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(民衆闘争報道
/「琉球人遺骨返還を求める奈良県会議」結成 2018年10月26日)


   日本の植民地主義を撃つ−「琉球人遺骨返還を求める奈良県会議」結成

                                       奈良−沖縄連帯委員会代表 崎浜盛喜)

はじめに
 10月21日、奈良県人権センターに於いて「辺野古新基地建設を阻止し、琉球人遺骨返還を求める10.21奈良県集会」を開催した。主催は奈良-沖縄連帯委員会、沖縄の高江・辺野古につながる奈良の会、多文化共生フオーラム奈良。部落解放同盟奈良県連合会と奈良平和フオーラムが協賛団体となった。
  集会の目的は、(1)琉球人遺骨問題の真相と本質を明らかにして、京大の差別・植民地主義を糾弾し、遺骨返還を実現する。(2)琉球(沖縄)人の人間としての尊厳が踏みにじられた。琉球の自己決定権確立運動を強化する。(3)沖縄の民意を無視して強行されている辺野古新基地建設は現代の日本政府による軍事植民地主義がその本質であり、琉球(沖縄)と連帯して絶対に阻止する。以上の目標を掲げ、その目的達成のために「琉球人遺骨返還を求める奈良県会議」を結成する。
  日本人(ヤマトゥ)として植民地主義を批判的に精算し、解体すると共に、琉球(沖縄)人として差別・同化に屈服してきた歴史を真摯に総括、切開しなければならない。
 以下、金井英樹氏(多文化共生フオーラム奈良)の基調講演と松島泰勝教授著「琉球 奪われた遺骨」を参考にしながら私見を述べる。

1.琉球人遺骨問題

(1)京大に存在する「琉球人遺骨」
 金関丈夫・京都帝国大学助教授は、1928〜29年に発掘調査を行い、「百按司墓(むむじゃなばか)」(沖縄島北部の今帰仁村)を荒らして、琉球人遺骨を59体(内京都帝大に26体、台北帝大に33体)を略奪した。
 同大の三宅宗悦氏は、1933年〜34年に奄美大島から80体、沖縄島から約80体、さらに35年には三宅氏と中山英司氏が喜界島から70体、徳之島から約80体の遺骨を略奪・盗掘した。これらは「清野コレクション」として京大に存在する。1930年に金関氏は「琉球人の人類学的研究」で京都帝大から医学博士号を授与された。
(2)松島泰勝先生の要望・質問等を無視する京大
 この「琉球人遺骨問題」に対して2018127日に「日本の植民地主義と中国・北 朝鮮脅威論を問い直す!」シンポジウムが開催され、「琉球・アイヌ遺骨返還問題にみる植民地主義に抗議する声明書」が採択された。2017年5月松島先生は京都大学総合博物館に対して「百按司墓」の遺骨の実見と 数項目の質問をしたが全てを拒否された。琉球民族遺骨返還研究会、琉球新報、沖縄タイムス等の質問や取材も拒否されている。
  2017年8月9日、照屋寛徳衆議院議員が「国政調査権」に基づいて京都大学所蔵琉球人遺骨についての照会を行った。さすがに天下の京大も回答をしたのだが「(琉球人遺骨は)プラスチック製の長方体の箱」で保管しているとの回答のみで、遺骨問題に関する反省や謝罪もなく傲慢で帝大権威主義的対応に終始している。さらに照屋議員は2月16日に政府に「琉球人遺骨の返還に関する質問趣意書」を提出したのだが、安倍首相は「お答えすることは困難」と「沖縄県民に寄り添う」丁寧な?回答を行った。
(3)琉球人の祖先崇拝信仰について
○ 遺体を風葬にした後、洗骨して墓に納める・・・「骨神(ふにしん)」として祖先を崇める。その魂をマブイという。
○ 旧暦の1月16日は「十六日祭」で、「ぐそ−(あの世)」の正月。清明祭(シ−ミ−)・・・旧暦3月24日、四月初旬頃。お墓の前でご先祖と共食をする。旧暦7月13日は「うんけー」(迎える日)、7月15日は「ううくい(送る日)」である。
○ 「ニライカナイ(グソ−・あの世)」で暮らしているご先祖が帰ってこられて共に  語らい合い、みんなが幸せになるように祈る。生者と死者の関係は永遠に続く。
 我々琉球(沖縄・奄美)人の祖先の「骨神(ふにしん)」が盗掘され、略奪され、研究の材料にされ、冷たい研究室に放置されているのだ。現世で差別され、ニライカナイに行ってからも侮辱されているのだ。京都大学の蛮行は、琉球人の信仰に対する冒涜である。
(4)京大の差別と植民地主義を糾弾し、遺骨返還を実現する
 琉球(沖縄)人が先住民族であることは、国連機関が再三に渡って決定し、その権利を認めるよう日本政府に勧告してきた。しかし、この勧告を日本政府は現在もなお無視している。京大も日本政府と共同歩調を合わせるがごとく植民地主義的態度を取っている。
 照屋寛徳衆議院議員は「琉球の礎を築いた先人の遺骨が盗まれ、標本とされている  ・・・京大の態度にワジワジーしている(怒っている)」と怒りを露わにし、松島先生は「琉球人遺骨の盗掘とその保管は研究における倫理上の問題、国内法や国際法違反であるとともに、琉球人の信仰、生活、習慣に対する破壊行為、人権侵害問題である。遺骨の取り扱いに敬意を払うことは、生者の存在や人権を尊重することになる。」「先住民族は、遺骨返還運動を通じて、自らの名前を名乗り、歴史を主体的に語る権利を回復することで、植民地構造を変革することができる。」と遺骨返還訴訟を展開することを宣言した。

