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民衆闘争報道) 「関東大震災90年・関西集会」
            −今、朝鮮人虐殺の真相と教訓 (2013831日 於:尼崎小田公民館

 

 

日本国家が主導し、日本の民衆が動員された関東大震災時・朝鮮人大虐殺の歴史に向き合う事は、我々日本人の責務である。

●ジェノサイドに時効はない。日本政府は、2003825日に提出された・<日弁連(日本弁護士連合会) 関東大震災人権救済申立事件調査報告
http://www.azusawa.jp/shiryou/kantou-200309.html

に基づき、その虐殺の全貌と真相を速やかに明らかにし、その責任を認め謝罪すべきである。

●安倍右翼政権に煽られた、在特を始めとする排外主義集団の跋扈は、90年前の朝鮮人大虐殺に加担した日本民衆の姿を彷彿とさせる。日本の民衆は、歴史の真実に向き合わねばならない。

831日 於:尼崎小田公民館で、「関東大震災90年・関西集会」が開催された
  [出処 柴野貞夫時事研]

 

 

▲集会参加者  [出処 柴野貞夫時事研]                     

 

2013831日 兵庫県・尼崎市、尼崎小田公民館において、「関東大震災90年・関西集会」が開催された。[今、朝鮮人虐殺の真相と教訓]をテーマに、在日朝鮮人の人権問題を考える集会である。(主催:在日本朝鮮人総連合会兵庫県本部・朝日朝鮮人強制連行真相調査団、後援:在日本朝鮮人総連合会大阪府・京都府・奈良県本部)

会場では、主催者代表挨拶のあと、ドキュメンタリー≪歴史を繰り返してはならない≫が上映された。また「朝鮮人強制連行真相調査団朝鮮人側中央本部」事務局長ホン・サンジン(洪祥進)氏の、ジュネーブに於ける国連人権理事会での活動に関する報告、並びに、日弁連に人権救済を申し立てた、故ムン・ムソン(文戊仙)さんの後を引き継いだ、娘のユン・ボンソル(尹峰雪)さんが千葉から駆けつけ、母親から伝えられた関東大震災時の朝鮮人大虐殺の真相を証言した。

集会の最後に、「関東大震災90年・関西集会」アピールが採択された[ユン・ボンソルさんの証言]の後に掲載)

(注)この集会記録の最後に、柴野貞夫時事問題研究会の「論考」−「関東大震災時に於ける、朝鮮人大虐殺事件の真実、その歴史的背景」が掲載してあるのでご参考に。

 

 

朝鮮総連兵庫本部主催者代表 挨拶

 

「民族教育をはじめとする、在日朝鮮人同胞達の民族的諸権利を守り、祖国の平和的統一と日朝親善のための活動に対し、深いご理解と積極的な支援を寄せて下さる皆さんに心から感謝します。91日は、あの忌まわしい関東大震災が発生してから90周年を迎えます。私はまず始めに、本集会に参加された皆さんとともに、言われなき罪を被せられ尊い命を無残に奪われた、6500人の在日朝鮮、中国人の方々への深い哀悼の意を表するものであります。

日本の植民地支配の下で、強制連行をはじめ、やむを得ない事情で日本に連れて来られた在日朝鮮人の悲惨な歴史の中でも、絶対に忘れる事が出来ない出来事の一つが、192391日に起きた、大震災時の朝鮮人大虐殺事件であります。

自らも震災の悲惨な状況に追い込まれた朝鮮人達であるにも拘わらず、その上、日本人から、「井戸に毒を撒いた」「火を付けた」「暴動を起こした」など、根拠のない流言飛語を浴びせられ、軍隊や民間の「自警団」によって、襲撃殺戮された、あの関東大震災時の事件を思い起こすと、私たちは、90年過ぎた今日もなお、強い怒りが込み上げてきます。

