本の社会と国民に違法なこの法に従え、この自分達の戦争国家に従えと叫んでいるのである。これは殆ど狂気の沙汰である。
10件もの既存の国内戦争関連法の改正を、<一括法>として国会提出を狙い、“一つの特別委員会”に付託すれば、審議も何もせず、国民の目を晦ましながら違法立法を通過させる事が出来ると企んでいるのだ。
512日、自民党総務会で、ただ一人<戦争立法>の採決に加わらなかった村上誠一郎衆院議員は、“集団的自衛権に賛成できないと申し上げた。行使の具体的ケースの説明もない。憲法を有名無実化するものだ。戦前のドイツ議会が、全権委任法を通して、民主的なワイマール憲法を潰したのと同じことになる。軍部の暴走を止めるためにどうするのか。質問すればするほど、疑問がわいてくる。記者の皆さんも、圧力に屈せず、自分の頭で考え、戦争立法の問題点を、伝えて欲しい。”と記者団に語った。
我々時事問題研究会は、今日まで、安倍自公政権の密室協議によって、戦争法規の正確な全文を手に入れるのが遅れてしまい、断片的な分析しか出来なかった。512日、新たな立法「海外派兵恒久法(国際平和共同対処事態に際して、我が国が実施する諸外国の軍隊等に対する協力支援活動等に関する法律案)」と、「一括法(我が国及び国際社会の平和及び安全の確保に資するための自衛隊法等の一部を改正する法律案要綱)」の全文を手に取る事が出来た。直ちに全面的な分析に入っている。連載形式で伝えて行く予定である。
その前に、日米安保体制下の、<日米軍事協力の指針−ガイドライン>の歴史、即ち、1978年ガイドラインから、1997年ガイドライン、今回2015年のガイドラインの歴史の流れの中で、、どのような国内外の情勢に規定されて変化して来たかを明らかにして置くことは、現在を分析する力となる。
米国の外交政策の歴史は、基本的に、軍事的恫喝と戦争挑発を軸とする軍事外交であった。日米関係で言えば、世界情勢の中で、米国の帝国主義的利害を貫くための戦争準備の節目々で、日米軍事ガイドラインの改定を行って来たと考えられる。