(5)アイヌ遺骨問題について
 なお、2017年4月の文科省の調査報告書によるとアイヌの遺骨が1676体(内北大には1015体)、その他に382箱の遺骨が全国の12の大学に保管されていることが判明している。北大の研究者が1970年代までアイヌの遺骨を発掘していたという驚愕すべき事実も明らかになった。1980年頃からアイヌ民族は「民族の自己決定権」を行使して遺骨返還運動を展開し、一部が返還され「カムイノミ(お祈り)」を行って再埋葬を行った。しかし、北大は謝罪を行わず、まだまだ多くの遺骨が研究室の薄汚い「倉庫」に放置された状況であり、我々もアイヌ民族と連帯して遺骨返還運動を展開しなければならない、と痛感している。(ドキュメンタリー映画「85年ぶりの帰還・アイヌ遺骨・杵臼コタンへ」参照のこと)
 以上のように琉球人遺骨問題は、沖縄島・奄美諸島の人々、そしてアイヌ民族さらにはアジアの人々に連なる遺骨問題であり、日本の植民地支配が被植民地の人々を死んでからも人間としての尊厳を踏みにじり、支配するという重大な問題なのだ。

2.日本の植民地支配と琉球・沖縄
 10月23日に安倍自民党日本政府は、東京の憲政記念館に於いて「明治150年記念式典」を行った。安倍首相は「平成の先の時代に向け、明治の人々に倣い、未来を切り開く」とのたまった。4.28「日本主権回復の日」に続く琉球・沖縄への侮辱であり看過できない。この二つの記念式典に体現されている日本政府と日本民族主義者による琉球植民地支配の根幹・震源地の主たる歴史的動きについて述べることとする。
(1)明治150年と武力による琉球併合〜植民地支配の始まり
  安倍首相が最も敬愛するといわれている吉田松陰は、明治維新前夜の1854(安政元年)の「囚因録」において「即ち宜しく蝦夷を開墾して諸侯を封建し、琉球に諭し、朝覯(ちょうきん)合同すること内諸侯と比しからしめ、朝鮮を責めて質を納れ貢ぎを奉ること古の盛時の如くならしめ、北は満州の地を割き、南は台湾・呂宋の諸島を収め」(金井秀樹氏の講演レジメ)と述べている。
 つまり、新日本政府が軍備を整え強化し、その後北海道と琉球を侵略して内国植民地とし、朝鮮・満州を支配し、台湾やフイリピン諸島を侵略し支配せよ、との号令を発したのだ。
@ 武力による琉球併合
 