他民族を蔑視し、なんの罪もない人間の尊い命を奪い去った野番な犯罪行為は、決して許されるものではありません。

にもかかわらず、この国家犯罪に対して日本政府は、90年経った今も、謝罪と賠償を行わない所か、真相を調査し明らかにしようとしません。また、この歴史的事実さえ隠蔽しようとしています。今日日本において、過去日本の犯した犯罪行為と植民地支配の歴史的事実を振り返り反省と謝罪をするどころか、反対にそれを肯定する日本政府の態度は、現在、世間に現われたヘイトスピーチに代表される愚劣なグループの存在を跋扈させるだけです。

彼等は人種差別を公然と叫び、反共和国、反朝鮮人を煽り立てる風潮を、世間に広げようとしています。それは既に見過ごす事が出来ないところにまで行っています。危険水域に達しています。ヘイトスピーチは、<言論の自由>に含まれません。それは犯罪行為そのものです。私たちは、今日の集会を通して今一度、関東大震災時に起きた歴史の事実を明らかにし、日本国家が犯した犯罪行為に対し、謝罪と補償を求めます。

植民地支配の犠牲者である在日朝鮮人に対し、正当な民族的権利と、地位を保障し不当な差別や弾圧をやめる事を訴えて行くともに、この集会がこの様な運動を広げる、新たな機会としなければなりません。」

 

集会へのメッセージが紹介

 

尼崎市長 稲村和美

15共同宣言実践 北側委員会、 615共同宣言実践 南側委員会・

在米同胞全国連絡会議、 615共同宣言実践 中国委員会

615共同宣言実践 ヨーロッパ地域委員会、 

615共同宣言実践 カナダ地域委員会

 
ビデオ上映―歴史を繰り返してはならない

 

           ▲、日弁連人権救済申し立て人、故ムン・ムソン(文戊仙)さん
                     (出処−「歴史を繰り返してはならない]から)

       

●ビデオ上映の中で、「関東大震災の日に、多数の朝鮮人が殺された事実をしっていますか?」と、町を行く日本人への質問が行われる

ほとんどの人々が、「知らなかった」と答える。中には、「知っている」と答える人も、たまに居るが、「色んな説があって、事実は確かではないのでは」と答える。日本国家と、それに加わった日本人の歴史的事実としての犯罪行為が、日本社会全体によって隠ぺいされて来た事実が浮き彫りになっている。

「関東大震災時の朝鮮人虐殺―その国家責任と民衆責任」を著した歴史家・山田昭次氏は、過去を清算しようとしない日本を取り巻く風潮について、つぎの様に語っていた。「それは、国家だけの問題ではない。日本人は、当時もそうであったが、国家に追随するマスコミが動員されたら、過去を繰り返す可能性は十分あります。」と。

●「朝鮮民主主義人民共和国は、拉致の事実を公式に認め、国家として謝罪したが、日本政府は、その何千倍の犯罪行為を認めようとしないし、謝罪もしない」とナレーションは指摘する。

●在特など、排外主義グループの街宣活動の実態が映し出される。異常なまでの反共和国、反朝鮮人のヘイトスピーチが画面に映る。敵意だけでなく、人間の尊厳を冒涜する言葉が、あふれかえる、「出て行け、ドロボー,人殺し、お前らの子供を殺すぞ」など、これはもはや、<言論の自由>からはみ出した、刑事罰で起訴すべき、犯罪的脅迫行為である。国連人権委員会勧告が指摘する日本国家の人権改善項目である。

●或る外国人特派員は、これらを見て、「狂乱的」と表現した。朝鮮脅威を煽り、改憲、有事法制など現在の状況は、90年前を彷彿とさせる。しかし日本人の中にも、こんな風潮と戦う人達も大勢いる。関東大震災時の虐殺を取り上げた「埼玉写真展」で、歴史認識を共有しようと頑張る人達がいる。