● 1978年の<日米ガイドライン>の目的

日米間の、最初の1978年の日米ガイドラインは、1960年に締結された日米安保条約が、1970年に自動延長された日米安保を軸に、新たな資本主義世界の状況に対する、日米両帝国主義の政治的軍事的対処を明らかにしたものだ。
1972515日に、沖縄は、「核抜き本土並み」と言う欺瞞の下に、日本に返還された。太平洋戦争において日本本土の盾として犠牲を強いられ、全島が戦場となった沖縄の返還の実際の中味は、19691121日にワシントンで行われた日米首脳会談で、佐藤、ニクソン両首脳は、秘密裏に、‘有事’の際の沖縄への核再持ち込みを取り決めた合意議事録を取り交わしていた。また、日本における米軍基地の70パーセントが、沖縄に集中する事態もそのままだった。1970年自動延長(10年目)となった日米安保条約は、60年安保から引き継がれた地位協定もそのままであり、米軍基地が集中する沖縄で、治外法権的な米軍特権が横行するのもそのままだった。
1970年代後半は、米帝国主義による、ベトナム・インドシナにおける民族解放闘争に対する、介入と侵略戦争の屈辱的敗北が、米国主導の戦後資本主義体制の新たな動揺を生み出した。米国は、この事態への対応として、ソ連との軍事対決を、再び世界戦略の基軸に置き始めた。1979年の米・中国交(前年には、日中国交回復)も、デタントの始まりなどではなく、中ソ対立を利用する事で自らの危機を乗り切ろうとする米国の狙いから来たものである。
レーガンは、大軍拡路線を取り、ソ連との軍事的対決、国際的軍事緊張の政策的創出、それによる武器輸出の拡大を図り、日本に対しても、<ソ連脅威論>と日米<貿易摩擦の解消要求>を梃子に、中曽根政権に米国の武器輸入要求を突きつけた。
ここに、日本の政治と経済の軍事化がはじまった。(それは国民大衆へ集中的に転化されて行く。「中曽根構造改革」と言う、日本資本家階級の労働者・民衆への犠牲の転嫁としての攻撃は、米国の武器購入要求への対応としての軍事費の増大が、増税・社会保障の削減となって示され、国内重工業部門の急速な軍事化は、この時一挙に進むこととなる。この時期、国鉄民営化は、国鉄労働者に一方的な犠牲を転嫁するとともに、日本労働者階級の労働運動の分断と、戦闘的組合の解体が進むこととなった。
世界戦略の基軸に、ソ連との軍事対決を置いたアメリカ帝国主義は、自国5万の兵員とアジア最大の軍事基地を有する日本との、「日・米安全保障条約」に基づく役割分担の見直しを要求することとなる。それは、「国際貢献」と「軍事化」に向かう日本資本家階級の要求とも符合したのだ。
日本は、米国の軍産複合体を軸にした軍事戦略に同調し、「世界平和・安定こそが日本の繁栄」との観点から「経済大国としての応分の貢献」として●専守防衛の枠内での軍事力の強化。●国連監視団への参加、自衛隊の平和維持活動への参加構想が持ち上がる。これは、経済大国として<世界平和への国際貢献>が、<軍事を含むものに変質>していく過程でもあった。
1978年の日米ガイドラインは、この様に、米国と日本の政治的・経済的情勢を背景に、在日米軍の防衛費支援に日本の役割を強く求めた。従来から負担していた周辺対策費や施設借料以外にも、基地従業員給料、移転経費、施設整備費、高熱水料など、「思いやり予算」の負担を求められた。また、日本への武力攻撃事態に対する情報活動、後方支援、などが提起され、日本有事の際の防衛協力の枠組みがしめされ、日本と自衛隊の役割分担において、1997年の日米ガイドラインで明確に提示された「日本周辺事態」への軍事行動へと繋がっていく方向性が明らかになった。この『旧ガイドライン』に基づいて、1981年には「有事対処計画策定」1983年には「対米武器技術供与解禁」在日米軍の経費分担の強化(思いやり予算はこの時にできた。)などが確定する事になった。
しかし、これらは、米軍に基地の場所を日本国内に提供する日本と、それを使用する米軍との関係に、あくまでも重点を置いたものであって、日本自衛隊が米軍と共に、「周辺地域」の軍事行動に直ちに拡大するには、未だ不十分だった。
本来、60年安保(現行安保)では、第6条において、@米軍の行動範囲を極東に限定する(極東条項)、A「合衆国軍隊の日本国への配置における重要な変更、同軍隊の装備における重要な変更並びに日本国から行なわれる戦闘作戦行動のための基地としての日本国内の施設及び区域の使用は、日本国政府との事前の協議の主題とする。」とする、(岸・ハーター)による 第6条実施に関する交換公文(いわゆる事前協議事項)が規定され、在日米軍は、その行動範囲を、極東条項によって制約を受け、核を始めとする新たな装備や、部隊の移動に対し、事前協議の対象とされると(建前は)規定した。即ち、現行安保は、在日米軍を、条約上「制限が課せられた存在」であることを表向き謳った。
もちろん、核兵器の持ち込み密約に限らず、「朝鮮半島有事」における米軍の自由出撃密約など、米軍の軍事行動が、条約の「制限」を破って展開される不法行為を裏で認めており、実際に米軍は明らかな条約の蹂躙を、日本政府の容認の下で進行中である。また、「事前協議」は、これまで一度も行われた事がなく、そのことは、米軍のあらゆる行動が、如何なる制約も受けて来なかった事を示している。
また、この1978年ガイドラインで、「朝鮮有事」に対する日・米共同研究が俎上に上ったのは、極めて警戒すべき事だった。60年安保条約における密約で、‘朝鮮有事’における米軍の「朝鮮への自由出撃」が取り決められており、それを公然化した様なものだからだ。朝鮮で米国による侵略戦争が開始されれば、日本国土は、否応なく米軍の戦争に巻き込まれるに違いない。
しかし、自衛隊が、日本の領域外で、米軍の侵略戦争に加担して行動を共にするには、「テロ特措法」「イラク特措法」を待たなければならなかった。