琉球王国は、1850年代に米国、オランダ、フランスと修好条約を締結したように、琉球国は世界の諸国から「独立国」として承認されていた。(この条約の原本は外務省に略奪されたままであり、その返還も実現したい)

 吉田松陰の遺志を受け継いだ琉球処分(併合)官の松田道之は、琉球併合を武力で強行す命令を下した。「処分ヲナスニ当リ土人狼狽騒擾スルハ必然ニ付、可成説諭スベシト雖モ、若シ凶暴反人ノ所為ニ及ブト認ルトキハ、分営ニ謀リ兵威ヲ示シテ鎮撫スルモ苦シカラズ」。明らかに琉球人は土人であり、侵略支配する標的となったのだ。
 そして松田自身が1879年には軍隊約400人余と警察約160人余を引き連れて首里城を包囲し、武力を持って琉球併合を強行した。
A 台湾出兵〜琉球人を「日本人」とする
 1871年に台湾に漂着した宮古島民54人が、当時「生蕃」と蔑称されていた台湾の先住民族に殺害された事件が発生した。1873年、清国側は「前年生蕃が暴殺せしは琉球国民にして未だ帰国人なるを聞かず」「琉球人は我が属国」と主張した。
  琉球藩設置前の1872年6月、日本政府の左院は「琉球国王は乃ち琉球の人種にて国内の人類と同一には混淆すべからず」、つまり「琉球人は日本人ではない」という見解を持っていた。さらに 琉球併合過程に於ける「内務省の調査報告書」においても「人種的にも琉球人は『固有の性質を表形する容貌」』をもっている。」との見解を表明していた。
 にもかかわらず1874年日本側は、琉球藩民はあくまで「我が国人」であり、「日本人保護」の為の報復措置という名目で台湾に出兵したのだ。
  結局、日清間の互換条款中に琉球人を「日本国属民」とする一節が挿入された。この琉球人の帰属に関する重大事態に於いても、琉球の意志決定は全く無視され、日本の国益のために琉球人は日本人にされたのである。
 「琉球併合とは」、第1に、西欧植民地主義国家への脅威に備える為に、琉球を日本国防衛の南門の一大橋頭堡とす る。同時にアジア侵略の為の拠点とする。第2に、この国策達成の為に琉球に同化・皇民化教育を徹底し、日本人・日本国民としての忠誠 心・愛国心を醸成し、以て日本国民統合を成し遂げる。第3に、旧慣温存政策の下、資本主義経済体制を早急に導入し、琉球諸島の経済・文化・社会秩序を解体して近代日本国家体制に統合する。と考えている。
 新日本(明治)政府は、琉球・沖縄人、アイヌ民族を劣等・未開な土人(人種)と烙印を押し、日本のアジア侵略の第1歩として武力で侵略して内国植民地として苛斂誅求な差別・同化支配を強制した。以来、150年間も継続されているのだ。
(2)差別と同化主義への屈服
  この日本政府による植民地支配ー差別と同化攻撃に対する我々琉球・沖縄人の先達の過ちを我々は痛苦に、真摯に捉え返す必要がある。紙幅の関係で同化思想に関わる三つの事件について問題点を述べる。
@ 「クシャミも日本人をまねること」
