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(韓国民衆言論 プレシアン 国際記事 <書評> 1128日)
http://www.pressian.com/news/article.html?no=122020



    
<隠蔽されて来た、欧米に依る非欧米に対するテロリズムの実態>を暴く 

     (戦後から今日までに)5000万の人々を殺して大口をたたく欧米、
      そのずうずうしさの秘訣 (その1)

 

                
                ―ノーム・チョムスキー、アンドレー・ブルチェク対談集―

<書評>
原題名 「On Western Terrorism: From Hiroshima to Drone Warfare
(西洋
のテロリズム:ヒロシマからドローン戦争まで)」英国・Pluto Press 刊 
朝鮮語訳・題名 「隠密な、しかし残酷な」

 

 

 

パク・イング=プレシアン編集人

 

“第2次世界大戦が終って以来、5000万〜5500万名が、(新)植民地主義によって命を失った。人類の歴史上、最も多い虐殺だった。その大部分は、自由、民主主義の様な高邁なスローガンの下で勝手気ままに行われた。
数少ない欧州系の国家(米国と西ヨーロッパ)が、自分達の利益の為に犯したことだ。しかし欧米民衆の大多数は、鳥肌が立つくらいに、この様な事実を正しく理解していない。世上が狂って仕舞ったのだろうか?“
“失踪者5000万と言う膨大な犯罪を犯しても、西側は処罰を受けなかったし、今も自分達が一種の道徳的権限を持っていると確信している。さらには、自分達の組織とメデイアと価値観を通して、思うままにする権利を持っていると言う確信を、全ての世間に植えつけている。欧米人達は、どうしてこの様に驚くべき成果を収める事に成ったのか?”
チェコ系米国人として、中南米とアフリカ、中東、東南アジア等、世界至る所を訪ね回り、西側の圧制、また搾取と、これに抵抗する民衆の闘争の実像をドキュメンタリー映画とルポ記事などで伝えている独立言論人、アンドレー・ブルチェク(Andre Vltchek)の問いかけだ。
<ノクセピョンロン(緑の評論)>の、キム・ジョンチョル発行人の紹介で知る事と成った<チョムスキー、隠密な、しかし残酷な>(ペガブックス・20149月発行)は、‘世界の良心’と呼ばれているノーオム・チョムスキー(86)とアンドレー・ブルチェクが、二日間わたって交した対話をたばねた著だ。
2013年、英国の<Pluto Press>から出刊されたこの著の原題は―西洋のテロリズムについて:ヒロシマからドローン戦争まで(On Western Terrorism: From Hiroshima to Drone Warfare)だ。
2001年、ブッシュが始めた‘テロリズムとの戦争’は偽物であり、真に問題となるのは、コロンブスのアメリカ大陸‘発見’以後、特に米国が世界の覇権を占有した第二次世界大戦以後にも、相変わらず継続されている欧米の、非欧米に対するテロと言う意味だ。上記のブルチェクの問いかけは、この著の全体を貫く問題意識だと言うことが出来る。
全てで、9章からなるこの著は、大きく三つの内容に分ける事が出来る。13章は、米国など西側によるテロの実情と、その実情が何故西欧の民衆に隠蔽されたのか、さらにはテロ勢力である西側が、どのようにして、‘解放者として世界が手本にしなければならない模範’に化けたのかを暴く。48章は、旧ソ連と東ヨーロッパ、中国とインド、ラテンアメリカ、中東、アフリカと東南アジアなど各地域で繰り広げられている西側のテロとこれに対する抵抗の動きを探る。最後に9章では、米国の勢力の衰退と今後の世界を展望する。


アンドレー・ブルチェク(Andre Vltchek)は誰?

