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(民衆闘争報道 下地准教授らの不当逮捕に対する<憲法学者の抗議声明>、下地准教授の<獄中からの声明文>20121217日)


  JR大阪駅頭における宣伝活動に対する威力業務妨害罪等の適用に抗議する


     

△写真上 1118日「橋下市長による―震災瓦礫焼却に反対する抗議行動」を行う下地真樹准教授(左端)  (写真出処―柴野貞夫時事問題研究会)

憲法研究者声明

2012129日、大阪府警警備部などは、同年1017日のJR大阪駅駅頭で「震災瓦礫」の受入に反対する宣伝活動(以下、「本件宣伝活動」とする。)を行った下地真樹氏(阪南大学准教授)らを、威力業務妨害罪(刑法234条)および不退去罪(刑法130条後段)で逮捕しました。私たちは、日本国憲法の研究者として、本件逮捕は、憲法211項の保障する表現の自由を不当に侵害するものであると考えます。
 本件宣伝活動は、ハンドマイク等を用いて、駅頭で、大阪市の瓦礫処理に関する自らの政治的見解を通行人に伝えるものであって、憲法上強く保護されるべき表現活動です。また本件宣伝活動が行われた場所が、かりにJR大阪駅構内であったとしても、駅の改札口付近等通行人の妨げになるような場所ではなく、せいぜい同駅の敷地内であるにすぎず、公道との区別も判然としない場所です。このような場所は、伝統的に表現活動の場として用いられてきたパブリック・フォーラムに該当すると考えられ、施設管理者の管理権は、憲法211項の前に、強く制約されるはずです。
 そうであるとすると、本件表現活動に対し、威力業務妨害罪や不退去罪を適用することができるのは、当該活動によって相当の害悪が発生している場合でなければなりませんし、たとえそのような解釈をとらないとしても、少なくとも、害悪発生のおそれが実質的に存在することが必要なはずです。本件は、通行する市民に対して、穏健な方法で瓦礫処理に関する自らの政治的主張を訴えかけるものであり、このような表現活動から、刑罰に値するだけの相当の害悪が発生し、または、そのような害悪が発生する実質的なおそれが存在しているとは考えにくいと思われます。
 また、下地氏らは、本件宣伝活動終了後、大阪市役所に行くために、JR大阪駅の東側のコンコースを通過しました。この行為も、同コンコース内で立ち止まって宣伝活動をするといった態様のものではなく、単に、他の人と同様に、移動のためにコンコースを利用したにとどまります。そもそも同コンコースも、駅構内とはいえ、本件宣伝活動が行われた駅頭と同様に公道とほぼ同視できる場所だと考えます。この移動のためのコンコース利用によって威力業務妨害罪ないし不退去罪が成立するとは考えられません。
 下地氏らが、大阪市の瓦礫処理問題で活発に活動していたことは周知の通りです。政治的問題は、民主主義によって決着がつけられるべきですが、その前提として、表現の自由が十分に保障されなければなりません。前述のとおり、本件行為に表現の自由の保障が及び、その制約を正当化するだけの実質的な理由が存在しないとすれば、本件逮捕は、下地氏らの政治的主張を狙い撃ちにしたのではないかという懸念を感じざるを得ません。
 市民の正当な言論活動に対し、刑罰権が恣意的に発動されるならば、一般市民は萎縮し、政治的な活動を差し控えるようになります。そうなると、民主的な議論の結果も歪められることにならざるをえません。表現の自由は、そのような結果を防止するためにこそ存在するのであり、したがって、刑罰権発動には最大限の慎重さが求められるはずです。
 以上のように、本件逮捕は、憲法上強く保障された表現の自由を不当に侵害し、市民の表現活動を幅広く規制対象にする結果をもたらし、ひいては自由な意見交換に支えられるべき議会制民主主義の過程を深刻に害するものであって、憲法上許容されないと私たちは考えます。私たちは、大阪府警による下地氏らの逮捕に強く抗議するとともに、かれらの即時釈放を要求します。20121217日)

