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論考/「関東大震災時に於ける、朝鮮人大虐殺事件の真実、その歴史的背景」 2018911日)


 [論考]関東大震災時に於ける、朝鮮人大虐殺事件の真実、その歴史的背景


【注】この論考は、柴野貞夫時事問題研究会が、関東大震災90年関西集会「今、朝鮮人虐殺の真相と教訓」(2013831日 尼崎・小田公民館)の報告記事の巻末に掲載したものを、再掲載するものである。
                                         柴野貞夫時事問題研究会

  

▲関東大震災当時、自警団による朝鮮人虐殺の場面。日本政府の流言飛語で騙され、朝鮮人を虐殺している村の自警団。

震災下民衆の救済より、戒厳令と治安出動で国民を取り締まった政府

日本人にとっての「91日・防災の日」は、実は日本国家によって主導され民衆が下手人として動員された、朝鮮人6600人余の大虐殺の始まった日だ。
201391日は、1923(大正12)91日の関東大震災時に於ける、朝鮮人(中国人含む)6600余名の大虐殺事件から90周年にあたる日である。
その日、相模湾を震源地とするマグネチュード7・9の巨大地震は、首都東京、横浜を中心とする関東一帯で、死者・行方不明105,000人、全半壊家屋25万戸、焼失家屋44万戸と言う、未曾有の都市災害を生み出した。
政府は、翌日(92)には戒厳令を布告、適用地域を東京府から神奈川、千葉、埼玉と関東全域に拡大し、全国から完全武装した師団単位による治安出動部隊の動員を行った。関東全域は軍の支配下に置かれた。3日、内務省警保局は、海軍送信所から全国の道府県に、首都における「朝鮮人の暴動」を打電し警戒を煽った。
国家はこの時期、中国満州と朝鮮半島の植民地経営を維持強化し、第一次世界戦争後の、新たなアジアの帝国主義的権益争奪のための侵略戦争(1931年―「満州事変」、1937年―中日戦争)に、国内の民衆を動員する必要に迫られていた。同時に、日本帝国主義を支える収奪地植民地としての朝鮮全土で、19193月から始まった日帝植民地支配に対する三・一独立運動を始めとする朝鮮人民の戦いの継続は、日本の資本家階級とその天皇制政府の目論見にとって、憎悪すべき障害物であった。

大震災時、無策に対する国民の不満を朝鮮人に転嫁、流言飛語で虐殺を扇動した政府

日本国家は、この震災を逆に利用し、治安出動を通して一気に、国民を戦争に動員するために、国粋主義と民族排外主義、国家主義に抵抗する民衆と組織を、右翼国家主義者による私的制裁や、軍と警察による拘引・拷問・殺人と言った、なりふり構わぬ暴力的手段に突き進んだ(亀戸事件、大杉栄・伊藤野枝虐殺)
国家は、災害下の民衆の救済を各道府県に通蝶するよりも、「震災に乗じた不逞朝鮮人と、これに和した過激思想の輩」の取り締まりを、まず第一に要請し、国家の手先となったあらゆる新聞が、<不逞朝鮮人>による、火付け、強姦、暴動、井戸への毒投入等の、あらゆる流言飛語を垂れ流し、大震災そのものが、<不逞朝鮮人>の放火だと言う噂まで流した。

        
▲内務大臣 ・水野錬太郎は、93日,千葉県船橋の海軍送信所から、各地方長官宛に内務省警保局長名で、朝鮮人が放火をしていると扇動、朝鮮人撲滅を打電。水野は、1919年(大正8年)、原敬内閣時、朝鮮総督府・政務総監として、朝鮮の植民地支配に深く関わっている。

国家に統合された民衆による朝鮮人への蛮行

天皇の軍隊と警察が主導した民衆の恐怖の醸成のなかで、「朝鮮独立を叫ぶ不逞朝鮮人」に対して、民族浄化と国粋主義に取り込まれた日本の民衆の国家権力への自主的協力組織である「自警団」が91日から組織され、関東一円で瞬く間に3238組織ができあがった。彼等の目的は被災者の救済ではなく、おぞましい手当りしだいの「朝鮮人狩り」であった。
かれらは、軍、警察の黙認下、ノコギリ、竹やり,とび口、棍棒、鎌,日本刀、銃で武装し、東京、神奈川を中心に、千葉、栃木、埼玉、群馬で、6400余名の朝鮮人(中国人は、300600人と推定されている)の老若男女をリンチの上殺害した。その中には股を裂かれた妊婦までいたと、歴史は記録している。
日本政府は、1920(大正9)朝鮮産米増殖計画を、日本の民間会社主導で進め、結果として、土地の収奪と借金の累積による朝鮮農民の没落,遊民化を生み、止むを得ず、日本の地を踏む人々が増加した。
1909年(“韓国併合”の前年)には790人に過ぎなかったのが、1923年には80415名にのぼり、関東周辺には15000名と推定され、自警団と軍によって殺された6600余名の朝鮮人は、実にその23パ―セント強にのぼるのだ。(日本資本家階級は、彼等在日朝鮮人の労働者を、低賃金の日本人労働者の、更に34割下回る差別賃金で搾取することで差別意識を煽り、日,鮮両労働者を支配したのだ。)


