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(論考)「日米安保条約と日米地位協定の歴史と、その反憲法的・反民衆的本質」(2012年11月1日)

 

 

    無条件・無制限の米軍特権を与える、日米安全保障条約を破棄し、
        沖縄と日本本土から、侵略戦争の巣窟−米軍基地を全面撤去させよう



柴野貞夫時事問題研究会

 

(1)「オスプレイ沖縄配備は米軍の権利であり、日本政府に条約上のマンデート(権限)はない」とした森本敏防衛相発言は、日米安保条約の本質と実態を明らかにしいる。

日米政府は、世界一危険と自ら認める普天間基地の閉鎖を先延ばししている。

その上、日米安保条約を根拠として、世界一危険なMV22オスプレイの日本での運用と、普天間配備を強行した。919日の≪日本国に於ける新たな航空機(MV22)に関する日米合同委員会合意≫に基づく政府決定だ。
それに先立って、森本敏防衛相は「オスプレイ沖縄配備は米軍の権利であり、日本政府に条約上のマンデート(権限)はない」と主張した。

この発言は、日本国民の生命と人権よりも、米国の権利を尊重する日米軍事同盟としての(現行)安保条約の実態と、これに対する日本政府の立場を暴露したものである。即ち、ひとつには、日米安保条約が「制約された米軍の基地使用」と言う建前が、事実上無制限である事を明らかにし、二つには、日本政府に、<日本国民の人権と生命を守るために>米軍の基地使用を制約しようとする努力と姿勢が全くないと言うことを示している。

沖縄普天間基地へのオスプレイ配置に対する、地位協定に沿った「日米合同委員会」合意に於いて、日本政府はその配備容認を前提に、しかもその飛行においても、制約をしている振りはするが、その実、無制限な運用を認めていることは、米海兵隊が飛行制限の合意を尽く破っている事実で明らかだ。

日本国民の生命と人権よりも、米国の権利や権限を尊重する、日米軍事同盟=安保条約の実態とは,一体何であるかを明らかにしなければならない。 

(2)在日米軍基地の使用に無制限の権限を与えた()日米安保条約は、日本を米軍の朝鮮侵略の前線基地とした。(現行)日米安保条約に引き継げられた、<朝鮮有事における‘米軍の自由出動密約>は、日本を米国の朝鮮核侵略戦争の巣窟としている

19524月に、「、国際連合の措置または代替されうる別の安全保障措置の効力を生じたと両国政府が認識した場合に失効する。」(第四条−条約の失効)との期限規定で発効した(旧)安保条約は、それまで米国軍政下にあった日本での米国軍隊の駐留を、日本の主権回復後も、そのまま居座る事を保証し、当時継続されていた朝鮮半島に対する米国の侵略戦争の前線基地として、また極東と東南アジアの民族独立運動に敵対する、米国の軍事的プレゼンスとしての在日米軍基地を維持する為の軍事協定であった。

1950 6 25 日に始まった朝鮮戦争に対し、19519 8 日、旧)日米安保条約が締結された際に交わされた吉田・アチソン交換公文において、「国連の行動に従事する国連加盟国の軍隊に対する、日本及びその周辺における支持を日本が許しかつ容易にする」と定め、日本は、朝鮮半島において国連軍の名を騙り、朝鮮民族の統一と独立の戦いに武力で介入した米国とその追随国に公然として加担した。

この交換公文は、その後[朝鮮有事における‘米軍の自由出動密約’]として、(現行)日米安保条約にも引き継がれた。

(現行)日米安保条約の締結時に、朝鮮半島有事における戦闘作戦行動について事前協議が完了済み(即ち、事前協議を必要としない)とする手続が密約によって行われたのだ。

 米軍政下の日本政府は、米国による朝鮮民族の独立と統一の為の戦いに対する武力介入への加担を、ぬけぬけと次のように合理化している。

19508 19 日に政府が公表した「朝鮮の動乱とわれらの立場」の中で、「朝鮮における民主主義のための戦いは、とりもなおさず日本の民主主義を守る戦いである。朝鮮の自主と独立を守るために闘っている国際連合軍に、許されるかぎりの協力を行わずして、どうして日本の安全を守ることができようか。」(鹿島平和研究所編『日本外交主要文書・年表(1)』原書房,1983)とする日本の立場は、(旧)安保の‘朝鮮有事自由出動’の‘論拠’として引き継がれたのだ。