 1997年<改定日米ガイドライン>の狙い


19979月、日米ガイドラインの改定が行われた。日米安全保障協議委員会は、共同声明でその目的を次のように言った。“冷戦の終結にもかかわらず、アジア太平洋地域には潜在的な不安定性と不確実性が依然として存在しており、この地域における平和と安定の維持は、日本の安全のために一層重要になっている。”と。帝国主義者の言う「平和と安定」とは、働く民衆にとっては、「抑圧体制の持続と搾取の強化」を意味する、彼等の企みを隠蔽する常套語である。
1970年代後半、ベトナム侵略戦争での惨めな敗退後,軍産複合体に依拠した歴代の米政権は、‘冷戦体制’ソ連との軍事的対決、国際的軍事緊張の政策的創出によって延命を図ってきたが、199112月、エリツインの反革命でソヴィエト国家が崩壊し、ソ連を軸とした社会主義圏の混乱は、アメリカ帝国主義にとって、これまでの安全保障体制の見直しを迫られた。
米国は、東北アジアにおいて、社会主義圏の混乱に乗じて、間接的な攻撃目標を中国に置き、直接的な攻撃目標を朝鮮に定めた。朝鮮戦争から始めた朝鮮への核戦争の脅しによる‘北政権転覆’の画策を具体化する契機と捉えた。ソ連の崩壊によって、核の傘と経済的支援を絶たれた朝鮮民主主義共和国に対し、核による軍事的威嚇を強めた。
朝鮮は、米国の核の脅しに対抗して、自衛的な手段としての核開発に向かわざるを得なかった。米国は、列強による核の独占を維持するための御用国際機関―IAEAを動員し、朝鮮に対する核査察を要求。それを拒否する朝鮮と米国は、一時期、一触即発の戦争危機を迎えた。しかし、19937月、米国が“核兵器の使用、威嚇を行わないとの再確認をする”一方朝鮮側は、“核問題解決の一環としての軽水炉を導入”し、米国がそれを支持すると言う、朝・米ジュネーブ合意によって、ひとまず戦争は回避された。

しかし米国は、口での約束とは裏腹に、実際はジュネーブ合意以降でも、朝鮮に対する核攻撃準備を進めていた事、‘軽水炉導入’もまた、朝鮮の崩壊を期待して、“朝鮮側の約束不履行”をでっち上げ、徹底的に引き伸ばしに掛かったことは、その後の事実の暴露で明らかになった。
ドンオーバードファー(Don Oberdorferは、「The Tow Coreas− 二つの朝鮮―国際政治の中での朝鮮半島」で記述している。「1993518日、シャリカシュビリ米統合参謀本部議長は、作戦計画を検討した結果、緒戦の90日で、米兵の死傷者は、米兵52000名、韓国兵490000名、本格的戦争になれば、米兵の死者80000100000名を含め、軍・民間人の死者は、100万人に達するだろう。」と予測した。にも拘らず、「ペリー国防長官は、6月はじめ、極東の陸、海、空軍、10000名増強とF117ステルス戦闘機の増強、空母の近海配備で準備に入った」と。では何故戦争が回避出来たのか。この危機は、カーター元大統領と、金日成会談で回避された。戦争とはこの様に凄惨なものである。この第2次朝鮮戦争が現実のものとなれば、米軍の軍事基地列島である日本は、血生臭い戦場の修羅場になるのは必定であった。‘集団的自衛権’を弄ぶ安倍の浅はかな知見が、こんな事態を引き起こすのは卑近な現実的問題である。

