(韓国ネット言論 PRESSIAN 世界ニュース2013年7月23日付)http://www.pressian.com/article/article.asp?article_num=60130722170927&Section=05
[再び、朝鮮学校]<2> 下村長官の植民主義的談話
朝鮮学校は、依然として日帝時代・・・‘同化’と‘差別’の歴史
藤永 壮 大阪産業大学教授
[プレシアン編集者]のまえがき
2007年<ウリハッキョ>と言う題目のドキュメンタリー映画がヒットしました。日本の‘北海道朝鮮初中高級学校’の学生達が主人公であるこの映画を見て、多くの人々が笑い、泣きました。彼等が言語と文字、民族性を守る為に、あらゆる困難の中で生きてゆく姿が感動でした。何よりも、‘この様に生きる我が同胞達もいるのだな’と言う事を遅ればせながら知って、気恥ずかしかったと言う感想が多かったのです。“未だ、日帝時代が終わらない同胞達がいるのだ”と言う人もいました。日本政府は、朝鮮学校に対し‘同化’と‘差別’と言う植民支配政策を用いています。
同じころ、東京の第2朝鮮初中級学校(枝川朝鮮学校)が、当時石原真太郎知事に依って撤去の危機に追い込まれたと言う知らせが学校に伝えられ、多くの人達が学校敷地買い入れの為に寄付をしました。
それから6年、南北関係が梗塞(こうそく)され、朝鮮学校に対する関心も少なくなりました。その間に、日本に出来た右翼政権は、朝鮮学校に対する弾圧を強化しています。再び朝鮮学校問題に光を当てたいと思います。<プレシアン>は、地球村同胞連帯(www.kin.or.kr)と一緒に、朝鮮学校の歴史と現在の状況、対案などを模索する連続企画を始めます。2か月の間、毎週火曜日8回に亘って連載が進行されます。(編集者)
国際人権機関の差別認定と日本政府の反論
▲2013年4月30日、ジュネーブで開催された国連社会権規約委員会で日本政府の不誠実な陳術に抗議し、朝鮮学校の母親代表団が国連人権高等弁務官事務所周辺で座り込みを行った。(写真 藤永 壮)
国連社会権規約委員会は、さる5月17日、日本での規約実施状況に関する第3回総括所見を発表し、「高校無償化」制度で、朝鮮学校を除外したことを、明確な「差別」だと指摘した。実はこの制度が実施される直前である2010年3月9日に開かれた国連人種差別撤廃委員会でも、“朝鮮学校の排除を提案する何人かの政治家の態度”は“子どもの教育に差別的な効果を招来する行為”だと“懸念を表明”したことがある。国際人権機関が“高校無償化”制度から朝鮮学校を排除した事に対し、明らかな差別だと認めた事で、日本政府の基本的人権無視政策が不当である事が、国際社会に広く知られる事となった。
一方、この社会権規約委員会の所見に対し、日本の下村博文文部科学省長官(大臣)は、“朝鮮学校に、北韓系のあらゆる学生が通っているのではなく、在日朝鮮人達は各自の選択によって……大多数の学生達は、実際は日本の1条校[学校教育法第1条で定められた「学校」(幼稚園、小学校、中学校、高等学校、中等教育学校、特別支援学校、大学、高等専門学校)を指す――引用者]、即ち普通の日本の学校、公立や私立の学校に通っているという事も事実であるので、これは全く民族差別には当たらないという事は明白だと、考えられる。”と反論し、朝鮮学校が“1条校化すれば解決される話”だと、堂々と語った。(「下村博文文部科学大臣記者会見録(2013年5月24日)」)。
日本政府は、すでに4月30日、社会権規約委員会の審査過程で、朝鮮学校の‘無償化’不指定は“民族という観点から判断したのではなく、審査基準の観点から制度の対象となる学校を限定したもの”であり、“特定の民族を差別する措置ではない”また一条校などに在学する在日朝鮮人――ここでは、韓国籍者も含んだ在日同胞の総称として‘在日朝鮮人’と言う単語を使用する―や韓国系の学校は制度の対象に含まれていると、下村長官とまったく同様の主張を展開したという。