国家主義イデオロギーに組み込まれた日本の民衆

この人間性の一かけらもない、底知れない頽廃と腐敗にまみれた日本の民衆の妄動は、アジアの諸民族に対する日本帝国主議の強盗的収奪を合理化する国家主義イデオロギーに組み込まれた彼等が、今度は「その自発的意思」によって、そのイデオロギーを実行に移したに過ぎない事を示している。
その事によって、多数の日本民衆が(一部の反体制的殉教者を除いて)、日本支配階級の当時の民衆に対する悲惨な搾取にもかかわらず、帝国主義的天皇制国家を支える役割を担った事実を徹底的に総括しなければならない。


アジア侵略を正当化する理念としての排外的国粋主義

日本帝国主義の朝鮮侵略を、「李封建王朝打倒を通して朝鮮の近代化を図る日本の責任」と合理化した、福沢諭吉から始まる日本の国家主義イデオロギーは、関東大震災を境に、多くの国家主義思想団体を誕生させた。
官・財・学会・軍人を広く網羅した平沼騏一郎の「国本会」を始め、「思想善導会」、「恢弘会」など、今日の右翼の流れー日本主義・排外的国粋主義を形成した。資本家の階級支配のイデオロギーの目的こそ、民衆に、自らの自発的意志として国家と同一化を図ることが出来る意識を持たせることにある。これによって、日本帝国主義は、その後の中国大陸の侵略に突入することが出来たのである。
関東大震災を通して実行された、軍警察と日本民衆による朝鮮民族を中心とするアジアの民衆に対する大量虐殺と言う妄動は、帝国主義段階での資本主義体制とその国家権力に必然的に内在する暴力性そのものに突き動かされたものだ。
資本主義国家とは、暴力と戦争の国家であり、制度なのだ。その後の日本帝国主義は、米欧帝国主義勢力と、1930年より中国大陸と東南アジアで、15年間に亘って、帝国主義的利権の暴力的解決に向かい、アジアの民衆を地獄に突き落とした。
しかしそれも、国家に統合された民衆によって支えられ、実行されたのだと言うことを、日本の民衆自身が痛切に反省しなければ、同じ事が二度三度起こらないとは言えないのだ。

帝国主義国家に統合された反動的市民意識

アメリカ帝国主義による、日本主要都市にたいする無差別爆撃と、広島・長崎への二度の原爆投下と言う、人間性の一片のかけらもない行為は、今日も多数のアメリカ市民によって正当化されている。
アメリカ帝国主義国家に統合された市民の意識は、63年たった今も、自分達を支配するものへの戦いに向かうのではなく、自国の支配階級を支え続ける国家意識に埋没し、その中に自己を同一化することが、自分達の利益と勘違いさせられたのだ。その国家に組み込まれた米国民の意識が、ブッシュのイラク侵略戦争を、当初90パーセントの支持率で支えたのである。


自己の国家的償いを回避し人道的義務さえ放棄している日本国家

関東大震災の虐殺から90年たった今、日本でも、同じことが形を変えて繰り返えされ様としている。朝鮮の「拉致問題」を通して、日本国家は、拉致家族会を牛耳る右翼集団と歩調を合わせ、日帝植民地支配の歴史の正当化に依って、日本人に根深く植えつけられた朝鮮民族に対する差別的排外主義的意識を利用しながら、朝鮮に対する自己の国家的償いを回避し、人道的義務さえ放棄している。
都民の前で、日本帝国主義による植民地支配下の国民と民族を対等な人間でないとした、主として朝鮮人に対する蔑称である「第三国人」と言う言葉を使い「それから、日本人を守ったのが自警団」と妄言し、「創氏改名は、朝鮮人自らの願い」と主張して憚らない石原・維新の会共同代表の言動は、老いぼれ右翼ファシストの妄動だと言って済ます訳には行かない。彼を選んだのもまた、日本の民衆だ。
日本政府は、「日弁連 関東大震災人権救済申立事件調査報告書」に基づく、真実解明のための調査と、速やかな公式謝罪並びに被害者への補償をすべきだ
関東大震災時の朝鮮人大虐殺の歴史は、未だ正確な虐殺者数さえ明らかでない。国家によって主動され、民衆の加担によって実行された蛮行に対する、日本国家による責任を明らかにし、徹底した調査と、謝罪を、被害者に対し行うべきである。
日本弁護士連合会は、2003825日、「日弁連 関東大震災人権救済申立事件調査報告書」で、以下の様に指摘し、時の小泉内閣に対し、人権救済申し立て書を送った。 
「1、国は関東大震災直後の朝鮮人、中国人に対する虐殺事件に関し、軍隊による虐殺の被害者、 遺族、および虚偽事実の伝達など国の行為に誘発された自警団による虐殺の被害者、遺族に対し、 その責任を認めて謝罪すべきである。
2、国は、朝鮮人、中国人虐殺の全貌と真相を調査し、その原因を明らかにすべきである。」