不当勾留中の下地准教授からの 声明文>

 逮捕状の被疑事実は、すべて、事実ではありません。当日現場にいた公安の警察官もすべてを見ていたはずなのに、堂々と事実と異なる被疑事実に基づいて逮捕を行ったことに、とても驚いています。
 なぜ警察がウソをついてまで私を逮捕するのか。それは私が、原発の再稼働に反対し、放射能の拡散に反対する市民運動に参加してきたからであり、とりわけ、運動の中で出会った警察の不正行為についても厳しく批判してきたからです。悪いことはなにもしていません。

 
いま、私たちが暮らす日本は、そして世界は、危機的な状況にあります。福島の原発事故はいまだ収束せず、4号機の使用済み核燃料プールが倒壊すれば、日本だけでなく、世界が終わると言っても過言ではない大惨禍をもたらすことになるでしょう。放射能汚染への対応もまったくできておらず、食品その他の流通を通じて、汚染は拡大しつつあります。そんな中、「電気が足りない」とうそぶき、原発を使い続けようとしているのです。すべてが狂っているとしか言いようがありません。
 この半年か1年の間に、政府がどのような施策を行うか、それによって私たちの未来は大きく変わるでしょう。日々、学生たちの顔を見ながら思います。二十歳そこそこの彼らが私と同じ四十歳になる頃、どんな世界に暮らすことになるのかと。そのたびに、今回の原発事故を防げなかったこと、先輩世代として申し訳なく思います。彼らには罪はないのですから。せめて、少しでもマシな世界を残せるよう、微力を尽くしたいと思っています。事故はすでに起きてしまいましたから、時間はあまり残されていません。しかし、希望はあります。
 私は、いま、動くことができなくなりました。でも、諦めてはいません。こうして、私の声を外に届けることもできます。そして、もっと多くのみなさんが行動してくれれば、声をあげてくれれば、きっとまだ間に合います。
 私はとりわけ、私と同じように大学で教えている人、医師や科学者などなんらかの意味で専門家と呼ばれている人たちに呼びかけたいと思います。「無知で冷静さを欠いている」かのように見える市民にこそ学んで下さい。その声が無視され、軽んじられている人のために語って下さい。
 真実は、批判と応答を通じて初めて、姿を現します。政府をはじめとする権威が語ることではなく、その反対側に立ち、権威に対して反問することを通じて真実が明らかになるように行動して下さい。まちがってもいいのです。常に弱い側に立ち、その軽んじられる言葉や存在を擁護し、自らが仮にまちがうとしても、逆説的に、権威との言説の応酬の中で真実が明らかになるように、語って下さい。あなたの専門分野が何であるかは、関係がありません。勇気をもって下さい。
 最後に、私がもっとも深く関わってきた震災がれきの問題について述べます。大阪市は11月末に試験焼却を強行し、来年2月の本焼却開始に向けて着々と準備を進めています。
何度もあちこちで述べてきましたように、震災がれきの広域処理は誰のためにもなりません。それは被災地支援どころか復興予算の横取りであり、かえって復興の足を引っぱります。同時に、放射能をばらまき、かつ、汚染地の人々に放射能を受忍させ、加害者である東京電力の責任を軽減するものです。代償は、私たちの、子どもたちの、そして、これから生まれてくる子どもたちの命です。こんなデタラメな施策が許されていいはずがありません。絶対に止めなければなりません。これまでともに学び、取り組んできたみなさん、諦めずに戦ってください。また、これまで震災がれき問題について知らなかったみなさん、是非、今からでも知って力を貸して下さい。これは、私たちの未来そのものを守るための戦いです。
 私はいつ出られるかわかりません。でも、いつかきっと出られます。姿は見えなくても、心はともにあります。この間、不当に逮捕されている他の仲間たちもきっと同じ気持ちです。みなさんに会える日をたのしみにしています。(2012.12.12)