彼等は、「命の尊さ」「互いの尊重」「民族の尊厳」を守り、それを知ると言う意味から、“尊”と名付けた写真展とした。その写真展を見た日本人は、「日本人達は、何も知らされなかっただけでなく、知ろうとしなかった」と感想を語った。

ビデオは、次の様に締めくくった。「人間の尊厳とは、悠久の歴史を持つ我が民族の尊厳であり、不幸な過去を清算し、新しい朝・日関係を築こうとする全ての人達の人間の尊厳である」と。

 

ユン・ボンソル(尹峰雪)さんの証言

 

      

ユン・ボンソル(尹峰雪)さん [出処 柴野貞夫時事研]

 

「今日ここへ来たのは、東京で人権活動を一緒にして来た強制連行真相調査団事務局長の、ホン・サンジンさんから是非と請われたからです。ホンさんは、何もかも一人で、精力的にやってこられました。ぼろアパートに住み、250円の牛丼を食べながら頑張ってこられました。従軍慰安婦問題で3年間一緒に、ジュネーブにも飛び、頑張ってきた仲です。

156年前ですか、ホンさんは私に、「舟橋で関東大震災時−朝鮮人虐殺事件の最後の生き証人が亡くなってしまった。もう人権救済の申し立てが出来なくなってしまう。」とおっしゃいました。そのとき、「私の母が目撃者で体験者ですよ」と言いましたら、大変な喜び様でした。私の家へ、たまたま来なければ、生き証人はもう居なくなるところだったのです。7000人の成仏出来ない彼等の魂が導き入れて呉れたのです。

母親が、人権救済の申し立て人を引受けてくれました。母親は12歳の頃に両親に連れられ、植民地時代の故郷では食べて行けないので、日本に活路を求めやってきたのです。母は鐘紡の紡績工でした。その時に震災にあったのです。その時、日本人の朝鮮人狩りで、母親も引っ張って行かれるところでした。もう少しで殺される所を、燐に住んでいた大家さんのおかみさんが、「この子は、何もしていない。地震の前から私と一緒にいたんだ。連れて行って殺すんじゃない」と、身を挺して母親を助けてくれたのです。

母親は常々言っていました。「多勢の罪のない朝鮮人を殺したのも日本人なら、助けてくれたのも日本人だ」と、また、関東大震災の日、空が真っ赤に燃えていたのを見て、夕方になると空を見上げるのがクセでした。夕焼けが出ていると、「またどこかで、地震が起こっているよ、朝鮮人が、殺されなければよいのだが」と言って、夕日への恐怖がありました。日本人は優しい顔をしているが、いざとなると、鬼になって平気で人を殺すんだ。日本人を怒らせてはいけない」と、そんなことを言っていました。

母親が連れて行かれそうになった同じ日、父の友人がとめに行って、逆に殺され、竹やりの先に生首をぶら下げられて家の前を通っていったと、それを母親が震えながら見たと言う経験をしたのです。母親は、それがトラウマとなって死ぬ時まで苦しんだと言っていました。

今日(831)朝日新聞朝刊にのっていた記事ですが、千葉舟橋には、大きな慰霊塔があって、八千代市だけでも、4か所の慰霊日があり、野田と言うところに一つあるが、当時、香川県から数家族の日本人の薬売りが千葉にやってきたのです。彼等は香川の方言でしゃべっていますから、「これは朝鮮人だ」と言うことで、女・子供を含めて9人がその場で、日本人に虐殺されたと、目撃者の証言として記事に書かれていました。

この様に、朝鮮人だけでなく、日本人も殺された事例が多くあったと言うのです。これは朝鮮人、日本人共通した問題として考えてみる必要があります。

日弁連の調査報告でも明らかなように、日本政府は、国家が関東大震災時虐殺に深く関与している事実を認め、速やかに謝罪すべきです。今、新大久保に行きますと、毎週土曜日、在特その他右翼分子のヘイトスピーチが繰り拡げられています。「「朝鮮人を殺せ」と叫ぶ彼等の中に混じって、10歳くらいの姿の子供がありました。これは一体どう言う事なのですか。この様に子供を教育して、この子供達が大きくなって、もし政治を担う様になった時の日本の行方はどうなるのか、私達在日の人間は、どんな立場に追いやられるのかを考えますと、本当に恐ろしくて居られません。

