(韓国・社会主義政治組織-タハムケ・機関紙レフト 2013年11月9日付)http://www.left21.com/article/13791
冷戦解体以後の、米国の対日本戦略
−米帝国主義の、新たな<東アジア戦略>としての日米安保再定義−
1945年以来、米国は日本を、自からの同盟国として掴まえて置くのが東アジアで自身のヘゲモニーを維持するのに非常に重要だと考えた。万一、日本が米国の潜在的ライバルと手を取り合ったなら、米国のヘゲモニーに脅威となるのだ。
しかし、冷戦解体の頃、米国は日本を疑うように眺めていた。最近、米国支配者達が、中国が米国に追いつくのかどうかに対し心配する様に、1980年代末と1990年代初には、日本がそうなるのかが心配事だった。
冷戦時代の間、米国の翼の下にあって跳ねていた主要同盟国が、ソ連と言う共同の敵が消えても、米国に脊を向けないかどうか確信する事が出来なかったのだ。
この時、日米同盟はうわべと異なり、貿易、対外政策、米軍基地などの諸問題を巡ってきしんでいた。その上、1993年日本自民党の長期執権体制が崩壊する様になって、非自民党連立政権が出来た点も米国に不安感を抱かせた。
米国の‘ナイ構想(Nye Initiative)’は、即ち、こんな状況で出て来た。‘ナイ構想’は、1994年にクリントン行政府・国防次官補に任命されたジョセフ・ナイ(Joseph Samuel Nye)が行った‘日・米安保―再定義’に根拠した冷戦以後の米国の、東アジア戦略方案だ。‘ナイ構想’は、1995年米国国防部が提出した‘東アジア戦略報告書’(別名‘ナイリポート’)に、良く反映されている。
この報告書の核心結論は、一言で、米国が東アジアで10万の兵力を維持する事で、“世界的危機に対応し、地域覇権国家の出現を抑制しなければならない”と言うものだった。この為に日・米両国は、同盟を強化し、その中で日本の役割を拡大し、これを‘地域、また国際的な安全保障促進の基本メカニズム’にしなければならないと言うものだ。ナイ自ら認めたように、こんな構想は、一方で中国の浮上に備える為のものだった。
しかし、他方ではその構想は、‘日本が米国に不満を感じない様に’する為のものでもあった。ナイは、“日本が成長し、[米国に]依存的な関係に満足しない”ので、“日本のナショナリズムを、相互依存的な方向に誘導するのが得策[良い策略]”だと指摘した。
即ち、米・日同盟の中で日本の積極的役割を奨励する事で、中国を牽制すると同時に、日本を「統制」しようと、したのである。そこで、‘日・米安保―再定義’は“冷戦後にも、日本が米国の手のひらにあると言う事”だと言う言葉も出て来た。(マレーシア戦略国際問題研究所所長 ノルデイン・ソピー)
●台湾海峡危機
1996年の台湾総統選挙を背景として、‘台湾独立’の声が大きくなるや、中国が台湾海峡にミサイル3発を発射した事件、ついに米国は二つの空母戦団を台湾海峡に派遣し、緊張が高まった。
●日・米防衛協力指針(ガイドライン)
ガイドラインは、1978年に初めて作られたもので、有事における米軍と自衛隊の行動指針を盛っている。1978年作ったものを、‘旧ガイドライン’、1997年に改定されたものを‘新ガイドライン’と呼ぶ。
1994年の韓半島危機と1996年の台湾海峡危機は、この方向に力を与える環境を作りあげた。
当時、日本の景気沈滞が持続され、対照的に米国経済は注目に値する回復を遂げながら、‘日本の脅威’に対する米国内の憂慮も穏やかになった。そこで米国内から、日本との‘同盟強化’に神経を使わなければならないと言う声が力を得、日本の中からも、米国一辺倒の対外政策から抜け出そうと言う主張が後退した。そして中国の潜在的‘脅威’に対し、2か国が共同の認識をする事となる。
1996年、‘21世紀日米共同安保宣言’と、1997年‘日米防衛協力指針改定(新ガイドライン)’は、こんな認識の産物だと言う事が出来る。そして、それは日米同盟の明らかな転換点だった。
●新ガイドライン−周辺事態(極東アジア)に対する日米軍事一体関係の構築
新ガイドラインが、特に‘周辺事態’に中心を置いた事は、前(旧ガイドライン)と著しく違う、核心的特徴だった。旧ガイドラインが、ソ連からの‘日本防衛’が中心だったとすれば、新ガイドラインは、‘周辺事態’時、米国と日本の協力に中心を置いているのだ。日本は、‘周辺事態’が発生すれば日本が、米国を‘後方地域’で支援すると約束した。