40年の朝鮮民族に対する植民地支配からの敗亡の手垢も乾かぬうちに、平気の平左で再侵略の企みを「民主主義」の4文字で合理化するような日本国家の性根は、一国家だけの問題だけではない。ふと今、国家主義潮流に流されて行く、多くの日本人が持っている歴史的遺伝子の中に、巣くっている性根なのではないかと疑いたくなるような空恐ろしさを感じずにはおれない。

日本の独立後も、朝鮮戦争の停戦協定の成立(1953727日)まで、朝鮮侵略の米軍出撃基地であった板付,伊丹、厚木、沖縄から飛び立ったB29B52爆撃機は、北部朝鮮の都市と山野を焼き尽し、400500万人の朝鮮民族を虐殺した。

日本政府(吉田政権)は、米国の朝鮮侵略の為の軍事基地の提供と、日本全土を後方兵站基地化、日本全国の運輸交通手段、工場施設、空港、港湾、多方面の技術者、旧日本軍軍人、医療関係者等を公然・非公然に動員し、米国による朝鮮民族への虐殺を支えた。

旧日本軍人出身の現職官僚が指揮官となって、掃海部隊を組織し、各種実戦部隊や、朝鮮半島の地理、戦略施設の実態、気候の分析にたけた旧関東軍(38度線以北を管轄した)将校の戦闘参加も指摘されている。

日立製作所、三菱重工業、小松製作所、トヨタが国策によって、戦車、ロケット砲、軍用車両、各種砲弾を製造し、日本の無数の船舶が日本と半島を往復し、朝鮮人民の頭上に爆弾と砲弾の雨を降らせながら、日本資本主義の血ぬられた復活の経済的基盤を築いた。

このように(旧)日米安保条約は、米軍基地の提供とその無制限の運用、日本の空港・港湾設備の自由使用、あらゆる種類の武器.戦艦・軍用機の持ち込みと部隊の海外移動を日本政府に容認させた。

(旧)日米安保条約の歴史は、在日米軍基地の無制限かつ無条件的使用・運用を米国に認め、米国の海外侵略の前進基地を沖縄から北海道にまで構築し、日本全土を、米国の軍事要塞とするものであった。日米安保条約は、日本と日本国民を、一方の同盟国の侵略戦争の加担者として、無条件に巻き込んだ。

旧日米安保条約は、全文でも1200字に満たない6条からなる条約である。その3条に基づく「行政協定」が、この条約の具体的運用規程として、米軍の行動を規律する詳細な項目を同時に取り決めている。

それは、第一次裁判権を始め、多くの取り決めで、日本の主権を制限し、米国の「権利と権力」を優位に置く片務的取り決めとなっていた。

米軍基地の無制限の運用、日本の空港・港湾設備の自由使用、あらゆる種類の武器.戦艦・軍用機の持ち込みと部隊の海外移動をほぼ無制限に保障した。

この「行政協定」は、(新)日米安保条約において、そのまま「地位協定」として引き継がれ、森本防衛大臣が語る“日本政府には条約上の如何なるマンデートもない”と言わしめた一つの理由である。

このような米軍の存在そのものが、日本国憲法の蹂躙である事は言をまたない。

(3)「事前協議を必要としない密約[核持ち込み・朝鮮半島有事の際の戦闘作戦行動や米軍の海外展開]」と「地位協定3条密約」によって、米軍特権のまま、(旧)安保条約を横滑りさせた(現行)安保条約

19606月、岸内閣は、巨大な反安保改定闘争にも拘らず(新)日米安全保障条約を強行採決した。(新)安保条約の各項目は、(旧)安保条約に色濃く残る、米軍政時代の表現、及び、在日米軍基地の無制限的運用を示す表現を削除して片務的条約でない事を強調し、またこの軍事同盟が、憲法を犯すものではないとして、「憲法上の規定と手続きに従う」事を謳っている。

例えば、旧安保・第1条に於ける「外部の国による教唆または干渉によって引き起こされる日本国における大規模内乱及び騒擾を鎮圧するため」日本国政府の要請に応ずるとする、所謂「内乱条項」の削除、第2条の「・・日本国は、アメリカ合衆国の事前の同意なくして、基地、基地における・・権利、権力もしくは機能」と言った、米国が、「無条件の権力を持つかのような表現」などを削除した。