 太田朝敷は1900年の講演で「沖縄今日の急務は何であるかと云へば、一から十まで他府県に似せる事であります。極端に云へば嚔(クシャミ)する事まで他府県の通りにすると云ふ事であります。」と述べた。さらに太田は「全国の百分の一しかない地方ですから、それくらいな勢力では、到底従来の風習を維持していく事はできない」「維持が出来ない者とせば、我から進んで同化するか、又は自然の勢いに任すか、」沖縄県民の発展の為には、「第一の手段は即ち同化なり」と主張していた。
  このあまりにも有名な日本同化思想は、悲惨な沖縄戦を経て、祖国復帰運動から現在に至る「沖縄県民」の心象風景に厳然としてなおも存在する。決して「残滓」として簡単に解消できないほど深刻な心理現象となっている。
A 「人類館事件」
 1903年3月、大阪で第5回内国勧業博覧会が開催さた時、「人類館」という見せ物小屋でアイヌ民族・台湾の先住民族・琉球人・インド人・ジャワ人・中国人・朝鮮人等が見せ物にされた。沖縄県も猛烈に抗議を行い中止となったが、沖縄からの抗議は「琉球人が生蕃(台湾先住民のこと)やアイヌと同一視され、劣等民族と見なされるのは侮辱」とするきわめて同化と差別に満ちた抗議内容であった。
  この時太田は「他府県人は往々本県人民を指して日本国中特種の民族とするものあれども我が輩はその素質に於いて毫も区別あるを認めざるなり」と、人種的にも沖縄は「日本人」であると強調した。
B 伊波普猷の「日琉同祖論」
  また、「沖縄学の父」として尊敬されている伊波普猷は、沖縄人こそが大陸から渡来した日本人共通の祖先の特徴を最も色濃く残しており、沖縄は「日本の古代史を研究し或いは日本語典の歴史的研究に従事せむとする者に珍しき材料を供給する」とあの有名な「日琉同祖論」(鳥居龍蔵の人類学、金沢庄三郎の言語学の影響が強い)を展開し、そして琉球併合については「今や吾等は二千年前に手を別った兄弟と邂逅して同一の政治の下に生活するやうになった」と武力による琉球併合を絶賛したのである。
 「沖縄学の父」として余りに偉大な業績を残した伊波普猷について安直な批判は決して許されないのだが、伊波普猷の「日琉同祖論」が琉球・沖縄の歴史観・民族観に大きな影響を及ぼした事は厳然たる事実である。
  琉球・沖縄人は、自らの人間としての尊厳を否定し、日本民族主義、差別と同化支配の本質を見誤り、「立派な日本人」へと突進していったが、そのあまりにも悲惨な結果があの沖縄戦であり、約15万人もの犠牲を強制されたことは悔やんでも悔やみきれない。
  琉球人遺骨問題は、このような琉球・沖縄に対する日本政府と帝国大学を頂点とする「学知」(学者・文化人)による植民地支配の象徴的「事件」であり、我々はこの植民地主義ー差別・同化支配の根幹と本質を白日の下に暴き出し徹底的に糾弾しなければならない。 同時にこの闘いを通じて日本の植民地主義が「ヤマトの側の、無知・無関心・無責任な態度であり、私たち自身の問題である。差別が継続するのは、差別を取りまく多数者の沈黙」(結成宣言文)の「日本国民」が支えているという重要な課題についても明らかにしなければならない。