 <12・18勾留理由開示公判 意見書(下地真樹)>

  私は裁判所で、覚えていることは丁寧にお話しました。その結果、事実関係にすら混乱があるんですけど、一度は勾留請求が却下されました。そもそも逮捕状記載の被疑事実がメチャクチャなものでしたから、当然のことだとも思いますが、しかし、その後、どういうわけか長時間待たされた挙句、再度勾留との決定が出ました。しかも、その理由はなんら客観的証拠に基づかないメチャクチャなものです。司法の独立はどこへ行ったのかと思います。 
 今朝、検察官の取調がありましたが、その検察官ですら、被疑事実には私の行動についての記載が少ないと言っていました。

 私が勾留されたのは「罪証隠滅のおそれあり」とのことですが、つまり、私が関係者と口裏合わせをして証拠隠滅をはかるとか、そういう話のようです。しかし、私は裁判所ではちゃんと話をしているのです。どうして今更口裏合わせする必要があるでしょうか。

 むしろ実際に口裏合わせをしているのは、警察と、警察OBが多数天下っている警備業者の方ではないでしょうか。その可能性はありえないと判断したのなら、その根拠はなんでしょうか。実際に証言された方の前職が何かというだけの問題ではありません。業界としての太い関係性がある以上、その背景を考慮すべきですが、どうなのでしょうか。

 私は自分が関わった市民運動の中で、路上の表現活動に対する警察の不当な介入に度々抗議してきました。許可が不要なことでも「許可が必要」と言い、こちらに知識がなければそのままやめさせられます。「それは違います」と抗議して、問答をすると、スゴスゴと引き下がったりします。もちろん謝ったりは絶対しないし、別の日にはまた同じウソを言います。一向に改善されません。ですから私は、根気よく抗議をくり返し、できるだけ多くの人々にその様子を見てもらったり、伝えるようにしてきました。その結果、警察の不当行為に気づいて、抗議をする人も増えてきたと思います。

 警察の不当行為は路上表現への介入だけではありませんが、私はそれを根気よく問題にしてきました。世の中が良くなることを望んで、そうしてきました。すると警察は、私のことを名前や職業で呼ぶようになりました。私を脅かすためです。私の名前を呼んで指示をする警察官には警察手帳の呈示を求めたりしますが、ほとんど応じてくれません。規則違反ではないでしょうか? なにより、こんな下らない仕事をさせられる若い警察官たちが気の毒です。その中には、私の教えた学生もいるのですから。なおさらです。
 関電前デモでの逮捕が不当逮捕であることは、それまでとは様子が違って警察官が多数来ていたこと、画像で転んでるのが映っていることから、誰でも知っていることです。

 大阪府警はずいぶん以前から私のことを知っています。警察の不当行為を指摘し、抗議する私のことが目ざわりだったのではないでしょうか。それで自分たちの仕事のあり方を点検し、改めるべきは改めればよいところ、逆恨みをし、職権を使って私を罪に陥れる。これは特別公務員職権濫用罪に相当するのではないでしょうか? これでは、まるで子どものけんかです。

 こうした警察の暴走を戒めるべき検察がむしろこれに同調し、こうした不正をチェックして防ぐべき裁判所がこれを簡単に認めてしまう。この国の刑事司法はいったいどうなってしまっているのでしょうか?

 黙秘していると勾留の必要性が高まるかのように検察官は言いました。しかし、警察が私的な目的のために職権濫用をするおそれがあるから、黙秘権は重要な権利なのです。

 逮捕や勾留も、重大な人権の制約なのですから、裁判所は、厳しく客観的事実を要求してください。

 この間、大阪府警の不当介入、不当行為に厳しく抗議してきた人たちが、片っ端から逮捕、起訴されてきています。戦前の特高警察のような異常な事態です。再び刑事司法の暗黒時代を招き寄せることになるのか、ここで止めることができるのか、裁判所はきわめて重大な責任を負っていることを思い出してください。

 これは、決して軽微な事案ではありません。裁判所は、しっかりしてください。(2012.12.18)


