(朝鮮半島における核問題の発生、その主犯は米国 ウリミンジョクキリ 2013年1月29日)
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朝鮮半島における核問題の発生、その主犯は米国である
(その1)
[訳者解題]
2011年8月14日付の韓国紙・ハンギョレは、ソウルの軍事消息筋から入手した日本の「朝日新聞」13日付の報道と合わせ、つぎのように報じていた。
( http://www.hani.co.kr/arti/politics/defense/491698.html)
「昨年8月の、<ウルジ・フリーダムガーディアン>の作戦演習と同様に、今年も「ピョンヤンに侵入した<特殊部隊>が、国防委員長を‘逮捕’する具体的作戦計画を立てている」と。
米韓は、2011年8月16日から、<作戦計画・5027>による朝鮮民主主義人民共和国の政治的・軍事的拠点攻撃と、国家指導部に対する暗殺テロを含む公然たる核・侵略戦争演習を敢行した。米軍は作年の2倍、3万、南朝鮮軍56000を投入し、<官民軍統合防衛体制点検>に動員される政府職員を含め、53万が動員された。
11月には、日・米は、自衛隊の陸海空3軍34000とその艦船40隻、空軍250機が、米国の核空母・<ジョウジ・ワシントン>とともに、<作戦計画5027>に基づく北侵略計画の一環として、日米合同軍事演習を日本海から沖縄に至る、日本全域で展開した。それは、韓国の将兵も参加した事実上の日米韓3国軍事同盟であり、朝鮮民主主義人民共和国への核攻撃演習であった。1976年から始まった対北模擬核攻撃訓練を中心とした米国の対北核侵略戦争演習である「チームスピリット」は、今、「ウルジフリーダム」「護国訓練」などと名を変えて、朝鮮民主主義人民共和国への執拗な挑発をくりかえしてきた。
朝鮮戦争休戦から今年で60年が経過した。にも拘わらず、朝鮮半島は戦争状態のままだ。「停戦協定を平和協定に置き換えよう」と言う、朝鮮民主主義人民共和国の呼びかけに、朝鮮戦争の一方の当事者である米国は、一貫して拒否して来た。すべての責任が米国にあるのは火を見るより明らかだ。
世界の近現代史において、半世紀以上にわたって列強の軍事的脅威に晒されてきた民族は皆無だ。しかも、米国による軍事的脅しの実態は、民族皆殺しの核兵器による脅しだ。
停戦協定を蹂躙し、核兵器を朝鮮半島に持ち込み、朝鮮半島の核危機を作りだしたのも米国だ。
2012年8月13日 韓国保守系紙・中央日報は、「米軍が(朝鮮戦争時期)1951年に、核物質で韓半島を永久分離しようと計画していた」と報じた。「プルトニウムと核廃棄物など、大量の放射能物質を、韓半島を横切る地域に散布して<非人間地帯>を作り、南北を分断する」というのだ。米帝の非人倫的本質を示して余りある。
米国は、共和国の誕生から朝鮮戦争を通じて今日に至るまで、とりわけ、アイゼンハワー、ニクソン、ブッシュは、核兵器を通常兵器の様に扱いながら、共和国に脅しを加えてきた。
米国は、世界帝国主義の盟主としてその巨大な軍事力を振りかざし、南朝鮮の軍事独裁政権をささえながら、朝鮮半島における反帝国主義闘争と、民族解放闘争を抑圧してきた。共和国と朝鮮の民衆は、ブッシュ政権による「核先制攻撃の瀬戸際」まで経験させられたのだ。
米国の「核先制攻撃」の政策化と、南朝鮮と日本列島の空と海を覆う核積載機と艦船、その陸に巡らされた米軍の核基地。また、核兵器の「使用」を排除しない核保有大国から、60有余年ものあいだ、晒されてきた国が朝鮮民主主義人民共和国である。
誰が本当の侵略者で、誰が本当の挑発者なのか?
