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(世界の新聞/「日本が犯した,極悪な拉致犯罪」 労働新聞20181013日付)

http://www.uriminzokkiri.com/index.php?ptype=igisa2&no=1160417&pagenum=1

             
日本が犯した極悪な拉致犯罪
                −歴史の告発は、絶える事なく続くであろう


●日帝が、朝鮮強占(植民地支配)期間に実施した強制連行の方法の中で、最も典型的な方法の一つが拉致だったと言う事は、被害者の証言のみならず、近年に入手された日本政府と企業の公式文書と資料によっても、はっきり立証されている。
●日帝の強制連行(日本軍慰安婦も含め)は、懐柔と欺瞞、逮捕と拉致など、物理的および精神的強制を組み合わせた手法で敢行された
●日帝が、日中戦争挑発後、朝鮮で拉致・誘拐・強制連行し、侵略戦争の戦場と苦役場に、弾丸受けの盾や労働奴隷として追いやった朝鮮人の数は、なんと840余万名である。


日帝(日本)が、日中戦争挑発後、朝鮮で拉致・誘拐・強制連行し、侵略戦争の戦場と苦役場に、弾丸受けの盾や労働奴隷として追いやった朝鮮人の数は、なんと840余万名である。この様な、前代未聞の特大型拉致犯罪として告発すべき、死の苦役場が、日本のあちこちに散らばっていた。日本列島全体が、朝鮮人達の血で染まった苦役場であった。
日本の強制連行は、懐柔と欺瞞、逮捕と拉致など、物理的および精神的強制を組み合わせた手法で敢行された。 神戸製鋼所株式会社本社工場にも数多くの朝鮮の青壮年が、その様に連れてこられ、死の奴隷労働に追いやられた。
これに関して、被害者ホン・チャンジョンは、40人の青壮年たちと一緒に、最初にソンリム(松林)にあった、キョムイポ(兼二浦)製鉄所(当時)に連れて行かれ、約1週間の間に無報酬強制労働を強要されたとし、“その後、日本人は私達を釜山港に連れて行って關釜連絡船に乗せた。 連絡線には、すでに1万人程度の朝鮮人が乗っていた。 下関港に到着するやいなや、私たちを列車に乗せ、神戸製鋼所に連れて行きました”と証言した。
被害者キム・ソンホは、100人余りの青壮年達と一緒に、江原道の陸軍《錬兵所》に強制的に連れて行かれ、約3ヶ月間の軍事訓練を強要された事について糾弾し、“日帝は19443月初めに、その《錬兵所》に来ていた1 000人に達する青壮年を、関釜連絡船に乗せて下関港まで連れて行った。 彼らの中で500名は、九州方面に、残りの500名は関西方面に連れて行き、私を含んで、フチャングン(厚昌郡)(当時)から来た人たちは、神戸製鋼所に移された”と言う。
日帝は、拉致、強制連行した朝鮮青壮年を強制収容所に閉じ込め、奴隷規律を適用し、過酷な労働強度と労働時間を強要した。
被害者ホン・チャンジョンは、“神戸製鋼所に到着した私達を、板で作られた合宿に押し込んだ。・・・私は製鋼所で溶解工として働いたが、熱い炉の前で、一日に1416時間ずつ、働かなければならなかった。日本人達は、少しでも働きが遅かったり、機嫌が合わなかったら、無理やり我々に暴行を加えた。  2年余りの期間、これらの奴隷生活が毎日繰り返された”と言う。
被害者キム・ソンホの証言によると、“日帝の敗亡直前に、自分と一緒に働いていた25名の同僚達が、日本海軍に《徴兵》で連れて行かれ、沖縄戦線で全員が無理死を受けた”と言う。

日帝の反人倫犯罪は、侵略戦争の拡大とともに断末魔的に敢行された。 狂乱的な戦争は、日本の莫大な人的及び物的資源の消耗を招いて、国内の兵力と労働力を枯渇状態に追い込む事となった。 日帝は、朝鮮人に対する無差別的な拉致・強制連行で、その出口を探した。
日本の雑誌「戦争責任研究」第51号によれば、日帝は、1944年一年の間だけでも、2068 284人に達する朝鮮人を「徴用」、「徴兵」で、引っ張って行く悪巧みを企てた。雑誌には、「朝鮮の徴用動員対象にされた17歳から40歳間の男の人口は、3905230人なので、実質的に2人に1人と言う計算になる。  1944年だけでも、17歳から40歳間の労働人口の約50%に達する人々を動員しようとしたものである」と書かれている。
(「戦争責任研究」のサイトは http://space.geocities.jp/japanwarres/center/somokuji.htm )

