(韓国民衆言論 統一ニュース オピニオン・コラム 2013年12月18日)http://www.tongilnews.com/news/articleView.html?idxno=105381
11月に行って来たピョンヤンは、晩秋の美しさと市民達の活気で新鮮でした
▲写真― キム・イギョン(同胞一つ運動本部事務総長)
チャン・ソンテク事件以後、国中がざわついている。
あらゆる言論と放送が、この事件を競って報道し、市民達の耳目を集中させ、南北関係の回復を願った多くの人々は衝撃から抜け出る事が出来ないまま、何か、言う言葉を失っている。事件の本質に対する慎重な評価よりは、即決裁判と公開処刑の場面だけが脳裏に刻まれ、‘北韓が、最小限の過程手続きもなく、狂った様な権力闘争に狂奔する社会の様だ’、‘あの様な北韓と、何か話しあう事が出来る様でもない’と言う懐疑論が拡散されている。そこで、南北対話を見送った人々は息さえ出来ず、或いはまた、そんな北韓との和解と協力を云々すれば、‘従北’として追い詰められないか心配し、<平和統一関連NGO>などは、早くこの竜巻がやむ事を気遣う、そんな世の中となった。
11月始め、モニタリング訪北の為に4泊5日のあいだ行って見たピョンヤンの姿が、この事件とオーバーラップされ、あれこれ考えが浮かぶ。
3年ぶりに、再び行って見たこのピョンヤンは、とても快活で、建設の熱気に包まれたまま、希望に溢れていた。
街にはタクシーが並び、女性達の装いは華麗だった。暗くじめじめしたコンクリートの建物は、透明な仕上げで、リ・モデリング(改装)され、外見が洗練された建物が沢山あった。
然し、もっと新鮮に感じられたのは、単に経済建設のブームだけではなかった。
‘人民大衆第一主義’と言う単語は、ピョンヤンで最も多く、広く知られる単語だ。キム・ジョンウン第一委員長が好んでしている現地指導の方式が、以前の‘儀典中心主義’を克服し、もっと人民と疎通し、人民の立場から新たに考えて見ると言う過程だと言う。前触れなく多様な現場を訪問し、官吏達の形式主義を叱咤する発言は、我が(韓国の)言論でも広く知られている。
‘大衆の世論’そして‘民心’を重視すると言うのか?ピョンヤンに吹いている‘北韓なりの’政治改革の方式である様だ。
チャン・ソンテクの粛清と、電光石火の様な処刑執行は、我が社会の国民感情としては理解するのに骨が折れる。我々は、検事と弁護士が同席した裁判で十分な攻防を繰り広げるのが、人の有罪判決確定するための最小限の手続きであり、社会正義実現に必ず必要な最小限の過程だと固く信じ生きてきたのだから・・・殆ど生中継される様だった一連の過程に驚きを禁じ得ず、あの様な北韓と、どんな‘和解協力’を論ずることが出来るのかを、反問したい心情も理解する事が出来る。
しかし今、我々が、この様に恐怖の雰囲気に驚いて実情に気づかない間にも、北韓は、経済発展に拍車を加えているのだ。
国際社会の一員として立場を決め、外資を誘致する事は、最近発表された17地域の特区の事業の為にも、北の経済発展の為にも、要(キーポイント)となる問題である事に他ならない。
そんな点から、最近、北韓の<自分の土地に足を付け、目は世界を見よ>(訳注→この文言は、生前キム・ジョンイル総書記が示したものである)と言う中心スローガンは、国際社会の規範とルールを尊重し、それに合わして柔軟になり、合理的に変化させようと言う努力も継続しなければならないと言う意思を見せていると考える。
北韓内部の反乱の企てを、どの様に処理するのか、またそんな処理過程が正しいのか悪いのかの問題は、(北韓の)住民達が判断する役割だ。我が社会とルールが異なるのであって、この様に、全国の凡ゆる言論が、今の我々の社会の懸案を後ろに置いたまま、チャン・ソンテク騒動に合流するのはあまり適切でないだけでなく、ぎっしりと凍りついた南北関係に更に深く溝を掘るものとして、韓半島を取り巻く新たな冷戦秩序を固着化させてしまう契機となるかも知れず心配だ。
今まで、政府次元の対話と別個に、南北民間交流と人道次元の正常化を主張して来た。どんな難しい中でも人道支援を中断せずに、民間交流を一つでも成し遂げる事! それが過去5年間の対北NGO達の一層〈ひとしお〉の努力だった。
しかし、行けば行くほど、これは便法だと言う考え、我が政府の対北政策の転換と、政府次元の南北対話再開の努力なしに、民間次元の交流努力と人道支援の努力は、それはやはり、ばらばらとなり折れ曲がる他はない努力である様だ。
(訳 柴野貞夫 2013年12月27日)
<キム・イギョンの他の役職>
前統一連帯事務部長
前統一連帯自主交流委員長
前民主主義民族統一全国連合・民主民権委員長
前民主主義民族統一全国連合・統一委員長
我が同胞一つになる運動本部事務総長
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