1994年から進められた“連合戦時増員演習”時には、核で朝鮮を先制攻撃する事を骨子とする“作戦計画5026”、“作戦計画5027”、“ニョンビョン(寧邊)爆撃計画”、などの核戦争の脚本を組み立て、各種の最新核打撃手段を動員し、核戦争演習を敢行した。
米国の北侵略戦争演習策動は、2000年代に入って、さらに積極化し、本格化された。2002年、朝鮮を核先制攻撃リスト(名簿)に挙げた米国(ブッシュ政権時)は、2008年から“キーリゾブル”、“トクスリ”合同軍事演習と、“ウルジフリーダムガーデイアン”合同軍事演習に、超大型核推進航空母艦と戦略爆撃機を始めとした先端核攻撃装備を総出動させた。
19979月に、「日米ガイドライン」は、この様な極東に於ける核戦争の危機の前後に、改定されたのである。
これを協議した日米安全保障協議委員会は、共同声明の中で次のように言った。“ 日本のすべての行為は、日本の憲法上の制約の範囲内において、専守防衛、非核三原則等の日本の基本的な方針に従って行われる。” と。面従腹背によって民衆を欺瞞する文言だ。
しかし、「改定ガイドライン」は、日米の軍事協力の範囲を、「日本の領域での平和と安全」から遥かに逸脱したものになった。それは、集団的行使に至らないまでも、専守防衛と9条1項、2項の逸脱へ繋がるものである。
(軍事協力の範囲を)「日本周辺地域における事態で日本の平和と安全に重要な影響を与える場合(周辺事態)」へと拡大し、その‘周辺事態’の概念を次のように規定した。「周辺事態は、日本の平和と安全に重要な影響を与える事態である。周辺事態の概念は、地理的なものではなく、事態の性質に着目したものである」と。
日米の軍事協力の範囲を、‘地理的なものではなく、事態の性質’だとすれば、日米の軍事協力が、日本周辺(アジア太平洋地域)へと拡大するのみならず、世界中至る処に拡大する事になる。

‘日本周辺地域における事態で日本の平和と安全に重要な影響を与える場合(周辺事態)の協力’として、3分野40項目に分類した。
自衛隊の役割も、日本に対する武力攻撃時、日本が反撃を主導し米国が支援する形で拡張され、‘周辺有事’には、●日米それぞれが主体的に実施する行動に於ける協力、●米軍に対する日本の支援活動、●運用面での協力等、即ち、救助活動や避難者対応措置、捜索活動、非戦闘員撤収作戦、‘世界の平和と安定の為の経済制裁の実効性の確保と言う行動協力、米軍の活動の為の施設の使用と後方地域支援が示された。周辺事態における協力の対象となる機能及び分野並びに協力項目例が、詳細に並べられた。
この「改定日米ガイドライン」は、それを実効化する為の国内関連法規の整備を必要とし、以下の戦争関連法の整備が矢次早に進められた。これ等は当時、有事立法と呼ばれ、今回の「再改訂日米ガイドライン」の骨格を作る物となる。

即ち、
1999年   周辺事態法
2001
年   テロ特措法、 自衛隊法改正
2003
年   武力攻撃事態法
        イラク特措法
2004
年   国民保護法、 米軍行動円滑法 、日米物品役務相互提供協定改正案

       特定公共施設利用法 海上輸送規正法 
2005
年   自衛隊法改正
2006
年   防衛庁の省昇格


ここに掲げた各法律は、当時有事立法と言われたものが大半である。現在、安倍が5月14日閣議決定した1件の新法と10件の改定‘戦争法規’に照合するものである。国民の諸権利の制限、基地外の民間施設の軍事的占拠、自治体の戦争協力、民間船舶の規制など、在日米軍の世界戦争への日本列島丸ごとの動員体制をとろうとするものである。これら法律は、自衛隊の軍隊としての実質を支えるものであり、米軍の戦争行動を日本の国内法で支援するものである。自衛隊と米軍を日本国憲法の制約から解き放つ不当極まりない違憲法である。なによりも問題なのは、それが、民衆を戦時体制に、法の名のもとに強制的に組み入れ、その基本的人権を踏みにじる違憲立法であった。
(続く)

(参考)日米ガイドライン