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<論考> 「日米防衛協力指針の改定は、日・米両帝国主義の、アジアと世界に対する新たな戦争準備である(その3)」(2015年5月26日)


[論考] 日米防衛協力指針の改定と、11件の戦争法規は、日・米両帝国主義の、アジアと世界に対する新たな戦争準備である(その3)

<連載項目>
@  安倍訪米の目的とオバマの狙い

A
   集団的自衛権と新(再改定)日米防衛協力指針<その1>
B   集団的自衛権と新(再改定)日米防衛協力指針<その2> (今回
C   11件の戦争立法(1つの新法と10件の改正法) (次回

                                                  柴野貞夫時事問題研究会

2015年<日米ガイドライン>では公然と集団的自衛権の行使を謳っている

1997年・改定ガイドラインは、前回<A 集団的自衛権と日米新(再改定)ガイドライン>で述べたように、(軍事協力の範囲を)「日本周辺地域における事態で日本の平和と安全に重要な影響を与える場合(周辺事態)」へと拡大し、その‘周辺事態’の概念を次のように規定した。「周辺事態の概念は、地理的なものではなく“日本の平和と安全に重要な影響を与える事態”である。周辺事態の概念は、事態の性質に着目したものである」と。
それは、集団的自衛権行使に至らないまでも、専守防衛と9条1項、2項の逸脱へ繋がるものであった。日米の軍事協力の範囲を、‘地理的なものではなく、事態の性質’だとすれば、日米の軍事協力が、日本周辺(アジア太平洋地域)へと拡大するのみならず、世界中至る処に拡大する事になる。
60年安保(現行安保)では、第6条において、@米軍の行動範囲を極東に限定する(極東条項)、A「合衆国軍隊の日本国への配置における重要な変更、同軍隊の装備における重要な変更並びに日本国から行なわれる戦闘作戦行動のための基地としての日本国内の施設及び区域の使用は、日本国政府との事前の協議の主題とする。」とする、(岸・ハーター)による 第6条実施に関する交換公文(いわゆる事前協議事項)が規定され、在日米軍は、その行動範囲を、極東条項によって制約を受け、核を始めとする新たな装備や、部隊の移動に対し、事前協議の対象とされると(建前は)規定した。即ち、現行安保は、在日米軍を、条約上「制限が課せられた存在」であることを表向き謳ったのである。
2010427日に、国際問題研究者・新原昭治氏が、米国立公文書館から発見した米国政府解禁文書は、日本政府(藤山外相)と米国政府(マッカーサー大使)が、米国が(旧)安保条約で行使してきた軍事的特権を、新安保条約でも引き継ぐいくつかの取り決めを行った事を明らかにした。
核兵器の持ち込みに限らず、「朝鮮半島有事」における米軍の自由出撃密約、地位協定3条に関する秘密合意覚書を明らかにした。この<地位協定3条に関する秘密合意>とは、1952年発効の(旧)日米安保条約下の<行政協定>で、米軍に基地の使用・運営に必要なあらゆる「権利、権力、権能」が与えられていた問題で、現行の安保条約の下でも、そうした米軍の基地特権が引き続き堅持される事を、日米両政府が秘密了解覚書として結び確認していた。
現在、オスプレイの危機極まる演習に対し、日本政府が何等の制限も加えられないのは、オスプレイの沖縄配備当時の防衛大臣・森本が、“日本政府には米国に対し、物申す何等のマンデート(権限)も無い”と言ったのは、将にこの“地位協定3条に関する秘密合意覚書”に由来する。
小泉と日本の執権政党は、この不法行為を是認した。それどころか法を蹂躙する米軍を、自衛隊によって後方支援し、ついにはイラクへの自衛隊の派遣に行き着いた。
米国と日本は、安保条約の法の枠組みさえ踏みつけながら、自衛隊と在日米軍の世界的な戦争行為のための全面的な協力関係に向けて、日本の「関連法の整備」と「防衛政策」に照らして米国の政策と整合させる為の協議を重ねてきた。武器三原則の見直しや、「有事」を想定した自衛隊との協力体制、基地の協同使用、民間施設の供用など、到底、日本の平和憲法の理念と条文の規定から容認され得ない、法の蹂躙を犯してきた。1996年日米首脳会談において、日米安保協力指針(ガイドライン)の見直しが行われ、安保条約の適用範囲を、「極東」から、「 アジア太平洋」に拡大したのを始め、20052月、日米安全保障協議委員会。200510月 日米両政府による在日米軍再編の中間報告を通して、自衛隊と米軍による集団的自衛権の行使の準備態勢がつくられて来たのである。
このような,在日米軍の再編と前後して、国内における平和憲法体制を根底から否定し、自己の軍事国家化への準備、および在日米軍 と自衛隊の違法行為の「合法化」を図る法の整備を、十分な、国民への情報の開示と検討期間も与えず、強行してきた。特に200110月 テロ特措法は、ニューヨーク9.11テロに便乗して作られた、正真正銘の米軍支援法であり、日本国憲法はもちろん、安保条約の制約さえも根底から破る不法な法律であった。“アフガン復興支援”の名分で、戦後初めて戦闘地域に武装した戦艦を送ると言う重大な違法行為による法制にもかかわらず、たった9日間の国会討議で強行された。
1997年・改定ガイドライン(以後、指針とする)は、国内関連法を含め、<集団的自衛権>を行使する事とした今回の2015年・再改定ガイドラインと関連国内法改定に関して、全ての条件を準備したものとなっている。
安倍は、関連国内法を国民の前に明らかにする前に、米国に対しては、2015年・ガイドラインの交渉で、国内法改定を(自国の国会手続期の前に)米国と事前に約束すると言う、‘売国的’(安倍は、常に日本人の矜持を言って来た筈ではないのか)盲動に走っている。