こうして見ると、日本政府は、在日朝鮮人学生の大多数が‘高校無償化’の適用対象に含まれているのだから、朝鮮高級学校に対する「無償化」制度の排除は‘民族差別’ではない、という論理で主張を統一させたようだ。
しかし、このようなレトリックこそが、最初から植民主義的発想に基づく詭弁であることを、見通さなければならない。私はすでに<プレシアン>を通して、朝鮮学校に対する「無償化」排除、補助金停止などの一連の措置が、日本社会の底流に根強く存在する植民地主義に由来する事を指摘した事がある。
http://www.pressian.com/article/article.asp?article_num=30120829154611&Section=03
<大阪に「ホンギルトン」が現れた:大阪府補助金停止問題の歴史的背景を考える>(「プレシアン・2012.8.29」)
ここでは、以前に書いた文と一部重なる部分もあるが、とくに下村発言に焦点を当て、この発言に代表される民族教育抑圧の論理が、日本国家の植民主義的発想に基づくものであることを再度確認しようと思う。
▲大阪市内の或る朝鮮初級学校の公開授業中、‘日本語’授業の光景(写真 藤永 壮)
同化政策と民族教育抑圧
植民主義または植民地主義(colonialism)とは、辞書的に言えば、軍事力などの強制力を動員し、他民族を従属させ、支配地域=植民地を獲得、拡大、維持しようとする政策・支配の方法、或いはそれを支える思想を指す。歴史的に、植民主義の思想、或いは方法には、大きく分けて「同化」と「分離(=差別)」と言う二つの種類がある。このふたつは、根本的には矛盾する存在だが、実際の植民地統治で同化政策と差別政策は、種々混在され実施された。たとえ被支配民族が同化政策によって民族文化を放棄する他なかったとしても、支配民族との差別が完全に解消されたことはなかったし、一方で同化を拒絶すれば、差別的な措置を甘受しなければならなかったのである。このことは、朝鮮に対する日本の植民地統治政策を想起すれば、容易に理解する事ができるだろう。
在日朝鮮人の民族教育に関する歴史を振り返って見ると、日本国家は一貫して、朝鮮人独自的に運営する教育機関を抑圧し、朝鮮人の子どもたちを日本の学校に通う様にする同化政策を主たる方針として来たと言う事ができる。
日帝植民地時代、在日朝鮮人は大阪、愛知、兵庫、京都などの地で、1920年代中盤頃から、朝鮮語教育を主目的とする教育機関を設立したが、1930年代中盤までに強制的に廃校されて、子どもたちは日本の学校への就学を強要された。
解放後、在日朝鮮人達があちこちに民族学校を設立するや、これを警戒した日本政府は、1948年1月24日、文部省学校教育局長の名義で通達を出した。“朝鮮人の子弟であっても、学齢に該当する者は、日本人同様市町村立、又は私立の小学校や、中学校に就学させなければならない”という方針を示し、これに従わない朝鮮人学校には閉鎖命令を下した。この弾圧に抗議し、起こったのが、有名な‘阪神教育闘争’(1948年4月)だ。
その後1950年代末から60年代にかけて、日本の地方自治体では、税制上の優待措置などが認められる‘各種学校’として、朝鮮学校を認可する動きが拡散された。しかし韓日国交正常化(1965年6月)を契機に、日本政府はこうした動きに制動をかけ、1965年12月28日、文部事務次官名義で、‘朝鮮人学校’を各種学校として認可しないことを地方自治体に通達した。在日朝鮮人学生は、日本の学校に就学させるのが原則なのだから、朝鮮学校に通いやすい条件をつくるのは駄目だというわけである。この頃、自民党のある調査委員会の報告書(1965年5月)には、在日朝鮮人学生は“積極的にわが国の学校教育の中に入れて”“できるだけ日本人と同様に取り扱うよう考慮し、些細な差別により偏狭な排日的民族教育に走らせないようにする配慮が必要である”と述べている(自民党政調文教調査会「外人教育小委員会中間報告(案)」)。在日朝鮮人の子どもたちを積極的に日本の学校教育の中に入れ、同化しなければならないと主張しているのだ。
