(朝鮮民主主義人民共和国 労働新聞 情勢論解説 2013年4月11日付)
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イラクで作り出された惨状が残した教訓
○米当局者達は、イラクの≪大量殺戮武器≫が無いことを、明らかに知りながら、必要な各種情報資料などを手際よく、捏造、脚色し、衛星写真まで偽造して国際世論を欺き、国連も国際法も眼中に無く、イラク侵略戦争を引き起こした。
○国の自主権を大切に思う人民は、侵略と戦争を生存(生き残る)手段としている帝国主義が、地球上に残っている限り、階級の銃隊、革命の銃隊を更に頑強に固めて行かなければならない。
(本文から)
自主の旗印を高く掲げて行く国々を圧殺しようとする、帝国主義者達の侵略的強権行為が行われる今日、国の自主権と人民の生命安全は、自分の力で守らなければならない。
米国の独断と専横、傲慢性が引き起こしたイラク戦争は、自分の運命の主人は、自分自身であり、国の自主権と人民の安全は、もっぱら強力な銃隊によってだけ、守る事が出来ると言う真理を今一度確証してくれている。
1990年代初、ペルシャ湾戦争で、手っ取り早く目的を達成した米国は、更にもっと傲慢無礼に気が狂った様に暴れ回った。米国は、豊富な原油資源を有し、戦略的に重要な位置を占めているイラクをもの欲しげに見て、この国を武力で強占する為に咬みついた。
ペルシャ湾戦争で敗れはしたが、その時までさえも イラクは中東地域で無視出来ない軍事強国だった。これを無視して理屈抜きに軍事的侵略を断行したら、失敗に会うことは出来ないと打算した米国は、手っ取り早く、彼等の侵略野望を実現する企図の下、謀略的な方法で、イラクに原油輸出禁止を始めとした苛酷な経済制裁を加えはじめた。
イラクを侵略するのに先立って、経済制裁を加え、相手方の力を抜き取った後、決定的な瞬間に軍事的侵攻を加えると言うものだった。
米国は、ペルシャ湾水域に膨大な侵略武力を集結させる一方、イラクが≪大量殺戮武器≫を開発していると騒々しく騒ぎたてながら、武器査察団を受け入れる事を、この国に執拗に強要して出た。
米国が武器査察をイラクに強要したのは、イラクが実際に≪大量殺戮武器≫をもっているとか、米国に≪脅威≫となるから、ではなかった。その真の意図は、イラクの武力状態を内偵し、武装解除をしようと言う事にあった。
彼等の侵略策動に強硬に対峙し、国防力強化に力を入れる代わりに、屈辱的な武器査察を許容することに向かった。米国の強盗的な要求を、おとなしく受け入れる事で戦争を避けようと愚かに打算したのだ。
米国の要求に従って、長文の武器明細書を作成し公開したのであり、国の尊厳の象徴となっている大統領宮殿まで、武器査察対象として明け渡した。あとには、有するミサイルまで、自から破壊する愚かな行動をした。
イラクは、自身の力で国と民族の自主権を守護する考えはなく、一部大国らを見廻しながら、国際社会の支持と同情を受けて問題を解決しようとした。しかし、イラクのこんな意気地ない行動は、米国の傲慢性をさらに煽いでやった(わをかけてやった)にすぎない。
彼等の要求に従い、赤手空拳(徒手空拳)の立場に置かれたイラクに乗りこむのは朝飯前だと打算した米国は、イラク戦争を既定事実化して、その口実を準備するために気が狂った様に暴れ回った。
米国は、イラク戦争と関連した作戦計画の樹立と一緒に、ホワイトハウス、国防省、国務省、中央情報局(CIA)が、銃を発動(戦争)したくて、イラク戦争に必要な各種情報資料などを手際よく、捏造、脚色した。ここで中央情報局(CIA)は、情報謀略の腕前人としての手並みを発揮し、虚偽情報資料を奇抜に(突飛に)作成、加工、誇張をやってのけた。
その代表的なものが、即ち、イラクの≪核武器生産のためのウラニュームと遠心分離機用高強度アルミニューム管購入説≫だった。
米当局者達は、イラクの≪大量殺戮武器保有≫に対する情報資料が、信じる事が出来ない嘘と言う事を明かに知りながら、イラクの原油を掌握しようと言う野欲の下で、それを更に誇張、拡大し、サダム政権こそ最も≪危険な勢力≫、≪不良輩集団≫だと言う事を国際的に世論化した。
当時、米国務長官だったパウエルは、国連安全保障理事会の会議での或る演説で、米国情報機関の水準では、イラクが武器査察人員との協助を拒絶し使用が禁止された武器を隠し置いているだけでなく、テロ組織と結託していると言う事を見せてくれる多くの≪証拠≫があると、熱弁を吐きながら、イラクの≪脅威≫が目前に迫るかのように、描写した。そうしながら、イラクに対する軍事行動を承認する国連決議を採択する事を要求して出た。
2003年に近づき、米国は国連の舞台で、イラクの≪脅威≫が重大だと、慌ただしい声を叫び、暴悪に暴れた。パウエルは、彼等が加工した偵察衛星写真まで出して見せ、≪今イラクに、100~500tの化学武器がある。≫と言い、白い粉が入っている小さいガラス瓶を振り回し、それを、イラクが≪大量破壊武器≫を持っていると言う事への≪証拠物≫として提示した。
米国の主張を見れば、「イラク政府が≪アルカイダ≫に資金を提供した。」「イラクの生化学武器が数時間内に米国を襲いかかることができる。」「≪大量破壊武器≫を持っているのであり、≪テロ分子を教唆≫しているイラクによって、第2の9.11事件が起きる。」「米国単独でも、イラクを攻め入らなければならない。」と言うことなどだった。
しかし、それは当時、米国イラク武器査察団の責任者は、米国会に提出した最終報告書で、イラク戦争が開始される時、イラクには≪そのどんな、大量破壊武器も存在しなかった。≫と(すべてを)ありのままに話した。
最終報告書は、「国連の対イラク制裁後、この国には大量破壊武器を開発するための明確な戦略と計画がなかったし、ミサイル生産計画は、ペルシャ湾戦争と国連査察などによって中止されたのであり、核武器開発能力は、1991年以後顕著に衰退し、生化学武器は廃棄された」と明らかにした。
事実がこうであるにも拘わらず、米国はかれらの侵略計画の実現の為に、強引を弄し、2003年3月20日、国連も国際法も眼中に無く、イラク侵略戦争を引き起こした。その勝敗は火を見るより明らかだった。
結局イラクの武器査察の許容は、武装解除へ繋がり、侵略戦争へひろがったのであり、これによってイラクは、国の自主権を奪われ米国の軍事的強占の下に入る事となった。
イラク戦争が残した教訓は、帝国主義者たちに対する譲歩は、必ず死であり、国と民族の自主権は、ただもっぱら、自分の強力な銃隊で守護しなければならないと言う事だ。
国の自主権を大切に思う人民は、侵略と戦争を生存(生き残る)手段としている帝国主義が地球上に残っている限り、階級の銃隊、革命の銃隊を更に頑強に固めて行かなければならない。
(訳 柴野貞夫 2013年4月15日)
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