関東大震災時の朝鮮人虐殺を認めず、謝罪もしない事によって、この様な状況が生まれています。90年前の延長上に、今日が変わらずあるのです。何故、日本に朝鮮人が生活しているのかも、学校で教えない。教育助成金は、千葉県と五つの市で、全部打ちきられました。朝鮮学校の子供達への嫌がらせ、無償化からの朝鮮学校除外、他の国の、学校と呼べない、寺小屋の様な「学校」さえ支給されているのに、朝高だけは無理やり認めない。これは、90年前の蛮行が反省もなく今日まで繋がり、明日まで繋がって行くと言う事を意味します。

母は6年前、100歳で亡くなりました。フン・サンジンさんが、母に「今、あなただけしか、生き残ってないのですよ。協力してください。」とおっしゃったら、「わかった。私が、目の前で殺された同胞のために、必ず死ぬ前に日本政府に認めさせる」と、申し立て人を引受けたのです。政府は今も、認めようとしませんが、私が母の意思を伝えて行こうと思います。」

関東大震災90年・関西集会アピール (2013831日)

関東大震災朝鮮人虐殺90を迎え、本日、その真相と法的責任を全面的に明らかにするための集会を兵庫県尼崎市にて開催した。

集会には、被害者のお嬢さんが千葉から参加した。曰く、「震災後も苦痛の中で生きた母は、1日も心休まる日が無かった」−ここに、この事件の重大さと、今日的課題がある。

関東大震災時の朝鮮人虐殺は、日本政府による「戒厳令」下での「朝鮮人は各地に放火し、不逞の目的を遂行」(93日、内務省電文)と言う虚偽事実の伝達行為に誘発された、自警団による虐殺行為であった。そして、軍隊が直接、朝鮮人。中国人を虐殺している事から、日本政府の責任は明確である。

日本政府は、まず真相究明と責任を明らかにすべきであった。だが、官僚も軍隊も処罰することなく自警団に責任を転嫁した。故に、自警団による朝鮮人虐殺の罪は、警察署襲撃、日本人虐殺などに比べ最も軽く、以降朝鮮人を虐殺しても「たいした罪にならない」との、命の重さに対する差別を生む結果となった。また、この事件はジェノサイドであり、時効は適用されない。当然日本政府の責任は現在に継続されている。だが、日本の現状は深刻である。

2000、当時の東京都知事は、「震災が起きたら騒擾事件が想定される」と事実無根の発言をした。この発言が国連人種差別撤廃委員会で論議され、勧告がなされた。この時、日本政府は、石原発言を擁護したが、この様な対応は世界的にも類例がない。故に国連特別報告書は、日本の現状を「差別の歴史的・文化的根深さが、日本では認識されていない」と指摘した。

20029月、日朝平和宣言において「日本側は、過去の植民地支配によって朝鮮の人々に多大の損害と苦痛を与えたと言う歴史の事実を謙虚に受け止め、痛切な反省と心からのお詫びの気持ち」を表明した。

20038月、日本弁護士連合会は、関東大震災時の虐殺に対し、日本政府に「全貌と真相を調査し、その原因を明らかにすべきである」と勧告した。

しかし、日本政府は、国連人権委員会勧告や日朝ピョンヤン宣言、日弁連勧告さえも無視し、みずからの責任を放棄している。一方で、朝鮮民主主義人民共和国に対する「制裁」が行われ、さらに各種学校として高校無償化の対象となっている外国人学校のなかで、朝鮮学校だけが唯一対象外となっている。

