ホームページ タイトル

 

(民衆闘争報道 <元沖縄県知事・大田昌秀さんが語る「沖縄の心」>講演記録 <その1
 2013630日)

 

元沖縄県知事・大田昌秀さんが語る「沖縄の心」>講演記録 <その1>

 

―この講演記録 は、三回に分けて連載します―

 

「沖縄の心とは、日本国憲法を大切にする心です。平和憲法を拠り所に戦ってきた沖縄は、安倍自民党の改憲の動きを決して容認しません。

140万の県民が住む沖縄を、まるで無人島の様に蹂躙する米軍基地を容認する日本国家には、主権国家としての誇りは何処にもありません。

沖縄を、戦争に結びつく軍事基地としてではなく、人間の幸せに結びつく生産の場にする事が沖縄の願いなのです。」 (講演記録 から)

   

△写真上 元沖縄県知事・大田昌秀氏(出処・柴野貞夫時事問題研究会)

     

   

△写真上 「奈良人権センター」講演会場に集まった参加者(出処・柴野貞夫時事問題研究会)

     

[編集者注]

 

●大田昌秀さんのプロフィール

1925年沖縄県に生まれる。1945年沖縄師範学校に在学中に、鉄血勤皇師範隊の一員として沖縄守備軍に動員され沖縄戦に参戦。九死に一生を得る。早稲田大学卒業後、米国シラキュース大学大学院修了。琉球大学教授を経て、1990年沖縄県知事に就任(28年)。のち参議院議員(16年)。現在、NPO法人・沖縄国際平和研究所理事長。沖縄戦と平和をテーマに研究を重ね、80冊余の著作がある。


●主催団体・賛同団体

奈良―沖縄連帯委員会、部落解放同盟奈良県委員会、憲法を生かす奈良県民の会、奈良平和フォーラム、ハッキョ支援ネットワーク・なら、奈良教職員組合、奈良市従業員労働組合、全日本港湾労働組合関西地方大阪支部、多文化共生フォーラム奈良、柴野貞夫時事問題研究会、沖縄意見広告運動、沖縄の高江・辺野古につながる奈良の会、財団法人 奈良人権・部落解放研究所、エル女性会議奈良、奈良県高等学校教職員組合、関西大学校友連絡会

 

 

 講演記録 <その1>

 

 

●全ての十代の男女若者を、如何なる法的根拠もなく戦場に駆り出した日本国家

ご紹介頂いた大田で御座います。奈良の皆さんと、じかにお目にかかり、こうしてお話出来る事を光栄に思います。奈良には松田さんをはじめ、おおくの方々が、沖縄問題の解決の為にご尽力して頂いている事に対し、御礼を申し上げます。

沖縄の事についてお話しますと、皆さんの中には沖縄の人以上に、沖縄に思いを馳せて頑張って下さっている方々も居られます。

しかし、本土の方々が聞きたくない様な事も申し上げなくてはならないのです。

どうかその事をお許し願いたい。甘い誤解を与えるよりは、苦い真実をお伝えしたいと思います。

お手元の資料(注―参加者に配られた「沖縄」関連資料・沖縄戦及び基地問題)の中で、少しミスが御座います。<朝鮮人慰安婦の「配備個所」の設置数>が62か所と書いてありますが、最近の女性団体の調査で明らかになったところによりますと、「163か所」だったと言う事実が明らかになりました。一つ一つ説明したいのですが、時間の関係上、参考としてご覧下さい。

資料に基づき一つだけ申し上げたい事があります。沖縄戦当時、12か所の男子中等学校と、10か所の女学校がありました。そのすべての学校から十代の若い人達が戦場に狩り出されました。私なども、120発の銃弾と2個の手榴弾、半袖・半ズボンで戦場に駆り出されました。資料2頁に、それぞれの学校出身者の動員数、戦死者の数が出ていますが、この様に十代の男女若者を戦場に引っ張って行く場合には、軍国主義国家とは言え、まず国会で法律を作り、法に基づいて戦場に出すはずです。しかし沖縄戦では(本土と違い)、この十代の若ものを戦場に狩りだす法律もなしに、つまり法的根拠もなしに、戦場に引っ張って行ったのです。これは、沖縄戦の一つの大きな特色です。

沖縄守備軍司令部の牛島満中将と参謀長の長勇が自決したのが622日、この日に本土で「国民義勇兵役法」が出来ました。男性は1560歳まで、女性は1740歳までを戦闘員として出す法律が出来たのです。この法律以前に、すでに沖縄では十代の若者が、法的根拠もなく、日本国家によって戦争に狩りだされていたと言う事実を知っていただきたいのです。

△写真 学校別学徒動員者数と戦死者数

 

