(韓国民衆言論 統一ニュース 2012年10月16日付)
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「慰安婦」問題の研究に終わりはない
△吉見義明 中央大教授は、“日本軍「慰安婦」問題研究に終わりはない”と語った。
[写真―統一ニュース]
ジョ・ジョンフン記者
歴史学者の資料発掘と研究は、一つの時代の流れを変える。特に加害国と被害国が克明に分けられる事案で、加害国の学者として資料を探し、研究する仕事は大変重要なだけに、骨が折れる。
そんな研究に没頭し、正義を通す学者を、我々は‘良心のある学者’と呼ぶ。
ここに、韓国と日本の先鋭な問題である日本軍「慰安婦」問題に、加害国の学者として研究する歴史学者がいる。即ち、吉見義明・中央大教授だ。
彼は20余年の間、日本軍「慰安婦」問題に対する資料を探し、研究してきた学者として、権威者として通っている。特に去る1993年‘軍慰安所従業部など募集に関する件’と言う、日本陸軍省の資料を公開し、‘河野談話’を引き出した人物だ。
去る13日、‘東北アジア財団’の招請で訪韓した吉見義明教授を<統一ニュース>が会った。
当初インタビューを計画したが、吉見教授は自分の研究者としての立場を離れる事が出来なかったのか、ソウルに来るや否や、日本軍「慰安婦」被害者であるキム・ポグドン ハルモ二に会い、証言を採録し、研究作業に没頭した。
三時間近く、キム・ボグドン ハルモ二(おばあさん―の親しみを込めた呼称)の証言を聞き質問をする姿から、吉見教授は‘権威者’と言う名称を、容易くは手に入れなかった事を推し量る事となった。
この日夜遅く、ソウル西大門の宿で会った吉見義明教授は、相当に節制された言葉に、‘学者的風貌’を感じさせた。
△吉見教授が日本軍「慰安婦」被害者であるキム・ボグドン ハルモニに会い、証言を採録している。[写真―統一ニュース、ジョ・ジョンフン記者]
‘権威者’として通して20年越えるが、日本軍「慰安婦」問題を研究する契機について、彼は“1991年キム・ハクスン ハルモ二が現われて、自身の被害に対し人々が知ってくれたら良いと語った事”だと述べた。
彼は“当時、日本政府は、「慰安婦」問題は胸が痛むことであるが、政府が関与した事ではないと言った。しかし当時私は、日本政府が慰安所を設置すると命令した資料を持っていた。だから発表する事となった”と語った。
吉見義明教授が1993年公開した資料は、1938年3月、日本陸軍省が作成した‘軍慰安所従業部等募集に関する件’と言う文書で、防衛省図書館で探し出した。
彼が発掘・公開した資料は、日本政府が慰安婦募集と慰安所設置に介入したと言う内容で、強制募集など日本政府の責任を克明に明らかにしており、重要な文書として評価を受ける。
加害国の問題的資料を、粘り強く発掘・研究した学者として、今は‘権威者’として気楽に過ごすやり方もあるのに、白髪の老教授が依然として、日本軍「慰安婦」問題を研究する理由が気になった。
吉見教授は、“日本政府が、国家の関与に関しては一旦認めたが、国家の責任に関しては認めない状態”と言い、“最近では、日本軍が強制で行ったと言う点に関し、否定する政治家達も多く出てきた。根本的構造はまだ変わっていなかった”と語った。
そうしながら、“根本的構造を変えさせるために、継続調査し、研究しなければならないと言う思いで、今まで行っていること”だと言った。
即ち、彼にとって日本軍「慰安婦」問題研究は、単純な学術的研究でなく、日本の構造自体を変化させる為の研究と言う訳だ。
日本軍「慰安婦」問題は、事実上、女性暴力に関する問題として男性がこれを取り扱うのに多少気難しい部分も或る為だ。こんな側面から、彼にとって日本軍「慰安婦」問題は何なのか?