それに代わるものとして、(新)60年安保(現行安保)では、6において、@米軍の行動範囲を極東に限定する(極東条項)、A「合衆国軍隊の日本国への配置における重要な変更、同軍隊の装備における重要な変更並びに日本国から行なわれる戦闘作戦行動のための基地としての日本国内の施設及び区域の使用は、日本国政府との事前の協議の主題とする。」とする、(岸・ハーター)による 6条実施に関する交換公文(いわゆる事前協議事項)が規定され、在日米軍は、その行動範囲を、極東条項によって制約を受け、核を始めとする新たな装備や、部隊の移動に対し、事前協議の対象とされると(建前は)規定した。即ち、現行安保は、在日米軍を、条約上「制限が課せられた存在」であることを表向き謳ったのである。

しかし、もはや周知のように、2010427日に、国際問題研究者・新原昭治氏が、米国立公文書館から発見した米国政府解禁文書は、日本政府(藤山外相)と米国政府(マッカーサー大使)が、米国が(旧)安保条約で行使してきた軍事的特権を、新安保条約でも引き継ぐいくつかの取り決めを行った事を明らかにした。(いわゆる藤山とマッカーサーの頭文字が署名されている、‘頭文字秘密取り決め’)。2000年日本共産党の不破委員長が、米国情報公開法により手に入れた60年安保締結時の「討論記録」から、(核そのものの日本領土持ち込みと核基地建設はノーだが)「核兵器積載艦船の寄港・核兵器搭載機の飛来は、旧安保同様に容認し、事前協議の対象ではない」と明らかにしている。

さらに新原氏の発見文書は、核兵器の持ち込みに限らず、「朝鮮半島有事」における米軍の自由出撃密約、地位協定3条に関する秘密合意覚書を明らかにした。

この<地位協定3条に関する秘密合意>とは、1952年発効の(旧)日米安保条約下の<行政協定>で、米軍に基地の使用・運営に必要なあらゆる「権利、権力、権能」が与えられていた問題で、現行の安保条約の下でも、そうした米軍の基地特権が引き続き堅持される事を、日米両政府が秘密了解覚書として結び確認していたことを、国際問題研究者の新原昭治氏が、日本平和委員会主催のシンポジウムで明らかにしたのである。

旧安保条約に基づく行政協定3条1項は、米軍が基地内で「設定、使用、運営、防衛又は管理のため必要な又は適当な権利、権力及び権能を有する」と規定するが、60年の安保改定に伴って6条に基づく「地位協定」となり、同条も基地内で米軍は「設定、運営、警護及び管理のため必要なすべての措置を執ることができる」という規定にしているが、新原氏が入手した米政府解禁文書によると、「日本政府は、(地位協定)3条1項の新しい文言のもとで、施設及び区域内の米国の権利を変更しないままにすることを文書で確認」することで合意。60年1月6日に当時の藤山愛一郎外相とマッカーサー駐日米大使が、「米国の権利は、「地位協定」3条1項の改定された文言の下でも、「行政協定」と変わらなく続く」とする秘密了解覚書に頭文字署名をした。

 当時、日本政府は「行政協定」の改定(「地位協定」)などをもって日本の自主的権限があたかも強まったかのように説明した。しかし、協定の文言の手直しが行われたにもかかわらず、米軍基地の治外法権的な実態は旧安保条約下とまったく変わらないのである

現行安保条約においても、旧安保条約で遂行されて来た米軍の、無制限かつ治外法権的権力の行使を、引き続き認めさせるための秘密合意が行われたのである。

特に、(現行)安保条約が認める「‘朝鮮半島有事’における自由出撃密約」は、在日米軍基地が、如何なる制約も受けず、再び朝鮮民族に対する侵略と虐殺の出撃基地となる事を容認するものである。それは断じて許すわけにはいかない。

これは、1950年〜53年時代とは想像もつかない自衛的反撃で、日本列島が粉砕されるだけである。ブッシュ政権時代に限らず、オバマ政権においても、米帝国主義者の朝鮮民主主義共和国に対する、核戦争の恫喝を継続している。その愚を断ち切る事が日本国民に課せられている。