日本政府の「制裁」措置は、関東大震災時と同様に、朝鮮民族に対する排他的差別感情を煽り、在日朝鮮人の生活と人権をも極度に脅かしている。

私達は、関東大震災時の朝鮮人虐殺の真相と教訓から、過去を繰り返しかねない日本の現状を憂慮する。

日本の近現代史は、アジア侵略と植民地支配の歴史であり、その責任は現在も継続されている。

日本政府は平和と友好の為に、過去の加害の歴史と教訓を真摯に受け止め、日朝関係を改善するための努力をすべきである。そのためには、まず数々の「制裁」措置を即時撤回する事が求められる。

私たちは、歴史の隠蔽、歪曲、を許さない力強い声を発信する。そして関東大震災時の朝鮮人虐殺90年を契機に、真相究明の為の運動をさらに幅広く、力強く、推し進める事をここに宣言する。



[論考] 関東大震災時に於ける、朝鮮人大虐殺事件の真実、その歴史的背景

 
                                        柴野貞夫時事問題研究会

 

 

▲関東大震災当時、自警団による朝鮮人虐殺の場面。日本政府の流言飛語で騙され、朝鮮人を虐殺している村の自警団。


震災下民衆の救済より、戒厳令と治安出動で国民を取り締まった政府

 

日本人にとっての「91日・防災の日」は、実は日本国家によって主導され民衆が下手人として動員された、朝鮮人6600人余の大虐殺の始まった日だ。

201391日は、1923(大正12)91日の関東大震災時に於ける、朝鮮人(中国人含む)6600余名の大虐殺事件から90周年にあたる日である。

その日、相模湾を震源地とするマグネチュード7・9の巨大地震は、首都東京、横浜を中心とする関東一帯で、死者・行方不明105,000人、全半壊家屋25万戸、焼失家屋44万戸と言う、未曾有の都市災害を生み出した。

政府は、翌日(92)には戒厳令を布告、適用地域を東京府から神奈川、千葉、埼玉と関東全域に拡大し、全国から完全武装した師団単位による治安出動部隊の動員を行った。関東全域は軍の支配下に置かれた。3日、内務省警保局は、海軍送信所から全国の道府県に、首都における「朝鮮人の暴動」を打電し警戒を煽った。

国家はこの時期、中国満州と朝鮮半島の植民地経営を維持強化し、第一次世界戦争後の、新たなアジアの帝国主義的権益争奪のための侵略戦争(1931年―「満州事変」、1937年―中日戦争)に、国内の民衆を動員する必要に迫られていた。同時に、日本帝国主義を支える収奪地植民地としての朝鮮全土で、19193月から始まった日帝植民地支配に対する三・一独立運動を始めとする朝鮮人民の戦いの継続は、日本の資本家階級とその天皇制政府の目論見にとって、憎悪すべき障害物であった。

大震災時、国家の無策に対する国民の不満を朝鮮人に転嫁、流言飛語で虐殺を扇動した政府


日本国家は、この震災を逆に利用し、治安出動を通して一気に、国民を戦争に動員するために、国粋主義と民族排外主義、国家主義に抵抗する民衆と組織を、右翼国家主義者による私的制裁や、軍と警察による拘引・拷問・殺人と言った、なりふり構わぬ暴力的手段に突き進んだ(亀戸事件、大杉栄・伊藤野枝虐殺、)

 

内務大臣 ・水野錬太郎は、93日,千葉県船橋の海軍送信所(左)から、各地方長官宛に内務省警保局長名で、朝鮮人が放火をしていると扇動、朝鮮人撲滅を打電。(水野は、1919年(大正8年)、原敬内閣時、朝鮮総督府政務総監として、朝鮮の植民地支配に深く関わっている[出処―「歴史を繰り返してはならない」から]

 


国家は、災害下の民衆の救済を各道府県に通蝶するよりも、「震災に乗じた不逞朝鮮人と、これに和した過激思想の輩」の取り締まりをまず第一に要請し、国家の手先となったあらゆる新聞が、<不逞朝鮮人>による、火付け、強姦、暴動、井戸への毒投入等の、あらゆる流言飛語を垂れ流し、大震災そのものが、<不逞朝鮮人>の放火だと言う噂まで流した。


