(論考)「米国と追随国家の核攻撃戦争から社会主義朝鮮を防衛せよ」 (2013年2月23日)
[論考]米国と追随国家の核攻撃戦争から社会主義朝鮮を防衛せよ(1)
柴野貞夫時事問題研究会
●米国はなぜ、朝鮮国家の生きる権利を蹂躙するのか
今、朝鮮民主主義人民共和国が、米国を中心とする世界帝国主義列強の過酷な軍事的抑圧と経済的制裁に晒されている理由とは何なのか。
朝鮮国家と人民が、国際社会において彼らと同じように、国の自主権と民族の尊厳を持って生きる権利があると主張する、唯その為に、その様な仕打ちを受けているのだ。
朝鮮民主主義人民共和国に対しては、他の国家と同じ様に生きる権利を主張することを認めないとする、米国による反人倫的政策が、米国主導の「国際社会」をまかり通っている。
朝鮮民主主義人民共和国は、自分たちの、この当然の生きる権利を主張するために、核による脅しをもって正義に変えんとする米帝国主義の不正に、断固として戦う事を余儀なくされて来た。
被害者顔をして、彼等の手にかかった被害者を、国際社会に脅威を振り撒く加害者だと偽る、この平和に対する死刑執行人こそ米国に他ならない。
しかし、米国と米国が主導する「国際社会」なるものが、何故この様に朝鮮の生きる権利を蹂躙しようとするのか、それが問題の核心だ。
戦後世界史の中で、民族が分割させられたのはドイツと朝鮮である(ベトナムの例は別として)。ドイツは、列強の帝国主義的利害の衝突と植民地分割戦争の一方の当事者であり、敗者である。他方、朝鮮民族は、戦後日帝の敗亡によって、如何なる列強からも解放されてしかるべき民族である。
しかし、それにも拘らず、朝鮮半島は38度線を挟んで米・ソの分割占領下に置かれた。朝鮮民族は分割占領の中で、半島のすべての地域で反帝・独立・民族解放の戦いを一挙に解き放なった。半島と国境を挟んだ中国大陸では、帝国主義列強間の戦争の勝者である米国が、大きな影響力を行使して来た中国国民党軍の敗北が濃厚となり、中国共産党の勝利−中国革命が目前に迫っていた。
米国にとって朝鮮半島は、世界の覇者を脅かす「共産主義勢力」の台頭を阻止する為の極東戦略の要となった。
●朝鮮半島の分断固定化を押し進めた米国
米帝は、朝鮮民族の独立・民族解放の戦いを、戦後アジアと中国大陸を覆う労働者・農民の社会主義革命へと連続するものと捉え、それを阻止するために「中国包囲網」戦略の最前線として、朝鮮半島を位置付けた。
朝鮮民族の反帝・独立・民族解放の戦いは、日本帝国主義の敗北のその日から、彼らに代わって38度線以南に乗り込み軍政を敷いた、世界最強の米帝国主義占領軍を相手としなければならなかった。
米軍の軍政下に置かれた南部朝鮮では、米軍政に対峙して、北部朝鮮と連帯し、民族独立と人民主権に向かう広範な民衆の統一戦線である「朝鮮民主主義民族戦線」による、「1946年―10月人民抗争」が頂点に達した。
しかし米国は、これを徹底した血の弾圧で臨み、暴力的に制圧し、南朝鮮に戦時体制を敷いた。
米国は、1945年12月「米・英・ソ三国外相会議」(於・モスコー)での朝鮮独立にむけての統一臨時政府に関する「合意」を破り、1948年末を限度とする米ソ同時撤退案も拒否、李承晩・反共傀儡政権を樹立した。1948年2月、国連を牛耳って、南朝鮮の単独選挙を決定し、同5月、米軍政と傀儡に抵抗する南部朝鮮の労働者・学生・民衆勢力のゼネストを弾圧しながら非法卑劣な手段を動員し、単独選挙を強行し、米国の意を介した反共軍事政権・李承晩政府を成立させた。米国は,[朝鮮半島の分断]固定化を押し進めた。
北部朝鮮では、ソ連の不介入の下で、1946〜47年、「道、市、郡、面,里」において人民委員の直接選挙が民主的に行なわれ、金日成を委員長に、朝鮮人民委員会が形成された。1948年9月、「朝鮮民主主義人民共和国」が成立した。