新たな新安保での「地位協定」の運用においても、旧安保での「行政協定」となんら変わらない実態が、2004年、琉球新報が手に入れた、日本政府の日米地位協定に対する基本解釈と言うべきマル秘文書「日米地位協定の考え方」での、米軍の特権的権利行使に譲歩し、おもねる姿からも窺われる。

太平洋戦争において日本本土の盾として犠牲を強いられ、全島が戦場となった沖縄の返還交渉においても、19691121日にワシントンで行われた日米首脳会談で、沖縄の「核抜き本土並み」返還が合意されたが、佐藤、ニクソン両首脳は、同時に有事の際の沖縄への核再持ち込みを、秘密裏に署名した合意議事録を取り交わした。

その内容は、ニクソンが「重大な緊急事態が生じた際、米政府は日本政府と事前協議を行ったうえで核兵器を沖縄に再び持ち込むことと、通過する権利が認められることを必要とする」との米側の立場を示し、佐藤は、「かかる事前協議が行なわれた場合には、遅滞なくそれらの必要をみたすであろう。」と応じたと記録されている。

1972年の「核抜き本土並み、沖縄返還」と言う触れ込みにも拘らず、沖縄への核持ち込み密約が行われたのも、60年密約が前提となっていたからだ。もともと、本土さえ、「核ぬき」はペテンであったのだから。

日本本土より、20年間も長く米軍の軍政を強いられ、日本の米軍基地の70%以上を占めると言う沖縄の過重な基地負担は、本土復帰後も、(旧)安保条約を横滑りさせただけの60年(新)安保条約の下で、何も変わらなかった。それどころか、米軍特権による犯罪と事故の多さは、過重な基地負担によって、本土の比較ではない。その上、今回のオスプレイ沖縄配備の政府合意は、許し難い沖縄差別といわなければならない。

我々は、日本における巨大な米軍基地と米軍の駐留、そして日米安保条約と地位協定と言う米国との軍事同盟そのものが、「武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争の手段としては、永久にこれを放棄する。」日本国憲法第91項、及び、「前項の目的を達する為、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」とする第9条2項を、蹂躙する許し難い条約と考えるものである。

同時に、現安保条約本文と地位協定がそれぞれ「密約」などと言う不法極まる取り決めによって、旧安保条約における在日米軍基地運用と同様、無制限・無条件におこなわれ事を断じて許すわけにはいかない。いまだかって、今日まで、「事前協議」は一度も開かれなかったことは、米軍のあらゆる行動が、日本に於いて無制限に行われている証拠である。

ところで、「密約」なるものが、資本家階級が言う民主主義的代議制の手続きと如何なる整合性があるのか知りたいものである。密約もまた、「国際法の一種」と言う「法学者」がいるらしいが、憲法第41条は、国権の最高機関は国会であると規定する。国会の議決もなく、国民の命を左右する在日米軍の無制限な軍事行動を許容すること、主権を持つ国家が米軍の犯罪行為を裁く事に制限を加えられることを受け入れる「国際法」など、認めるわけにはいかないのだ。不法極まりない、日米安保条約と日米地位協定は、直ちに全面廃棄手続きにはいるべきである!

(4)日本国家の行動が、司法の場で憲法を蹂躙する行為だと断じた二つの裁判によって、我々の戦いが正義であることを確信させる。

1957
年、米軍立川基地拡張工事(滑走路に反対する延伸工事)を阻止しようとする地元反対同盟と支援の労働者・学生が、基地内になだれ込んだ行動に、国家は、「日米安保条約に基づく刑事特別法違反」として7名を起訴した。しかし、19593東京地裁・伊達秋雄裁判長は、「日本が在日米軍に、基地の提供、費用の分担など協力した事は、憲法第9条が禁止する陸海空軍その他の戦力に該当する。憲法上その存在は許されない。在日米軍を保護する刑事特別法は憲法違反である」と無罪判決を出した。