国家に統合された民衆による、朝鮮人への蛮行

天皇の軍隊と警察が主導した民衆の恐怖の醸成のなかで、「朝鮮独立を叫ぶ不逞朝鮮人」に対して、民族浄化と国粋主義に取り込まれた日本の民衆の国家権力への自主的協力組織である「自警団」が91日から組織され、関東一円で瞬く間に3238組織ができあがった。彼等の目的は被災者の救済ではなく、おぞましい手当りしだいの「朝鮮人狩り」であった。

かれらは、軍、警察の黙認下、ノコギリ、竹やり,とび口、棍棒、鎌,日本刀、銃で武装し、東京、神奈川を中心に、千葉、栃木、埼玉、群馬で、6400余名の朝鮮人(中国人は、300600人と推定されている)の老若男女をリンチの上殺害した。その中には股を裂かれた妊婦までいたと、歴史は記録している。

日本政府は、1920(大正9)朝鮮産米増殖計画を、日本の民間会社主導で進め、結果として、土地の収奪と借金の累積による朝鮮農民の没落,遊民化を生み、止むを得ず、日本の地を踏む人々が増加した1909年(“日韓併合”の前年)には790人に過ぎなかったのが、1923年には80415名にのぼり、関東周辺には15000名と推定され、自警団と軍によって殺された6600余名の朝鮮人は、実にその23パ―セント強にのぼるのだ。(日本資本家階級は、彼等在日朝鮮人の労働者を、低賃金の日本人労働者の、更に34割下回る差別賃金で搾取することで差別意識を煽り、日,鮮両労働者を支配したのだ。)

この人間性の一かけらもない、底知れない頽廃と腐敗にまみれた日本の民衆の妄動は、アジアの諸民族に対する日本帝国主議の強盗的収奪を合理化する国家主義イデオロギーに組み込まれた彼等が、今度は「その自発的意思」によって、そのイデオロギーを実行に移したに過ぎない事を示している。

その事によって、多数の日本民衆が(一部の反体制的殉教者を除いて)、日本支配階級の当時の民衆に対する悲惨な搾取にもかかわらず、帝国主義的天皇制国家を支える役割を担った事実を徹底的に総括しなければならない。

アジア侵略を正当化する理念としての、排外的国粋主義

日本帝国主義の朝鮮侵略を、「李封建王朝打倒を通して朝鮮の近代化を図る日本の責任」と合理化した、福沢諭吉から始まる日本の国家主義イデオロギーは、関東大震災を境に、多くの国家主義思想団体を誕生させた。

官・財・学会・軍人を広く網羅した平沼騏一郎の「国本会」を始め、「思想善導会」、「恢弘会」など、今日の右翼の流れー日本主義・排外的国粋主義を形成した。資本家の階級支配のイデオロギーの目的こそ、民衆に、自らの自発的意志として国家と同一化を図ることが出来る意識を持たせることにある。これによって、日本帝国主義は、その後の中国大陸の侵略に突入することが出来たのである。

関東大震災を通して実行された、軍警察と日本民衆による朝鮮民族を中心とするアジアの民衆に対する大量虐殺と言う妄動は、帝国主義段階での資本主義体制とその国家権力に必然的に内在する暴力性そのものに突き動かされたものだ。

資本主義国家とは、暴力と戦争の国家であり、制度なのだ。その後の日本帝国主義は、米欧帝国主義勢力と、1930年より中国大陸と東南アジアで、15年間に亘って、帝国主義的利権の暴力的解決に向かい、アジアの民衆を地獄に突き落とした。しかしそれも、国家に統合された民衆によって支えられ、実行されたのだと言うことを、日本の民衆自身が痛切に反省しなければ、同じ事が二度三度起こらないとは言えないのだ。

