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(世界の新聞/ 我が民族同士 20181020日付
http://www.uriminzokkiri.com/index.php?ptype=ugisa1&no=1160824

    米国は二つの顔で我々に向き合う事を恥ずかしいと思わないのか

米国の、一方的で二重的な態度は、信義と約束を大事に考える朝鮮人には、耐えがたい侮辱となる事を、知らなければならない。

● 制裁継続を主張する米国の態度は、朝米間の信義に疑問を投げかけている

最近、対朝鮮問題と関連して、米国から聞こえてくる声は、世上の人々の頭を混乱させている。 一方では、米国務長官ポムペオの平壌訪問について、米国が望む《素晴らしく大きな成果》を収めたと宣伝する声が騒々しいかと思えば、《制裁継続》の様な聞きたくない声が,人々の耳を気まずくしている。
米国の選挙遊説場では、“我々は北朝鮮と本当に仲が良い.過去には彼等と戦争に向かっていたが、今は、そのどんな脅威も無く、本当に良い関係を持っている”と、晴れやかな笑顔を飛ばし、記者会見場など、他の場所では、“北朝鮮が、何かをする前までは、制裁を継続しなければならない。まだ、北朝鮮に対する制裁解除は考えたことが無い”と、険しい表情をしている。
米国務省は、また一方では、“平壌訪問が非常に生産的であり、成功的であった。北と論議されたものは、《すごい前進》だ。実務会談を早く開こう”と、熱意を見せながらも、他の所では、《先非核化、のち制裁緩和》が、一貫した立場であり、《南朝鮮当局も、南北協力事業のスピードはいけない、東南アジアとヨーロッパの国々も対朝鮮圧迫協調を続ける様に》と脅しをかけている。
平壌に来ては、懸案の問題と私たちの懸念事項について、了解したはずの頭が、米国に戻ると、(イヤイヤと、左右に頭を振る子供の‘おかぶり’の様に)変わって、シンガポール会談時、北南関係の改善を“積極的に支持歓迎”すると持ち上げたその両手で、今では北南協力事業が、“米国の承認なしでは駄目だ”と遮断棒を下げる事に対し、呆然自失せざるを得ない。推し量るのが難しい米国の表情と態度は、疑問を浮上させている

● 米国政府は信義無き態度を取り続けるが、それが朝鮮を刺激している事に余りにも無神経だ

一体全体、笑う顔と、ぶっきらぼうな顔のうち、どれが米国の本当の顔なのか? 本当に朝米関係を改善しようとするのか、それとも他の考えが入ったのか?もしかしたら、米行政府が、国内政治的に,その何かの脅迫症と焦燥感に追われ、心理的混乱を経験しているのではないか?
しまいには、時と場所に応じて変わる言動と一貫性のない態度について、ニューヨークタイムズも、政府が、混乱したメッセイジと空虚な脅迫、混雑を醸成する対朝鮮制裁政策だけを乱発していると非難した程だ。もちろん我々は、米国の11月、議会中間選挙を控えたホワイトハウスの《気の毒な事情》と《困惑な立場》を知らないわけではない。
今、米国の国内政治環境が非常に複雑であり、このような中で、おそらくその何をか決断して推進することが、どれ程、頭の痛い過程になるのかを、良く知っている。トランプ政策であれば、無条件反対しながら、腹にもない《強硬》な声を出す人々が吐き出す毒素で、米国の政治土壌が《酸性化》になったのは、災害水準に近いと言わなければならない。
 “騙されたら駄目だ、非核化に対する北朝鮮の真正性を信じる事は出来ない”と言いながら不信感を吹き込む人々、“対話とは別個に、最大限の圧迫を維持しなければならない、圧迫水位を緩めると、これは大きな失敗となる”と、圧を加えなければならないと言う人々、“本当に想像できないのは、核兵器の開発を北朝鮮に許容する事だ”と、核の恐怖症まで呼び引き起こそうと努力している人々によって、真実と虚偽が、一つの泥の中で覆われているのが、今日の米国政界である。
どれ程呆れたのか、前職大統領オバマまでも、現状況について、“我が米国の政治は、下品で、偏狭で卑しくなり、政治圏は虚勢と攻撃、侮辱、偽りの主張、無理強いで偽装した憤怒が幅を利かせる場所となった。”と、慨嘆した程である。
反対派が,非核化とか、制裁強化とか言う事が、平和の為の善良な心からでなく、純粋にトランプ政権を苦しめ、ホワイトハウスと議会を奪還するために取り出した礫(つぶて)に過ぎないということは、誰にでも明らかな事実である。 それどころか、朝鮮に対しては知る事もなく、最も現実的な非核化の方途に対しては、尚更考えて見た事も無い政治門外漢達の横車以外の何物でもない。
それでも米行政府が、反対派の顔を見続けなければならないのか?政敵達が汚水の様に噴き出すデマと風説・雑説には耳を傾けるが、真実の鐘の音はいつ聞いて、自分の道はどの様に進むのか?問題は、米行政府が、自国内の強行派たちの声はその様に恐れながら、彼ら(訳注―米国を指す)の信義なき行動と内外の他の態度が、交渉当事者(訳注―朝鮮を指す)の神経を刺激していると言う事実に、余りにも鈍感なことだ。
偽善と欺瞞に慣らされて、傲慢と独善が体質化された米国人達は、彼らの一方的で、二重的な態度について、何でもない事であって、当然の事として考えているのであれば、それが純粋で明白な事を好み、信義と約束を大事に考える朝鮮人には、耐えがたい侮辱となる事を、知らなければならない。

