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(韓国民衆言論 チャムセサン 政治記事 20121220日付)http://www.newscham.net/news/view.php?board=news&nid=68721&page=1

 

     [‘野圏連帯’と進歩政治の破産が意味するもの]
              18代大統領選挙、新―旧保守連合の勝利

 

 

                                             チャムセサン・論評

 

40余年ぶりに両者対決となった大統領選挙(訳注―以下、「大選」)最終勝利は、パク・クンヘ(朴槿恵)候補とセヌリ党(訳注―‘新しい世の中’程度の意味。軍政与党の血をひく現与党・ハンナラ党が、党名を塗り替えたもの)に帰した。投票率が高ければ野党が勝利すると言う、一般的な予測とは正反対の結果を生んだ。暫定投票率は75.8%で、過去17代だけでなく、16代大統領選挙よりも高かったのに、結果はムン・ジェイン候補(民主党)支持者達の期待とは違った。

 

特に、50代保守層の結集はめざましい程だ。2002年、40代の投票率は76.3%で、ノ・ムヒョン(千年民主党)−48.1%、イ・フェチャン(ハンナラ党)47.9%の支持を送った。そんな彼等が、丁度10年が経って50代となった2012年の18代大選で、50代の投票率(放送社の出口調査)は、実に89.9%に達する。そしてかれ等は、パク・クンヘ(セヌリ党)62%、ムン・ジェイン(民主党)37%として支持を送った。この結果だけについて見れば、40代には投票場に行かなかった保守層達が、10年後、投票場に大挙殺到し、彼等の中の相当数がパク・クンヘ候補を選択することで、大統領選挙の結果が固まる原動力となった。

 

この世代は、40代の終始、キム・デジュン(金大中)、ノ・ムヒョン(盧武鉉)政府から、構造調整で整理解雇とリストラの苦痛を一身に受けた。リストラ後には、社会的安全網(セーフティーネット)から疎外され、自営業者として厳しい10年を送らなければならなかった世代だ。最後の財産である家を守って、家の価格を維持する事が目標であり、そうであっても、税を出すのが手に負えない人生を過ごしてきた彼らだ。彼等が、ノ・ムヒョン式政治に対する幻滅だったのか、パク・クンヘと言う人物に対する成長主義の幻想を抱いたのか、彼等が投票場に走って来て、大選の成り行きを分けた。

 

パク・クンヘ候補は、MB(イ・ミョンパク)との差別化を通して、‘反MB’を希釈させ、新旧保守層を結集させた。伝統的保守層は、‘安保’‘愛国心’‘経済危機克服’の符号を持って結集した。‘父親を越える’と言うことで、過去維新時代(訳注-パク・チョンヒ軍事独裁時代)の過誤克服を語った。新保守層は、‘国民大統合’、‘準備された女性大統領’、‘温情的選択的福祉’、‘新しい保守’のイメージで総結集した。

 

IMF以後、新自由主義体制が強固にされた後に形成された彼等だ。競争教育、成功イデオロギー、市場論理などを、内面化した新自由主義経済社会体制が生んだ階層だ。彼等は‘チュル・プ・セ’(訳注-税金は負担と言う考えに、異議を唱えるスローガン?)、‘好く暮らしてみよう’と言う成長主義と結合し、18代大選に結集した。

 

一方、ムン・ジェイン(文在寅)候補の‘反MB’は、ノ・ムヒョン政府の新自由主義を攻撃するセヌリ党の前で、無力だった。FTA、(済州島)海軍基地、医療民営化、労働柔軟化(解雇権の濫用容認)労働弾圧など、MB(イ・ミョンパク)は事実上、ノ・ムヒョン政策の継承者だった為だ。

 

結局、(ムン・ジェインの)‘反MB’は、‘反ノ・ムヒョン’を越える事が出来なかった。非正規職量産など参与政府(ノ・ムヒョン政府)の間違いを認めたが、時代の限界としてこれを正当化した。

 

こんな限界で行われた終局、若い層に対する投票参加の督励と各種暴露は、むしろ、‘新旧保守層を結集’させる結果を生んだ。

 

さらに、ムン・ジェイン候補は、‘政権交代’と言う目標の中に、‘野圏連帯’を実現した。しかし、‘野圏連帯’は‘政権交代’の他に、どんな価値も未来のビジョンも正確に見せることが出来なかった。新自由主義を更に堅固にする財閥中心の成長主義の枠組みを越えることも出来なかったし、実態も不明な経済民主化論に混乱だけ加重させた。