最近では、大阪府の補助金問題と関連して、橋下徹前大阪府知事(現大阪市長)が、2010年3月、朝鮮学校が北朝鮮と関係があれば、“僕は子どもたちを取り戻し、ちゃんと正常な学校で学ばせるようにする”(『朝日新聞』2010年3月10日夕刊)、「朝鮮学校に通う子ども達の学習権を侵害する考えはない。府立高校でも私立高校でも、[在日朝鮮人を]確実に受け入れるだろう”(『47NWES』2010年3月10日)と述べたことがある。日本の学校教育のほうが、朝鮮学校より「正常」なのだから、朝鮮学校の“子どもたちを取り戻し”日本の学校で学ばせる様にするという傲慢な暴言に他ならない。
朝鮮学校と日本の学校の教育内容が、全く違うにも拘わらず、在日朝鮮人の子どもたちを日本の学校に通わせるというのは、子どもたちの民族教育を受ける権利を奪う行為、言い換えれば橋下前知事の言う「学習権を侵害する」行為と何等違いがない。
朝鮮語の習得や、民族の文化・歴史に関する素養を身につける機会が保障されない状態で成人すれば、民族的アイデンティティの形成が困難となる他はなく、これは、日本人化=同化を誘導する役割をすることとなる。日本国家が在日朝鮮人を日本の学校へ通う様にして来たのは、まさに、このような結果を狙ったからであろう。だから、同化を拒む制度としての朝鮮学校を敵対視し、差別と排除と抑圧する政策を繰り返して来たのだ。これこそが、植民地主義の発想に他ならない。
▲中大阪朝鮮初級学校では、民族教育の歴史資料室が開設されている。父親達が関わって、手ずから制作したと言う(写真 藤永 壮)
下村発言の本質
一方、下村文部科学省長官(大臣)は、在日朝鮮人の大多数が“各自の選択によって”、“普通の日本の学校”すなわち、一条校に通っているから、民族差別に該当しないと抗弁した。
しかし、果たして在日朝鮮人の大多数が、本当に“それぞれの選択によって”「一条校」に通っていると言えるのだろうか。元来、一条校とはどのような学校なのだろうか。
一条校、とくに初・中等教育を担う小学校、中学校、高等学校には、法律上、その教育課程を文部科学大臣が定め、使用する教科書も、文部科学大臣の検定を通過する様になっている。当然のことだが、大多数の小・中・高等学校の教育は、ほとんど、すべてが日本語で行われ、‘日本国民’の育成を、最優先目的で実施されていると言ってよい。
現在、日本に韓国系の民族学校として、一条校に指定された私立学校は3校がある。それ以外に、大阪など在日朝鮮人の多い地域の公立小・中学校では、課外活動として週1回程度、‘民族学級’を運営している場合もある。いずれも貴重な民族教育の場であることは疑いないが、このような学校は日本全体で見ればごく少数であり、また一条校としての教育を優先しなければならない状況のもとでは、民族教育の実施はそれだけ大きな制約を受けることとなる。
そうであるから、朝鮮学校は一条校になることを拒み、民族教育の実践を主眼とする独自の教育課程のもとで、独自の教科書を編纂し、使用し、「日本語」以外の教科は、すべて朝鮮語を使用するなどの教育体制を整えているのである。このような点で、朝鮮学校の民族教育は、一条校で行われる民族教育とは、大きく異なると言う点を看過してはならない。
そうであるが、一条校という制約の中でも、民族教育を受ける機会がある子どもたちは、日本の現在の状況から見れば、相対的に恵沢を受けている側と言えるだろう。実際に、一条校に通う在日朝鮮人学生の圧倒的多数には、民族教育の機会が全く与えられていない為だ。