冷戦期に日本は、米国に基地を提供し、費用を出してやる事に極限された‘受動的’役割にとどまったとすれば、今は、更に踏み出して、自衛隊が日本の外で米軍を助け、活動する事が出来る様に、したのである。
●専守防衛原則の否定−事実上の‘集団的自衛権行使’を狙った、新ガイドライン
日本が、他国から攻撃を受けた場合にだけ、防衛力を行使することが出来る様にする原則。‘ひたすら、防衛だけする’と言う意味だ。
当時日本政府は、必死で、それが集団的自衛権の行使に該当しないと言った。しかし、事実上それは集団的自衛権の行使を一部制度化したものであったし、その間、日本が維持して来た専守防衛の原則に背くものであった。
その上、新ガイドラインは、‘周辺事態’を、‘日本の平和と安全に影響を及ぼす事態’として、‘地理的なものでなく、事態の性質に着眼したもの’だと定義した。日・米軍隊が極東を越え、その外の地域でも協力する事が出来る様に、開けて置いたのだ。
無論、当時米国と日本が、最も念頭に置いたものは、韓半島と台湾で広がる‘有時事態’だった。当時或る防衛庁幹部は、“日本周辺の危機で日本の役割が最も大きいと強調されるのは、韓半島危機”だと語った。既にこの時から、米国は、韓半島有事時に日本が、自身(米国)の軍事介入を支援してもらう事を願ったのだ。
この頃、米国は日本を、MD(ミサイル防衛)体制にも引き入れた。1998年、北韓のテポドン・ミサイル発射が良い名分を提供した。米国と日本は、北韓のミサイルを口実としたが、MDは、明白に中国を牽制する為のものだった。両国は、最初には共同研究で始めたが、直ぐ、共同開発へ進んで、2000年代に入って実戦配置も始めた。
●‘テロとの戦争’−「アーミテイジ・ナイ報告書」は、自衛隊の戦闘地域への介入を要求する
ブッシュ政府下で、日米同盟は質的に一段階更に発展した。2000年‘アーミテイジ・ナイ報告書’は、“1997年の新ガイドラインは、上限線(ceiling)でなく、下限線(floor)にならなければならない”と注文した。新ガイドラインに盛られた内容は、最小水準と言う事だ。(アーミテイジは、ブッシュ政府で国務部副長官を務めた。)
1997年の新ガイドラインは、明らかに破格的だったが、‘充分’ではなかった。相変わらず自衛隊は、戦闘や戦闘地域に介入してはいけないと言う規則の下にだけ、作戦に参加する事が出来たからだ。米国の次の目標は、こんな制限を取り除く事だった。
“日米同盟を米英同盟の水準に格上げさせ、日本を‘アジアの英国’に”することが米国の目標だった。それは具体的に、‘日米同盟間の役割分担’と‘統合’を意味した。(チョン・ウンシク平和ネットワーク代表の見解)える
ブッシュ政府下で、この計画は驚く様な多くの進展を見た。9.11テロは、この趨勢を加速させる重要な契機だった。ブッシュ政府は、日米同盟が‘テロ’と大量殺傷武器の様な‘全地球的挑戦’に立ち向かって、‘全地球的同盟’とならなければならないと強調した。
平和憲法の束縛から抜け出ようと必死の努力をした日本総理、小泉は、ブッシュの‘ラブコール’に積極応答した。2001年、日本は米国のアフガニスタン戦争を手助けし様と、インド洋にイージス艦を派遣した。引き続き2004年には、遂に陸・海・空を網羅した自衛隊をイラクに派兵した。60年ぶりに、初めて日本軍隊が戦争に参加したのだ。
●「駐日米軍再配置計画」は、日本と米国を、軍事的に一体化した
2005年、日本は、駐日米軍再配置のための費用を相当部分(総額3兆円)負担する事にした。駐日米軍再配置は、9.11以後、米国が‘多様な形態の不特定安保脅威’に、敏速で柔軟に介入する為に推進した‘海外駐屯米軍再配置計画’(GPR)に依るものだ。
駐日米軍再配置計画は、米国と日本が軍事的に‘一体化’する内容も包含していた。‘施設とサービスの相互利用’と、‘合同作戦体制’が、核心のキーワードだった。
例を挙げれば、米第5空軍司令部と日本航空自衛隊司令部を併合し、米陸軍第1軍団司令部と日本陸上自衛隊が施設を共有する事にした。
日本は、2004年から、PAC−3(パトリオット ミサイル)と、SM−3(スタンダード ミサイル)などのMD体制を実戦配備した。また、米国とのMD協力を円滑にしようと(日本国内で生産したMD関連部品を、米国に輸出する為)武器輸出禁止措置を緩和した。