<下地さんから 獄中からの手紙(12月20日付)>


A
 選挙の結果をうけてガックリきている人も多いと思います。でも、まあ、こんなものです。いまさらガックリしても仕方ない。
 ほんとうに大事なことは草の根の活動です。一人一人に話すこと。その積み重ね以外に、ないです。これまでしてきたことを点検してみると、これまでやってこなかったことが多いことに気づくと思います。
(1)紙に文章を書いてみてください。下手でもいいし、断片的でもいいですが、「主語と述語のある文」を書いてみてください。それを読み上げて、耳から入ってきたときに、どのくらいわかりやすいか、ほんの少しだけ考えてみてください。完璧主義にならないように注意してください。「今よりほんの少し上手になる」だけで十分なのです。大事なことは、向上心、工夫する姿勢です。
(2)「運動に関わっていない人」に話す機会、伝える機会を作ってください。活発に活動している人でも、ご近所さんや友人、知人、職場の同僚には話しづらく、していないものです。無理をしないように、しかし、まったくゼロにならないように、生活圏の中で問題提起をしてみてください。これが一番難しく、しかし、一番大切なことです。
 一人ひとりが力量をあげていく必要があります。一人ひとりが今までおろそかにしてきた、避けてきたことに取り組む必要があります。僕も留置所の同室の人に原発のことや放射能のこと、その他さまざまな社会問題について話します。取調べはほとんど授業になっています。それぞれの持ち場で、草の根の活動をがんばりましょう。
<B>
 警察、とくに公安警察のやることが、最近とてつもなく乱暴になっています。なんでもかんでも逮捕する。なんでもかんでも起訴する。まあメチャクチャです。でもこんなメチャクチャなことにも理由はあるし、経済学的な分析が有効です。
 公共選択理論の世界でよく知られた法則に、こういうものがあります。「規模を拡大した官僚組織が、自らの規模を縮小・抑制することはない」。なんという名前の法則だったか忘れましたが。官僚組織の予算最大化行動というやつです。
 この法則は、もちろん、警察にもあてはまります。警察もまた官僚組織の一種ですから。犯罪者が減ること、いなくなること、これは普通に考えれば良いことです。個々の警察官でもそう思うでしょう。しかし、官僚組織としての警察にとっては違います。彼らにとってその必要性が減り、予算を減らされることは望ましくないことなのです。予算を減らされるくらいなら、ムダなことでもやる。酷い場合は、「悪いことでも」やるようになってしまう。そういうものです。少なくとも、「そういう側面がある」くらいのことは、常識としてわきまえてほしいものです。
 その結果、「年度末のムダな道路工事=公共事業」と同じような理屈で、やる必要のない、市民運動の弾圧に手を染めてしまうわけです。どこを探しても過激派がいないので、『こいつはいつか過激派になるに違いない』などという妄想のもとに、こういうバカげた仕事をやるわけです。これでは公安警察こそが「過激派」になってしまいます。バカバカしい話ではありますが、実際問題、現実はこのくらいくだらない理屈で動いているものです。
 警察組織に作用している「利潤動機」は他にもあります。たとえば、「天下り先」の確保です。これは組織のメンバーの再就職先の確保であると同時に、組織の影響力の拡大につながります。
 もちろん、天下りを受け入れる企業にとって、これはコストですから、そこに「うまみ」が必要です。関西電力のような企業にとっては、「反原発・脱原発の市民運動をつぶす力になる」ことは一つの魅力となるでしょう。そこに、警察OBに再就職先を提供することの利益があります。天下りは現実に存在しますし、なにより、関西電力本店ビル内では、警備担当者と公安の警察がヒソヒソ打ち合わせをしている様子が何度か目撃されています。
 少し前に文章にしました、105日の関電前不当逮捕の件、つまり、「どうして転び公妨の自作自演までして市民を逮捕せねばならなかったのか」についても、理由は明瞭です。
警察と関西電力の利害関係について(はっきり言えば、癒着)があるからこそ、抗議する市民と一私企業に過ぎない関西電力の関係について中立であるべき警察が、ことさら関電に肩入れすることになるのです。実につまらない。
 しかし、このくだらない、つまらない状況がもたらしている酷い人権状況は、ささいな問題ではありません。早急に歯止めをかけるべき重大問題です。ぜひ多くの人に知らせてください。