また集団自決の問題ですが、慶良間諸島だけが良く取り上げられますが、ここだけではありません。資料にある通り、多くの場所で起こっています。

 

△写真 沖縄戦における住民の集団自決の場所と人数


●米軍は、銃剣とブルドーザーで沖縄農民の土地を奪っているが、日本政府は、「法律」によって我々の土地を強奪している


私は、今月で88歳になります。何故奈良まで来て、沖縄についてお話するかと言いますと、今年は沖縄にとって最悪の年になるのではないかと心配しているからです。どう言う事かと申しますと、沖縄には反戦地主と言う方々がおられます。自分の先祖から受け継いだかけがえのない土地と言うものは、戦争に結び付く軍事基地に貸すのではなく、人間の幸せに結び付く生産の場、ものを作る場にしたいと言う事で、軍用地に土地を貸すのを拒否するわけです。この自分の土地を提供するのを拒否しますと、それを受けて市町村も拒否するわけです。県には、土地収用委員会と言うものがあります。例えば「嘉手納」を20年間貸してくれと言って来たら、(大学教授、弁護士などで構成される)土地収用委員会のメンバーが、裁判所の様に審議をして‘20年は長いから10年しか貸せない’と言った遣り方で採決をする。これは、県議会からも独立した機関で、大きな権限をもっています。しかし、その土地収用委員会が反対し、県も反対しますと、その意を受けて、(土地所有者に代わり)県知事が代理署名をして拒否するわけです。

そうすると、(それに異をとなえる日本政府が)県知事権限を取り上げて、総理大臣がサインをしさえすれば、土地所有者、市町村長、県知事が反対しようが、土地を取り上げて米軍基地にする事が出来ると言うわけです。私は、これに対し、代理署名拒否の裁判にかけ、最高裁まで行ったのですが負けたのです。

駐留軍用地特別措置法と言う法律があって、日本本土では1960年代まで適用された事例がありましたが、1960年以降は一切適用されていません。つまり、沖縄にだけ適用される法律なのです。この法律を改悪して、衆議院で90%、参議院で80%の議員が賛成して、「沖縄地主の代理署名―権限」を取り上げたのです。

今年が何故、最悪の年になるかも知れないと言うのは、今、普天間を辺野古に移そうと言う計画を立てています。最近の自公政権は、7月参院選に向けて公約を発表しましたが、そこで辺野古移設を推進すると、明確にしています。

現在、海面を埋め立てる権限は知事が持っています。政府は既に沖縄県に、海面埋め立て許可を申請しています。今、知事は反対していますが、日本政府は米国に対し約束をしているわけです。どうしても辺野古へ移設したいと。

しかし、いまは沖縄の自公の人達も、県民の圧倒的な意思に押されて、「反対」と言わざるを得ません。知事もOKするわけには行かない。つぎの手は何かと言うと、防衛大臣がいみじくも、“法律があるから”と言っている。沖縄の民意がどれだけ反発しようが、県知事の権限も取り上げると言うわけです。沖縄のガンジーと言われる阿波根昌鴻さんと言う方がいまして、この方は、非暴力で徹底的に土地収奪に反対してきました。この人は、米軍は銃剣とブルドーザーで沖縄農民の土地を奪っているが、日本政府は「法律」によって我々の土地を強奪している”と、言っています。

●安倍政権による、普天間基地の辺野古への移設は、全沖縄の怒りをかって、第2のゴザ騒動を呼び起こす懸念がある

今回の辺野古移設には、人命にかかわる事故が生まれるかも知れない、のっぴきならない事態に追い込まれるかも知れません。

皆さん、コザ騒動を覚えていらっしゃるでしょう。(復帰直前の)1970年に、コザ市民5000人が米軍に抗議して立ち上がった事件です。

米軍車両が住民を傷つけ、その事故処理がいい加減だと米軍に抗議すると、憲兵が威嚇射撃をし、憤激したコザ市民が米軍車両83台を焼き打ちしました。更に、嘉手納基地のゲートを突き破り、基地内兵舎に火を放ちました。この事件の頃は、コザ市民だけが行った行動ですが、今は沖縄全域に怒りが満ちているのです。もし、人命に係る事故、事件がおこったなら、どんな騒ぎとなるか懸念しています。


●本土国民は、普天間基地の辺野古移設で自分達の税金が使われ、巨大な経費負担を強いられる事を知っていますか?

そこでちょっと申し上げたいのです。本土では、辺野古に基地を移す事をまるで他人事の様に考えられている様です。つまり自分達は関係がないのだと。その典型的な例が、日本の国会で衆参合わせて722人の国会議員がいますが、沖縄代表は10人しかいない。その代表10人が声を揃えて沖縄問題を訴えても、なかなか聞いてもらえない。他人事のように。すべて法律は、国会で決めるわけですから。

圧倒的多数の本土選出議員が、自分達の問題として取り組んで下さったなら、解決は早いのです。しかし、そうしようとしないのです。実は皆さんと密接な関係があるのです。どう言う事でしょうか?