●平和憲法の改定を要求する米国
米国は、この様な計画を円滑に推進する為に、日本に対し、平和憲法の改定も要求した。集団的自衛権を認めない日本の平和憲法を改定しなくては、日本を‘アジアの英国’にし様と言う計画に、限界がある為だ。例えば、イラクでさえ、自衛隊は依然として軍事作戦を繰り広げる事はできなかったのであり、医療など‘人道主義的’役割を遂行する時も、英国と豪州の軍隊の保護を受けなければならなかった。
アーミテイジは、“平和憲法9条を改定する苦労をする事よりは、憲法に対する公式解釈を変える方がもっと簡単だ”と言う助言も、いとわなかった。こんな趨勢は、オバマ政府になっても持続されている。
しかし、2009年に日本で‘脱米入亜’を掲げる民主党・鳩山内閣が出帆し、日米同盟は暫時きしみが出た。中国が2008年を起点に、日本の最大貿易相手国なるや、同盟国である米国依存から抜け出て、中国を重視しなければならないと言う声が出たのだ。
だが、米国は2010年、チョナン艦事態を契機に、同盟を再び引き締めた。何よりもこの時、普天間米軍基地を沖縄県‘内’に移転する事にした合意が、極めて重要な成果だ。
●瓶の栓−日本は、平和憲法で象徴される戦争犯罪のくびきから抜け出るのに、米国の要求を積極的に活用している。
▲二つの帝国主義国家の危険な握手。今年2月、日米首脳会談で会った、オバマと安倍(写真出処―日本首相官邸)
安倍政府下で、日米同盟は、また一度質的跳躍をする様だ。2008年の経済危機と‘テロとの戦争’の失敗の中で、米国は更に切実に、同盟軍の助けが必要だ。少し前、日米安全保障協議会で、米国が日本の集団的自衛権行使を公開的に支持して出た理由だ。
この協議会での合意点として、米国は日本に駐日米軍再配置費用を負担させ、各種先端武器を日本に受け入れさせる事とした。
上記から見渡せるように、1990年代中盤以降から今までの、明かな趨勢は、日米同盟の強化だった。米国は日本の力を伸ばし、この地域の安保負担を(日米で)分担し、これを通して中国を牽制しようとする。無論目的は、米国の覇権維持の為である。
日本がこれに答えるのは、日本が米国の‘従属国家’だからではない。日本は、中国と経済的交流を増大させながらも、中国の経済的・軍事的浮上(台頭)を誰よりも気にしている。中国の浮上(台頭)が、経済大国として日本が過去時期に、東アジアで享受して来た立場を揺り動かしている為だ。
特に、去る2008年以後、経済危機を背景として、2010年に中国は日本を抜き、世界第2位の経済大国の地位に上がり、これは日本の支配者達に、とてつもない屈辱と衝撃を抱かせた。最近、日本名−先閣諸島などを巡って日中間の緊張と葛藤が高まる背景の一部である。
しかし日本は、大変早い速度で軍事力を現代化する中国に単独で立ち向かうには、不足であると感じた。主として戦争犯罪と言う‘遺産’の為だ。
日本は、平和憲法で象徴される戦争犯罪のくびきから抜け出るのに、米国の要求を積極的に活用している。
一時米国は、この地域の米軍の存在が、日本軍国主義が走り出さないようにする“瓶の栓”の役割をすると言った。しかし現実には、米国は瓶を飽和状態にするのに、中心的役割を果たしている。(瓶の栓をはじき飛ばそうとしている)
即ち、この為に日米関係は矛盾している。つまり、米国は日本の軍事大国化をけしかけると同時に、日本が米国の翼から抜け出さずに、下位パートナーの地位に満足する事を願う。しかし、どうかすれば、日本の右翼は今後も、米国の翼の下に留まる事に満足しないこともある。
特に、日本の核武装シナリオは、米国には国論を分裂させる憂慮事項だ。しかし最近、マサチューセッツ工科大(MIT)国際研究センター所長 リチャード・サミュオルスは、或る報告書で、日本が北韓と中国の脅威を禍として、核開発に出る可能性があると見通した。
無論、日本の多数の民衆は、日本が再び戦争犯罪を犯しては駄目だと考え、日本の軍事大国化を歓迎するはずがない。我々は、日本で、日本帝国主義と資本主義に反対する真の左派が誕生する事を願わなければならない。
(訳 柴野貞夫 2013年11月16日)
<参考サイト>
☆日本国憲法の理念こそ、平和の構築である(2)
☆9条1項・2項の破棄は、日本の軍事大国化と、働く民衆の諸権利を抑圧体制を作ることにある(1)
|