しかし、日本政府は、それを無視したままだ。
日弁連 関東大震災人権救済申立事件調査報告

民衆が大規模に関与した関東大震災時の朝鮮人大虐殺蛮行

国家が主導したにしても、日本の民衆が大規模に関与した大虐殺行為は、世界に類がない。関東大震災時の朝鮮人大虐殺事件は、日本国民一人一人に、自身の歴史における加害責任を問う事件である。
一方で、このおぞましい事件を歴史の頁から抹殺し、歪曲することによって、排外主義的国粋主義の跋扈や、朝鮮人排斥行為が、すすめられている事実は、「日本軍慰安婦の歴史」の正当化同様、許し難い日本人の恥辱である。
朝鮮人学校無償化除外や、朝鮮民主主義人民共和国に対する不当な抑圧政策と、日本の植民地支配に対する賠償清算を戦後65年経つ現在も放置する、日本政府の目に余る非人倫的行為と、それを平然と許容する日本の大多数の民衆の姿。日本人は、この90年前の、自分達の祖父母や祖祖父母が関与した事件に、眼をそらさず、向き合わねばならない。
「在特会」なる、ネットごろつき集団が、京都朝鮮人初級学校の校門をよじ登りながら、「朝鮮出て行け、キムチくさいぞ」と、恥ずべき差別言語と暴力をふるう姿や、奈良「水平社博物館」での、<韓国併合100年展>に対し、「エタ、非人、朝鮮人出て行け」と叫ぶ在特・川東大了、また「日本軍慰安婦は強制ではなかった」と、あのつら下げて不勉強を晒した元大阪市長・橋下の言動や姿の中に、90年前の大虐殺に関与した、日本の民衆の姿を、彷彿とさせる事態に、我々は黙っているわけにはいかない。


軍部と民衆によって虐殺された朝鮮人は、7000人とも23000人とも言われている

東京府、神奈川、埼玉、千葉と、関東全域にまたがる地域で、「不逞朝鮮人狩り」の名によって行われた加害の全容は、今も明らかにされていないばかりか、日本国家と地域住民によって隠蔽されてきた。
虐殺された犠牲者の氏名、出身地、家族、虐殺実態などが、虐殺された地域での住民による隠ぺい工作などで、その埋葬場所も隠されてきた。
そもそも、日本国家が主導し、日本の民衆を動員して行われた関東大震災時の朝鮮人大虐殺の全容解明と遺骨の発掘は、日本国家の責任に於いて行わなければならないものだ。
国家も地域も、それを、犯行を共有する者同士の「触れてはならないも」として隠し通して来たところに問題の根深さがある。
最近、「千葉県における関東大震災と朝鮮人犠牲者追悼・調査実行委員会」の活動で、八千代市での朝鮮人虐殺犠牲者の発骨,改葬に地域の人々が参加して行われた事例は、民衆関与の歴史に向き合う動きとして、全関東に広まる事が期待される。
国家によって日本民衆に植え付けられてきた朝鮮人に対する差別意識と、国家の政策としての排外的国家主義の行きついた先が、この大虐殺事件である。
これが繰り返されることがあってはならない。「日本軍慰安婦」問題同様、関東大震災時の朝鮮人大虐殺事件」の徹底した歴史認識に、日本の民衆が立ち向かわなければ、同様の事件はいつでも起こることを、我々日本人は肝に銘じなければならない。

<参考サイト >

☆「関東大震災90年・関西集会」−今、朝鮮人虐殺の真相と教訓 (2013831日 )
http://www.shibano-jijiken.com/nihon_o_miru_jijitokusyu_96.html