3.琉球・沖縄のアイデンティティを万人のものとし、自己決定権を確立しよう
  2001年以来、国連は琉球人が先住民族であると認め、琉球の歴史、文化教育の実施、「人種差別」としての米軍基地の押しつけの改善などを日本政府に6回も勧告を行ってきた。
  2015年には、翁長前知事が国連人権理事会で「沖縄の人々は自己決定権や人権がないがしろにされている」「自国民の自由、平等人権、民主主義すら守れない国が、どうして世界の国々とそれらの価値観を、共有することができるでしょうか」と、世界に訴えた。しかしながら日本政府はこれを未だに無視している。
 2007年に採択された「先住民族の権利に関する国連宣言」を改めて確認し合いたい。宣言は全文に於いて「出身国、人種的、宗教的、民族的または文化的差異を根拠とする民族または個人の優越を基盤としたり、主唱する全ての教義、政策、慣行は人種差別主義であり、科学的に誤りであり、法的に無効であり、道義的に非難すべきであり、社会的に不正義であることをさらに確認し、」「先住民族の政治的、経済的および社会的構造に、そして彼らの文化、精神的伝統、歴史および哲学に由来する彼らの生得の権利と特徴、特に彼らの土地、領および資源に対する彼らの権利を尊重しかつ伸展させる緊急の必要性を認識し」と述べている。
 第3条では「先住民族の自決権」について「先住民族は、自決の権利を有する。この権利に基づき、先住民族は、自らの政治的地位を自由に決定し、並びにその経済的、社会的および文化的発展を自由に追求する」と宣言している。
 さらに、「先住民族の遺骨問題」についても、その第13条で「先住民族は、彼(女)らの精神的および宗教的伝統、慣習、そして儀式を表現し、実践し、発展させ、教える権利を有し、その宗教的および文化的な遺跡を維持し、保護し、そして私的にそこに立ち入る権利を有し、儀式用具を使用し管理する権利を有し、人間の遺骸や遺骨などの返還に対する権利を有する」と明言している。
  世界の国々では、この宣言に基づく先住民族の「遺骨返還請求」に「植民地支配の歴史的反省」に則って遺骨の返還が行われている。京大は、この宣言を尊重して琉球人遺骨を直ちに琉球・沖縄に返還すべきである。
  松島先生は「大学や博物館に保管されている先住民族の遺骨は、植民地主義の戦利品としての意味を帯びている。」それらは植民地体制下で奪われ、「返還を拒否することは、今後も植民地支配を続けることの遺志表示」である。さらに「琉球人は生きている間、米軍基地問題に象徴されるように、植民地支配の犠牲者である。同時に、死してニライカナイに行ってからも、日本による植民地支配を受けている」「琉球人の自己決定権、遺骨返還と再風葬という先住民族の権利、信教の自由という人権、アイデンテイテイの確立、そして琉球独立」にとって遺骨返還運動は重大な意義を持っていると表明している。