アメリカ帝国主義による、日本主要都市にたいする無差別爆撃と、広島・長崎への二度の原爆投下と言う、人間性の一片のかけらもない行為は、今日も多数のアメリカ市民によって正当化されている。アメリカ帝国主義国家に統合された市民の意識は、63年たった今も、自分達を支配するものへの戦いに向かうのではなく、自国の支配階級を支え続ける国家意識に埋没し、その中に自己を同一化することが、自分達の利益と勘違いさせられたのだ。その国家に組み込まれた米国民の意識が、ブッシュのイラク侵略戦争を、当初90パーセントの支持率で支えたのである。

関東大震災の虐殺から90年たった今、日本でも、同じことが形を変えて繰り返えされ様としている。

朝鮮の「拉致問題」を通して、日本国家は、拉致家族会を牛耳る右翼集団と歩調を合わせ、日帝植民地支配の歴史の正当化に依って、日本人に根深く植えつけられた朝鮮民族に対する差別的排外主義的意識を利用しながら、北朝鮮に対する自己の国家的償いを回避し、人道的義務さえ放棄している。

都民の前で、日本帝国主義による植民地支配下の国民と民族を対等な人間でないとした、主として朝鮮人に対する蔑称である「第三国人」と言う言葉を使い「それから、日本人を守ったのが自警団」と妄言し、「創氏改名は、朝鮮人自らの願い」と主張して憚らない石原・維新の会共同代表の言動は、老いぼれ右翼ファシストの妄動だと言って済ます訳には行かない。彼を選んだのもまた、日本の民衆だ。

日本政府は、「日弁連 関東大震災人権救済申立事件調査報告書」に基づき、真実解明のための調査と、速やかな公式謝罪並びに被害者への補償をすべきだ

関東大震災時の朝鮮人大虐殺の歴史は、未だ正確な虐殺者数さえ明らかでない。国家によって主動され、民衆の加担によって実行された蛮行に対する、日本国家による責任を明らかにし、徹底した調査と、謝罪を、被害者に対し行うべきである。

日本弁護士連合会は、2003825日、「日弁連 関東大震災人権救済申立事件調査報告書」で、 「 1、国は関東大震災直後の朝鮮人、中国人に対する虐殺事件に関し、軍隊による虐殺の被害者、 遺族、および虚偽事実の伝達など国の行為に誘発された自警団による虐殺の被害者、遺族に対し、 その責任を認めて謝罪すべきである。2、国は、朝鮮人、中国人虐殺の全貌と真相を調査し、その原因を明らかにすべきである。」として、時の小泉内閣に対し、人権救済申し立て書を送った。しかし、日本政府は、それを無視したままだ。

国家が主導したにしても、日本の民衆が大規模に関与した大虐殺行為は、世界に類がない。関東大震災時の朝鮮人大虐殺事件は、日本国民一人一人に、自身の歴史における加害責任を問う事件である。一方で、このおぞましい事件を歴史の頁から抹殺し、歪曲することによって、排外主義的国粋主義の跋扈や、朝鮮人排斥行為、がすすめられている事実は、「日本軍慰安婦の歴史」の正当化同様、許し難い日本人の恥辱である。

朝鮮人学校無償化除外や、朝鮮民主主義人民共和国に対する不当な抑圧政策と、日本の植民地支配に対する賠償清算を戦後65年経つ現在も放置する、日本政府の目に余る非人倫的行為と、それを平然と許容する日本の大多数の民衆の姿。

日本人は、この90年前の、自分達の祖父母や祖祖父母が関与した事件に、眼をそらさず、向き合わねばならない。

「在特会」なる、ネットごろつき集団が、京都朝鮮人初級学校の校門をよじ登りながら、「朝鮮出て行け、キムチくさいぞ」と、恥ずべき差別言語と暴力をふるう姿や、奈良「水平社博物館」での、<韓国併合100年展>に対し、「エタ、非人、朝鮮人出て行け」と叫ぶ在特・川東大了、また「日本軍慰安婦は強制ではなかった」と、あのつら下げて不勉強を晒した大阪市長・橋下の言動や姿の中に、90年前の大虐殺に関与した、日本の民衆の姿を、彷彿とさせる事態に、我々は黙っているわけにはいかない。