普天間基地を辺野古に移設する場合、どんな事が起きるのか。

NHKの記者が、キング副司令官(大佐)と嘉手納でインタビューをしました。その時、キング大佐が“普天間を辺野古に移すと言う事は、単に普天間の代わりの基地を移すと言うことではない。軍事力を20%強化した基地を作るのだ”と言っています。20%強化」する意味・中味とは何かと言う事です。

今、普天間は民間地域と近すぎて、イラク、アフガンに米軍のヘリ部隊が出撃する時に、爆弾を普天間で積めないのです。嘉手納基地まで行って積まなければならないのです。それでは非常に不便なわけですから、普天間→辺野古に移し、陸からも海からも自由自在に爆弾を積もうと謂うわけです。

MV22・オスプレー24機配備すると言うのです。その事によって20%強化した基地に代わるのだと言う。そうしますと、今の普天間の年間維持費−280万ドルが、(辺野古に移れば)このほぼ100倍の2億ドル近くかかります。米国と日本政府は、これを皆さんの税金で持ってもらおうと言っているのです。

辺野古で沖縄戦を経験した92歳のおばあさん、88歳のおじいさん達が座り込みを行い、海辺にテントを張って“ここには基地を作らせない”と頑張っています。これは沖縄戦の時、たべものがなくて餓死寸前になった時、この大浦湾・辺野古の海岸で魚を取って、やっと命をつないだのです。戦争が終わった後、子供達に学校教育を受けさせようとしても、教科書代も払えない苦しい状況にあった時、辺野古の海から魚を取って金に換え、子供達の教育費にまわせたのです。この付近住民にとっては、田畑が少なく山が多い。だから辺野古は、生活の一番大事なみなもと、ここを基地とられては、何かあった時どうすれば良いかと言う思いもある。これが1点と、もう一つは、辺野古周辺の環境問題があります。

●「沖縄経済は、基地で支えられている」と言うのは、真っ赤な嘘。沖縄の基地収入は、県民総所得の4.65.4%に過ぎない。沖縄経済は基地ではなく、豊かな自然環境を資源とした観光産業で支えられています。

県は、3カ年をかけて全沖縄の環境調査をしました。開発を全面的に認める所と一部しか開発を認めない、一切の開発を認めない―と言う、三つのカテゴリーに分けて全沖縄を指定しています。そうしますと、大浦湾一帯は自然が豊かで本土から来た若ものも海へもぐり、魚を取ったり、自然を満喫する所なのです。ここ(辺野古)は、県の≪一切の開発を認めない区域≫であり、≪現状のまま、保全すべき場所≫として第一位にランクされている場所です。そこに基地を作るのは、県自身が作った環境指針や環境条例に違反する事になります。
もうひとつは経済問題です。1961年まで、基地から入る収入は県民総所得の52を占めていました。基地で働く労働者の数は55000人、1972年、沖縄が本土復帰した段階で、基地は減らないが労働者の数は5500020000人に減りました。基地からの収入は52%から15.5へ急激に減ったのです。
今はどうか、基地収入は県民総所得の4.6%,多い時で5.4%、平均すれば5しかないのです。何によって経済が支えられているのか。基地がなければ沖縄経済は破綻するのではないかと言う人がいるが、事実は全く違います。沖縄は、環境産業で成り立っているのです。特に大浦湾―辺野古一帯は、観光産業の中でも最たるもの、若者らの「エコツーリズム」のメッカなのです。そこに基地をつくられてしまったら、経済的にも大きな打撃を受けます。生活にとって重要な所だからこそ、沖縄戦を体験した80代の人々が、ここに座り込んで、抵抗しているのです。再び沖縄を戦場にさせてはならない、子や、孫達に同じ思いをさせてはならない。同じ苦しみをさせてはならないと。この沖縄のおじいさん、おばあさん達には、既に14年間も座り込んでいます。(続く)

参考サイト(柴野貞夫時事問題研究会)

民衆闘争報道/<山城博治さんと語る会>の案内(2013年3月29日)

論考/オスプレイ沖縄配備と、規制なき米軍基地の実態を暴く(2012年10月10日)

論考/日米安保条約と日米地位協定の歴史と、その反憲法的・反民衆的本質(2012年11月1日)


民衆闘争報道/「高江・辺野古につながれ!沖縄の課題を私達の課題にする11・25奈良集会」 が開催された(2012年11月27日)