(参考)2015年ガイドライン

● “日本のすべての行為は、日本の憲法上の制約の範囲内において行われる”を削除した

○ 1997年指針は、<基本的な前提及び考え方>のU項目の2で、「日本のすべての行為は、日本の憲法上の制約の範囲内において、専守防衛、非核三原則等の日本の基本的な方針に従って行われる。」(原文のまま)と、一応それなりに明記した。‘この考え方’で、日本有事と、朝鮮有事を念頭に、日本周辺で武力衝突が起きた場合の、自衛隊と米軍の役割分担を決めていた。
○ しかし、2015年指針は、<基本的な前提及び考え方>のU項目のCで、彼等の指針に込めた狙いを明確にし、<基本的前提>を次の様に書き換えた。
「日本及び米国により行われる全ての行動及び活動は、各々の憲法及びその時々において適用のある国内法令並びに国家安全保障政策の基本的な方針に従って行われる。日本の行動及び活動は、専守防衛、非核三原則等の日本の基本的な方針に従って行われる」(原文のまま)として、‘日本のすべての行為は’と云う文言は‘日本及び米国’に代えられ、‘日本の憲法上の制約の範囲内において’と云う文言も削除した。

「専守防衛、非核三原則等の日本の基本的な方針」は、国民を欺瞞する目晦(めくら)ましとして使われているだけである。
米軍と共に集団的自衛権を行使する事は決して専守防衛ではない。先制核攻撃を公言し、常時核で武装した米軍と共に戦争する自衛隊が、どうして「非核三原則の堅持」出来るのか。
犯罪者・安倍と米国にとって、「日本の憲法上の制約の範囲内」と言う文言は、集団的自衛権も「憲法の範囲内」と主張する彼らの立場からすれば、削除する必要はなかったはずだ。しかし、「憲法の制約を取り除く」と主張して来た以上、この文言は全くそぐわないと考えたのであろう。
次に、2015年指針の各項目に沿って、自衛隊が米軍との関係で、どの様に集団的自衛権を行使しながら、米国と共に戦争を行おうとしているのかを、見て見よう。

● 自衛隊と米軍は、世界規模の軍事同盟

「アジア太平洋地域及びこれを超えた地域が安定し、平和で繁栄したものとなるよう」にすることが指針の目的としたうえで、日本を守るための協力体制を見直しただけでなく、自衛隊による米軍の支援を世界規模に広げた。
即ち 日本の防衛で自衛隊と米軍があらゆる 事態に切れ目なく対応し、「日米同盟のグローバルな性質」を強調、<日米が世界規模の同盟>であることを強調している。


