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論考/朝鮮半島の統一を妨げる「国家保安法」と、民衆弾圧立法の「共謀法」を廃棄せよ 2017年6月22日)

 朝鮮半島の統一を妨げる「国家保安法」と、民衆弾圧立法の「共謀法」を廃棄せよ

「来るところまできた、日本の全体主義化・極右化と共謀罪」の解説−徐京植氏の紹介を兼ねて

                                                  柴野貞夫時事問題研究会

 

        

ソウル地裁第一審判決に出廷した、徐俊植(右)と徐勝(左)兄弟(1971年10月22日)

この論考「来るところまできた、日本の全体主義化・極右化と共謀罪」の筆者、徐京植(ソ・ギョンシク)東京経済大学教授は、1971420日、朴正煕維新軍事政権時、「学園スパイ団事件」の首謀者として、陸軍保安司令部によって「摘発」され、その後、死刑判決を受けた、ソウル大留学生で、京都市西院出身の在日朝鮮人学生、徐勝(ソ・スン)、徐俊植(ソ・スンシク)の末の弟である。
当時外電は、「北のスパイ」である徐勝氏が、弟・徐俊植を仲間に引き入れ、各大学の連合戦線を結成し、朴正煕の三選阻止運動を進めていたと報じた。韓国各紙は、彼らが「民衆蜂起を造成し、武力戦争を誘発」しようとしたと伝えた。朴政権は、徐勝氏の北入国の実績から、何らの根拠なく「スパイ」と捏造し、「国家保安法」によって、死刑を宣告したのである。両人は、法廷で拷問による自白の強要を暴露し、スパイ容疑を否定した。徐勝氏は、控訴審で死刑を求刑された後、“南も北も私の祖国である”と主張し、“我が国が、自主的平和的に統一されねばならない事は、全民族が一致して支持する既定の事実である。”と述べた。また、1973131日大法院に提出した上告理由書では、“国家保安法・反共法は、時代錯誤的であり、民族的存在理由に反する。人間固有の権利である思想と良心の自由、近代世界における自由と人権の思想に反する”と主張した。
両人が逮捕された同時期の427日、朴正煕大統領は、野党候補・金大中との得票差、95万票で辛うじて当選し、19721017日、「非常戒厳令」を布告、「維新憲法」による「終身大統領制」を導入し、軍事独裁体制を「合法化」した。しかし、朴は、「維新憲法体制」の撤廃を求める学生・民衆運動の拡大に対し、「国家保安法」」を利用した「スパイと国家転覆」罪の捏造による強権的弾圧を敢行した。197443日には、「民青学連事件」を捏造、54名が逮捕され、19754月9日には、「人民革命党」関係者8名が処刑された。
この時期、監獄内では、思想犯に対する系統的な虐待・拷問が一つの政策として常態化されている。徐俊植氏は、197453日、面会に訪れた西村関一参議院議員(社会党)に対し、次の様に述べている。“所内では酷い拷問とテロが行なわれた。非転向を主張した全ての政治犯が拷問を受けている。冬の寒い日、裸にされ、ロープで縛られ、水攻めされ戸外に放り出されます。ヤカンに4杯の水を飲まされ、ぷくぷくになった腹を踏みつける拷問です。しかし、私は転向しなかった。何故なら、自分と兄だけの問題ではなく、これは全体の問題だからです。”これは、西村議員によって、韓国軍事政権による拷問の代表例として、世界に報告され、アムネステイの公式記録に記載されている。
その後、徐俊植氏は、17年間非転向を貫き釈放され、兄の徐勝氏は、19年間の獄中生活ののち、1990年、軍事政権の終了とともの釈放された。
李承晩軍事独裁下で、194811月に制定され、朴政権下で改定を重ねた「国家保安法」は、民衆の抵抗を根こそぎ抑圧する暴力装置を狙いとしたが、日本の「治安維持法」を、字句までそっくり踏襲した部分が多い。反国家活動や、私有財産制度の否定、国体の変革、「情に通じた者」(事情に通じた者の意)と言う表現まで同じだ。特に、日本の「治安維持法」において、1928年、「緊急勅令」によって、罰則に「死刑」を導入し、更に「目的遂行罪」を加え、「情に通じた」と権力が認定すれば、変革に係るものとして、検挙する事が出来るとしたが、南朝鮮の「国家保安法」ではそのすべてが、当初から盛り込まれていた。

