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(民衆闘争報道/原発避難者訴訟・山形地裁判決に対する抗議声明 森松明希子 2019年12月27日)

      山形地方裁判所の不当な判決に対する抗議声明

                                    原発賠償関西訴訟原告団 (代表 森松明希子)

 山形地方裁判所は、本年12月17日、福島第一原発事故によって避難を強いられた被害者らを原告とする訴訟に対して、判決を言い渡しました。
 その内容は、以下のとおりあまりにも不当なものであり、私たち「原発賠償関西訴訟原告団」は、同じ事故による被害の回復を求めて全国で裁判を提起している者として、到底これを看過することができません。

1. 国の責任を否定したこと
 判決は、国の責任に関し、津波の予見可能性や結果回避可能性を認めながら、その予見の程度や回避措置の対応などを理由にして、国が規制権限を行使しなかったことは裁量の著しい逸脱とは言えないものとして、免罪してしまいました。
 この事故によって、甚大な被害を受けている国民としては、津波の襲来を予見することができ、重大な事故を引き起こすことが想定し得たのであれば、そして重大な事故を回避する方策が少しでもあったのであれば、当然何らかの措置をとることが、国民の身体・生命・財産を守るべき国の責務であると考えます。それを、広い裁量を許容する法律判断を持ち出して免罪してしまうのであれば、何のための規制行政庁なのか、全く無意味なことになります。さらには、こうした恣意的な法律判断を行って行政当局を庇うのであれば、何のための司法なのか、裁判所も無意味なものと考えざるを得ません。

2.原告らの損害を正しく評価しなかったこと
 もう1つの重大な問題は、東京電力が指針に基づいて支払った金額を超える損害はないとして、被害の回復を放棄したことです。判決は、被害者の受けている被害の実相を見極めようとせず、被害者を切り捨てようとしています。
 しかし私たちは、この事故によって避難を強いられることが、どんなに過酷な被害を生じさせたかを、まさに身をもって知っています。家庭を持ち、職業を営み、地域に溶け込んで暮らしてきた生活の一切が丸ごと破壊され、避難先では不安で困難な生活を強いられています。その被害は、東電が避難区域内からの避難者に支払ってきた月額10万円の賠償によって、到底償われたものとは言えません。
 まして、避難区域外からの避難について、判決は、在住者に対して一律に支払われる4万円・8万円の補償を超える被害は一切ないものとしました。現に避難生活をし、様々な被害を受けていることが明らかでも、それ以上の被害はないと宣言したのです。何という無慈悲で不合理な判断か、どこを見て判断しているのか、私たちには言葉もありません。


3.今なお続く被害について
 大量の放射性物質が放出された事故後において、被ばくを回避する措置としては、大別して、放射性物質から自らが距離を取るという方法か、あるいは放射性物質を自ら遠さけるという2つの方法かありました。前者の方法の典型が避難てあり、後者の例としては、除染や、基準値を超えた食品や飲料水の摂取・出荷制限、学校ての屋外活動の制限なとかあります。
 そして、国は、避難指示するか否かの基準として、年間20ミリシーヘ?ルトという基準を用いており、これを下回る地域については、避難する必要はないとの方針をとってきました。しかし、ここて?注意しなけれは?ならないのは、国も、年間20ミリシーヘルトを下回っていれば、何の心配もしなくてよい、何の対策も必要ないとは言っていないということてす。除染をする、出荷制限もする、学校での屋外活動も制限する、そうした被はく回避措置を諸々行うのて、避難するまての必要はないというのか、国の言い分なのてあり、様々な被はく回避措置を講じることは、いわば国の住民に対する「公約」でした。その「公約」は、また果たされてはいません。
 除染対象とされたのは地域の一部にとどまり、それらの地域の除染が完了したのも本件事故から数年が経過してからですし、ホットスポットは現在もなお多数存在しています。年間1ミリシーベルト以下にするという長期目標や、除染廃棄物の処理などについては、原状回復はおろか、これらの「公約」でさえ、達成までにどれくらいの期間をこれから要することになるのか、誰にもわからないというのが実情です。「避難が要らない=被害がない」というわけではありません。
 それだけでなく、除染や出荷制限などは行政による措置ですが、被ばくを避けるための措置は、家庭や個人などによってもなされてきました。洗濯物を外に干さない、水を購入する、食材の産地を厳選する、自家栽培の野菜を食さない、それらをご近所とお裾分けしない、子どもの通学路を変更する、外遊びをさせないといったことは、どこの家庭でも当たり前のようになされていましたし、避難すべきではないのか、もっと被ばくを避けるために取れる手段があるのではないかといったことについて、悩まなかった家庭はありません。
 これらは、事故前にはいずれも必要ではなかったことですし、これらの措置を余儀なくされたことで、被害者の生活の質は、事故前よりも格段に低いものとなりました。被害者が蒙ったのは、放射性物質による健康影響への不安といったレベルの苦痛ではなく、実害ともいうべき生活レベルの低下なのであり、被ばくを回避する手段を余儀なくされたという苦痛なのです。そして、こうした被害は、決して福島県内に限ったわけではありません。放射性物質は、当たり前ですが、県境で止まってくれるわけではないのです。現地にとどまればこのような苦痛を受け続け、その被害者の被害と表裏をなすのが避難者の被害なのです。
 今回裁判は、避難元の被害も避難先での被害の両面を見ることなく、ひいては今なお続く原発事故被害を何ら正面から直視していない判決といえます。