● 新たな項目<強化された同盟内の調整><共同計画の策定>を記述

1997年指針には無い、グレイゾーンを含む平時から、「利用可能な同盟調整メカニズムを設置し、運用面の調整を強化し、共同計画の策定を強化する」として、「共同作戦計画」を策定し、米軍の軍事力行使に、全面的に自衛隊が関与する事を明らかにしている。「平時から戦時までの切れ目無き、自衛隊と米軍の調整メカニズム」即ち、常時的な「合同司令部」設置を目論んでいる。

● < 2015年日米ガイドライン>の目的と狙い

1、 2015指針は、自衛隊と米軍の役割で、「日本国憲法の制約の範囲内」を全面削除
2、 自衛隊と米軍は、世界規模の軍事同盟であると宣言。
3、 常時的な合同司令部の設置。
4、 自衛隊と米軍の軍事協力に、地理的制約が無い事を明言。
5、 2015年指針の狙いを 国内関連法全てに反映させる為、<集団的自衛権>行使例を具体的に示している。
6、 “米国を狙った他国の大陸弾道弾を打ち落とす”役割を自衛隊に与えるなどと云うのは、日本を火の海にされても文句も言えない狂気の沙汰だ。しかもこれは、米国の中国・朝鮮を標的とする<ミサイル防衛(MD)体制>に組み込まれたものだ。日米同盟を、日韓米―多国間軍事同盟に深化させる事を想定したものである。
7、 あらゆる地域で、中味も、水から弾薬まで、何等の制約も無い後方支援が、随所で記述されている。それは、集団的自衛権の行使そのものである。
これら、安倍犯罪内閣が進め様としている2015年指針の具体化としての関連国内法(戦争法)改定の動きは、もはや国会で審議する性格のものではなく、それ以前に、安倍政権と自公民議員を、特別公務員の憲法尊重義務に対する重大な犯罪行為として、訴追する事が先決である事をしめしている。
1997年・改定ガイドライン策定以降、このガイドラインを具体化する国内関連法として、矢継ぎ早やに法制化されたのが以下の関連法である。

1999年   周辺事態法
2001
年   テロ特措法、 自衛隊法改正
2003
年   武力攻撃事態法、  イラク特措法
2004
年   国民保護法、 米軍行動円滑法 

        特定公共施設利用法  海上輸送規正法 
        日米物品役務相互提供協定改正案 
2005年  自衛隊法改正


これらの軍事関連法規は、現在、安倍自公民政権が< 2015年指針(日米防衛協力指針)>を‘実効化’する為に改定、ないしは新法化しようとしている11件の戦争立法(一つの新法と10件の‘一括’改正法)と完全に符号している。11件の戦争立法全てにおいて、集団的自衛権行使を実効化する事こそが、その狙いである。
従って、<2015年指針>の各項目は、日米帝国主義者どものが、これら既存の関連国内法を‘見越しながら’それぞれの関連法に集団的自衛権を実効化するための具体的な指針をしめしている事を明らかにしている。
我々は、まず、<2015年指針>の各項目での、日・米帝国主義者の狙いを明らかにする事で、11件の戦争法規の実態を暴露しよう次に、指針の項目に沿って、自衛隊がその役割分担を通して、どの様に集団的自衛権を行使しようとしているのかを、明らかにしよう。