「国家保安法」は、それに加え、「朝鮮」に対する「讃揚・鼓舞」を重大な罪状に加え、朝鮮半島の統一への民族の願いを遮断した。201311月、日本の「秘密保護法」の条件も当然盛られている。
1945年廃止された「治安維持法」は、南朝鮮において生き残り、今、日本で、「共謀法」が「秘密保護法」とセットとなって、蘇ろうとしている事を、直視しなければならない。「治安維持法」における、「不逞の輩による国体の破壊行為」を裁くとする国家の口実は、「共謀罪」において、「テロ等を防止する」と言う国家の口実に置き換えられているだけである。
治安維持法第4条の、目的遂行罪は、「結社の目的遂行のためにする行為」一切を言い、結社の出版物を保有していただけで処罰が可能であり、研究、言論、教義、信条に対して一切の協力者、関係者が全て対象範囲にすることができた。
研究活動や、文化活動も、究極において、国体変革(共謀法では、「テロに係るもの」として)検挙が恣意的に行われることとなるのである。共謀法」が「治安維持法」や、南朝鮮の「国家保安法」と同様、民衆の内心の自由を侵害する理由がここにある。
治安維持法第4条、「目的遂行罪」は、戦時下において、民衆の「思想洗浄」を狙ったものである。権力の横暴や戦争に対する抗議など、国家に抵抗する姿勢そのものを危険視し、民衆を監視し、罪状を捏造し、民衆の「抗弁する態度」そのものを一掃しようとしたものである。
1925年、「治安維持法」の議会審議で、若槻礼次郎内務大臣は、この法が“健全な無産運動を対象とするものでなく、国体変革や私有財産制度を否認する目的に絞っているだけだ”と言ったのは、全くの欺瞞である。同じことが、「共謀法」の審議の中でも、明確である事は、言をまたない。
1925年5月、天皇の「勅令」によって、本国と同時に、朝鮮、台湾などの植民地にも施行された「治安維持法」による弾圧の残酷さは、本国ではなかった死刑が実行されたことにも現れている。同法違反で逮捕され、虐殺・獄中死したのは本国では、約2000人であるが、死刑判決はでていない。
しかし、朝鮮では、28年に斉藤実総督狙撃事件で2人に死刑判決、30年に5・30共産党事件で22人に死刑判決、33年に朝鮮革命党員徐元俊事件で1人に死刑判決、36年に間島共産党事件で被告18人に死刑執行、37年に恵山事件で5人に死刑判決、41年に5人に死刑判決(第1審)などの例がある。
「朝鮮ノ独立ヲ達成セムトスルハ我帝国領土ノ一部ヲ僣窃シテ其ノ統治権ノ内容ヲ実質的ニ縮小シ之ヲ侵害セムトスルニ外ナラサレハ即チ治安維持法ニ所謂国体ノ変革ヲ企図スルモノト解スルヲ妥当トス」(新幹会鉄山支部設置にたいする治安維持法違反事件、30年7月21日、朝鮮総督府高等法務院判決)

即ち、独立することは、日本帝国の一部を奪うことになる、という屁理屈で、植民地における独立運動は日本の「国体変革」の運動として、治安維持法違反とし、死刑をもってこれに臨んだのである。
これらの歴史的事実は、今後、「共謀法」下の日本において、在日朝鮮人とその組織が、祖国の自主権を擁護し、公民としての正当な権利を主張することに対し、日本国家による、不当な口実とフレームアップによる介入が、「共謀法」の恣意的解釈と運用によって行われる可能性が極めて高い事を示唆している。
安倍ファシスト政権は、米帝国主義者ともども、対朝鮮敵視政策に固執し、朝鮮半島と極東アジアに対する戦争挑発を継続中である。我々日本人が、在日朝鮮人の公民としての権利を擁護する戦いを支持し、共に闘う事は、歴史的な責務である。

<参考サイト>

☆安倍政権下の日本の情勢@ 「秘密保護法案は、立憲的ファシズム体制を狙う治安立法である」

(2013年11月2日) 
http://vpack.shibano-jijiken.com/nihon_o_miru_kenpou_12.html