この著を読みながら、まず目に浮かんだのは、アンドレー・ブルチェクの独特な履歴だった。彼は1963年、ソ連・レニングラード(現サントペテルスブルグ)で、チェコ人の父親と中国系ロシア人の母親との間で生まれ、20代前半までチェコで暮らした。
ソ連政府の官吏だった彼の祖父は、スターリンの粛清当時に処刑され、チェコの核物理学者だった父親は、1968年の‘プラハの春’の時、ソ連の武力鎮圧に失望し共産党を脱党した。彼は22才だった1985年、米国・ニューヨークに移住しコロンビア大学映画学科で映画を専攻した後、全世界の紛争地域の実情を報告するドキュメンタリー映画の製作者兼作家として活動している。
作品としては、インドネシア最高の作家として尊敬されているプラムデイア・アナンタ・トゥルーとの対談集<作家の亡命>(2011年、ヒマニタスから翻訳出版)を初めとして、エッセイ集<西欧のテロ:ポトシからバグダットまで>(訳注―ポトシは、ボリビアの4000mの高地にある都市で、銀鉱山の町)そして、米国の背後操作に依るインドネシア・スカルノ政権の転覆と、引き続くスハルト政権の残酷像を告発したドキュメンタリー<死に横たわる:民族の破壊>、西側のそそのかしに依る、ルワンダとウガンダのコンゴ民主共和国内戦介入の実情を暴いたドキュメンタリー<ルワンダの策略>などがある。
彼の祖父と父親の行績から見える様に、ブルチェクは、旧ソ連体制の非民主制に対する批判意識を持ちながらも、同時に、ソ連共産主義の肯定的側面を積極評価している。
例えば、アジア、アフリカなど第3世界の民族解放運動に対する支援で、数多い国々の解放を可能としたのはソ連の肯定的遺産だと言うことだ。さらに、“ソ連は、(東欧の)自分のところの‘植民国家’より、むしろもっと貧しかった、人類の歴史上、最初の‘帝国’”だった。
政治的抑圧をしたものの、経済的にはこれらの国家を支援したからである。米国など、西側の経済的搾取と対比される場面だ。ブルチェクは、ベトナムのハノイで会ったアフガニスタン出身の教育者と交わした対話を、以下の様に伝えている。“(1970年代後半)ソ連が支援していた時のアフガニスタンはどうでしたか?”“あ・・、我が国が希望を秘めた(持った)時が有ったとすれば、即ちその時だけでした。女性達も男性達の様に、教師として働く事が出来たし、男性と同一の権利を享受したし、その上、国が、国民の為に発展していた時は、ソ連が入って来た時だけでした。”“しかしそれは、我々が本を読んで知っている事と違いますね!”“もちろん、あなたが、そんな内容を読む訳ないでしょうね(・・・)”(128頁)
著作を読みながら、私は、パク・ノジャ(朴露子→訳注―大韓民国で活動するソ連出身の教育的な・ジャーナリスト・社会活動家であり歴史学者、反ファシズムを代表する知識人である。)を思い出した。ソ連で生まれ育ったウラジミール・チホノフが、韓国の大学に留学に来て、新自由主義に染まって封建的残滓(ざんし)を清算出来ない韓国の矛盾を鋭く批判した様に、共産チェコで育ったブルチェクは、自身の体験を基礎に西側の欺瞞と偽善を告発しているのではないのかと言う気がした。
ブルチェクは、スターリン主義を偉大な価値体系と言う事は出来ないが、ソ連の理念には西欧の植民主義と帝国主義に、断固として対決する思想、即ち世上を肯定的な変化に導いた思想があったと言う。さらに、ソ連時代に犯した大量虐殺を理由に、共産主義を徹底して拒否しなければならないのなら、同じ理由で西欧式民主主義も拒否しなければならないと指摘する。
“英国、ベルギー、オランダ、ドイツ、フランス、そして他の西ヨーロッパ諸国家が、アフリカ、アジア、中東とその他の地域で殺戮した人々の数字は、同時代ソ連で殺戮された人々と、比較さえ出来ない程度に多いから”と言うのだ。
ブルチェクは、この著の序文で“世界の全域で数多い人間の苦痛を惹起する諸事件の大多数は、貪欲の結果、そしてこれは全的に、旧大陸、そして旧大陸から新大陸に渡って来た子孫達が犯した振る舞いだ。(・・・)あらゆる悲劇の殆ど全部が、西欧の地政学的或いは経済的利害関係によって触発されたのであり、操縦されている。(・・・)我々は普通これを、植民主義、新植民主義、帝国主義、或いは企業の貪欲などと呼んでいる。
重要な事は、所謂(いわゆる)西側の非西側に対する搾取と圧制が、今現在も継続されていると言う事”だと指摘する。ひいては、チョムスキーは、知識人の社会運動家の戦線で、自身は、コンゴ、ルワンダ、ウガンダ、エジプト、パレスチナ、インドネシア、東テイモール、オセアニアなど、西側の犯罪の現場で証拠収集の為に奮闘しており、二人は、“誰も自分の運命を自ら決定する権利と、世界市民全ての真実の自由の為に、そして植民主義とファシズムに対抗して戦っている”と語る。

人間と非人間、そして巧みな(西側の)プロパガンダ

それなら、西側はどのようにして第2次世界大戦以後、5000万名以上の非西欧圏人民を死に追いやりながらも、世界の解放者、指導者として振舞う事が出来るのか?回答は二つだ。ヨーロッパの根深い人種主義と、西側の巧みなプロパガンダがそれだ。
1984年>の作家、ジョージ・オーウェルは、‘非人間と言う意味の‘unpeople’と言う言葉を使ったが、チョムスキーによればヨーロッパ系の人々は、自分達を‘人間(people)’とし、その他の人々は、死んでも、傷ついても、経済的搾取を受けて何の問題も無い‘非人間(unpeople)’として考えていると言う事だ。この様な人種主義は、コロンブスの新大陸‘発見’以後、500年越えて続いて来た西側の悠久な伝統だ。
17世紀初め、オランダ植民主義の創始者の一人であるヤン・ピータールスジョンクンは、“ヨーロッパでは、誰であろうと自分所有の家畜を、思う通りにしても構わないのではないか?”東インド(今のインドネシア)の持ち主と、彼が所有した人々の場合も同じだ。何故なら、オランダの家畜らと一緒で、彼等はまた主人の財産だからだ“と言うのであるが、こんな考えは、現在でも大きく変わらなかったと言うことだ。
他の一つは、過去1世紀の間、巧みに整えられた西側のプロパガンダだ。チョムスキーは、“政治的で経済的な植民化だけでなく、知的で道徳的な植民化もある。階級社会と抑圧が築いた主たる成果は、‘非人間’をして、それを自然に受け入れるようにした事”だと指摘する。非西側(非欧米)の‘非人間’達に対する過酷な搾取にも拘わらず、彼らが西側の理念と体制に従わなければならないと、受け入れる様にした事が、即ち西側の巧みなプロパガンダと言うことだ。