T、「平時」に於ける米軍と自衛隊の軍事協力


平時を<武力攻撃に至らないグレイゾーン事態>と、<放置すれば日本に重要な影響が及ぶ事態―武力攻撃の発生が予測されたり起きたりする場合>に分け、両国の協力の枠組みを示し平時にも、切れ目無い戦争体制を作り出そうとしており、‘放置すれば重要な影響が及ぶ事態’について、‘地理的制約が無い’と明記、南シナ海や中東でも、米軍の後方支援がほとんど無条件に出来ると主張している。そこでの集団的自衛権の行使例を示している。
@ 日本の現在の<周辺事態法>を見直し、安倍が今国会提出を企んでいる戦争法規の一つである<重要影響事態法>に衣替えする事を見込んで、南シナ海、中東他での、米軍への補給など、あらゆる後方支援をする事を明らかにしている。
A自衛隊と米軍は、「情報収集・警戒監視・偵察活動において、共同の活動をする。」とし、情報・監視・偵察と言った日常的な共同軍事活動を明記している。
B「防空及びミサイル防衛」の項目で、「自衛隊及び米軍は、弾道ミサイル発射及び経空の進入に対する抑止及び防空態勢を維持し及び強化する。日米両政府は、早期警戒能力、相互運用性、ネットワーク化による監視範囲及びリアルタイムの情報交換を拡大する為並びに弾道ミサイル対処能力の総合的な向上を図る為、協力する。さらに挑発的なミサイル発射及びその他の航空活動に対処するに当たり緊密に調整する。」として、「日・韓・米」が現在進めている、朝鮮と中国を標的にした先制攻撃的<MD体制(ミサイル防衛体制)>を念頭に、米軍の東アジアに於けるミサイル戦争への全面的参加を謳っている。
C   海洋秩序の維持と称し、自衛隊と米軍の「プレゼンス(軍事的圧力)の維持・強化の取り組み」を謳っている。
D   「日本、米国は、如何なる段階に於いても、各々自衛隊及び米軍に対する後方支援の実施を、主体的に行う。」と、戦争法規の一つである、日本政府と米国政府間の取り決めである<日米物品役務相互提供協定の改定>を見越し、「それまでの取り決めに限らない後方支援を行う」と取り決め、後方支援における、限界無き集団的自衛権行使を図ることを、狙っている。
武力を行使する他国への「後方支援」では、過去米軍の911後の、アフガン侵略に協力した、テロ特措法(2001年)によるインド洋の米艦船への給油活動があり、イラク戦争においては、自衛隊が、クエートのアリアルサレム空港からバグダッドに米兵を空輸した'後方支援’がある。政府は、これらの自衛隊の行為が、「非戦闘地域内」の行為だと主張し、「武力の行使と一体化するものではない」と言い逃れて来た。しかし、2008417日、名古屋高裁は、「イラク特措法を「合憲」と認めたとして」も、「武装兵士の輸送は、憲法九条T項に違反するとする判断を示した。「非戦闘地域」であったとしても、戦争行為者と一体的だと言う憲法判断を示した。
2015指針は、地域の制限を無くし、支援内容の制限を取り払い、「水から爆弾まで」支援しようとするものである。
E   「後方支援」において、民間の空港、港湾を含む施設の利用に対し、地方公共団体への義務や権限の制約を計り、国内法の関連法規の改定を通して狙う事を企んでいる


U、「日本に対する武力攻撃への対処行動」


@ 弾道ミサイル攻撃に対処するための作戦」項目に於いて、「自衛隊及び米軍は、日本に対する弾道ミサイル攻撃に対処するため、共同作戦を実施する。」とし、「自衛隊及び米軍は、弾道ミサイル発射を早期に探知するため、リアルタイムの情報交換を行う。弾道ミサイル攻撃の兆候がある場合、自衛隊及び米軍は、日本に向けられた弾道ミサイル攻撃に対して防衛し、弾道ミサイル防衛作戦に従事する部隊を防護するための実効的な態勢を維持する。」と、ミサイルを巡る日米共同作戦を公然と主張している。「自衛隊は、日本を防衛するため、弾道ミサイル防衛作戦を主体的に実施する。」との記述は、自衛隊が必要に応じて、あいてのミサイル発射台を叩くこともあることまた、先制攻撃を含む、米国の<ミサイル防衛体制>に完全に組み込まれた集団的自衛権行使であると同時に、他国に対する戦争行為そのものである事を明らかにした。無論、1998年指針には無い記述だ。
A米国に向けて、発射された弾道ミサイルを、日本が打ち落とすことは、完全な集団的自衛権の行使だ。ミサイル迎撃で、米国に協力するための関連法制の改正も視野にいれながら。
B「海域を防衛するための作戦」で、「自衛隊及び米軍は、日本の周辺海域を防衛し及び海上交通の安全を確保するため、共同作戦を実施する。自衛隊は、日本における主要な港湾及び海峡の防備、日本周辺海域における艦船の防護並びにその他の関連する作戦を主体的に実施する。このため、自衛隊は、沿岸防衛、対水上戦、対潜戦、機雷戦、対空戦及び航空阻止を含むが、これに限られない必要な行動をとる。」と2015年指針は言う。ホルムズ、対馬などの国際海峡を念頭に、シーレーン防衛のための機雷掃海で米軍と協力するのは、集団的自衛権の行使であり、他国にたいする戦争行為そのものだ。