遅れて、アン・チョルス(安哲秀)との単一化で‘新しい政治’と‘国民候補’を掲げたが、‘野圏連帯--政権交代’が、開かれた未来に乗り出すと言う確信を植え付けてやる事は出来なかった。

 

今回の大選で、局面を主導したのはアン・チョルス(安哲秀)だった。総選挙の民主党の敗北以後、野圏と浮動層の代案として浮かび上がった‘アン・チョルス現象’は、二党体制に対する不満を持っていた中間層、不安な未来の中で現実の苦痛を抱き締めて生きる若い層が主要な基盤だった。

 

‘新しい政治’をキーワードとした彼の浮上は、過去の‘第3の勢力’として登場したチョン・ジュヨン、イ・インジェ、チョン・モンジュン鄭夢準)とは異なり、強力な破壊力を秘めていた。しかし、アン・チョルスの新しい政治は、ムン・ジェイン候補への単一化を宣言し、辞退する事で‘政権交代を目標にした野圏連帯’にぴったり閉じ込められてしまった。また選挙過程で、アン・チョルス(安哲秀)が見せてくれたものは、靄(もや)話法で包まれた用意の駄目な政策だった。むしろ、民主党より保守的な諸政策だった。野圏の大選敗北で、アンチョルス現象は更に強化されるだろうが、アン・チョルスが構成する政治刷新の内容は、依然として靄の中で、右にちらつく、ぼんやりした明りが見えるだけだ。

 

何よりも、今回の18代大選の最大の敗北は、進歩政治、進歩政党にある。自身の組織的独自性、政治性も守る事が出来ず、四分五裂されたまま、あらゆることを‘野圏連帯’と‘政権交代の為の批判的支持’に、いわゆる‘オールイン’した。

 

‘倒れた所に覆いかぶさる(弱り目に祟り目)’として、ムン・ジェイン候補の敗北であっても進歩陣営はその敗北さえ、自分のものとして受け入れなければならない立場に置かれてしまった。

 

10年前と異なり、国民大衆がもうこれ以上、進歩政党の声に耳を傾けようとせず、進歩政党の議題が何であるのかも分らない状況となった。イ・ミョンパク政府は、常に、党内の選挙不正の是非と分裂で風の鎮まる日がなかった。また、保守政党とどんな違いがあって、どのように認識されているのか、反問せざるを得ない。

 

こんな状況でも、キム・ソヨン候補とキム・スンジャ候補が労働者政治の独自性を維持し、双竜車整理解雇、現代車非正規職など現場闘争の声を共にし、労働政治の火種を生かそうと努力をしたが、その存在感は大きくなかった。彼等の政治が、得票率として計算する事が出来る問題ではないとしても、出馬過程での問題、労働大衆の力を結集させる事が出来なかった限界の中から、今後、労働政治の展望をどのように生かす事が出来るのか、大きい課題が残っている。

訳注―キム・ソヨンは、韓国における非正規職撤廃闘争の象徴的女性労働運動家である。民主労総を中心とする<労働者大統領選挙闘争本部>によって選出された大選候補だ。キム・スンジャは、左派・無所属で立候補した蔚山科学大清掃労働者)

 

新旧保守層の結集で、再び政権を続けて行く事となったセヌリ党とパク・クンヘ-当選者に置かれた道は平坦ではないだろう。

 

たとえ過半数を越える支持を得たとしても、その支持が、候補でない大統領と言う席まで続くかは未知数だ。低成長と経済危機、不平等また貧困の拡大、日本の自民党の再執権に象徴される右傾化と、北のロケット発射などで、激化される東北アジアの緊張関係、また南北関係の固着、政党の検察・警察に対する不信など、(パク・クンヘが)候補時代掲げた政策と公約で、解決可能なのかどうか疑わしいだけでなく、むしろ、もっと悪化させるのか、懸念である。‘選挙の達人’が‘国政運営の達人’に繋がる根拠がきわめて希薄だと言う話だ。

 

パク・クンヘに、青瓦台(大統領官邸)の表札の名札だけ変わったと軽く退けるには、今回の大選結果が、韓国社会の未来に示唆するところが少なくない。

 

進歩陣営の立場としては、民主労働党創党に始まった10余年間の、進歩政党の限られたシーズンが悲劇的に終わった計算だ。

 

政権交代と野圏(野党)連帯と言う盲目的スローガンは、すでに止めなければならない時だ。

 

何よりも、労働政治の新しいシーズンを開く為には、今の悲劇を正面で立ち向かい、省察しなければならない時だ。

                                    (訳 柴野貞夫 20121221日)