一方ソ連は、全世界的に数多い国々の解放を可能にしたにも拘わらず、こんな事実を大衆の無意識の中に、一度も刻印させ得なかった。
中国は、過去数十年の間に物凄い成果を収めたにも拘わらず、欧米を相手にした理念戦争で敗北している。ブルチェクは、“ロシアのプロパガンダがどれ程の状況だったのか、中国のプロパガンダもまた、どれくらい駄目だったのか、本当に信じられない程度”だと慨嘆しながら、“共産主義の公式宣伝や、中国の公式宣伝システムは、あまりに虚弱で自国を守ることさえ骨が折れる”と指摘する。
ブルチェクは、“例を挙げれば、ヴェトナム戦や、ニカラグアのコントラ反軍に対する東ヨーロッパ言論の正しい(正式な)報道さえ、プラハ、ブタペスト、甚だしくはモスクワの一部サークルでは、信じようとしなかった。米国に渡ったとき、私は、私が欧米のプロパガンダによって、どれくらい誤導されているか悟って、事実衝撃が大きかった”とぶちまけた。ソ連と東ヨーロッパの知識人らは、自国の官営言論を徹底して信じない一方、BBCなど、西側言論に耳を傾けたし、西側言論が伝える‘ニュース’を、全て真実として受け入れたと言うのだ。
彼は続けて、“私は東ヨーロッパで育った人間として、国民が政府の公式的な解明を全く信頼しないと言う事をよく知っている。世の中に対する人々の覚醒、そして自身の国で、繰り広げられる事に対する人々の認識が至極高かったと言う事だ。(・・・)米国人達、或いは西欧の国民達よりは、東ヨーロッパの人々がむしろ、自分達が抱いている諸問題を、もっと良く知っており、自分の体制に対しても、遥かにもっと批判的だと言う事を知ることと成りました。世界6大州で住んで見た私としては、事実、西洋人こそ、地球上で最も西側言論の洗脳を多く受けており、情報が不足して、批判意識が無い人々だと信じる”と言う。
さらには、“西洋人達の世界には、たった一つの‘極’以外に無い。彼等は互いに、異なる考え、他の理想、異なる理念を比較する事も無い。彼らは、市場根本主義(市場原理主義)と呼ぶことが出来るし、多党議会体制、立憲君主制が動く、ただ一つの体制があるだけ”と批判する。
自分達の理念と体制に対する、西側の人間の盲目的信仰、そして西側が、非西側の民衆に犯した圧制と搾取に対する無知の中で、西側のプロパガンダは、“この世の何処ででも、目的や目標が何であっても、多くの群集を動かして動員することが出来る”と、卓越した能力を発揮する。
西側のプロパガンダの成功の秘訣は、自分の弱点は徹底して隠蔽する一方、(旧ソ連や、中国など、西側の理念と体制に従わない)敵の弱点を大々的且つ集中的で反復的に、浮き立たすのだ。時には、嘘の情報を流すこともする。
例を挙げれば、チョムスキーによれば、19908月クエートを侵攻したイラクは、数百名を殺害した一方で、同じ時期(198912月)パナマに侵攻した米国は、数千名を殺害したものと推定される。米国など西側言論は、イラク・フセイン政権の残酷さを大々的に報道した。甚だしくは、イラク兵士が、人工保育機(incubator)に入っているクエートの赤ん坊達を殺害したと言う根拠無き話をニュースとして報道し、フセイン政権を‘悪魔化’する事もした。(15歳だった駐米クエート大使の娘を、目撃者として押し立てた。)
一方米国のパナマ侵攻に対しては、徹底して沈黙した。当時米国の侵攻で、パナマ第2の都市・コロンが、完全に廃墟になったまま現在まで放置されているが、パナマ侵攻の実情を知ることが出来る情報は、徹底して秘密にされている。イラクの暴力は大々的に報道した反面、米国の暴力は、人々の記憶の中で消してしまったのだ。さらに、米国のグレナダ侵攻(1983)で、殺害された人々が、ソ連のプラハ侵攻(1968年)による犠牲者より膨大な数であるが、前者は殆ど話しに登らない一方、後者は絶える事無く再生産されながら、ソ連体制の残酷さを強調するのに利用されているのだ。
またブルチェクによると、“米国のテレビや新聞が、米国の経済・政治の政策に対し批判的な事よりも、中国のTVや新聞が彼等の経済・政治政策に対し遥かにもっと、批判的”だ。さらには、世界的に公正だと知られている英国のBBCより、中国のCCTVが遥かにもっと公正であり、外部の批判に開かれた姿勢を見せている。(続く)

(訳 柴野貞夫 201412月9日)