4.被害者が声を上げ続ける理由
 現在、全国30近い裁判所で救済を求める集団訴訟が起こされており、原告の数は1万2000名を上回ります。これらの原告は、誰しもすすんで訴訟をしたかったわけではありません。国が自ら率先して十分な救済を行う、あるいは国会が十分な手当てを取る、そういったことがあれば、裁判を起こす必要はありませんでした。しかし、実際にはそうではなかったから、原告となった人たちは、やむにやまれず声をあげたのです。
 浜通りにお住まいの高齢の原告は、「いまさら健康被害と言われても、もうこの年齢なのでね。ただ、ここには孫が年に何回か遊びに来て、一緒に山に入ったり、山菜を取ったりしてきた。でも、いまは山に入れないし、孫も遊びに来てくれない。そうしたささやかな幸せが奪われてしまった。国や東電はたいした被害ではないと言うかもしれない。しかし、長年、地域で生きてきた者として、次の世代にこうした現状の福島を引き継がざるを得なくなった者として、何ができるのかということを考えたとき、原告となることだった」と語っています。また、中通りにお住まいの若いお母さんは、「事故直後は断水だったので、寒いなか何時間も給水の列に並びました。小さい子どもを家に置いていくわけにもいかず、片手にポリタンク、片手に子どもを抱きながら待っていました。その時期は、上空を放射性プルームが覆っていたときでした。私はそのことを知りませんでした。知っていたら、そんなことは決してしませんでした。もしこの子に何かあったら、私は国や東電を、そして自分を絶対に許すことができません」と語っています。こうした様々な想いをもった方々が、全国の裁判で原告になっています。そうした想いを束ねたのが、被害者の裁判なのです。
 山形に避難した山形訴訟の原告の方々も同じだということを私たちは誰よりも知っています。山形訴訟原告の方々もまた、被害を蒙った被害者の方たちですが、被害者のままでは終わろうとはしなかった人たちです。語りづらさがあるなか、沈黙せず、自らの尊厳と損害の救済を求め、次の世代や原告とはならなかった人たちのためにも正義を求めている人たちなのです。


5.想像力を欠いた不当な判決
 避難指示が出された地域ではないところからの避難者は「自主避難者」と称されることがあります。また、福島の食品や農作物の被害について、「風評被害」と称されることもあります。そうした地域からの避難者は、好んで避難したわけではありません。避難を余儀なくされたのです。また、農家は本当であれば、「美味しいものが出来たから食べてくれ」と言いたいに決まっていますが、いまは「未検出だから」と断りを入れなければならなくなっています。誰が農家にこんな言葉を言わせているのでしょう。農作物からは、いまも根からも葉からも放射性物質は出ています。「風評」ではなく「実害」なのです。「自主避難」、「風評被害」――こうした言葉は、私たち被害当事者の口からは決して出てこない言葉です。
 被害者に対する救済が、より実態に見合うものとなるためにも、司法の役割は大きなものがあります。しかしながら、今回の判決は、原発事故が起きたならばどうなるのか、声をあげざるを得なかった被害者の想いに応えることもなく、住み慣れた故郷から避難するという決断をせざるを得なかった原告のこれまでの苦労に報いることもなく、まるで想像力を欠いた不当な判決であったといえます。


6. 抗議の意思を表明します
 以上のとおり、この判決は不当なものであり、私達はこれを許すことが出来ません。避難した者、とどまった者、全ての原発事故被害者の訴える被害事実から目を逸らし、実質的に被害者が訴える被害についての判断を避けた、不当判決以外のなにものでもありません。私たちは、この誤った判決に対して強く抗議いたします。
 私たち東電福島原発事故被害者は、全国47都道府県にいます。どこにいても同じ被害当事者として、山形原告の方々の被害も、痛みも、失ったものも、守ろうとしているものも理解しています。山形の原告730人の後ろには、同じ思いを抱いた全国1万2000人余の全国の原告の存在があり、更には、被害を訴えたくても訴えられなかった人、原告にはなっていなくても声を上げている無数の原発事故被害者の思いがあります。
 山形訴訟の原告の方々は、この不当判決に対して、控訴して闘うことを決意したと聞きました。私たちは、この決意に対して深い共感と連帯の気持ちを表明いたします。そして、このような不当判決が繰り返されることのないよう、公正な判決を下す使命のある裁判所が司法の役割をきちんと全うするよう、よりいっそう連携・団結の意思を固め、この不当判決に対し一丸となって抗議の意思を表明いたします。

以上。                                                 (2019年12月27日