4.軍事植民地主義の辺野古新基地建設を阻止しよう
「不沈母艦沖縄」 山之口貘
 「(前文略)まもなく戦禍の惨劇から立ち上がり 傷だらけの肉体を引きずって どうやら沖縄が生きのびたところは 不沈母艦沖縄だ いま八〇万のみじめな生命達が 甲板の片隅に追いつめられていて 鉄やコンクリートの上では 米を作るてだてもなく 死を与えろと叫んでいるのだ 
まさに辺野古新基地は自衛隊(日本軍)の不沈母艦=軍事要塞基地そのものだ。
(1)辺野古新基地は自衛隊(日本軍)の侵略要塞基地
 辺野古新基地は、沖縄においては満天下に明らかにされたように(日本政府と多くの国民は知らんりしているが)決して普天間飛行場の代替基地ではない。
 1800mV字型滑走路(オスプレイと戦闘機の共同使用)、辺野古弾薬庫と直結、軍港ー強襲揚陸艦や空母、原子力潜水艦が入港できる、等まさに軍事要塞基地(空港・港湾)そのものである。そして耐用年数が200年・・・半永久的な軍事要塞基地である。
 沖縄海兵隊不要論高まる〜2010年7月民主党のバニー・フランク氏は「1万5千人もの在沖海兵隊が中国に上陸し、何百万もの中国軍と戦うなんて誰も思っていない。彼らは65年前に終わった戦争の遺物だ。沖縄に海兵隊は要らない。」
 あのでっち上げられたイラク戦争の時、イラク全土を無差別爆撃で破壊した後、海兵隊は陸軍と一緒に上陸したのではないか。共和党のロン・ポール氏も「米議会では沖縄海兵隊不要論が実は根強くある」と言明している。海兵隊が10年ほどで解体されることは、軍事専門家の常識となっている。
  それでもなお何故日本政府は「海兵隊は抑止力」という「ゆくし(うそ)論」を弄してまで辺野古新基地建設に固執しているのか。その第1は、日米合同委員会と海兵隊の圧力に屈している防衛官僚の対米従属路線であり、そして何よりも琉球・沖縄に軍事拠点を建設したい海上自衛隊(日本軍)の謀略まがいの建設計画に他ならない。辺野古に自衛隊(日本軍)の基地を建設する、と表明しては一朝夜にして粉砕されることは火を見るより明らかなのだ。沖縄戦における日本軍の蛮行は我々琉球・沖縄人から決して消え去ることはないからだ。
 辺野古新基地建設は自衛隊(日本海軍)が琉球・沖縄を軍事植民地支配のための軍事要塞基地(暴力装置)であり、アジア・太平洋の盟主ー大東亜共栄圏の復活を夢想・画策する日本の帝国主義・植民地主義者のアジア・太平洋侵略支配前線基地そのものに他ならない。
(2)差別・同化、軍事植民地支配との闘い 
 1879年の武力による琉球国解体と琉球併合、明治ー大正ー昭和における差別・同化支配。人類館事件、分島・改約案、徴兵制施行、捨て石作戦としての沖縄戦と約15万人もの虐殺。戦後の天皇メッセージとサンフランシスコ条約による米国への売り渡し。米軍の軍事監獄政治の苛斂誅求な人権蹂躙。そして「密約」による「沖縄核付き返還」。
 日本政府による差別・同化、軍事植民地支配。米軍による殺人・強盗・強姦・事故等ありとあらゆる人権蹂躙、苛斂誅求なる暴虐な軍事支配は今なお我々琉球・沖縄人に襲いかかっている。
 琉球処分(併合)官の松田道之の差別暴言=「暴れる土人は武力で鎮圧せよ!」は、安倍自民党日本政府の暴政に蘇ってきた。2006年の高江ヘリパッド基地建設強行のために出動した機動隊員が「ボケ、土人が」「黙れ、こら、シナ人」と差別・暴言を吐いた。松井大阪府知事は「出張、ご苦労さん」と労い、安倍政府は「差別ではない」と破廉恥な閣議決定を行った。山城博治さんらが5ヶ月余に渡って不当勾留を強制された事に対して、日本政府は世界の人権団体からも非難を浴びせられた。
 我々は、差別と同化支配に屈服してきた歴史を真摯に総括、反省するとともに、人間の尊厳を守るために米軍支配と果敢に戦ってきた歴史を誇りとし、人間としての尊厳と琉球・沖縄人としての誇りに覚醒しなければならない。琉球・沖縄のことは琉球・沖縄人が決定するー琉球・沖縄のアイデンティティと自己決定権の確立こそが琉球・沖縄の平和な未来を決定するものと確信している。

おわりに
  9月30日、玉城デニー新沖縄県知事が誕生した。翁長県政の継承・辺野古新基地建設を掲げ史上最高の39万票を獲得。佐喜真候補 (自・公・維)に8万票差をつけ圧勝。
   安倍自民党日本政府の国家権力総掛かりの欺瞞的、暴虐的、植民地主義的選挙。これに屈することなく琉球(沖縄)人の誇り、尊厳を内外に高々と表明した。
 辺野古新基地建設絶対阻止はぶれることなく、さらには○「誰一人取り残さない!」○「軍事拠点ではなく平和交流拠点として”新時代沖縄”を築く。」○「沖縄のことは沖縄が決める」等々の主張が支持されたのだ。
県都那覇市長選挙に於いても城間市長が圧勝した。沖縄の民意は、揺るぐことなく普天間飛行場の即時閉鎖・撤去、辺野古新基地建設反対に他ならない。にもかかわらず安倍自民党日本政府は10月17日、「行政不服審判法」を悪用して沖縄県の埋め立て承認撤回の効力停止を国交省に申し立てた。「申立」は明らかに沖縄の民意を無視した、沖縄の尊厳を踏みにじる蛮行であり、軍事植民地主義の露骨な差別政策そのものである。
  琉球・沖縄のアイデンティティと自己決定権を万人(ウマンチュ)にさらに押し広げ、強め琉球・沖縄の自立解放の実現・新時代沖縄の建設に邁進しよう。チバラナヤーサイ。