在日朝鮮人の父兄たちが、子どもを日本の学校へ送る主たる理由は、公立の小・中・高等学校ならば学費を出す必要がなく、また家から近い学校へ通学出来る為だ。現在、日本全国の朝鮮初・中・高級学校は全部合わせても70校に満たず、朝鮮学校が1校もない県も東北・九州・四国地方などを中心に多く存在する。
これを、日本全国に21,166校ある公立小学校(2012年度)と比較すれば、朝鮮学校の学生たちが通学面で大きな負担がある事は明白である。また経済的負担を見れば、たとえば、‘無償化’制度がはじまる前年の2009年度、大阪市の公立小学校児童一人当たりの公的補助額(公財政支出教育費)は905,251円なのに対し、朝鮮初級学校児童に対する公的補助額(大阪府・市補助金の合計額)は、一人当たり 約93,300円であった。即ち、朝鮮初級学校児童に対する公的補助は、公立小学校に通った場合に比べて、十分の一ほどに過ぎず、そしてこのように僅かに支給されてきた補助金さえ、2011年度には完全に停止してしまったのである。
無論、日本社会に定着して行く状況で、民族教育に関心がなかったり、或いはむしろ積極的に、日本の学校を選択する在日朝鮮人も少なくないだろう。これに対し、日本人である筆者が何かを述べる立場にはない。
しかし重要な事は、民族教育を受ける事を願う在日朝鮮人に対しては、その機会が十分保障されなければ駄目だということである。前に言及した様に、現在の日本において民族教育を受けるためには“普通の日本の学校”に通うこととは、次元の違う大きな困難がともなうのだ。下村文部科学大臣の言うように、在日朝鮮人が“各自の選択によって”一条校に通うなどとは、とうてい言う事が出来ない。否、先に見たように、日本国家は一貫して、同化政策の下で、在日朝鮮人の子どもたちを、一条校へ通う様に画策してきたのである。
今回、‘高校無償化’政策で、日本政府は、他の民族教育機関はすべて、適用対象としながら、唯一朝鮮学校だけをその対象から除外し、露骨的に分断を図ってきた。“分割し統治せよ”という狡猾な植民地主義者の常套的手段を想起せざるを得ない。その様にして置いて、下村大臣は、朝鮮学校に対する‘無償化’適用の条件として“1条校化すれば解決する話”だと、同化教育政策への服従を要求している。
しかし標的は朝鮮学校だけではない。たとえば近年、大阪では一条校に指定された韓国系民族学校に対して、日章旗を掲揚せよと言う圧力が徐々に強くなっていると言う。下村大臣の発言は、日本政府が在日朝鮮人全体に対して、民族教育の権利を保障する意志のないことを、改めて表明したものとみなければならない。
民族教育を通して、民族的アイデンティティを形成する事を、他の外国人は認めても、在日朝鮮人に対してだけは認めない。(台湾系の民族学校は、日本と国交がないにも拘わらず‘高校無償化’制度が適用されている。)これこそまさに民族差別でなくて何であるのか。
朝鮮学校への差別を正当化する論理は、植民地主義に基づく在日朝鮮人に対する差別意識の産物である。
(訳 柴野貞夫 2013年7月26日)
<参考サイト>
●藤永 壮教授の他の論考・記事
★393 ジュネーブに飛んだオモニたちの鶴(韓国・PRESSIAN 2013年5月17日付)
★373 在日朝鮮人の人権を無視した安倍新政権(韓国・PRESSIAN 2013年1月9日付)
★369 朝鮮学校差別は国際社会の笑い草(韓国・統一ニュース 2012年12月30日付)
★365 ホン・ギルドン、大阪府・大阪市を訴える(韓国PRESSIAN 2012年12月2日付)
●時事研記事
☆論考/安倍政権の朝鮮学校無償化の根拠法令削除に抗議する(2013年1月23日)
☆203 国連人種差別撤廃委員会の勧告“朝鮮学校など、差別するな” (韓国・ヨンハップニュース 2010年3月17日付)
☆202 チョウセンジン’には、教育費の支援が勿体ないのか (韓国・ハンギョレ 2010年3月12日付)
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