 20084月、国際問題研究家の新原昭治氏が米公文書館で発見した文書の中に、(新)日米安保条約を協議中の駐日米国大使・マッカーサーの極秘文書を見つけた。それによれば、この、安保条約締結に影響する伊達判決に対し、米国の働きかけの下、岸・藤山が跳躍上告を図り、その担当である田中最高裁判所長官と会った事実が記載されていた。伊達判決を破棄する為の日米両政府と最高裁の謀議がおこなわれた事を示す。司法は政治の下僕となっていたのだ。最高裁は、日米安保条約調印の1か月前、「主権を有する国民の政治判断に委ねるべきもの」として司法判断から逃げ出した。伊達判決を否定する事も出来なかった。

2008417日、名古屋高裁民事第三部の青山邦夫裁判長は、「自衛隊イラク派兵差し止め訴訟の会」による、「日本政府によるイラク派兵と言う違憲行使の取り消しと、賠償請求」訴訟に対し、「行政府による「自衛隊イラク派兵」と言う違憲行使の取り消し変更と賠償請求に対しては、「行政権の行使に対し、私人が民事上の損害賠償請求権や取り消し変更の請求を有するとは解さない」(判決)とするも、控訴人らの本裁判の民事請求の根拠としての「違憲確認請求」にたいしては、国家による違憲行為を根本的に認めるとした。 この判決は、本裁判の性格上最終判決として確定した。この判決での違憲判断は次の通りだ。

「バグダットは・・国際的な武力紛争の一環として殺傷や破壊行為が現におこなわれ、イラク特措法に言う《戦闘地域》に該当する。(また)航空自衛隊の(バグダットへの)輸送活動は、現代戦では、輸送なども戦闘行為の重要な要素であり、多国籍軍の戦闘行為にとって必要不可欠な軍事上の後方支援を行っていると言える。多国籍軍の武装兵員を戦闘地域のバグダットへ空輸するものについては、他国による武力行使と一体化した行動で、自らも武力の行使を行ったとの評価を受けざるを得ない。(したがって)空自の空輸活動は、イラク特措法を合憲としても、武力行使を禁止した同法22項、活動地域を非戦闘地域に限定した同条3項に違反し、憲法91項に違反する活動を含んでいる。」(判決要旨)と、日本政府のイラク自衛隊派兵行為が、具体的に、憲法を踏みにじる戦争行為であることを明確にした。

当時の自公執権政府が「人道復興支援とテロ防止の為の国際貢献」と言いくるめてきた中身の実態が剥がされた外務大臣・高村正彦が、この判決を知らされた18日記者会見で行った発言は、後世大事にする必要も無い。裁判所が傍論で書いたと言う事実はあるから、外務大臣を辞めて暇でもできたら読んでみますよ。」と揶揄した。判決に於いて、まさに今、自らの職責に於いて推し進めて来た対米戦争協力が、憲法蹂躙行為と指弾されている時にだ。
判決が、憲法違反の主たる行為者とした「航空自衛隊」の責任者である田母神俊雄航空幕僚長は、418日定例記者会見で「隊員たちの心情を代弁すれば、(隊員の)大多数にはほとんど影響ない。“そんなの関係ねえ”と言う状況だ。」と平然と主張した。この、憲法尊重義務を公然と嘲ける、国家権力の暴力装置を握る軍人の発言を誘発しものは、福田、高村を初めとする自公執権政府の憲法否定の態度にある。

「日本が在日米軍に、基地の提供、費用の分担など協力した事が、憲法第9条が禁止する陸海空軍その他の戦力に該当する。憲法上その存在は許されない。」とした砂川裁判に於ける伊達判決は、最高裁判所においてはその憲法判断を回避したのであり、「多国籍軍の武装兵員を戦闘地域のバグダットへ空輸するものについては、他国による武力行使と一体化した行動で、自らも武力の行使を行ったとの評価を受けざるを得ない。」と自衛隊の海外派兵行動を憲法9条違反と断じた名古屋高裁の青山判決は、裁判の性格上結審となり、この二つの判決は、「憲法判断」としては、今も生きているのである。
まだ日本国憲法は改憲を狙う勢力と日米同盟に固執する右翼・国家主義者や軍国主義者どもにとって、忌まわしい存在であり、彼らの手足を縛る力となっている。

我々は勇気をもって、日米安保条約とその地位協定の破棄に向かって前進し、沖縄と全日本に於いて、憲法違反の米軍基地の存在自体を粉砕する戦いを進めなければならない。