 <下地さんから 獄中からの手紙(12月21日付)>

(A)
 原発事故から1年と9ヵ月が過ぎました。まるで事故などなかったかのような選挙結果にガックリしてる人もいると思いますが。しかし、そもそも「高額供託金」「不公正な報道」「小選挙区制をはじめとする歪んだ選挙制度」。気づき始めた少数派の意見が反映されにくい仕組みなのですから。2005年総選挙では、小選挙区に限って言えば、確か50%足らずの得票で70〜80%の議席を獲得してたんじゃないでしょうか。小党乱立の今回のような状況では、なおさら新勢力は不利です。しつこいようですが、草の根の活動が大事です。
 取調べでも検事調べでも、原発や放射能のことを聞かれます。話してもみると(別に驚きもしませんが)彼らなーんにも知りません。まあ、そりゃそうです。反原発・脱原発の旗を掲げている人でも、目下勉強中の人がほとんどなわけで、「電気どうするの?」のレベルの人がなんにも知らなくても当然と言えば当然です。
 だから話しましょう。飽くことなく話しましょう。話すのが下手でも、ひどいこと言われても、それを糧に少しずつ上達しましょう。あなたの家族や友人は、話し上手な人ではなく、あなたの話を聞きたがっているかもしれまあせん。留置場で知り合って男の子も自分の取調べだかなんだかのときに、僕に教えてもらったばかりの原発の話をしたそうです(笑)。こういう広がりが大事。
 私たちにはまだできること、まだあやってないことがあります。一つずつやっていきましょう。
(B)
 震災ガレキ問題のことを振り返っておきたいと思います。
 「被災地のために受け入れる必要があるのと違うの?」という人が留置場にもいます。だから説明します。「被災地のためにこそ、断らなアカンのです。」
 災害があれば、必ずガレキ処理が問題になります。そのとき、必ず念頭に置くべきことは、「輸送費を節約すること」です。これは専門家でなくとも、すぐにわかることでしょう。
 「被災地で処理できるのか」と問う人があります。元々ガレキの総量は大幅に過大推計されていましたし、十分処理できます。少なくとも、輸送費分のお金を直接被災地に渡した上で、地元に選ばせるくらいはすべきです。また数百万トンの可燃ゴミの中で、大阪市が受け入れる予定の36000トンというのは誤差にすぎません。「大阪市が受け入れて、ギリギリ足りました」なんて、バカも休み休み言え、と言う話です。
 ただし、以上は安全性に関する環境省の主張を前提にした話です。僕は、この環境省の主張自体に問題があると思いますので、現在被災地で進められている処理にも賛成できません。もっと慎重であるべきだと思っています。
 環境省の安全基準をざっくりまとめるなら次のようになります。
 「1kgあたり8000ベクレルまでは、燃やしても埋めてもOK。焼却炉はバグフィルターがあればいい。処理場ではビニールシートを敷いて土をかぶせとけばいい。とんでもなく乱暴な話です。この結論を出したとされる災害廃棄物安全評価検討会は、その肝心の部分で議事録が存在しません。わざわざ隠したのです。薬害エイズの被害をもたらした厚生省エイズ研究班の議事録隠しを思い出させます。
 この基準が震災ガレキに適用されるだけでもひどいのに、環境省はこれを、今後の放射性廃棄物処理(つまり、東北・関東の放射能汚染下におけるごみ処理)の基準にしようとしています。本来拡散せぬよう厳格に管理すべき汚染物を「薄めてバラまく」ことで、低いコストで処理しようというわけです。
 これは汚染者である東電(そして原子力産業全体)に対する巨額の補助金です。財源は私たちの生命と未来です。こんな酷い政策を許してよいはずはありません。
 これまで共に取り組んできたみなさん、とにかく声を上げ続けてください。最近になって初めてこの問題に気づいたみなさん、どうか力を貸してください。大阪市の本焼却を止め、北九州もやめさせ、とにかく「危ないものは危ない」という前提に立ち返って、処理の見直しをさせねばなりません。災害時において「二次被害を防ぐこと」は復興以上に重要なことです。