V、日本以外の国に対する武力攻撃への対処行動

● 集団的自衛権の行使での、日本の武力行使そのものの事例である。
2015指針>は、「日本以外の国に対する武力攻撃への対処行動」の項で、日本が攻撃されていないにも拘らず、米国を中心とする日本の同盟国が、攻撃された場合を想定した日本の武力行使を、次の様に規定した。
“日本が武力攻撃を受けるに至っていないとき、日米両国は当該武力攻撃への対処及び更なる攻撃の抑止において緊密に協力する。共同対処は政府全体にわたる同盟調整メカニズムを通じて調整される。

“自衛隊は、日本と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより日本の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態に対処し、日本の存立を全うし、日本国民を守るため、武力の行使を伴う適切な作戦を実施する”と。
米国は、言うまでも無く、世界中で、巡航ミサイルとドローンによる侵略と嘘で固めた合法政権崩壊作戦と、一方でテロリスト顔負けの拷問、誘拐、暗殺という国家暴力を駆使しながら、先制攻撃による強盗的侵略戦争を仕掛けて来た常習国だ。
1950年から今日にいたるまで、朝鮮に対し核の脅しで国家崩壊を狙い、ケネデイは、キューバのカストロ暗殺を国家の方針にし、ベトナムではトンキン湾事件をでっち上げ、イラク、リビアに対する虚偽情報で国際世論を欺き、イラン、シリアで現在も尚、合法政権崩壊作戦を、ISを利用しながら進行中だ。
世界中に戦争の惨禍を撒き散らしている犯罪人集団こそアメリカ帝国主義である。それは、アメリカ資本主義の危機とその延命の手段として行われて来た。その頽廃的・非人道的・非人倫的行為は、彼らが存命する限り、続くであろう。
こんな国家・アメリカが、自衛隊を集団的侵略部隊の一員に組織しようとするのが、米国の狙いである。
高村正彦(立法責任者・自民副総裁)は、戦争立法の一つである「武力攻撃事態等及び存立危機事態における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律(現・武力攻撃事態法)」において、集団的自衛権を行使を行う事が出来る三条件(新三要件)を明記したと言っている。
その三要件とは、以下の様に書かれている。
「@我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより日本の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態、Aこれを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段の無い事、B 必要最小限度の実力を行使すること。」
<指針>で、「日本」と記述された文言が、改訂‘武力攻撃事態法’で、「我が国」と置き換えられ、「適当な手段の無い事」「最小限度の実力の行使」と言う根拠の乏しい概念で、国民の生命を蔑ろにする文言が並んでいる。
安倍は、5月衆議院本会議で、武力行使三要件の判断は、「個別具体的に判断する」と言い,武力行使三要件の判断そのものが、政府の恣意的な判断になる事を暴露した。
三要件をどの様に判断するのかが問題であるにも拘らず、高村は、「三要件によって、集団的自衛権の行使は“限定的”なものになる」と答えた事に関し、司会者から、“三要件そのものが、歯止めなんですか”と揶揄される始末だ。
安倍自公民政権は、日本が何処からも攻撃を受けないにも拘らず、米国や他の同盟国と共に、世界至る所で戦争に参加する事態を公然と招き寄せようと企んでいる事を、決して許さない。
<指針>は、恣意的な、かれらの言う「集団的自衛権の行使を必要とする事態」において、具体的に集団的自衛権行使を発動する事例を、次の項目として挙げている。
@日本への弾道ミサイル攻撃を警戒する両国のアセット(情報)の防護
A海上作戦(これらに、何の地理的制約も支援内容の制限も無い)
以下によって、世界至るところで、海戦が展開されるだろう
● 機雷掃海を含むシーレーン防衛
● 敵対的船舶の活動阻止。味方艦船の護衛作戦
B 弾道ミサイルの迎撃での協力、早期の情報交換
ミサイル攻撃・迎撃と言う、ミサイル戦闘を米国と共に展開する。日本列島は、米国への協力によって、火の海になるだろう。
C 後方支援
区域の制限も支援内容も無制限
W、地域の、及びグローバルな平和と安全のための協力
この項目は、11件の戦争法規の中で、唯一の新法である、<国際平和支援法>(海外派兵恒久法)を、見越しながら設定されたものである。
<国際平和支援法>は、「特措法」の様な時限立法でなく、「国際平和共同対処事態」なるものを設定し、当該活動を行う諸外国の軍隊等に対する協力支援活動行うことにより、自衛隊の「戦闘地域への派兵」、「捜索活動」と言う名のゲリラ侵入活動、「テロ」戦闘集団との戦争、「平和維持活動」と言う名の終り無き戦争に常時的に参入することになるだろう。
(以下、次回に続く)