その答えは、次の「ウリミンジョクキリ」の論考、「朝鮮半島の核問題の発生、その主犯は米国」1〜2を読めば、よりハッキリするだろう。
[本文]
1月29日は、米帝が≪国連軍司令部≫を通して、南朝鮮に≪オネストジョン≫−核ミサイルが配置されたと、公式発表してから55年となる日だ。
無論、これが、米帝が朝鮮半島で核問題を惹起させ、増幅させてきた始点ではない。米国は既に過去50年代の朝鮮戦争時から、彼らの戦略・戦術的惨敗を挽回するため、≪原子弾(原爆)の使用≫を公言して来た。
朝鮮戦争時期から、今日に至る極めて長い60余年のあいだ、米帝は我が共和国を狙って、核恐喝と核脅威を敢行したのであり、核攻撃の為の計画を組んで置いて、核戦争練習に狂奔した。体系的に、系統的に南朝鮮に核兵器を引き入れ、朝鮮半島の核問題を生み出して来たのであり、南朝鮮全域に配置した1000余機を越える核兵器で、朝鮮半島と東北アジア地域の平和と安全を由々しく脅かしながら、最悪の核危機を呼びこんだ。
その歴史を見せてくれる、以下の幾つかの事実資料は、朝鮮半島の核問題発生の歴史的根源とその張本人、核先制攻撃で我が共和国を、どんなことがあっても圧殺し、世界制覇の野望を実現して見ようとする米国の、相変わらずの本性を明確に告発している。
●1950年代 朝鮮戦争時期
―1950年11月30日、米国大統領・トルーマンが、朝鮮戦争での原子爆弾使用に対し、公開的に言及、続いて同じ日、米戦略航空隊に≪極東に、即時的な原子爆弾投下の為に、爆撃機を飛ばして送る事が出来るように待機≫する事に対する指示下達。
―1950年12月当時、米極東軍司令官マッカーサーが、中国接境(国境)地域に原子爆弾30〜50個を、投下する事を計画し、≪朝鮮北部に、東海(訳注―日本海)から西海(訳注―黄海)に至る‘放射能廊下’地帯を形成するだろう。その地帯内では、60年、あるいは120年の間、生命体が蘇生出来る事は出来ないであろう。≫と暴言。
―1951年4月、米合同参謀本部が朝鮮戦線での敗北を挽回するために、原子爆弾で≪報復攻撃≫を加えるように命令、それによって、米国軍の≪B29≫戦略爆撃機などがピョンヤン上空での原子爆弾投下の為の試験飛行の進行。
―1953年始め、米国防省が共和国に対する新しい攻勢を検討する過程で、≪最短期間内の勝利≫の為に、原子爆弾を使用する事を決定し、政府に提出。
●1950年代 朝鮮戦争以後
―1954年1月、米国が≪新しい戦争が起こる場合、北朝鮮と中国に核兵器を使用しなければならない。≫という、≪大量報復計画≫を公開。これによって、南朝鮮占領米第7師団と本土の米第1機甲師団を≪原子師団≫に改編。
―1957年、5月14日、米国務長官ダレスが、南朝鮮に対する核兵器搬入計画を公式示唆、同じ日、米国防長官ウイルソンが、核兵器の種類には≪オネストジョン≫を始めとする、いろんな種類の核ミサイルが入っていると吐露。
―1957年7月15日、米陸軍当局が南朝鮮占領、米帝侵略軍が、核武装化に着手したと公式発表、南朝鮮に原子戦を繰り拡げる事が出来る5つの戦闘部隊を持ってきたと明らかにしたこと。
―1958年1月29日、≪国連軍司令部≫が、≪オネストジョン≫核ミサイルが、南朝鮮に配置されたと公式発表、続いて2月3日、米第1軍団飛行場で、280o原子砲と≪オネストジョン≫核ミサイル公開。
―1958年12月16日、≪国連軍司令部≫が、≪国連軍≫が核弾頭を運搬することが出来る≪マタドール≫ミサイルで装備されたと発表。
●1960年代
―≪ナイキヘキュルレス≫、≪ホーク≫ミサイルを始めとした、各種原子、また誘導弾兵器と核地雷を南朝鮮に配置。
―1967年11月18日、南朝鮮米国≪核兵器、また訓練機構と資材の供与に関する協定≫締結。
●1970年代
―1970年代始め、≪F−4≫戦闘機・積載用核爆弾192発、203.2mm核砲弾56発、155mm核砲弾152発、≪ナイキヘキュルレス≫ミサイル(核弾頭)12機、核地雷20〜50発など、殆ど700余個に達する核兵器、並びに核運搬手段を、南朝鮮に展開。
―1970年代中半期から、グアム島に基地を置いた核兵器を積載した≪B−52≫戦略爆撃機の、非武装地帯に対する飛行を始める。
―1975年5月30日、米国会下院であった、1976年度国防予算審議会議で、南朝鮮に1000余機の核兵器と、54台の核積載機が配置された事実が公式的にあきらかとなる。