それに先立つ1948年4月19日〜28日には、米軍政下で、民族独立を奪われた南部朝鮮の(左右を含む)ほぼすべての民族独立派がピョンヤンに結集し、「南北朝鮮政党社会団体代表者会議」を開催し、(米軍政によって真の独立を失った南朝鮮に対し)北部朝鮮は、朝鮮半島全体の「統一を保証する民主基地」(金日成)として、全朝鮮民族に支持された。
米軍は、軍事顧問団を残し、1949年一時撤退するも、「米韓経済援助協定」、「米韓軍事援助協定」を締結し、隣接する世界最大の米国の軍事基地列島である日本から、何時でも軍事介入出来る様にした上で、南朝鮮−李承晩反共軍事政権を、アジア革命と朝鮮民主主義共和国に対する反共・反革命の前線基地として強化した。
●朝鮮戦争、それは世界革命勢力の一翼としての南・北の革命勢力と、世界反革命勢力の一翼としての米国・李傀儡政権との戦争であった
これに対し、南朝鮮人民の反米・反李承晩闘争は、1948年4月以降、単独選挙に対する済州島人民蜂起、麗水、順天の兵士反乱、五台山から智異山にいたる南部朝鮮山岳地帯でのパルチザン闘争として発展するが、米国と李承晩反共軍事政権は、南部朝鮮を強固な反共の陣地とするため、合法、非合法を問わないテロと殺人による血の弾圧を敢行し、数十万の革命派を虐殺した。それは、国家による虐殺だけではない。韓国における軍事政権の崩壊後、今尚、調査継続中のおぞましい虐殺の数々である。李承晩反共軍事政権が関与した「朝鮮民族青年団」「西北青年会」などの極右団体による民衆虐殺や、南部朝鮮各地の革命ゲリラ掃討戦で、米軍軍事顧問団が直接指示し、手を下した殺人・処刑行為も数えきれない。
このように見て来ると、1950年6月25日にはじまった朝鮮戦争は、単に、「朝鮮民主主義人民共和国と、南韓―李承晩反共軍事政権との戦争」ではない事が理解される。それは、真の民族独立と人民の主権を求める、南北を貫く全朝鮮半島民衆の、「反米・反共軍事独裁政権打倒の戦い」であり、米帝国主義とその傀儡軍事独裁政権の攻撃から、「統一を保障する民主基地」「社会主義を目指す人民主権」と言う北部朝鮮の歴史的社会財産を擁護する戦争であったと考えられる。
即ち朝鮮戦争は、世界的視野で見るなら、米国を中心とした世界反革命の一翼としての南朝鮮反革命勢力と、世界革命の一翼としての全朝鮮革命勢力の戦争であったと言う事に他ならない。
●社会主義朝鮮を、米国と追随国家の核攻撃戦争から防衛せよ
米帝国主義主導の国連軍の狙いは、韓半島全体を資本主義化し、中国革命を阻止する反革命にあったが、朝鮮人民は中国義勇軍の介入もあって米軍を38度線におしもどした。米国帝国主義は、その目的を遂げられず敗北し、1953年7月27日の停戦協定を結ばざるを得なかった。
この戦争で、米国と韓国軍によって殺戮された北部朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)での民衆の犠牲は、恐るべき数字にのぼった。
北部朝鮮の当時の人口は、1000万人であるが、そのうち200万人の市民が犠牲となった。実に人口の20%を占める。第2次世界大戦で最大の犠牲者を生んだソ連とポーランドの犠牲者を、割合において凌駕する。
朝鮮民主主義人民共和国は、米国を軸とする世界反革命勢力との戦いで、朝鮮人民の甚だしい犠牲の上に成りたっている事を忘れてはならない。それは、朝鮮民族だけのものではない。資本主義世界秩序の一角をつき崩した世界革命勢力の獲得物として、世界反革命勢力の攻撃から防衛しなければならない世界の労働者階級の社会的獲得物だ。