軍部と民衆によって虐殺された朝鮮人は、7000人とも23000人とも言われている。東京府、神奈川、埼玉、千葉と、関東全域にまたがる地域で、「不逞朝鮮人狩り」の名によって行われた加害の全容は、今も明らかにされていないばかりか、日本国家と地域住民によって隠蔽されてきた。
虐殺された犠牲者の氏名、出身地、家族、虐殺実態などが、虐殺された地域での住民による隠ぺい工作などで、その埋葬場所も隠されてきた。そもそも、日本国家が主導し、日本の民衆を動員して行われた関東大震災時の朝鮮人大虐殺の全容解明と遺骨の発掘は、日本国家の責任に於いて行わなければならないものだ。

国家も地域も、それを、犯行を共有する者同士の「触れてはならないも」として隠し通して来たところに問題の根深さがある。

最近、「千葉県における関東大震災と朝鮮人犠牲者追悼・調査実行委員会」の活動で、八千代市での朝鮮人虐殺犠牲者の発骨,改葬に地域の人々が参加して行われた事例は、民衆関与の歴史に向き合う動きとして、全関東に広まる事が期待される。

国家によって日本民衆に植え付けられてきた朝鮮人に対する差別意識と、国家の政策としての排外的国家主義の行きついた先が、この大虐殺事件である。これが繰り返されることがあってはならない。「日本軍慰安婦」問題同様、関東大震災時の朝鮮人大虐殺事件」の徹底した歴史認識に、日本の民衆が立ち向かわなければ、同様の事件はいつでも起こることを、我々日本人は肝に銘じなければならない。

 

<参考サイト>

 

358 9・1関東大震災での朝鮮人大虐殺は、過去の受難史としてだけにとどまらない(朝鮮民主主義人民共和国・ウリミンジョクキリ2012年9月3日付)


297 関東大地震と在日朝鮮人集団虐殺事件 (朝鮮民主主義人民共和国 祖国平和統一委員会 「ウリミンジョクキリ」2011年9月1日付)

 

229 関東大震災87周年、‘朝鮮人虐殺’忘れない (韓国・チャムセサン 2010年9月2日付)

 

228 [告発状] (朝鮮民主主義人民共和国・朝鮮中央通信 2010年8月20日付)


186 日本の新任総理は、2003年の勧告文を想起せよ 関東大震災の朝鮮人虐殺、86周忌を迎えて(韓国・オーマイニュース 200年9月1日付)


139 日本は、在日朝鮮人問題の責任から、絶対に免れることは出来ない (朝鮮民主主義人民共和国・労働新聞 2009年1月24日付)

 

関東大震災における、朝鮮人大虐殺85周年を迎えて[2008年 9月 3日更新]

 

 

〇日弁連 関東大震災人権救済申立事件調査報告書

http://www.azusawa.jp/shiryou/kantou-200309.html   

〇朝鮮新報 「関東大震災下の朝鮮人虐殺問題1」 恐るべき国家犯罪

http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2008/01/0801j0402-00001.htm

 

〇朝鮮新報 「関東大震災下の朝鮮人虐殺問題6」 戒厳司令部が作成した「虐殺記録」

http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2008/01/0801j0801-00001.htm

 

〇朝鮮新報 「関東大震災下の朝鮮人虐殺問題5」 内務省の組織的伝播で自警団発生http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2008/01/0801j0702-00002.htm

 

〇壺井繁治と関東大震災  代わりに詠んだ「十五円五十銭
http://www1.korea-np.co.jp/sinboj//j-2003/j06/0306j0917-00001.htm