―1977年≪朝鮮で核兵器を先制使用する≫という政策を再確認。
―1978年、核を装着した≪レンス≫ミサイルが≪チームスピリッツ≫合同軍事演習に参加。
●1980年代
―1981年、米国防情報センターで発行する雑誌≪デフェンスモニター≫1月号が、南朝鮮に搬入された核弾の中には、≪オネストジョン≫ミサイル用核弾頭・80個、戦闘爆撃機積載用戦術核爆弾・192個、155o曲射砲用核砲弾152個、8インチ曲射砲用核砲弾56個などがあると明らかにする。
―1981年2月、前米国防長官ワインバーガーが≪新たな中性子弾の南朝鮮配備≫を公言。
―1986年11月15日付、南朝鮮の≪韓国日報≫が伝えた、米国防省発表によれば、ヨーロッパを除外した海外基地としては最初に、南朝鮮に、1個大隊分(人数)の≪レンス≫核ミサイルが配備されること。
―1985年、125回南朝鮮≪国会≫本会議・会議録第111号に、核爆弾、核砲弾、ミサイル核弾頭、中性子爆弾と砲弾、核地雷と核背嚢など、南朝鮮に配備された米国の核兵器数字は、1720余個に達すると記録される。(続く)
朝鮮半島における核問題の発生、その主犯は米国である
(その2)
●1990年代
―1991年1月、南朝鮮に入って来た米国防長官と、米合同参謀本部議長が、傀儡国防部と≪年例安保協議会≫を開き、≪有事時、核を含んだあらゆる手段を動員≫し、共和国を強力に征伐する(懲らしめる)と、共同声明を公式発表。
―1993年初、その≪核開発疑惑≫なるものを取りだし、共和国の核問題を国際化しながら、孤立圧殺を事と出来なくて、しまいには、国連安全保障理事会と国際原子力機構をけしかけ、動員し、北の軍事対象に対する≪特別査察強行決議≫を通過、これによって、第1次核危機事態が爆発。
―1995年11月、米国防長官ペリーが、第27次南朝鮮・米国≪年例安保協議会≫で、南朝鮮に≪核の傘≫を提供すると言う米国の公約を再表明。
―1997年2月、日本の沖縄基地から、劣化ウラニウム弾を南朝鮮に移し、実戦配備。
1997年3月、南朝鮮占領米帝侵略軍司令部の代弁人が≪朝鮮半島有事時に、使用する為に、核兵器の一種であるウラニウム弾を保有している。≫と発言、8月15日米国防省代弁人声明でこれを確認。
●2000年代
―2002年3月、ブッシュ行政府が、共和国を始めとする7か国に対する≪核先制攻撃≫を政策化
2002年10月、米国が国務省次官補ケリーを共和国に送り、その≪ウラニューム濃縮による核計画≫なるものに食ってかかりながら、極めて脅威的であり、傲慢な最後通牒式の態度をとる。その後、共和国が≪核兵器開発計画≫を≪是認≫したと言う、歪曲捏造された輿論を触れまわりながら、すでに組んで置いた≪北朝鮮核シナリオ≫に従がい、核脅威と核戦争演習に狂奔、これによって第2次核危機事態が爆発。
―2003年5月31日、南朝鮮占領米帝侵略軍を新たな核兵器で装備するための≪戦略増強計画≫発表。
―2003年夏、地下施設破壊用核兵器≪バンカーバスター≫を、南朝鮮に配備。
―2004年4月、核戦略爆撃機≪B−1≫2機をオサン米空軍基地に追加配備。
―2004年8月、朝鮮東海と日本周辺に≪ステニス≫号など2隻の、核推進航空母艦を展開。
―2005年3月19日から25日まで、核推進航空母艦≪キテイホーク≫号をはじめとする核打撃集団が動員され、挑発的な北侵略核戦争演習である≪連合戦時増援演習≫と≪トクスリ(禿げ鷲)≫訓練を強行。
―2006年3月25日から31日まで、米帝が超大型核推進航空母艦≪エイブラハム・リンカーン≫号と原子力潜水艦などでつながれた核戦争手段を動員し、南朝鮮で挑発的な北侵略戦争演習である≪連合戦時増援演習≫と≪トクスリ≪禿げ鷲≫訓練を敢行。
―2006年7月、米帝の大規模な北侵略核戦争演習である≪リンパック2006≫合同軍事演習に参加している超大型核推進航空母艦≪ニミッツ≫号がプサン(釜山)に入港。
―2009年3月、核推進航空母艦≪ジョン・ステニス≫号を始めとした、第3航空母艦戦團を投入し、北侵略核戦争演習である≪キーリジョルブ≫、≪トクスリ(禿げ鷲)≫合同軍事演習に狂奔。
―2010年7月、特大型謀略劇である≪チョナン(天安)≫号事件を契機に、米第7艦隊所属、核推進航空母艦≪ジョージ・ワシントン≫号と各種艦船、最新鋭戦闘機など膨大な武力を動員し、狂乱的な≪韓米連合訓練≫をくりひろげて、共和国に対する核先制攻撃を既定事実化。
