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(韓国民衆言論 <統一ニュース> 2013411日付)http://www.tongilnews.com/news/articleView.html?idxno=102113

 

 

北韓を動かすことが出来るのは、中国ではない

反覇権外交路線の旗を下ろした中国に対し、自主外交を貫く朝鮮

 

 

 

 

キム・ウオンウン(金元雄―前国会統一通商委員長)

 

米国の対北敵対外交と、北韓の核は、因果関係がある。数十年間に亘る、米国の対北敵対行為の結果が、北韓の核武器保有として現れたのだ。他国の敵対行為に対する対応として、自国の防衛力を伸ばすのは、歴史上存在して来たあらゆる国家の正常な対応だ。

米・ソ関係がそうであったし、米・中関係がそうであった。韓半島危機は、‘悪の帝国’と‘悪の枢軸’間の葛藤がその本質である。

20032月、ノ・ムヒョン当選者時代にピョンヤンを訪問した。その当時、ジュネーブ協定は休止していた。北、米が合意し推進されたヨンピョンの軽水炉建設作業が、米国ブッシュ政府の強硬ネオコンによって中断された為だ。新しい対話体制を協議するのに、北韓の両者会談の主張と米国の六者会談の主張が、張り合って対立していた。

 

“どうして、朝鮮の主権問題に中国が介入しなければならないのか?”

 

北側に六者会談の受け入れを打診した。中国が北韓を支援する可能性が高いと言う理由も聞いた。しかし北韓の立場は明らかだった。“北核問題にどんな外勢の介入も容認しない。どうして北韓の主権問題に、中国が介入しなければならないのか?当時者である米国との談判でなければならない。中国が北韓を売り、自国の利益を取り纏める可能性もある”

最近、国連安保理の対北制裁への中国の同参(参加・同意)を、北韓は10年前にも予想したのだ。

最近、リュウ・キルジェ統一部長官が、“今は、対北特使を送る時ではない”と言う意見を明らかにした。事実北韓が、パク・クネ政府の特使を受けいれる可能性が希薄のために出てきた立場だと見る。その間保守勢力の対北政策が、米国と日本の対北敵対政策を追従して来た事実に照らして見る時、北韓の視角としては当然なことだ。

 

“強大国優位の世界秩序を変えなければならない”とかつて反覇権外交を主張した中国の変質

 

北韓を動かす事が出来るのは、中国でもない。中国は建国以後一貫して、強大国の覇権主義に反対する立場を固守して来た。中国は、1951年に米国の主導下に、国連政治委員会で‘侵略者’と規定された事もあり、国連総会で中国弾劾案が可決された事もある。こんな苦しい外交孤立の道を歩いてきた中国は、非同盟会議の運動を主導し、内政不干渉、国家主権の原則を標榜し、強大国優位の世界秩序を変革しなければならないと主張して来た。

しかし、中国が最近、国連安保理の対北制裁に同意したのは、建国以後、毛沢東、周恩来、ケ小平、江沢民など、歴代指導者らが力説して来た‘強大国の世界秩序の変革’と言う反覇権外交路線の終焉を意味する。その間の中国外交の象徴だった反覇権の旗幟を捨て、中国みずからが覇権国家に変身していることを見せているのだ。             
‘米国は、北韓を攻撃する事が出来る核武器を保有しても良くて、北韓は米国を攻撃する事が出来る核武器を持つのはいけない’と言う論理が、即ち強大国覇権主義の路線である。

韓国戦争以後、北韓は他国を侵略した事が無いが、米国は、ヴェトナム、イラクなど世界あちこちで侵略戦争を繰り広げているので、北韓が米国よりもっと平和に(とって)脅威となると言う主張は、説得力がないからだ。

米国の国家情報委員会が作成した資料集「Global Trends 2025」に依れば、“今後、中国の浮上に対する近隣国家の不安感が高まり、この不安感の為に米国が、アジアで必要な均衡者としての役割をする空間がある”と分析している。これも即ち、中国が覇権国家に変身していると言う事を認知し、これを前提とした分析だ。こんな中国外交路線の変質を見れば、今後韓半島の平和と統一に中国の役割を、警戒心を持って見守らなければならない。

国連安保理の対北制裁案が通過された後、北韓が見せる強硬な態度には、中国に対する不信が、根本に敷かれている。中国政府が極度に言葉を惜しむのも、こんな事実をよく認識している為だ。

韓国の一部専門家が、中国が北韓に圧力を加えろと言う注文をする。イ・ミョンパク政府も、中国にこんな要求をした。しかし、対米従属外交に、なついている韓国の視角で北韓を見る為に、こんな錯誤が生まれる。自主的な外交路線を歩んで来た北韓に対する、無知から来た分析であるだけだ。  


北韓を動かす事が出来るのは、南韓でも中国でもない。米国だけだ。
北韓が、北核問題の当事国を米国だと認識しているからである。
     
                                (訳 柴野貞夫 2013年4月27日)