土地と天然資源、社会的生産手段の国有、金融と流通、貿易の国家独占を通して、国家による計画経済は資本家階級の搾取から労働者階級を解放し、労働者階級の利益に奉仕する。国営農場よりずっと多くの農民を組織する協同組合と農民は、国家によるさまざまな援助をうけている。労働者・農民に対する、無償治療、無料の義務教育制、住居の無償提供、社会保障、栄誉軍人優遇制などの社会的施策や 、年金・生活補助金など、米国主導の「制裁」により、不可欠産業原料の需給を遮断してきた帝国主義列強による経済的圧迫によって、全体としてのパイは制限されるが、労働者・農民・働く人民が主人公の国家だ。
「社会主義的生産関係の土台の上に、生産手段は国家と協同団体のみが有し、土地、国の天然資源、鉄道、空港、運輸、通信機関、重要な工場、企業、港湾、銀行は、国家のみが所有。対外貿易は国家が管理し、勤労者大衆の創造的労働によって建設される人民経済は、計画経済である」(朝鮮民主主義人民共和国憲法)共和国憲法の条文は、現実の姿を書き写している。
社会主義計画経済は、「剰余価値の追求」と「労働の商品化」とは相容れないものである。国家の資源や投資、国有化された土地の計画的経営を通して、その社会的獲得物を(一握りの資本家階級の懐ではなく)労働者農民、勤労者の側へ獲得することが出来る条件をつくるものである。我々の分析では、世界の社会主義国家を掲げる諸国において、朝鮮共和国が、最もよく、社会主義計画経済に基礎をおき、政治権力形態において、プロレタリア独裁(共和国憲法は、それを、労働者、農民、勤労インテリおよびすべての勤労人民が主権をもつと表現する)を貫いていると考えている。
●今も、核の脅迫と経済制裁で、「北の崩壊」に固執する米国とその追随国家
「朝鮮半島の資本主義化」を狙う米国と、その下位同盟者―韓国資本家階級の許しがたい野心は、この世界資本主義に突き刺さった棘、社会主義朝鮮を破壊すると言う点にある。かれらはまだ、それを諦めた訳ではない。いやむしろ今、(オバマの)米国は、軍事的・経済的重点をアジアに向け、「北脅威論」を捏造して「戦略的忍耐と核先制攻撃威嚇」で、「北の体制崩壊」を狙った挑発行動を繰り返している。
米国主導の「国際社会」が、国の自主権と民族の尊厳を持って生きる権利を朝鮮民主主義人民共和国だけは認めないと圧迫するのは、「経済制裁と核の脅迫」に加え、朝鮮に「有事急変事態」を造成するための韓国と米国による反革命かく乱工作によって「北の体制崩壊」が可能と、妄想して来たことによる。(かれらの主権国家に対するこの許しがたい行為を、世界の真の革命勢力は、行動をもって糾弾する義務がある)
中東戦争で余力のなかった米国が、朝米協議や六者協議のテーブルには座るが、そこでのダラダラとした交渉の末、合意に達したあと必ず、合意の履行を無視するか、破った後、「朝鮮の抗議の行動」に「制裁」を加えて来た。後釜のオバマもまた、朝鮮との対話を徹底して無視してきた。
ブッシュはその回顧録で、平然とこうのべていた。「短期的目標は六者協議、長期的目標は北の体制崩壊」と。米国にとって六者協議の小田原評定は、体制崩壊を狙う時間稼ぎだと言っているのと同じだ。しかしその狙いは、既に破たんした。
朝鮮戦争停戦以後、米国主導の世界反革命勢力による「北の資本主義的統一」を画策する核攻撃を軸とする軍事的圧迫と、経済的制裁は、この60年間、止んだためしがない。
彼らが、朝鮮に対する核攻撃を正当化し、経済制裁を正当化して来た卑劣な手法を、「朝米協議」と「六者協議」の経過から、次回の論考で、具体的に明らかにしていこう。 (続く)
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