―2010年11月、核推進航空母艦≪ジョージ・ワシントン≫号と、ミサイル巡洋艦、イージス駆逐艦を始めとした数多い艦船集団を、歴史上はじめて、朝鮮西海海上に投入し、狂乱的な北侵略戦争演習を進行。
―2011年3月、米国の核航空母艦≪ロナルド・レーガン≫号が、日本≪自衛隊≫とともに、朝鮮東海(訳注・日本名―日本海)で≪友達作戦≫と言う合同軍事演習敢行、同じ時期、米国の核航空母艦戦團と≪ストライク≫部隊を始めとした米帝侵略軍増援武力と、核先制打撃手段の大大的投入のもと、南朝鮮全域で≪キーリジョブル≫、≪トクスリ(禿げ鷲)≫合同軍事演習実践訓練として、敢行。9月26日から米国の核航空母艦≪ジョージ・ワシントン≫号を旗艦とする米海軍打撃集団が、南朝鮮軍とともに西海5島地域で「有事時」の北侵を仮想した≪連合機動訓練及び合同訓練≫を狂乱的に進行。
以上の、幾つかの資料は、朝鮮半島に対する米国の≪核混棒戦略≫と核戦争挑発策動を見せてくれる、ごく一部に過ぎない。
こんな事実資料だけをもってしても、米国こそ、過去朝鮮戦争以後、南朝鮮に数多い核兵器を配置し、北侵略核戦争演習を狂乱的に繰り広げながら、共和国の尊厳と自主権を由々しく脅かして来た核の犯人、今日も朝鮮半島と東北アジアの平和と安全を甚だしく破壊しながら、核戦争の火の雲をひっぱってくる張本人である事を、余地なく実証している。
今、全ての同胞と公正な国際世論は、朝鮮半島で核問題を発生させた張本人も、朝鮮半島と東北アジア地域の情勢を核戦争直前に追いこんでいる主犯も、他でもなく米国だと、辛辣に断罪糾弾している。
そうであるにも拘わらず、米国は反対に、その≪核脅威≫と≪挑発≫なるものを騒ぎ立てながら、反共和国核騒動を執拗に広げている。我々の平和的な実用衛星発射をめぐって、敢行される米国と敵対勢力の≪制裁≫騒動もその中の一つだ。
作られた事態と関連して、朝鮮民主主義人民共和国 国防委員会と祖国平和統一委員会、外務省は、声明等を通して、世界的な非核化を実現する前には、朝鮮半島の非核化と言うものはあり得ないし、朝鮮半島と地域の平和と安全の為の対話はあっても、朝鮮半島非核化の為の対話はないと言うことに対し、疑いなく明らかにした。
声明などで明らかのように、朝鮮半島の平和と安全に対する最も大きい脅威は、米国を始めとした不純勢力たちの対朝鮮敵対視政策であり、それを支えている米国の膨大な核武力だ。米国の非核化を含んだ、世界の非核化を完全無欠に先行して行く時、朝鮮半島の非核化もあり、共和国の平和と安全も担保され得ると言う事は歴史の教訓である。
米国は、朝鮮半島核問題を生じさせ、今の様な最悪の状態に増幅させて来た責任から、決して逃れることは出来ないのであり、(それに)ふさわしい代価を支払わねばならないだろう。
(訳 柴野貞夫 2013年2月10日)
<参考サイト>
☆354 朝鮮平和委員会代弁人談話(朝鮮民主主義人民共和国・朝鮮中央通信2012年8月24日付)
☆313 戦争の道具となった国際原子力機関(IAEA) (韓国・チャムセサン 2011年11月13日付)
☆293 朝鮮民主主義人民共和国外務省代弁人談話 (朝鮮民主主義人民共和国・朝鮮中央通信 2011年8月18日付)
☆290 停戦協定と朝鮮半島 (朝鮮民主主義人民共和国 朝鮮中央通信論評 2011年07月27日付)
☆265 [米・韓合同軍事演習に対する]朝鮮民主主義人民共和国外務省代弁人 談話 (朝鮮民主主義人民共和国・朝鮮中央通信 2011年3月1日付)
☆264 [声明]韓・米軍事合同訓練に、韓半島の運命を任せてはいけない (韓国・労働解放実践連帯HP 2011年3月2日付)
☆251 民主主義人民共和国外務省代弁人談話 (朝鮮民主主義人民共和国・外務省代弁人談話 2010年12月17日付)
☆251 民主主義人民共和国外務省代弁人談話 朝鮮民主主義人民共和国・外務省代弁人談話 2010年12月17日付)
☆241 反帝国主義闘争は、世界平和保障の根本要求である (朝鮮民主主義人民共和国・労働新聞 2010年11月19日付)
☆234 連邦制方式の統一は、わが民族の最善の選択 (朝鮮民主主義人民共和国・労働新聞 2010年10月13日付)
☆206 朝鮮外務省備忘録 朝鮮民主主義人民共和国・労働新聞 2010年4月21日付)
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