日帝が、朝鮮強占(植民地支配)期間に実施した強制連行の方法の中で、最も典型的な方法の一つが拉致だったと言う事に対しては、被害者の証言の調査ですでに明らかになっただけでなく、近年に入手された日本政府と企業の公式文書と資料によっても、はっきり立証されている。
日本の書籍、「戦時期の植民地統治資料」第7巻(訳注―「戦時期植民地統治資料: 7巻、柏書房 水野直樹著」を指している)には、日本内務省が、1944年に朝鮮で行った住民の動向と、邑、面、(訳注―日本による植民地統治時期、朝鮮の地方行政区画は 道 - 府・郡 - 邑・面 - 洞・里であったが、現在は、変更されているかも知れない)行政の状況と関連した報告書が編集されているが、ここでは、「徴用とは別に、他のすべての方法による出動も,拉致のような状態である。 それは、もし、事前にこれを通知すれば,すべての住民は逃げたからだ。 だから夜間襲撃、誘拐などの各種方策をとり、略奪、拉致をする事例が増えてきているのだ」と書かれている。
 「北海道と朝鮮人労働者 - 朝鮮人強制連行の実態報告書」(訳注―「北海道と朝鮮人労働者 : 朝鮮人強制連行実態調査報告書」朝鮮人強制連行実態調査報告書編集委員会, 札幌学院大学北海道委託調査報告書編集室編 北海道保健福祉部保護課―を指している)には、日帝が19445月に、朝鮮から、北海道に100人を強制連行して来る事に対する指示を下したことに関連して、「・・・ 郡庁職員、警察署や、面の従業員を総動員して眠っているところを襲撃したり、畑で働いている人を理由に関係なく、連行するなど、かなり無理な方法をとり、22日の出発日付にやっと合わせ、84人に対して令状を交付し、輸送させる事件があった。」と叙述されている。
他にも、日帝が朝鮮人民に敢行した拉致犯罪を証明する資料と文書は多い。 しかし、日本の執権勢力は、今も人道に対する罪の歴史を隠蔽、歪曲、正当化しながら、彼らの過去の犯罪に対する謝罪と賠償義務をかすめ取ってしまう為に、様々な出鱈目を書いている。
日本の反動層が、歴史歪曲に狂奔し、前代未聞の過去の犯罪を隠そうとすればするほど、それを告発する歴史の証言は、絶える事無く継続されるであろう。
                                              訳 柴野貞夫

<関連サイト>

☆ 柴野貞夫時事問題研究会<論考>従軍慰安婦強制動員」の“強制”否定と“謝罪”拒否は、安倍政権がアジアに対する日本の国家犯罪を正当化し、改憲を進める為の確信犯的行為である
http://www.shibano-jijiken.com/SEKAI%20O%20MIRU%20SEKAI%20NO%20REKISHI%204.html

☆柴野貞夫時事問題研究会<論考>「日本政府は<拉致問題>を隠蔽している」(2012520日)

http://vpack.shibano-jijiken.com/sekai_o_miru_sekai_no_jousei_32.html

☆ 安倍の‘謝罪’には6つの要点が欠落している<その2>(韓国・プレシアン)
http://www.shibano-jijiken.com/sekai_o_miru_sekai_no_shinbun_508.html

☆ 安倍の‘謝罪’には6つの要点が欠落している<その1>(韓国・プレシアン)
http://www.shibano-jijiken.com/sekai_o_miru_sekai_no_shinbun_506.html

☆440 日朝政府間協議で合意された発表文 (朝鮮中央通信 2014530日付)
http://www.shibano-jijiken.com/sekai_o_miru_sekai_no_shinbun_440.html

☆524 朝・日政府間会談での合意を破棄した日本を糾弾する(朝鮮中央通信 2016212日付)

http://vpack.shibano-jijiken.com/sekai_o_miru_sekai_no_shinbun_524.html