【集会宣言】  <琉球人遺骨返還を求める奈良県会議>結成宣言
  いま沖縄では、「琉球処分(琉球併合)」以来の歴史を日本の植民地支配の一環として把握し、まもなく半世紀になんなんとする「日本復帰」後の歩みも、植民地主義の継続として、とらえ直そうという声が上がっている。
 本年1月に開催された東アジア共同体・沖縄(琉球)研究会主催「日本の植民地主義と中国・北朝鮮脅威論を問い直す!」のシンポジウムでは、「琉球人・アイヌ遺骨返還問題にみる植民地主義に抗議する声明書」が出された。戦前の1928年から1929年にかけて持ち去られた琉球人遺骨が、いまも返還されずに京都大学総合博物館にある。それを確認した照屋寛徳衆議院議員(社会民主党・市民連合)は、216日「琉球人遺骨の返還等に関する質問主意書」を提出したが、政府は227日「内閣総理大臣安倍晋三」名で、「お答えすることは困難」「お答えする立場にない」などと全く向き合おうとはしていない。「先住民族の権利に関する国際連合宣言」には、先住民族の宗教的伝統と慣習の権利、遺骨の返還が、明記されている。国連においては、琉球人は先住民族として認められている。8月に、ジュネーヴで開催された国連人種差別撤廃委員会にも、琉球の先住民族権が提起されたが、日本政府は反対した。このような日本政府を支えているのは、私たちヤマトの側の、無知・無関心・無責任な態度であり、私たち自身の問題である。差別が継続するのは、被差別者をとりまく多数者の沈黙なのだ。「琉球処分」琉球併合以来の植民地主義は、いまだ清算されていない。植民地主義は生きている間の差別と抑圧だけでなく、ニライカナイへ行った後も続いている。そこで、私たちは本集会において<琉球人遺骨返還を求める奈良県会議>を結成しようと思う。多くの賛同する団体・個人を結集し、いま準備されている、京都大学を相手どった遺骨返還を求める訴訟の動きに連帯したい。急逝された翁長知事が国との裁判闘争で訴えられた歴史認識を想起しよう。<琉球王国は琉球処分という名目で軍隊を伴って日本に併合された。70年前、地上戦で約20万人が犠牲となった。戦後「銃剣とブルドーザー」で土地を強制収容された。1952年、日本の独立と引き換えに、米軍の施政権下に置かれた。沖縄が米軍に自ら土地を提供したことは一度もない。戦後70年、今度は日本政府によって「銃剣とブルドーザー」をほうふつとさせる行為で美しい海を埋め立て、耐用年数200年ともいわれる基地が造られようとしている><歴史的にも、現在においても、沖縄県民は、自由、平等、人権、自己決定権をないがしろにされてきた>と。それはまた、私たちの中にもあるだろう植民地主義を問うことであり、その呪縛からの解放を求めて、宗主国日本の戦後責任を問うことでもある。そのような基本的認識にもとづき、私たちは<琉球人遺骨返還を求める奈良県会議>を結成することを、ここに宣言する。
ちばらなやーさい、なまからどぅやいびんどー(頑張りましょう、これからですよ)
2018
1021

辺野古新基地建設を阻止し、琉球人遺骨返還を求める10.21奈良県集会