● ピョンヤンに来た時とワシントンに帰った時の米国の二つの顔

米国が、ピョンヤンに来た時に話した言葉と、ワシントンに帰った時に話した言葉が違って、胸に抱いた考えと、表に出た言葉が違えば、これまで、辛うじて積み上げて来た相互信頼の塔は,卵を積み上げた様に、面倒な事になるだろう。
米国が、朝米交渉を、世紀をつなげて累積された両国間の敵対と不信の歴史に終止符を打ち、新しい信頼関係を構築する為のものではなく、互いの中に刃物を抱いたまま、抱擁する“ラムラットのキス ”と考えているのかは分からない。全世界が、シンガポールでの両国首脳の対面を、「世紀的な出会い」、「歴史を変える対面」として歓迎したのは、米国がついに、棍棒政策を捨てて対話と交渉の道に出たと見たからである。
ところで、前では、我々の善意の措置に拍手を打って、後ろに戻っては圧迫の棒を続け振り回したいとしているのだから、我々は二つの顔のうちのどの顔を対象にすればよいのか。 平壌で朝米間の和気藹々とした談話が行われる時刻にも、米国では「圧力」が、この問題を解決するための主たる切り札であり、手にした棒を絶対に放してはならないという叫び声が、公然と響き出ている。
ある程度の周辺感覚もなければならない。 国際社会では、米国は、送受信式の交渉には関心がなく、ただ、朝鮮が米国の圧力に、頭を下げる事を願う。米国は、非核化にだけ集中して、残りの多くの深い発展を見ていないという非難が響き出ている。 我々朝鮮人は、表裏(うらおもて)がある事と、二重主義を軽蔑し憎悪する。 米国は二つの顔ではなく、一つの顔で、我々と向き合わねばならない。
鳥も2つの翼で飛んでいるのに、米国は、自分の翼はたたみ、朝鮮にだけ飛べという、与える事無く受けるだけが好きな米国は、世間知らずで、対価なしに施すだけの朝鮮こそ、本物のお年寄りであると嘲笑している。 国連でも、ロシアは、制裁が外交を代わりにすることができないと、対朝鮮圧迫に強く反対しており、中国も、力に依存することは、災害的な結果をもたらすと警鐘を鳴らしている。
しかし、米国は、自分の中途半端な二重的思考と二重的態度から、目標と手段を混沌し、大きなものと小さなものをわきまえられず、比例感覚とバランス感覚さえ失う状況に至った。 家の中(国内)の戦いに苦しんだ挙句、今になっては、自分たちが望む結果が、世界の平和と安定のか、それとも制裁圧迫そのものか、分からなくなった様だ。
いくら家の中(国内)の政治が複雑で、波風が立っても、少なくとも最初に定めた目標を、失わなくてこそ、思考と行動での一貫性が保証されて、朝米交渉がその軌道に乗って、真の目的地に向かって流れるのではないのか?
我々は、米国に、善意と寛大まで願わないが、受けたものだけは、与えなければならないと言う、初歩的な取引の原則に合わせて、行動するように要求する。 朝米関係の機関車が、相互信頼という蒸気を吹き上げてこそ、力強く前進すると言う我々の主張と、それは制裁圧迫という制動装置を引っ張る事にあると考える米国の固執のうち、どれが正しいかは、あえて聞く必要もない。 朝鮮人は、表裏(うらおもて)がある事と、二重主義を軽蔑し憎悪する。
米国は二つの顔ではなく、一つの顔で、我々と向かわねばならない。 それは、暗い顔色で失敗した過去を振り返ってみる顔ではなく、穏やかな眼差しで、成功的な未来を願う顔であろう。
                                              (訳 柴野貞夫)