集団的自衛権に関する憲法解釈についての、内閣法制局長官20048月〜20069月)・阪田雅裕氏の話に耳を傾けよう

☆研究資料−「集団的自衛権の行使は、なぜ許されないのか」(阪田雅裕)
(「世界」2007年9月号からの転載)
「日本国憲法が独特で、他に類をみない平和主義であると言われてきたのは、その一項以上に二項の規定だと思います。戦力を保持しない、それから交戦権を否認するということで、九条一項と合わせて見れば、これはおよそ正義の戦争のようなものも含めて一切の戦争を禁止しているというふうに読めるし、そう読むのが素直だということです。
従って、単に違法な戦争だけではなくて、正しい戦争も日本国憲法は禁止しており、それゆえに平和主義に立脚した憲法だというふうに考えられてきた。政府もそう考えてきたということです。
ほとんどの憲法学者は、九条二項の戦力の不保持の規定に照らすと、現在の自衛隊が戦力に当たらないというのはおかしい、自衛隊は違憲だという立場だろうと思います。
政府の憲法解釈に、もし分かりにくい点があるとすれば、自衛隊は合憲であるというところから出発しているからでしょう。」

「国民の生命、財産を守るための必要最小限度の実力組織として存在するも、それが自衛隊である。そして、それが果たして必要最小限度を越えているかどうかは、予算審議等を通して国会の判断、いわば国民の判断であると言って来たわけです。量的にどこまでということは一概に言えない。そういう性質の自衛力ですから、専守防衛ということで、もっぱら攻撃をする時にしか使えないような兵器は保持する事は出来ないと言って来ました。たとえば航空母艦とか長距離ミサイルの類の兵器で、こうしたものは、いまも保持していないわけです。
もう一つ言えることは、自衛隊は将に国民の生命、財産を守るために存在する事から、海外で武力行使をすると言うことは基本的に考えられない。「基本的には」というのは、たとえば自衛のため、要するに外国の武力攻撃があり、それを排除するための行動が領土、領空、領海の外に及ぶと言うことはあり得る。
そうゆう意味で自国の防衛のために必要最小限度の範囲以内で公空,公海に及ぶということはあったとしても、それ以外の場合に海外、特に外国の領土、領海、領空で武力を行使することは許されない、というのが政府の解釈なのです。
ですから、集団的自衛権であれ、集団安全保障であれ、それは直接的には国民の生命、財産が危険にさらされている状況ではない。にもかかわらず、自衛隊が海外に行って、たとえ国際法上違法でないにしても、武力を行使することを憲法九条が容認していると解釈する論拠は、日本国憲法をどう読んで見ても、個別的自衛のための軍事行動とは違って、見出すことは出来ないということだと思います。」

「憲法と言うのは、マグナ・カルタ以来、統治者と被統治者の間のいわば約束事だと考えられています。憲法各条の名宛人は殆どが国です。
たとえば、二十九条や十四条についても、国に対して、国民の財産を侵害してはいけない、国民を差別してはいけないという事をもとめているのです。
九条は国民が国に戦争をさせないと言う事を決めている規定なのですから、それは国際法がどういうルールであるかという事とは、全く次元が違います。国際法では、軍隊を持つことだって全然かまわないのですから。
それならば、九条が戦力を持つ事を禁止していることについては、何故、国際法と国内法の矛盾と言わないのか、また、戦争当事者になれば交戦権は当然、国際法上認められているわけですが、交戦権を国内法である憲法で否認すると言うのは一体どういうことか、と言う様なことを議論しないで、集団的自衛権の部分だけを議論するというのは、はなはだ珍妙なんですね。法律学の議論としてはイロハのイの部分だろうと思います。」
(参考
 nihon_o_miru_jijitokusyu_104