これに吉見教授は、“「慰安婦」問題は他の問題より、重いと感じるのが事実”としながらも、“この問題は、女性に対する暴力問題だ。男性である立場から男性としての姿勢(人生)を正し、姿勢(人生)を変化させなければならないと言う認識を絶えずしている”と答えた。
そして“研究を重ねるほど、男性として自身が実験され、また再検討する事となる。例をあげれば、家庭内で、妻との関係をどのようにするのかの部分もこの問題に関わることとなり、考える事となった”と述べ、「慰安婦」問題研究が個人の人生自体を変化させている事を強調した。
日本軍「慰安婦」問題を眺める日本、‘脱冷戦’、‘脱植民地化’を経験する中で
吉見教授は、自身の研究努力にも拘らず、日本の政治圏の日本軍「慰安婦」に対する問題的発言をする事に、憂慮の声をあげた。
彼は“異常な状況となって行っている。日本が植民地戦争と統治に関して責任を覚え、責任を負わなければならないのに、むしろそれに対して否定する意見が強まって行っている状況”だと語った。それとともに、これについて、‘脱冷戦’、‘脱植民地化’の過程だと診断した。
彼は、“(それまで)日本が敗戦後50〜60年の間、正面から、戦争に対して責任を取らなければならないと言う問題に、ぶつからなくとも良い状況だった。それは冷戦があった為”だとし“冷戦が崩壊し、今ではこれから、戦争責任、植民地統治責任に対して考えなければ駄目だと言う状況に、今遂に来た”と語った。
そして、“冷戦時代には、韓国の声、韓国の日本に対する批判の声は、聞こえなかった。ここに来て、その声に向かい合って、日本国民達が慌てている。”“これは歴史用語で、脱植民地化過程”と診断した。
それとともに、“脱植民地化過程から、日本が、自身が苦痛を受けながらも解決策を探していく状況だと考える。そして、いつかは日本国民が、変化する時が来ると思う”と語った。
即ち、吉見教授は、日本軍「慰安婦」問題解決の為には、韓国の解決要求の声が静かでは駄目だと言う思いだ。粘り強く問題を解決することこそ、結局は問題解決の終局を見る事が出来ると言う意味だ。
歴史研究に終わりはない
20年を越えて、日本軍「慰安婦」問題を研究する吉見義明教授は、学生たちに‘過去の問題ではない、現在の問題’だとし、‘日本政府の責任’を教えている。
吉見教授は、“日本が過去に犯した問題であるから、この問題に対して日本が大きな責任があると言う事を教える”とし、“これは、女性に対する暴力の問題だ。今も、紛争地域で行われている。そのような意味から、過去の問題ではなく今解決しなければならない同時代の問題だと教える”と語った。
単なる研究者でなく、学生達を目覚めさせる‘行動する良心ある学者’だ。そんな彼に、日本軍「慰安婦」問題、さらには植民地時期の日本の責任の所在を問う研究は終わりがなかった。
彼は、“歴史研究には終わりがない。時代とともに、時代が流れ、新しい資料がまた現れる事もするし、時代が変化する中で今まで見えなかったものが見え始めることもある”とし、“そして人々の認識が変化しながら、新しい側面が見える事もある。”と語った。
そして“「慰安婦」問題もその中の一つだ。そんな意味から、歴史研究の終わりはない”と強調した。
吉見義明教授とインタビューしながら、‘行動する、良心ある学者’となる事は、容易いことではないと思った。そして、相変わらず学者であることを強調し、学者扱いを受けようとする学界の風土で、吉見教授の様な人物に会う事が、どうして難しい事なのか分かりそうだ。
単なる研究者を超え、個人の人生を変化させ、時代を変えようとする吉見義明教授。
‘吉見義明’と言う名前は‘正しい事を明らかにし、真っ直ぐ見よう’の意味だ。‘歴史研究に終わりはない’彼の努力が、実を結ぶ日が来ることを、真心を込めて期待する。
(訳 柴野貞夫 2012年10月22日)
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